第7話:家族の食卓
魔法講義を受け始めてから、二週間が過ぎた。
アーサーは約束をしっかり守って、お母様の指導の下で毎日少しずつ魔法の練習を重ねている。私も一緒だ。
座学で魔法の理論を学び、実践で魔力を動かす練習をする。
最初は体内の魔力を感じ取るだけで精一杯だったけれど、今では少しずつ魔力を動かせるようになってきた。魔石に魔力を移す練習も、少しずつできるようになってきている。透明だった魔石が、ほんのりと色づくのを見るのは、なんだか嬉しい。
集中力も随分ついた。最初は十分も練習すると疲れてしまっていたのに、今では三十分くらいは続けられるようになった。
そして、アーサーの体調も随分良くなってきた。
オンタリオ領に来てから、一ヶ月半。アーサーの『ふくふく計画』は順調に進んでいる。
ここに来た時と比べたら、体重は4kgも増えていた。頬にはふっくらとした丸みが戻り、腕も少し太くなった。顔色も髪艶も良くなり、肌にもハリが戻ってきた。
「アーサー様もハルカも、本当にここまでよく頑張ったわね。この分なら、次の段階に進んでも問題なさそうだわ」
「次の段階?」
「ええ。今までは命を守るための治療が中心だったけれど、これからは筋肉や体力、免疫力を上げていきましょう。『ふくふく計画』第二段階の始まりね」
お母様は私たちの前に座って、丁寧に説明してくれた。
「今まで『食べられるもの』を中心に、少量ずつ頻繁に食べてもらっていたけれど、これからは『普通の食事』に移行していきましょう。そして、何よりも大切なことは『食べることを楽しむ』こと。もちろん、急には無理だから、少しずつね」
「食べることを楽しむ……」
アーサーが少し不安そうな顔をする。
「大丈夫よ。ハルカや料理長がちゃんと考えてくれているから」
お母様が私を見て、微笑む。
そう、私にはちゃんと考えがあった。
「ねえ、アーサー」
私はアーサーの手を握った。
「今夜、家族みんなで一緒にご飯を食べない?」
「え……」
アーサーが驚いたように目を見開く。
「お父様も、お母様も一緒。大食堂で、みんなで楽しくご飯を食べるの。どう?」
「でも、僕……」
「大丈夫。アーサーが食べやすいメニューにするから。それに、私はアーサーにみんなで食べる楽しさと美味しさを知ってほしいの」
「そうね、私もタイロンも、アーサー様とハルカ、家族みんなで食卓を囲める日を楽しみにしているのよ。叶えてもらえると嬉しいわ」
お母様の思わぬ援護射撃を受け、アーサーは恥ずかしそうに俯いた。
それから、顔を上げて、はにかむように微笑む。
「……うん。一緒に、食べたい」
小さく、でもしっかりとした声で、そう答えた。
◇◇◇
アーサーを囲んでの、初めての家族の食卓。
この記念すべき日のために、私は厨房で料理長やマーサと一緒に、いつも以上に張り切って準備を進めた。
今夜のメニューは、アーサーが食べやすく、でも栄養たっぷりのものにした。
メインは『チキンのやわらかトマト煮込み』。油は控えめにして、甘みのあるトマトソースで煮込んだ。お肉も柔らかくて、アーサーでも食べやすいはず。
次に、『かぼちゃとさつまいものグラタン風』。かぼちゃはアーサーの好物だし、チーズも入れてカルシウム補給もバッチリだ。
そして『きのこのコンソメスープ』。食物繊維とうま味で、消化を助けてくれる。
あとは、ふわふわパンとデザート。このパンは、最近よく朝食に出していて、アーサーも気に入っている。しかも、今日は特別に夕食前に仕込んでもらった焼きたてふわふわを準備した。
そして、デザートは豆乳プリン。アーサーが大好きな、あのプリンだ。きっと喜んでくれるはず。
「お嬢様、準備が整いましたよ」
マーサの声に思考を止め、アーサーを呼びに行くため急いで厨房を後にした。
◇◇◇
緊張するアーサーの手を取って、仲良く二人で食堂へ向かう。
大食堂の扉を開けると、大きなテーブルにはすでに料理が並んでいた。今日はアーサーが少しでもくつろげるよう、最初から全ての料理を並べて食べるスタイルだ。
「わあ……」
アーサーが小さく声を漏らした。
テーブルの向こうには、お父様とお母様が座っている。
「おお、アーサー。来たか」
琥珀より濃い金茶の瞳を優しく細め、お父様が私たちを迎えてくれる。
「さあ、座って。今日はみんなで楽しく食事をしましょう」
お母様が優しく手招きしてくれる。
私はアーサーの手を引いて、席に座った。アーサーは私の隣だ。
「アーサー様、緊張しなくていいのよ。ここは、あなたの家なんだから」
お母様がそう言って、微笑む。
アーサーは小さく頷いた。でも、その表情はどこか硬い。
「さあ、食べよう。ハルカが腕を振るってくれたんだ。楽しみだな」
お父様がそう言って、スープを口に運ぶ。
「うむ、うまい! このきのこの香りがいいな」
「でしょう? 秋のきのこは香りが良くて、おいしいの」
私が嬉しそうに答える。
アーサーも、恐る恐るスープを口に運ぶ。
「……おいしい」
小さく呟いて、もう一口。
その様子にホッと胸を撫で下ろす。
「アーサー様、このチキンも食べてみて。柔らかくて、とってもおいしいわよ」
お母様が優しくチキンを取り分けてくれる。
アーサーは小さく「ありがとうございます」と言って、フォークでチキンを切った。
一口、口に運ぶ。
「……っ」
アーサーの瞳が大きく見開かれる。
「おいしい……! お肉、こんなに柔らかいんだ……」
「そうだろう? トマトソースの甘みと、チキンの旨味が絶妙なんだ」
お父様が満足そうに頷く。
「ハルカは料理の才能があるな。俺も毎日こんなものが食べたいくらいだ」
「お父様、毎日は無理よ。でも、たまには作るからね」
そんな会話をしながら、食事は進んでいく。
「そういえば、二人とも。魔法の練習は順調かい?」
お父様の問いかけに、パンをちぎる手を止め、二人で姿勢を正して答える。
「はい……ハルカと一緒に、毎日少しずつ練習しています」
「うん、二人で頑張ってるよ」
「そうか。アーサーは風魔法の適性があるんだったな。風魔法は、攻撃にも防御にも使える便利な魔法だ。しっかり学ぶといい」
「はい……」
アーサーが少しだけ自信なさげに答える。
「ハルカは火と土の二属性だったな。使いこなせれば最高の武器になる。将来が楽しみだ」
「えへへ」
お父様に褒められて、私も嬉しくなった。
「ねえ、お父様。お祖父様は、いつ帰ってくるの?」
「ああ、父上は魔の森で魔猪の討伐に出ているんだ。少し大きな群れのようだが、まあ、父上なら半月もあれば問題なく片付けて帰ってくるだろう」
「魔猪……」
アーサーが少し不安そうな顔をする。
「心配しなくていいぞ、アーサー。父上は王国最強と言われた剣士だ。魔猪くらい、朝飯前だ。それよりも、大量の猪肉をどうやって食べるか考えておかないとな」
お父様が豪快に笑う。
「そうそう、お祖父様はドラゴンスレイヤーなのよ。すごいでしょ?」
私が誇らしげに言うと、アーサーが驚いたように目を見開いた。
「ドラゴンスレイヤー……あの、物語にも出てくる?」
「ああ、本当だ。『ドラゴンと騎士』を読んだことがあるのか?あれのモデルは父上だ。まあ、だいぶ脚色は入っているが、それはもう、すごい戦いだったらしいぞ。父上が戻ったら、話を聞いてみるといい」
お父様がそう言って、ワインを一口飲む。
アーサーは瞳をキラキラと輝かせ、うっとりと宙を見た。
「そうだわ、アーサー様、本はお好きかしら?」
お母様が優しく尋ねる。
「はい……好きです」
「それなら、書庫にいい本がたくさんあるわ。今度一緒に見に行きましょう。確か『ドラゴンと騎士』もあったと思うわ。それに、魔法の基礎知識を学ぶのにちょうどいい本もあるのよ」
「本当ですか!?」
アーサーの瞳が輝く。
「ええ。ハルカも一緒に行くといいわ。二人で勉強すれば、楽しいでしょう?」
「うん! 一緒に行こう、アーサー」
「うん……!」
会話が弾む。
季節の食材の話、魔法の話、本の話、お父様やお祖父様の武勇伝。
テーブルには、たくさんの会話と笑顔があふれていた。
アーサーも、最初の緊張はどこへやら、少しずつ笑顔が増える。
「おいしい」「楽しい」「嬉しい」
そんな言葉が、自然と口から溢れていく。
家族の食卓。
家族の時間。
隣に座るアーサーの楽しそうな横顔を見て、私も胸が温かくなった。
◇◇◇
食事が終わり、デザートの豆乳プリンが運ばれてきた。
「わあ、豆乳プリンだ!」
アーサーが嬉しそうに声を上げる。
「ふふ、アーサーの大好物でしょ?」
私の指摘に、アーサーは恥ずかしそうな、でも嬉しそうな笑顔を浮かべる。
スプーンでプリンをすくって、口に運ぶ。
「……おいしい」
幸せそうな表情で、プリンを味わうアーサー。
そんな子供らしい様子を、お父様もお母様も嬉しそうに見つめていた。
「ごちそうさまでした」
アーサーが、大きな声でそう言った。
「ああ、おいしかったな。明日も一緒に食べような、アーサー」
お父様が優しく微笑む。
「はい……ありがとうございました」
嬉しそうに、恥ずかしそうに俯いて返事をするアーサー。
その瞳が、少しだけ潤んでいたことに、私はそっと気付かないふりをした。
だって、それは悲しい涙じゃない。
嬉しくて、温かくて、幸せで。
そんな涙。
「アーサー」
私は小さく呼びかけた。
「明日も、明後日も、その次も、ずっと一緒にご飯を食べようね」
「……うん」
アーサーが小さく頷く。
「家族で食べるとおいしいね」
「……うん」
もう一度、頷く。
温かな夜は、ゆっくりと更けていった。
アーサーの呼称について。
父タイロンと王様は若い頃からの悪友のため、タイロンはアーサーを息子同然に扱い、呼び捨てです。
一方、元王宮魔法使いの母ミランダは、王族への礼節を重んじているため「アーサー様」と呼んでいます。




