私の幸せを壊そうとした家族に、とっておきの制裁と地獄をお送りいたします。
私、カトリーナ・オリファントには一人の婚約者がおりました。
クライヴ・トバイアス。侯爵家の長男である彼とは政略的な意味合いが強い婚約を幼少期から交わしておりました。
とはいえ、婚約を交わしたのはオリファント伯爵家の領地運営等が上手くいき、社交界でも勢いづいていた幼少の頃。
両親を始めとした家族が失態を続け、その地位が大きく傾いても尚、トバイアス侯爵側が婚約を破棄しなかったのは相手方の温情と、何よりもクライヴ本人の強い希望があったからでした。
政略的な婚約ではありましたが、共にいる時を重ねるにつれて、私たちは惹かれ合っていきました。
今から二年前の事です。
国では次期国王の王位継承を主軸にした派閥争いが苛烈さを増しておりました。
私たちの家は元々、第一王子派を支持する家でした。
しかし、この頃の私の家族達はどうにも第二王子派閥と友好的な関係を築く動きが増えておりました。
「結婚してしまおうか、カトリーナ」
トバイアス侯爵家の庭で穏やかな時間を過ごす中、突然クライヴはそのような事を言いました。
木陰で私の膝の上に頭を乗せる彼はてっきり転寝でも始めたのだと思っていたので、私は二重の意味で驚かされ、小さく口ずさんでいた歌を止めました。
「え?」
少々時間を空けてから漏れたのはそのような驚きの声一つだけ。
話の理解が追い付かない私を置いて、クライヴは続けます。
「今、情勢は相当不安定だからね。振り回される家庭環境は二つより一つの方が良いだろう」
例えば最悪の場合、どちらかの家が――この場合可能性が高いのはオリファント家だが、没落するなどといった未来を迎えた時、婚約は当然白紙になる。
そうでなくとも、支持をする派閥が異なれば互いに何のメリットもない婚約はやはりなかったことになるだろうし、仮に婚約破棄に至らなかったとしても両家の対立に私もクライヴも巻き込まれることになります。
ならばオリファント家が表向きは派閥を変えていない、寝返っていない今のうちに婚姻という、カトリーナがトバイアス侯爵家の一員となる既成事実を作ってしまおうというのがクライヴの提案でした。
「今、結婚することで貴方にメリットはないでしょう? 私や、私の家は必ず迷惑をかけるわ」
「カトリーナ」
「わかるわ。私の家はきっと落ちる。社交界から消えていく――そんな未来に貴方や貴方の家族を巻き込みたくない」
金と権力に溺れた家族の姿が、私の脳裏には焼き付いています。
トバイアス家は地位が安定した家門。そしてクライヴは第一王子のご学友でもありました。
政略的な観点から見れば、嫁ぎ先として申し分ない家です。
それに加えて、クライヴも、彼のご家族――トバイアス侯爵家の方々も……私を心の底から愛し、可愛がってくれていました。
彼らは本当に素敵な心の持ち主です。
卑しく愚かな家族のもとに生まれた私なんかとは釣り合わないくらい。
だからこそ、私はクライヴの申し出を喜ばしく思いながらも、それを断るしかありませんでした。
たくさんの愛を与えてくれた彼らから、あろう事か私が何かを奪うような事があってはなりません。
結婚した先、オリファント伯爵家の状況が悪くなれば悪くなる程、トバイアス侯爵家は多くの悪評を被る事になりかねません。
そんな事は許容したくなかったのです。
「ごめんなさい、クライヴ。貴方の気持ちはとても嬉しい。でも……頷く事が、できない」
私の目から涙が溢れます。
その雫が、クライヴの頬に落ちました。
「カトリーナ」
クライヴの優しい声が届きます。
彼は私の頬を優しく撫で、溢れる涙を指の腹で掬います。
「君はきっと、自分には何もないと思っているんだろう。俺や俺の周りの人たちが優しいから、君に多くのもの与えてくれるだけなのだと」
図星でした。
何もできない、無力で惨めな人間なのだと。そう言われ続けて生きて来たのですから、当然それが私の中の常識でした。
「違うよ、カトリーナ」
クライヴは私の頬を何度も撫でました。
大切な宝石を愛でるように、謝って傷がつかないように労わるように。
その小さな動き一つ一つに、彼からの愛情が感じられました。
「君が愛を受けるのは、君にその資格があるからだ。君は誰よりも心優しくて、純粋な女の子だ。人が傷つく事を恐れ、見えない傷にまで気付いては懸命に癒そうとする。それを俺は良く知っている。……きっと、君を好いている人たちもそうだ」
クライヴは体を起こすと私の唇に自分の唇を押し当てました。
そして私を優しく抱き寄せ、また優しく撫でたのです。
「君は愛されるべくして愛されている。その事を忘れないで。俺のこの想いが間違っていると、否定しないでくれ」
私は声を押し殺して涙を流す事しかできませんでした。
そんな私を腕の中に閉じ込めたまま、クライヴは私の腕に伸びます。
彼は私のドレスの袖を捲り、そこに隠されていた包帯を撫でました。
私は驚きました。
これまで、服で隠した肌に彼が触れようとする事はありませんでした。
だから、毎日増える傷も上手く隠せているものだと思っていたのです。
けれど彼はその包帯の存在に驚く様子もなく、やはりただ愛おしそうに撫でるだけでした。
「君を傷付ける世界から、君を救いたい。そして……君と幸せな家庭を持ちたいんだ」
彼は私が隠し続けていた秘密にも、私の考えにも、全て気付いていました。
そしてそれら全てを受け止めた上で、もう一度言います。
「結婚してくれ、カトリーナ」
その顔は全てわかっているという自信と、私への恋心に満ちていました。
けれどね、クライヴ。
そんな聡明な貴方でも、きっと一つだけ気付いていないことがあったわ。
このたった一言がどれだけの幸せを私に与えたのか。
この瞬間、私はきっと世界で一番幸せな女の子だった。
今時が止まってしまってもいいと――このまま溶けて消えてしまうんじゃないかと思うくらい、本当に幸せだったの。
たった一言でそんな心地にしてしまう貴方はやっぱり、私の身には余る、素敵な人でした。
***
クライヴの葬式はそれから一週間後に執り行われました。
或る晩、彼は自室で殺されているところを発見されたのです。
トバイアス侯爵家は第一王子派の中でも権力を持つ家でしたから、第二王子派による暗殺だろうという噂で社交界は持ち切りになりました。
その遺体はとても人様にお見せできるような状態ではないとされ、棺桶の二は閉ざされ続け――私は最愛の人の顔を最後に見る事すらできませんでした。
私は何日も自室に閉じ籠り、泣き続けました。
泣き疲れて眠って、目が覚めて少しぼんやりすると、またクライヴの顔が過って涙が止まらなくなるのです。
けれどいつまでもそうしている事を私の両親や兄、姉は許してくれませんでした。
いつまでも泣いていないで、家の為になれと私を部屋から引きずり出し、鞭で打ちました。
そして程なくして、家族は正式に第二王子派へと寝返りました。
私には新しい婚約者があてがわれました。
三十は年が離れた、ふくよかな殿方です。
ジェイラス・ウィールライト公爵です。彼は第二王子派の中でも権力を握るお方でした。
本来ならば一伯爵家の令嬢の婚約相手とは不釣り合いも甚だしいお話です。
しかし彼は貴族社会には珍しく五十になっても嫁が居らず、また独身貴族として地位を確立することにも成功したお方でしたから、嫁の家柄など些末な事だったのでしょう。
それよりも彼が重要視したのは若さと容姿でした。
そして私は恐れ多くも、そのお眼鏡に適ったのだそうです。
私は家族からウィールライト公の機嫌を取るよう事細かな指示を受け、その通りに動きました。
そしてその結果、彼は私を溺愛してくださいました。
私の肌に触れ、手の甲に何度も口づけをしました。
けれど彼と唇を重ねる事だけは、どうしてもできませんでした。
キスを断る私へ不思議そうに投げられた問いには、「恥ずかしいから」ですとか、「そのような施しを受ける資格があるという自信がまだないから」「結婚前だから」などなど、彼の機嫌を損ねない言い訳を並べてきました。
クライヴとの大切な思い出を、ウィールライト公との同様の行為で上書きしたくはないという、浅はかな欲でした。
家族の前では諦めたふりをしながら、結局私はみっともなく過去に縛られていたのです。
断る際の私の言葉選びは正しかったのでしょう。確かに彼の機嫌は損ねませんでした。
しかし、事は望んだ通りには運びませんでした。
ならばと意気込んだウィールライト公は早々に婚姻を進めようと言い寄るようになり、家族へそのように進言しました。
そしてクライヴの死から二年が経った今――私は翌日に結婚式を控えた花嫁となりました。
「酷い顔」
真夜中の自室。私はドレッサーに映る自分の顔を見て自嘲します。
青白い肌に、二年前より少し痩せた頬。元より色白なこともあって、目の下に出来た隈は色濃く主張をしています。
クライヴが見れば胸を痛めた事でしょう。
彼が心配する顔を思い浮かべながら私は微笑みます。
「大丈夫よ、クライヴ。私、あれから少しだけ強くなったの」
私はドレッサーの前に置かれた紙束と懐中時計へ視線を落とす。
時計の針は一時を回っていました。
「愛してる。貴方だけを愛しているわ……ずっと」
そっと唇を撫でます。彼との幸せな記憶が蘇って、涙が溢れそうになりました。
でもそれは堪えなければなりません。
この涙を拭って私を守ってくれていた人はもういませんでしたから。
一人でも強く在らねばなりませんでしたから。
私は紙束と懐中時計を手に取ると、外套を羽織って外へと飛び出します。
正門へ向かえば、見張りの騎士が二人居ました。
「カトリーナ様」
本来ならば二人は、護衛も付けず外へ出ようとする私を止める立場にあります。
しかし事前に私と話を付けていた二人は小さく頷くと、静かに門を開けてくれました。
「ありがとうございます。……ごめんなさい」
「いいえ。俺達は、貴女様の幸せを願っていますから」
「例えこの家が落ちたとしても、皆が路頭に迷うことはないよう、最善を尽くすわ」
「そんなこと気にしないでいいんですよ。どうか、ご自分の事も気に掛けてあげてください」
騎士達は私の身を案じるように微笑みました。
私は彼等に深く頭を下げると門を潜り抜けて先を急ぎます。
夜会帰りに馬車で横切ることはあっても、夜の街を出歩くのは初めての事でした。
昼間とは打って変わった物悲しさと不気味さを感じる街並み。
散見される娼婦や酔っ払いの方々を避けて私は歩きます。
すると道の脇に停まる馬車を見つけました。
貴族の紋章などはない、裕福層の市民が借りる為の馬車です。
その傍には私と同じように外套を羽織り、フードで顔を隠した方が三名いらっしゃいました。
「何者だ」
彼らの前に辿り着くや否や一人がそう問い掛けました。
私は外套の下に隠していた紙束を出しながらこう答えます。
「最愛の殿方へ、オーティス・リリウムを捧げに参じました」
オーティス・リリウムというのは三枚の花弁を持つ真っ白な花のことで、葬儀で用いられる事の多いものですが……ここではオーティス・リリウムが大切なのではなくこの一文が大切でした。
所謂『合言葉』です。
それを聞いた三名は互いに頷き合いました。
そして最初に私へ問い掛けたお方がフードを取ります。
私も同じ様にフードを取り、顔を晒しました。
お相手は金髪碧眼の美青年。私はその華があるお顔立ちを何度も見た事がありました。
「お久しぶりです。カトリーナ・オリファント嬢」
「我が国の若き太陽のご尊顔を拝し奉り、至極恐悦に存します。――ライオネル王子殿下」
「そんなに畏まらないでくれ。今は公務の最中でもなければ――ましてや、第一王子として立っている訳でもない」
ライオネル王子殿下――我が国の第一王子である彼と私は学年が違いましたが、同じ学び舎で学を積んでおりました。
そして彼はクライヴと友人――必然的に会話を交える機会はあったのです。
「少し、やつれたんじゃないか」
「殿下がお気になさるほどの事ではありませんわ」
「気にするだろう。貴女は……私の友人の、大切な方だったのだから」
仕方のない事とはいえ、過去形で話される事実に心苦しさを覚えました。
私はこの胸の痛みから逃げるように、紙束を殿下へ押し付けます。
「どうぞ。お約束のものです」
「ああ、ありがとう」
殿下は紙束に視線を落とし、何ページ分か、その内容を確認してから私へ視線を戻す。
「本当に、良かったのか。これを私に渡すという事は――貴女の家が、潰れるという事に他ならない」
「存じておりますわ、殿下」
私は目を伏せる。
殿下に渡した書類には、この二年間、私が血眼になって集めた情報がぎっしりと詰まっておりました。
具体的には……第二王子派貴族による、国家転覆計画について。
我が国と隣国は数十年前まで戦を繰り返しておりました。
現在は停戦協定が結ばれ、少しずつ友好的な交流も進みつつありますが……それでも警戒を緩み切れないのが双方の国の状態です。
その中で、第二王子派閥の内一部の貴族が『我が国が再び隣国への襲撃を目論んでいる』という虚偽の情報と共に、そして国家機密事項にも抵触するような我が国の戦力の総数が推し量れる情報を流しておりました。
彼らの目的は戦を誘発し、その原因を第一王子やその派閥の者へ押し付けるといったものでした。
勿論、そんな事は許容できるはずもありません。
ですから私はこの二年間、表向きには婚約者の機嫌を取るだけの家族の傀儡を演じ、第二王子派閥の情報を集めて回っていたのです。
第一王子の手に渡った紙束には先述した計画に加担した貴族達の名前、そしてその確固たる証拠が全て揃えられています。
何故、一回の令嬢である私にそのような事が出来たのか。
その答えはあまりに明快です。
今回の計画の首謀者がウィールライト公とオリファント伯爵家だったからです。
彼らは私を見縊っていました。
殴ればいう事を聞く傀儡だと、もしくは尻尾を振る愛玩人形だと。
ですからそれを利用して少しずつ、確実な情報を寄せ集めたのです。
「何故、ここまでの事を」
私の顔を見つめたまま、殿下は呟きます。
私は深く頭を下げ、作り笑いを貼り付けながら言います。
「全ては……私の全てを奪った方々に地獄を見せる為でございます、殿下」
「……愚問だったな」
ウィールライト公と婚約をして程なくして、私はある真実を知りました。
それはクライヴの暗殺はウィールライト公と私の家族が結託したものであった事。
暗殺理由の一つは第一王子派への脅し。
そしてもう一つは――トバイアス侯爵よりも高い地位を持つウィールライト公が私を気に入った事。
ウィールライト公に取り入り、娘と結婚させる為。それだけの為に私の家族はクライヴを殺したのです。
許せるはずもなかった。
私が傷つけられるだけならいくらでも受け入れました。
けれど寄りによって、私にとって何よりも代えがたかった存在を――守りたかったものを、彼らは簡単に奪い取ったのです。
彼はとても優秀だった。剣も勉学も優れていたし、人望も厚かった。
こんな事で死んでいい人ではなかったのに。
ですから、無念にも命を落とした彼の代わりに――私が制裁を与えると、そう誓ったのです。
例えその結果、私が家族と共に破滅を迎えるとしても。
「このような事が続かないよう、どうか……どうか、よろしくお願いいたします、殿下」
「ああ。この先の事は任せて欲しい」
私は深くお辞儀をすると、殿下に背を向けます。
そしてその場を去ろうと一歩踏み出したその時です。
「時に、カトリーナ嬢」
殿下が私を呼び止めます。
「貴女の心はまだ、クライヴのもとにあるか」
答えなどわかり切ったような問いを投げられます。
私にはその言葉の真意がわかりませんでした。
不思議に思って振り返ると、殿下は不敵な笑みを浮かべておりました。
視線だけで、私に返答を促しています。
ですから私は仕方なく言葉にして返す事に致しました。
「はい。私はクライヴだけを想っています。……これからも、ずっと」
「そうか。呼び止めてすまなかった」
「いいえ」
今度こそ私はその場を立ち去ります。
「君の明日が素敵な日になりますように」
そんな声が聞こえましたが、生憎彼の願いはかなわないでしょう。
私は心の中でそう言い返したのでした。
***
さて。
寝不足で深まった隈もお化粧ですっかり消えた私は、ウェディングドレスに身を包んで自分の旦那様となる人物――ウィールライト公と向き合います。
永遠の愛を誓うか、という問いには口先だけの返事をしました。
本来ならば、クライヴ以外の方へ愛を誓う事などしたくはありませんでしたが、気持ちを割り切るだけの時間はありました。
それに……昨晩で私はやり残していたことを全て清算していましたから、後はどうとでもなれという気持ちもありました。
……そう、思っていたのですが。
神父様が誓いのキスを促し、ウィールライト公に両腕を掴まれて、彼の顔が迫った時。突然どうしようもない寂しさに襲われたのです。
恐怖や嫌悪はありませんでした。
本当であればこうして向き合っていたはずの人物がいないという現実が唐突に突き付けられたような気がしました。
クライヴが亡くなって、泣く事を許されなくなってからというもの、私は寂しさを紛らわせるだけの使命をずっと負っていました。
ただひたすら、自分が為すべきこと――身内の悪事を密告するという使命の為に必死になればよかった。
けれどそれは昨晩果たされてしまいました。
だからこそ今の私にはこれまで以上にクライヴを喪った心の傷を実感するだけの余裕が生まれてしまった。
二年間、希薄になっていた私の本来の感情が、突如蘇って、溢れ出します。
胸が悲鳴を上げそうなくらいに締め上げてきて、息が上手くできなくなりました。
泣くな、泣くなと念じても視界は潤んで、今にも雫が零れ落ちそうでした。
その時です。
教会の扉が乱暴に開け放たれます。
「――待った!!」
その声は良く通り、教会中へ響き渡りました。
耳に届いたその声が、私の脳裏に数々の思い出を過らせます。
愛しの人と過ごした、幸せな日々を。
視線が一斉に集まった後方へ、私もまた視線を投げます。
教会へ飛び込んで来たのは正装で着飾った青い髪の青年。
私は、その姿を良く知っていました。
けれど同時に嘘だと、目の前の光景を否定する声が心の中に生まれました。
だって
だって彼はもう――
黄色の瞳を私とウィールライト公へ向けた青年は、考えの追いつかない私の事など差し置いて、ずかずかと近づいてきます。
「な、なんだ貴様……ッ!」
すぐ耳元でウィールライト公が何かを言っていましたが、そんな言葉は私の耳に入っては来ませんでした。
青年は胸を張り、笑みを深めて名乗りを上げます。
「私はクライヴ・トバイアス。トバイアス侯爵家の嫡男にして――カトリーナ嬢と婚約を交わした者です!」
「な……っ、と、トバイアス侯爵家の嫡男だと!? そんな馬鹿な――」
たじろぐウィールライト公を無視して、青年――クライヴは私を掴んでいた腕を引きはがします。
そして私を抱き寄せながら続けました。
「私は二年前、暗殺を企てられた為、死を偽装して政界から姿を消しました。しかし婚約を破棄した覚えはございません。よってウィールライト公、貴方と彼女との婚約は、白紙にしていただく!」
「そ……っ、そんな滅茶苦茶な言い分があってたまるか! どういう手品を使ったのかは知らんが、例え貴様が生きていたのだとしても、貴様の死が公に認められた以上、その時の婚約が白紙になるのは至極当然だ!」
「滅茶苦茶な言い分でも何でも! 貴方に彼女を譲る気はありません!」
クライヴは穏やかで誠実な人です。この場で理屈的な返しも出来たでしょう。
しかし何故かこの時は声を張り、理屈ではなく言葉の勢いでウィールライト公を押し負かしていました。
理屈ではなく感情で。まるで、自分の気持ちの方が大きいのだと主張するように。
「おい、誰か式を滅茶苦茶にするこの狂人を引っ張り出せ!」
クライヴの勢いに負けたウィールライト公が声を張り上げ、何名かが駆け付けようとしますが、それはまた、クライヴの声によって妨げられます。
「その気がないとおっしゃるのでしたら――私の言い分が通らざる得ない状況を作らせていただくまでです。今、この場をお借りして彼と、彼の協力者の罪を明かしましょう!」
暗殺を企てられていた張本人による、告白。
ウィールライト公も参列していた私の家族も、皆まずいと思ったのでしょう。それぞれが顔を強張らせました。
しかし彼らが何か口を挟むよりも先、開けっ放しになっていた扉から更に一人の男性が姿を見せます。
「めでたい場を搔き乱すような事態となった事は詫びさせていただく。しかし、今この場で行われる証言については私が保証しよう。どうか皆、見届けた上で真偽を確かめてくれ」
「ラ、ライオネル王子殿下……!」
そう。遅れてやって来たのは、王族らしく煌びやかな衣装に身を包んだライオネル王子殿下でした。
その後の顛末としましては、死を偽装したクライヴが王宮に匿われつつ殿下や第一王子派の方々と共に国の裏で行われる悪事の情報を集めていた事がまず語られました。
そして集めた情報や、密告者のお陰で明らかとなった事実を――逃げ場がない程固められた証拠と共にすべて赤裸々に話し、ウィールライト公とオリファント伯爵家が大罪人であるという事実を突きつけたのです。
全てを聞かされた客人たちは勿論騒然となります。
しかし疑う余地がない程に証拠は揃っていて――何より、死んだとされていたクライヴがその場に立っているのですから、彼の話を疑う者などどこにも居りませんでした。
「さて。弁明があるのならば今のうちに聞かせてもらおうか」
更に追い打ちを掛けるように、殿下がウィールライト公と私の家族を睨みます。
「こ、これはその……っ!」
何か話さなければと思いながらも良い案が生まれず、顔を真っ赤にしながら口籠るウィールライト公。
私の家族は顔を青くさせながら互いに罪をなすり合って、罵倒し合っていました。
何とも見るに堪えない、醜い姿。我が家族ながら恥ずかしすぎると思いました。
そしてそう感じたのは殿下とて同じでしょう。
彼は額に手を当てて、やれやれと息を吐くと後ろに控えていた騎士達へ指示を出します。
「わかった、わかった。あとでゆっくり聞かせてもらおう。彼らを捉えよ」
情けない悲鳴と共にウィールライト公や家族は騎士達に捉えられ、連れ出されていきます。
「ま、待ってくれ! 何故私たちが捕まって、カトリーナは見逃されるんだ!」
連れ去られる直前、そう言い出したのは父です。
それに乗じるように母まで口を開きます。
「そうよ! 私たちがこんな目に遭っているというのに、あの子だけずるいわ!」
「ずるい? 何を勘違いしているんだ」
クライヴは両親に見せびらかすように、私の額にキスを落として笑いました。
「貴方達の悪事を明かしてくれたのは、他でもない彼女だというのに」
その後の、憎悪に塗れた両親の悲鳴と言ったら、本当に品がなく、耳障りなものでした。
「それじゃあ、私は先に失礼するよ。皆の者も、付き合わせて悪かったね」
やがて殿下はそう言って去って行きます。
その場に残された参列者たちも私たちに興味津々といった様子でしたが、いつの間にか大量の涙で顔を濡らしていた私の様子に気が付くと、気を遣うように退室していきます。
やがてその場には私とクライヴだけが残されました。
涙が止まらず、何も言えない私は、クライヴの服の袖を握ります。
「あー……すまない、カトリーナ。……カトリーナ、こっちを見てくれ」
一度名を呼んでも返事をしない私の反応を不安に思ったのか、クライヴは腕を解くと正面に回り込みます。
「すまない。君を置いてったり、一人にして。……つらかっただろう」
「……っ、何も、言っ……っ」
「ああ、言えなくてすまない。寂しくさせてすまない」
上手く言えない恨み言も全て受け止めて、クライヴは私の濡れた頬を撫でます。
だから私は、言いたい事は本当に本当にたくさんあったけれど、何も言えなくなってしまいました。
彼は、私が何を思っているのかもきっとわかっていましたから。
ただ、子供のようにしゃくりあげて泣く私を優しく撫でて、何度も名前を呼んで、私が落ち着くまで待ってくれました。
「もう二度と放したりしないよ。本当だ。……今だって、最後に伝えた気持ちはほんの少しも変わっていないんだ」
クライヴはそういうと、私の手の甲にキスをして跪きます。
「君は……どうかな。君を酷く悲しませて、泣かせてしまうような男だけど……まだ、一緒にいてもいいと、思ってくれるかい」
彼の瞳は私の涙につられて少し潤んでいました。
きっと、私が返す言葉に不安もあったのでしょう。
「俺と、結婚してくれるかな」
やっぱり彼は私の事をわかっていませんでした。
不安になる必要がないくらい、私の答えなんて決まっているというのに。
私は自分の顔を雑に拭います。
それでもやっぱり、涙は止まりませんでしたが。
それに負けないくらいの笑顔でクライヴを見つめます。
「喜んで」
それから。
クライヴは喜びのあまり、私を抱き上げてぐるぐると回り出して、それがおかしくて私はもっと笑いました。
そして互いに向き合って経ってから、やけにもじもじとしているクライヴの前で私は先程聞いたばかりの神父様の言葉を真似ます。
最初は目を丸くしたクライヴは、徐々に私の意図を理解したようで、可笑しそうにくすくすと笑い出しました。
病める時も
健やかなる時も
愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?
同じ誓いを繰り返した私たちは照れ臭そうに笑い合って。
それから二人だけの教会で、そっと誓いのキスを交わすのでした。




