第6話:初めての約束
あの日から三日が経った。
アーサーの熱も下がり、体調は随分と落ち着いてきた。お母様の診断によれば、もう魔石への魔力移動の練習を始めても大丈夫とのこと。
よって本日、初めての魔法講義が開催される。
◇◇◇
「さあ、始めましょうか」
お母様が優しく微笑みながら、私たちの前に透明な魔石を二つ並べた。
場所はアーサーの部屋。窓から差し込む秋の柔らかな日差しの中、私とアーサーは並んで椅子に座っている。
「せっかくの機会だから、ハルカも一緒に魔法の基礎を学びましょう。二人で一緒なら、励まし合えるでしょう?」
「いいの? やった!」
私は小躍りしたくなる気持ちをなんとか抑えて、隣のアーサーを見た。彼は小さく頷いて了承を示している。
生まれた時に調べてもらったところ、どうやら私は火魔法と土魔法の二属性持ちらしい。けれど、魔法はもう少し大きくなってから学ぶことになっていた。なんと言ってもまだ五歳。もっと優先して学ぶことはたくさんあったしね。マナーとかマナーとかマナーとか。
でも、正直私は早く魔法を使えるようになりたかった。だって、せっかく魔法のある世界に生まれたんだもの。使ってみたいではないか。お父様の高火力の魔法はかっこいいし、お母様の治癒魔法は神々しい。そんな二人のように、私も素敵にかっこよく魔法を使いこなせたらと、何度願ったことか。
その機会がやっときたんだ! これは張り切るしかないでしょう!
それに、アーサーと一緒なら、きっと楽しく学べる。二人でつよつよ魔法使いだって目指しちゃうんだから!
「その前に、少し魔法についてお話ししておきましょうか」
お母様の穏やかな声に思考を中断し、居住いを正す。ここは大事なところ。しっかり聞いておかなくては。
「もう知ってるかもしれないけれど、この世界の魔法には、六つの属性があるの。火・水・風・土・光・闇。ハルカは火と土、アーサー様は風の適性があるわね」
「原則として、一人につき一つの属性しか持てないの。ハルカのように二属性持ちというのは、とても珍しいのよ」
お母様はそう言って、私に微笑みかけた。
「魔力を持つ人は、貴族に多いけれど、平民の中にも魔力を持つ人はいるわ。高い魔力を持つ人は、就職や結婚に有利になることが多いの」
「でもね……」
お母様の表情が少し曇る。
「アーサー様のように、生まれつき魔力量が多すぎる人は、魔力過多症に悩まされることがあるの。特に子供の頃は体が小さくて、魔力を制御する力も弱いから……命を落としてしまうケースもあるわ」
その言葉に、私は思わずアーサーを見た。
アーサーも、少し不安そうな顔をしている。
「だから、そうならないためにも魔力のコントロールを身につけて、自分で過剰な魔力を放出できるようにならなくてはね」
そう言うと、私たちを安心させるようににっこりと微笑んだ。
「魔力は、正しく使えばとても便利なものよ。魔物から採れる魔石を動力源にした魔道具も、今ではたくさん作られているわ」
そう言って、テーブルにぶ透明な魔石に視線を向けた。この魔石には魔力は入っていないそうだが、魔物から採れる魔石は、本来、火属性なら赤、水属性なら青というように、その属性の色がついているのだそう。
お母様の説明は続く。
「平民で魔力を持つ人は、魔道具師や冒険者、兵士になることが多いの。魔力は、生きていく上での大きな力になるわ」
お母様の説明を聞きながら、私は改めて魔法の重要性を実感した。前世は魔法がなかった。けれど電気やガスなど、動力源となるエネルギーが存在していた。ということは、電気やガスを使って動いていた便利家電は、魔法を覚えれば、こちらの世界でも作れるかもしれない。
「さあ、それでは基礎の練習を始めましょう」
お母様の呼びかけに、私は思考を打ち切った。
「まずは、体内の魔力の流れを感じる練習から。魔力は、体の中心——ちょうど胸のあたりに溜まっているの。それを意識して、ゆっくりと呼吸をしてみて」
私は溢れる興奮をなんとか鎮め、目を閉じて、深く息を吸った。
体の中心……胸のあたり……。
でも、何も感じない。
「感じられる?」
「う、うーん……」
隣を見ると、アーサーも眉間に皺を寄せながら集中している様子だった。でも、どうやらうまくいっていないらしい。
「大丈夫。最初はみんなそうよ。では、少し手伝ってあげましょう」
お母様が私の手を取った。
次の瞬間、何か温かいものが私の手から流れ込んできた。
「……っ!」
「これが、魔力よ」
お母様の声が聞こえる。
ふわりと入り込んできた温かくて、柔らかいものが、まるで春の小川のように流れ込んでくるような感覚。それが胸の中心に向かって、ゆっくりと進んでいく。
「ああ……」
これが、魔力。
今まで意識したことがなかったけれど、確かに私の体の中に、温かい何かが流れていた。
「感じられた?」
「うん……!」
目を開けると、お母様のグレーブルーの美しい瞳がまっすぐに私を見つめていた。
私の返事に満足すると、お母様はアーサーに向き直り、その手を取る。
アーサーも目を閉じて、じっと集中している。やがて、小さく息を呑む音が聞こえた。
「……これ、が……」
アーサーの淡い空色の瞳がゆっくりと開く。その瞳には、驚きと喜びの光が宿っていた。
「そう。それが魔力よ。あなたたちの体の中に、いつも流れているもの」
お母様はそう言って、私たちの頭を優しく撫でてくれた。
◇◇◇
それから、私たちは何度も魔力を感じる練習を繰り返した。
最初はお母様の助けを借りながら、少しずつ自分だけで感じ取れるようになっていく。
魔力を感じることに慣れると、次はそれを動かす練習だ。
でも、魔力を動かすのは思った以上に大変だった。
十分ほど練習したところで、アーサーの顔色が少し悪くなってきた。
「今日はここまでにしましょう」
お母様がそう言って、練習を終わらせてくれた。
「魔力を動かす練習は、思っている以上に体力を使うの。これから毎日、少しずつ慣れていきましょうね」
「「はい」」
私たちは揃って返事をした。
「それじゃあ、今日の講義はここまで。アーサー様は、念のため、今日は早めに休んでくださいね」
お母様はそう言い残し、部屋を出て行った。
◇◇◇
その日の夜。
私は自分の部屋で、こっそり魔力を感じ取る練習をしていた。
目を閉じて、呼吸を整えて、胸の中心に意識を向ける。
ああ、感じる。さっきよりも、少しはっきりと。
温かくて、柔らかい流れ。それをそっと動かしてみる。まずはゆっくりと指先に向かって…
もう少し、もう少しだけ——。
(ガタン)
ハッと顔を上げ、キョロキョロと音の正体を探る。
アーサーの部屋だ!
慌ててベッドから飛び起き、部屋を出る。
急いで隣の部屋の扉をノックし、返事も待たずに扉を開けた。
そこには、ベッドの上に倒れ込むアーサーの姿があった。
「アーサー!」
私は急いでアーサーに駆け寄った。
「ハルカ……?」
アーサーが驚いたように目を開けた。よかった、意識はある。熱もない。
「ごめん、起こしちゃった?ちょっと練習に集中しすぎちゃって…」
「もう、何してるの! お母様、今日は早めに休んでって言ったでしょ!」
アーサーの体を起こすのを手伝いながら、つい大きな声を出してしまう。
「ごめん……でも、早くできるようになりたくて……」
小さな声で申し訳なさそうに、アーサーはそう呟いた。
その気持ちはよくわかる。
だって、私も同じことをしていたんだから。
「……私もね、こっそり練習してたの」
「え?」
「だから、アーサーのこと、怒れないや」
私はくすりと笑った。
アーサーも、少しだけ安心したように笑う。
でも、このままじゃダメだ。
また倒れちゃうかもしれない。
「ねえ、アーサー。約束しよう」
「約束?」
「うん。魔法の練習は、お母様がいる時だけにする。一人でこっそり練習しない。だって、また倒れたりしたら大変だもの。でもね、もし、どうしても練習したくなったら、必ず教えて。ふたりで一緒に練習しよう。どう?」
私は真剣な顔でアーサーを見つめた。
アーサーは少し考えてから、小さく頷いた。
「うん……約束する」
「本当に?」
「本当」
「じゃあ、指切りしよう」
私は小指を差し出した。
アーサーが不思議そうな顔をする。
「指切り?」
「うん。約束を守るっていう、特別なおまじないよ。ほら」
私はアーサーの小指に、自分の小指を絡めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。指切った」
そう言って、小指を離す。
「…針千本?」
「痛いこととか、嫌なことをいっぱいしちゃうってことよ」
アーサーは自分の小指を見つめて、それから私を見た。
「そっか、じゃあ約束を守らないと大変だ…」
ポツリとそう呟いたアーサーは、瞳を潤ませながら、ふわりと笑顔を浮かべた。泣いているのか笑っているのか、そんな不思議な表情だった。
「どうしたの?」
「……初めて」
「え?」
「誰かと、約束したの……初めて」
アーサーの声は震えていた。
ああ、そうか。
アーサーは、きっと誰とも約束なんてしたことがなかったんだ。
一人ぼっちで、誰にも構ってもらえなくて。
それなら。
「これからは、いっぱい約束しようね」
私はアーサーの手を握った。
「明日のご飯のこととか、次にどこに行くかとか、何をして遊ぶかとか。小さな約束でも、大きな約束でも。アーサーと私の、二人だけの約束」
「……うん」
アーサーが小さく頷く。
その手は温かくて、少しだけ震えていた。
「じゃあ、今日はもう寝よう。約束、守ってね?」
「うん……守る。絶対」
アーサーは真剣な顔でコクンと頷いた。
私はその返事に満足し、部屋を出るため扉に向かった。
「ハルカ」
ふいに背中に、アーサーの声がかかる。
「ありがとう」
振り返ると、アーサーがとろけるような笑顔を浮かべていた。




