第46話:王立裁定評議会
ハルカたちがグランフェルト領に滞在していた頃の出来事。
そして本日は——ついに、皆様お待ちかねの“ざまあ回”となります。
グレゴリー・ソルティスは、書斎で優雅に葡萄酒を傾けていた。
深紅の液体が、切子細工のグラスの中で揺れる。
その色は、まるで勝利の美酒のようだった。
「順調だな」
王国各地から届いた報告書をひとまとめにして、グレゴリーは満足げに机へと放った。
塩の価格は、じわじわと上昇している。
オンタリオ領への供給停止は、見事に功を奏していた。
「いい見せしめになったな」
辺境の成り上がりどもめ。
身の程を思い知るがいい。
唇の端が、嗤いで歪んだ。
通常議会での根回しは完璧だった。
中小貴族たちは、金と地位で簡単に籠絡できる。
「様子を見ましょう」
「時期尚早ではないでしょうか」
彼らは予定通り、オンタリオ家の訴えを退けてくれた。
宰相のヴァンダイクも、表向きは中立を装っているが、実際は我が家に近い立場だ。
何も問題はない。
このまま、オンタリオ領を締め上げればいい。
そして、今度こそあの小僧を追い落としてくれる。
アーサー。
あの第二王子が、オンタリオ領で元気に育っているという報告は、実に不愉快だった。
本来なら、とうに死んでいるはずだったのだ。
だが、まだ手はある。
次の一手を打てば——。
「失礼いたします」
ノックの音に続いて慌てた様子の執事が部屋に飛び込んできた。苛立たしげに視線を向け、早く要件を言えと促す。
「王宮より、使者が参りました」
今日は特に来客の予定などなかったはずだ。しかも、王宮からだと——グレゴリーは眉をひそめつつも、通すように指示を出した。
◇◇◇
現れたのは、王宮の紋章を胸に戴く騎士だった。
「ソルティス侯爵、グレゴリー・ソルティス殿に、王宮より召集命令が下されました」
思考が一瞬、白く弾けた。
だが次の瞬間、グレゴリーは反射的に椅子を押し退け、床に膝をつく。
「……拝命いたします」
王命を拝聴する姿勢を取ったのを確かめ、騎士は小さく頷いた。
その表情は終始、厳粛そのものだった。
「三日後、『王立裁定評議会』が召集されます。議題は、オンタリオ領への塩の供給停止について。被告としての出廷を命じます」
「……何?」
言葉が、思わず零れ落ちた。
「王立裁定評議会……だと?」
騎士が差し出した羊皮紙には、はっきりと王の印璽が押されている。
——本物だ。
「ま、待て! 通常議会では『様子を見る』という話だったはずだ!」
声を荒げるグレゴリーに、騎士は淡々と告げた。
「オンタリオ辺境伯家より、正式な申し立てがあったとのことです。王の裁定により、評議会での審議が決定されました」
「そんな……」
言葉が喉に絡み、続かなかった。
「なお、出廷されない場合は欠席裁判となります」
事務的にそう告げると、騎士は恭しく一礼し、足音だけを残して静かに部屋を退出していった。
◇◇◇
残されたグレゴリーは、呆然と召集令状を見つめていた。
手が、わずかに震えている。
「なぜ……なぜだ……」
通常議会は、完璧に押さえたはずだ。
金をばら撒き、地位を約束し、脅しもかけた。
オンタリオ家の訴えなど、簡単に握り潰せるはずだった。
それなのに。
なぜ、評議会に?
王立裁定評議会。
それは、王が直接関与し、身分ごと選出された代表者が集まって審議する最も権威ある裁定の場だ。
通常議会とは違い、金や地位では動かせない者たちが集まる。
「くそっ……!」
グレゴリーは、机を拳で叩いた。グラスが揺れ、葡萄酒がこぼれたが、そんなことに構っていられなかった。
「あの能無しどもめ……何をやっていた……!」
子飼いの文官たちへの怒りが、込み上げる。
なぜ、こんなに間近になるまで、この情報が上がってこなかった。
「三日後だと……それでは根回しが……」
時間がない。
圧倒的に、時間が足りない。
グレゴリーは、急いで側近たちを集めた。
「評議会だと?」
「そんな話は聞いていませんぞ!」
慌てふためく側近たちを怒鳴りつけ、対策を考えさせる。
「まずは、評議員の顔ぶれを確認しないと……」
「わかっている! すぐに調べろ!」
だが、情報は断片的にしか入ってこなかった。
王立裁定評議会は、召集されるたびにメンバーが異なる。
今回、誰が評議員に選ばれるのか——。
「……最悪だ」
リストを見て、グレゴリーは顔色を失った。
王、宰相、大法官——これは避けられない。
そして、上級貴族代表。
グランフェルト公爵。中立派だが、オンタリオ寄りとの噂がある。
中立派の侯爵。これは読めない。
カイエン伯爵。こちらの派閥だが、評議会では影響力が弱い。
ローゼンベルク伯爵。騎士団長。完全にオンタリオ寄り。
アルトリウス公爵。財務長官。第一王子の婚約者の実家か。協力を要請するのは難しい。
そして、王宮魔法団長——。
「魔法による証拠検証……だと?」
背筋が凍る。
魔法で嘘を見抜かれるとか、記憶を映像化されるとか、そんな噂を聞いたことがある。
「……まずい」
冷や汗が、額を伝った。
◇◇◇
三日後。
グレゴリーは、王宮に設けられた「裁定の間」に立っていた。
円形の広間。
中央には、揺るぎない威厳を湛えた王座が据えられ、その後方に王妃と王太子の席が設けられていた。
そして玉座を取り囲むように、評議員たちの席が段状に並んでいる。
グレゴリーは、部屋の中央——
否応なく目を引く「被告席」に立たされていた。
評議員たちから向けられる視線は、冷たく、探るようで、
まるで罪を量る秤にかけられているかのようだ。
こんな場所に立たされるなど……。
侯爵である、この私が……!
胸の奥で、屈辱と怒りが重く渦を巻く。
だがその感情を押し殺し、グレゴリーは唇を引き結んだ。
(まだだ……。
ここで崩れるわけにはいかない)
◇◇◇
「これより、王立裁定評議会を開廷する」
宰相ヴァンダイク侯爵の声が、静寂を破った。
「本日の議題は、『塩の流通』について。ソルティス領及びソルティス商会によるオンタリオ領への塩の供給停止に関する審議を行う」
グレゴリーは、じっと宰相を見た。
お前は、こちら側だったはずだ。
なぜ、こんな場を設けた。
だが、宰相は表情一つ変えない。
そこには、一片の私情も感じられなかった。
くそ……。
グレゴリーは、内心で舌打ちする。
「では、大法官より、本件の法的根拠について説明を」
宰相に促され、白髪の大法官が立ち上がった。
「今回の申し立ての根拠となるのは、『塩の公正で安定的な供給のための協約』第三条である」
朗々とした声が、部屋に響く。
「第三条——安定供給義務。塩を主たる収入源とする領地および商会は、王国の需要に応じた安定供給を行う義務を負う。天災・戦乱等の正当な理由なく供給を停止・制限した場合、協約違反とみなす」
グレゴリーの顔から、血の気が引いた。
——協約違反……。
確かに重罪ではある。
確定すれば、補助金の打ち切りだけで済まない可能性もあるだろう。
だが、塩の生産を担っているのは我が領だけだ。
王国としても、そう簡単に重い処分は下せまい。
生産量の低下による納入先の選別——それを前面に出せば、十分に理屈は通る。
影響を受けるのも辺境の一領のみ。事態は限定的だ。
最悪の場合でも、よくある領同士、貴族同士の勢力争いとして処理されるはずだ。
——それが、側近たちと共に描いたシナリオだった。
「ソルティス侯爵」
宰相が名を呼び、静かに視線を向けた。
そこに感情はない。ただ、逃げ道を塞ぐような冷たさだけがあった。
「申し開きがあれば、お話しください」
グレゴリーは、必死に思考を巡らせる。
言い訳を用意しろ。
筋の通る理由を。今すぐに。
「……私のもとに上がってきた報告によりますと」
口を開いた瞬間、自分でも分かるほど声が強張った。
「今年は塩の生産量が落ちており、従来通りの供給を維持することが困難な状況でした。
そのため、やむを得ず供給先を調整する決断を——」
「では」
宰相が、間髪入れずに言葉を挟む。
「なぜ、オンタリオ領に対してのみ制限をかけたのですか?」
「……それは」
喉が、ひくりと鳴った。
「オンタリオ領は、近年経済的に潤っていると聞いておりましたので……
他領よりも影響が少ないと判断し——」
「経済的に潤っていれば」
宰相の声が、さらに冷えた。
「協約に基づく供給を止めても構わない、と?」
「い、いえ……決してそのような意図では……」
言葉が絡まり、うまく続かない。
「ただ、その……無い袖は振れないと言いますか、物理的に——」
自分でも、しどろもどろになっているのが分かる。
宰相の予想以上に鋭い追及に、用意していたはずの筋書きは、まるで歯が立たなかった。
額を、冷たい汗がじっとりと伝う。
——まずい。
その警鐘だけが、頭の奥で鳴り響いていた。
◇◇◇
「異議あり」
突然、アルトリウス公爵が手を上げた。
「徴税官による報告書でも、確かに昨年の製塩量は例年に比べ少なくなっておりました」
公爵は、手元の資料を広げる。
「しかし、他国に輸出する量は逆に増えております。その理屈は通らないかと思われます」
「……っ!」
グレゴリーは、息を呑んだ。
——なぜ、そんな詳細な資料が……!
「加えて」
今度は、グランフェルト公爵が口を開いた。
「オンタリオ領にのみ制限をかけるというのもおかしい。経済的に潤っている領など、他にいくらでもある」
公爵の視線が、斜め前の席に向けられる。
「例えば、ソルティス領の縁戚筋にあたる、カイエン伯爵領とかな」
カイエン伯爵が、顔色を変えた。
まずい。
このままでは——。
「そもそも」
ローゼンベルク騎士団長が、低い声で意見を述べる。
「塩は、軍事物資の一部でもあります。その意味でも、辺境領には優先的に供給されるべきかと存じます」
「確かに」
「その通りだ」
中立を保っていた侯爵や大法官からも、頷きの声が上がる。
「オンタリオ領は、王国の北辺を守る要衝。そこへの塩の供給を止めるなど、言語道断」
「軍備に支障をきたす可能性もある」
「これは、単なる経済問題ではない」
次々と、グレゴリーに不利な意見が飛び交った。
——どうして、こうなった……!
藁にもすがる思いで、助けを求められる相手を探し、会場中に視線を巡らせた。
すると、王の後方に座る妹——エリザベス王妃と視線が重なった。
頼む。
何か、言ってくれ。
私を助けてくれ。
必死の思いを込めて視線を送る。
だが——。
エリザベスは、ふいと視線を逸らしてしまった。
「……っ!」
絶望が、胸を貫いた。
見捨てられた。
妹に、見捨てられた。
「では」
王の声が、部屋に響いた。
会場内が静まり返る。
リチャード王は、威厳に満ちた表情で、グレゴリーを見下ろした。
「判決を言い渡す」
その声が、重く、冷たく響いた。
「この度のソルティス商会におけるオンタリオ領への一方的な塩の供給停止は、明らかに『塩の公正で安定的な供給のための協約』第三条に違反する」
グレゴリーの膝が、がくりと震えた。
「よって、ソルティス商会及びソルティス領に対して、即時の流通再開、及び不当に供給を停止した期間に対する損害賠償を命じる」
「……そんな」
声にならない声が、喉から漏れた。
「本来であれば降爵も免れぬところだが、長年の功績を考慮し、この裁定にとどめた。この程度で済んだことに感謝するがいい」
—— 其方は今回、やりすぎたのだ、と小さく王が呟いて、評議会は終わった。
◇◇◇
グレゴリーは、項垂れたまま、その場に立ち尽くしていた。
評議会が散会し、人々が席を立ち始めた頃、
去り際に、グランフェルト公爵がふと足を止め、被告席へと歩み寄ってきた。
「そうそう。実は我が領でも、製塩事業を始めましてな。
このたび、貴領に代わり、王宮への納品を任されることになりました」
「……なっ!?」
思わず声が裏返る。
「先ほどのお話では、『今年は製塩量が減少した』とのことでしたな。
ご負担を軽減するお役に立てたのなら、何よりです」
そう言い残すと、公爵は何事もなかったかのように踵を返し、その場を去っていった。
——周囲の視線が、痛い。
嘲笑。
侮蔑。
そして、憐れみ。
くそ……。
くそっ……!
グレゴリーは、ぎり、と拳を握りしめる。
グランフェルト公め……いつの間に製塩を成功させていた。
いや、それよりも……王宮御用達の看板を、奪い取られたのだ。
よくも……この私に、ここまでの辱めを……!
くそっ!
これもすべて、オンタリオ辺境伯のせいだ!!
覚えておれ……。
胸の奥底で、黒く歪んだ炎が、静かに燃え上がる。
次の一手を、急がねばならん。
今度こそ、必ず……陥れてやる……。
その目に宿っていたのは——
もはや理性ではない。
追い詰められた者特有の、狂気じみた執念の光だった。
グランフェルト公爵はアルヴィンの息子です。 アルトリウス公爵はレイノルド第一王子の側近であるエドウィンのお父様、そして宰相のヴァンダイクもレイノルドの側近であるリオネルのお父様です。




