第8話:ドラゴンと 騎士
お読みいただきありがとうございます!
今話は、アーサー視点のお話です。
僕は、本が好きだ。
乳母がいなくなってから、王宮ではいつも一人だった。誰もいない部屋は、とても静かで、寂しくて、怖かった。
そんな時、気持ちを慰めてくれたのが本だった。
養育係が時々置いていく本の山。その中に、ほんの少しだけ物語の本が混ざっていた。勇敢な冒険者がいて、優しい魔法使いがいて、幸せな結末を迎える物語。それを読むと、僕もちょっとだけ愉快な気持ちになれた。
僕もいつか、そんな世界に行けたらいいのに。
ずっと、そう思っていた。
でも、ここに来てから、本を読む時間はあまりなかった。
ハルカと一緒にご飯を食べて、魔法の練習をして、お話をして。
毎日が忙しくて、でも楽しくて。
本を読まなくても、寂しくなかった。
だって、ハルカがいつも側にいてくれたから。
でも、昨日の夕食で、タイロン様が言っていた。
「『ドラゴンと騎士』を読んだことがあるのか? あれのモデルは父上だ」
ドラゴンスレイヤー。
ハルカのお祖父様が、本当にドラゴンを倒した。
あの物語は、本当にあったことだったんだ。
胸が高鳴った。
物語の中の騎士が、実在する。
しかも、ハルカのお祖父様。
もう一度、読んでみたい。
どうしても、もう一度読んでみたい。
◇◇◇
「さあ、着いたわよ」
ミランダ様の優しい声に、僕は顔を上げた。
大きな扉の向こうには、天井まで届く本棚がいくつも並んでいた。
「わあ……」
思わず、声が漏れる。
こんなにたくさんの本。
王宮の書庫には入ったことなかったけれど、ここよりも大きいとミランダ様は言っていた。これ以上大きいなんて、ちょっと想像がつかない。
「すごいでしょ? ここには色んな本があるの」
ハルカが嬉しそうに僕の手を引く。
僕たちは、ミランダ様に連れられて書庫を訪れていた。
「アーサー様、こちらの本棚は冒険譚や物語が多いのよ。あなたたちくらいの年齢でも読みやすい本を集めてあるわ」
ミランダ様が優しく案内してくれる。
僕は、本棚の前に立った。
色とりどりの背表紙。どれも面白そうで、どれから読もうか迷ってしまう。
「これは『森の妖精』。優しい妖精のお話よ」
「こっちは『勇者の冒険』。魔王を倒す物語ね」
ミランダ様が次々と本を紹介してくれる。
ハルカも一緒に本を眺めている。
「ねえ、アーサー。これ、面白そうじゃない?」
ハルカが一冊の本を取り出す。
「『魔法使いの弟子』……うん、面白そう」
僕も笑顔で答える。
でも、僕の目は、別の本を探していた。
そして——見つけた。
「あった……」
赤い背表紙に、金色の文字。
『ドラゴンと騎士』
懐かしい本。
昔、乳母が読んでくれた本。
僕は、そっと本を手に取った。
「あ、アーサー、それ!」
ハルカが嬉しそうに声を上げる。
「昨日お父様が言ってた本ね。読んでみる?」
「うん……昔、読んでもらったことがあるんだ。でも、また読んでみたくて」
僕は、本をぎゅっと抱きしめた。
「その本、とっても面白いわよ。アーサー様、読み終わったら感想を聞かせてね」
ミランダ様がにっこりと笑った。
◇◇◇
部屋に戻って、僕はすぐに本を開いた。
ページをめくる。
懐かしい。
この文章、この挿絵。
全部、覚えている。
物語は、小さな村から始まる。
主人公の名前は、ラオウ。
若き冒険者で、鍛え抜かれた剣術と強い火魔法を使う。
ある日、辺境の村にドラゴンが現れる。
村人たちは怯え、逃げ惑う。
でも、ラオウは逃げなかった。
仲間たちと共に、ドラゴンに立ち向かう。
戦いは激しかった。
ドラゴンの炎は強く、ラオウは何度も傷つく。
でも、諦めない。
仲間たちが支えてくれる。
魔法使いが回復の魔法をかけ、弓使いが援護する。
そして、最後の一撃。
ラオウの剣が、ドラゴンの心臓を貫く。
ドラゴンは倒れ、村に平和が戻る。
ラオウは騎士の称号を得て、大好きだったお姫様と結婚する。
幸せな結末。
僕は、本を閉じた。
胸が、まだドキドキしている。
昔読んだ時も、かっこいいと思った。
でも、今はもっと強く感じる。
強くて、勇敢で、挫けなくて、でも優しくて。
ラオウは、本当の騎士だ。
そして——これは、ハルカのお祖父様の物語。
物語じゃない。本当にあったこと。
実在する、本当の騎士。
◇◇◇
ふと、昔の記憶が鮮明に蘇った。
まだ乳母がいた頃。
僕が三歳くらいの時だったと思う。
乳母が、この本を読んでくれた。
「アーサー様、今日はどの本がいいですか?」
「これ……」
僕は、赤い背表紙の本を指差した。
「『ドラゴンと騎士』ですね。では、読んであげましょう」
乳母の優しい声。
温かい膝の上。
物語を聞きながら、僕は目を輝かせていた。
「すごい……ラオウは、強いんだね」
「ええ、とても強くて、勇敢な騎士です」
「僕も、いつかラオウみたいになれるかな?」
「きっとなれますよ、アーサー様」
乳母はそう言って、僕の頭を優しく撫でてくれた。
でも、その後すぐに乳母はいなくなった。
一人ぼっちになった僕は、物語の続きを一人で読んだ。
本の中のラオウは、いつも変わらず強くてかっこよかった。
でも、一人で読んでいるうちに、僕の中のラオウへの憧れは、少しずつ諦めの色に塗り替えられていった。
だって、僕には無理だと思ったから。
弱くて、誰にも必要とされていなくて、仲間もいない。
いつも一人だったから。
でも、今は違う。
一人じゃない。
ハルカがいる。
ミランダ様がいる。
タイロン様がいる。
そして、ラオウ様——まだ会ったことはないハルカのお祖父様。物語の主人公にもなれる強い人。
この物語は、遠い昔の話じゃない。
本当にあった話。
本当にドラゴンを倒した人がいる。
そして、その人に会える。
胸が、ドキドキする。
僕は、もう一度本を開いた。
何度も、何度も読んだ。
ラオウの戦い方。
仲間との絆。
諦めない心。
全部、もう一度胸に刻みつけたいと思った。
◇◇◇
「アーサー、また読んでるの?」
ハルカが部屋に入ってきた。
「あ、ハルカ……」
僕は、本を抱きしめたまま顔を上げる。
「その本、そんなに面白い?」
「うん……すごく面白い。昔も読んでもらったことがあるんだけど、今読むと、その強さと優しさをもっと感じる。ラオウは、本当にかっこいい!」
僕がちょっと興奮気味に答えると、ハルカは嬉しそうに笑った。
「でしょ? お祖父様、本当にすごいの。ドラゴンだけじゃなくて、色んな魔物を倒してるんだよ」
「本当に……?」
「うん。今も魔の森で魔猪を倒しに行ってるでしょ? お祖父様が帰ってきたら、色んな話を聞かせてもらおうね」
ハルカがそう言って、僕の隣に座る。
「ねえ、ハルカ」
「ん?」
「僕も、いつかラオウ様みたいに強くなれるかな?」
僕がそう尋ねると、ハルカは少し驚いたような顔をした。
それから、にっこりと笑う。
「なれるよ。アーサーは、もう十分頑張ってるもん。ご飯もいっぱい食べて、魔法の練習も毎日してる。きっと、強くなれるよ」
「本当に……?」
「本当だよ。それに、私も一緒に頑張るから。二人で強くなろうね」
ハルカが僕の手を握る。
温かい手。
優しい手。
僕は、小さく頷いた。
「うん……一緒に、強くなろう」
そして、心の中で誓う。
いつか、僕もラオウ様みたいに強くなる。
そして、ハルカを守るんだ。
ハルカは、僕を温かい場所に連れてきてくれた。
ここが僕の新しい家だと言ってくれた。
そして、僕に『家族』を教えてくれた。
だから、今度は僕が、お返しをする番だ。
まだ、体は小さい。
まだ、魔法もうまく使えない。
でも、いつか。
いつか必ず。
僕は、読み終えた本を閉じ、ぎゅっと抱きしめた。
「いつか、ハルカを守れる騎士になる」
小さく呟いた誓いの言葉は、部屋を出ていくハルカの耳には届かなかった。




