第5話: 溢れる魔力
朝食を終えた後、私はアーサーに提案した。
「ねえ、アーサー。今日は天気もいいし、お屋敷の中を案内しようか?」
「え……いいの?」
アーサーが驚いたように顔を上げる。
「もちろん! アーサー、もう一ヶ月もここにいるのに、まだ自分の部屋と玄関くらいしか知らないでしょ? せっかくだから、色んな場所を見せてあげたいなと思って」
この一ヶ月、アーサーは体調を考えて、ほとんど自分の部屋で過ごしていた。でも、最近は短い距離なら歩けるようになったし、日中起きている時間も増えた。そろそろ、少しずつ行動範囲を広げてもいい頃だと思う。
「でも、疲れたらすぐに言ってね。無理は禁物だから」
「うん……ありがとう、ハルカ」
アーサーは嬉しそうに微笑んだ。
私たちは部屋を出て、廊下を歩き始めた。後ろには、念のためマーサもついてきてくれている。
「ここが私の部屋。アーサーの部屋のすぐ隣なの」
「本当だ……近いんだね」
「うん。何かあったらすぐに駆けつけられるようにって、お母様が配慮してくれたんだ」
廊下を進みながら、私は色々な場所を案内していった。
「あっちが書庫。色んな本があるから、今度一緒に行こうね」
「うん……」
アーサーの瞳が興味深そうに輝く。本好きなアーサーにとって、書庫は魅力的な場所に違いない。
「こっちが大食堂。みんなで食事をする場所なんだけど、アーサーがもう少し元気になったら、一緒にここで食べようね」
部屋の中を覗き込みながら、キョロキョロと視線を動かすアーサー。その姿を見て、「早く家族みんなで一緒に食事ができますように」と、心の中でそっと祈った。
「ここが中庭への出口。お庭には色んなお花が咲いてるのよ。秋の花も綺麗だから、天気が良くて体調の良い日に見に行こうね」
「うん……楽しみ」
私たちは好きな花の話や秋に獲れる木の実の話をしながら、一階へ行った。アーサーは少しゆっくりだけれど、しっかりとした足取りで階段を降りていく。
「こっちが厨房。マーサや料理長が、いつもおいしいご飯を作ってくれる場所」
「あ……さっきのご飯も、ここで?」
「そうよ。私もよくここで料理を作るの」
お昼ご飯の準備に忙しく人々が行き交う厨房の前を通り過ぎ、さらに奥へ。
「ここが——」
と、説明しようと振り返った瞬間、アーサーがぐらりと足をふらつかせた。
「アーサー!?」
私は咄嗟に両手を出してアーサーを支えようと踏ん張った。でも、力が足りず、アーサーを抱え込むようにして床にへたり込んだ。彼は私の腕の中でぐったりと力を失っていく。
「アーサー! アーサー!」
必死に名前を呼び続けても、アーサーは目を開けることはない。それどころか、抱きしめる私の腕、アーサーに触れているところが燃えるように熱い。
「お嬢様!」
マーサが駆け寄ってきて、アーサーを抱きかかえてくれる。
「急いで奥様に診てもらいましょう」
***
アーサーを部屋まで運んでもらい、ベッドに寝かせた。
額には汗が浮かんでいて、荒い息をしている。とても辛そうだ。
「アーサー……ごめんね、無理させちゃった……」
私はアーサーの手を握った。熱くて、汗ばんでいる。
どうしよう。せっかく元気になってきたと思ったのに。
胸が締め付けられるような不安に襲われる。
でも、私が動揺していてはダメだ。アーサーを安心させなきゃ。
「すぐにお母様が来るからね。大丈夫よ」
手を握りながら、何度も何度も繰り返す。
ほどなくして、お母様が駆けつけてくれた。
「ハルカ、少し離れていなさい」
お母様は冷静に、しかし素早くアーサーの様子を確認した。額に手を当て、脈を取り、瞳の色を確認する。
私は、そんなお母様の背中を祈るような気持ちで見つめ続けた。
「これは……魔力過多の症状ね」
「魔力過多?」
「ええ。体内に魔力が溜まりすぎて、うまく循環できていないのよ。王宮で倒れた時にも過剰な魔力は抜いておいたのだけど、体力がついて体も大きくなった分、魔力も増えて溜まりやすくなったのだと思うわ」
お母様はすぐに回復魔法を唱え始めた。薄い緑の光がアーサーを包む。
しばらくすると、アーサーの荒い息が少しずつ落ち着いてきた。苦しそうな表情も、徐々に和らいでいく。
その後、お母様は透明の魔石を取り出し、そっとアーサーの小さな手に握らせた。もう一度、今度は別の呪文を唱える。淡い青白い光がアーサーを包み、やがて収まると、透明だった魔石が青白く変化した。
「ひとまず、落ち着いたわ」
お母様が魔法を解くと、アーサーの呼吸は規則正しくなっていた。まだ少し熱はあるけれど、さっきまでの危険な状態は脱したようだ。
「よかった……」
思わず、涙がこぼれそうになった。
「ハルカ」
お母様が優しく私の肩に手を置いた。
「大丈夫よ。命に別状はないわ。ただ、この症状は今後も繰り返す可能性があるの」
「そんな…どうすれば……」
「定期的に魔力を使うことね。まずは今私がやったみたいに、魔石に魔力を移す練習を始めましょう。そして、もう少し体力がついたら、外で魔法を使う練習もしましょうね。そうすれば、体内の魔力量をコントロールできるようになって、今日みたいに急な発熱で苦しむこともなくなるわ」
お母様の説明を聞きながら、私はアーサーの寝顔を見つめた。
やっと笑顔が増えてきたのに。やっとご飯をおいしそうに食べてくれるようになったのに。
まだまだ、アーサーには乗り越えなきゃいけないことがたくさんあるんだ。
「お母様、私、もっともっと気をつけます」
「そうね。注意は必要ね。でもね……」
お母様の透き通る水晶のようなグレーブルーの瞳が、じっと私を捉えた。
「今回の症状は、アーサー様が確かに成長しているという証でもあるの。ご飯をちゃんと食べて、しっかり眠って、体も大きくなったし、笑顔も増えた。だから、アーサー様の体が『魔力を増やしても大丈夫』と判断したんじゃないかしら?」
「え?」
私は驚いて、下がっていた視線を上げ、お母様を見つめ返した。
「生まれながらに魔力量の多いアーサー様は、生きていく以上、その膨大な魔力と付き合っていく必要があるの。それは理解できる?」
「はい……」
「そのために必要なのは、その膨大な魔力に見合った器をしっかり作ることなの。つまり、体を大きくして、体力をつけるってことね」
「体を大きくして、体力をつける……」
「そう。わかりやすく言うと『ふくふくに育てる』ってことよ」
そう言って、お母様は茶目っ気たっぷりにウインクした。
「確かに今回、アーサー様は魔力過多の症状が出たせいで苦しい思いをしたわ。でもね、今回に限らず、器がしっかり育って、魔力がコントロールできるようになるまで、こういったことは続くの。でも、その度に暗い顔をして、アーサー様を部屋に閉じ込めていては『ふくふく』には育たないでしょ?」
「もちろん、注意は必要よ。部屋の外を出る時は、必ず誰かそばにいること。万が一、体調を崩してしまったら、すぐに助けを呼ぶこと。でもね、どっちも、ハルカはちゃんとできてたじゃない」
「……お母様」
「なら、何を俯く必要があるの? ほら、胸を張って。あなたは何も間違ってないわ」
「……っ」
堪えていたものが一気に崩壊した。おかしい、私は前世合わせて七十年も生きた女。五人の息子を育て、孫の数まで合わせれば、育児経験は十人を超える。なのに、なのに、涙が全然止まらない。
不安だった。怖かった。びっくりした。
アーサーが落ち着いて良かった。
認められて嬉しい。間違ってないって言われて嬉しい。
「ほらほらハルカ、泣かないで。笑って。アーサー様が起きたらびっくりしちゃうでしょ」
お母様が優しく抱きしめてくれる。その手はどこまでも優しかった。
「言ったでしょ。私たちも一緒に『ふくふく計画』を手伝うって。一人で頑張らなくていいの。いつでも私たちを頼って。子育ては、みんなでするものなんだから」
「はい」
すんすんとしゃくりあげる私の背中を、とんとんとお母様が優しく叩いてくれる。その心地よいリズムに身を委ねていると、次第に涙はおさまっていった。
私が落ち着いてきたのを見計らうと、お母様はそっと治癒魔法をかけ、私の泣き腫らした目元を癒してくれた。
「後で様子を見にくるから、アーサー様のそばについててあげて」
そう言って、お母様はマーサを連れて、部屋を出て行った。
***
部屋に一人残された私は、もう一度アーサーの手を握る。
「大丈夫。側にいるからね、アーサー」
静かに寝息を立てるアーサー。規則正しいリズムを刻む、その穏やかなその横顔は、とても安らいでいるように見えた。
私はアーサーの額のタオルを取り替えようと立ち上がる。
すっかり温まってしまったタオルを取り除き、ついでに少し汗を拭いてあげる。マーサが用意しておいてくれた水桶にタオルを浸し、しっかり絞ってから、もう一度アーサーの額に載せた。
アーサーが目を覚ましたら、話をしよう。急に倒れて、きっとアーサーだって不安に思ってるはず。お母様から聞いたこと、魔石に魔力を移す練習のこと。
それから、体力をつけるための計画。今日は屋敷の案内が途中になってしまったから、アーサーの希望も聞いて、望むなら一フロアずつ、無理のない範囲で案内を再開しよう。
慌てなくていい。でも、慎重に、注意深く。一人で突っ走らない。みんなと一緒にアーサーをふくふくにする。うん。大丈夫。きっとできる。
窓の外を見ると、少し涼しくなった秋の風が木々を揺らしていた。
やわらかな日差しは茜色に染まり、 長い一日がゆっくり暮れようとしていた。
どれだけ前世で子育て経験があろうとも、今は5歳のこどもですからね。
「メンタルつよつよ」には程遠い…そんなハルカの今後の成長に乞うご期待!
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