第45話:紅蓮の盾
約二週間に及ぶグランフェルト領での滞在も、気づけば終盤に差しかかっていた。
長いようで、振り返れば驚くほどあっという間だ。
「今日の予定は、もう決まっているか?」
三日後には、いよいよオンタリオ領へと戻るという日の朝。
朝食の席で、アルヴィン様にそう尋ねられた。
市場も漁港も見て回った。
土産物も、これ以上ないほど買い込んだ。
エレノア様が教会で行っている治癒会の手伝いもしたし、請われて味噌や醤油を使った料理を振る舞い、料理人たちに簡単な調理の指導も行った。
忙しくはあったけれど、どれも楽しく、充実した日々だった。
「特に決まった予定はありませんので……またアーサーと海岸へ行こうかと話していました」
そう答えて隣を見ると、アーサーもコクコクと頷いている。
「なら、ちょうどいい」
アルヴィン様は、どこか思案するように微笑んだ。
「二人とも、少し魔法の練習をしないか?」
意外な提案に目を瞬くと、アルヴィン様は続ける。
「実はな……俺も昔、魔力過多症で苦しんでいたんだ」
アーサーと私は、思わず息を呑んだ。
「それにな、俺もアーサーと同じ風魔法の使い手だ」
アルヴィン様は、冒険者時代の戦い方を語ってくれた。
大盾を携えたタンク役として、ウィンドシールドと身体強化を同時に維持し、魔物の攻撃を引き受けて仲間を守っていたのだという。
「アーサーも、もうウィンドシールドは展開できていると聞いた。なら、少し効率のいい魔力の使い方を教えてやれると思ってな」
それは、今まで何もしてやれなかった大叔父からの、せめてものエールなのだと。
そう言って、アルヴィン様は照れくさそうに笑った。
「それと……」
視線が、お祖父様へ向く。
「ハルカ嬢は、火魔法にも適性があるそうだな?」
肯定するお祖父様に、アルヴィン様は頷いた。
「それなら、二人に“紅蓮”を見せてやるのもいいかと思ってな」
——紅蓮。
それは、お祖父様たちの冒険者パーティ
《紅蓮の盾》
その名の由来となった、風と炎の複合技だという。
「こんな機会でもなければ、もう披露することもないだろうしな」
そう言って、私たちは訓練場へと誘われた。
◇◇◇
私たちは着替えを済ませ、訓練場へと場所を移した。
広々とした訓練場には、的や武器が整然と並んでいる。
「アルとの模擬戦は久しぶりじゃな」
お祖父様が、どこか嬉しそうに笑う。
「この訓練場は、少し前に完成したばかりなのですよ。壊さないように気をつけてくださいね」
エレノア様が心配そうに二人に告げる。
そんなやりとりを経て、お祖父様は手に大剣を、アルヴィン様は大盾を構えた。
「では、始めるか」
二人が同時に動き出す。
一閃。
二閃。
動きが徐々に加速する。
興が乗ってきたのか、次第に二人は笑い声をあげながら、楽しそうに身体強化も駆使し、威力を上げていった。
「すごい……」
私とアーサーも身体強化をかけて、二人の動きを目で追う。
アルヴィン様が盾にウィンドシールドをかけて守りを強化しているのがわかった。
「衰えておらんようだな、ラオウ」
「そなたもな、アル」
笑顔の二人。
「そろそろやるか」
「おう、孫たちにいいところを見せねばな」
次の瞬間——。
『紅蓮』
二人が、同時に声を上げた。
お祖父様が大剣に炎を纏わせる。
するとアルヴィン様が同時に風の渦を作り出し、大剣の炎を増幅させた。
訓練場中に吹き荒れる熱波と爆風。
「きゃっ!」
私たちは咄嗟に盾を展開したが——。
気がつけば、訓練場は見事に吹き飛んでしまっていた。
「しまった!」
二人は慌てて魔法を解除した。
爆音に驚きながらも、静かに怒りを滲ませるエレノア様の気配に、二人は同時に気づいたのだろう。
慌てて駆け寄ると、揃って跪き、深々と頭を下げた。
「まったく……新しい訓練場だと、気をつけてくださいと言ったでしょう!」
「申し訳ございません……」
「すまん……」
小さくなって叱られている二人の姿が、どこかおかしくて、可愛くて。
私は、ふふっと笑いをこぼした。
アーサーは、崩壊した訓練場だったものに視線を巡らせ、感嘆の息を吐いていた。
「すごい……」
やがて視線に熱がこもり、興奮したように私を振り返った。
「ハルカ、俺たちもこれ、練習しよう!」
「いいけどアーサー、私の筋力で大剣を振るうのは無理だよ」
そんな会話をしていると、お説教から解放されたお祖父様たちがこちらへやってきた。
「お前たちがやるなら、アーサーが剣に風を纏わせて、そこにハルカが炎を合わせるイメージだな」
アルヴィン様は、そう言って顎に手を当てる。
「そうじゃな。ハルカは土魔法も使えるし、魔力も多い。大地の盾を張って、その陰から炎魔法でアーサーの風を炎の力で増幅させるのがいいかもしれんな」
お祖父様も同意するように頷いた。
「何を言っているのですか、二人とも」
不安をにじませた声で、エレノア様が私の前に一歩出る。いつにない剣幕に、私は驚いて体をびくりと震わせた。
「ハルカ嬢は女の子なのですよ。そんなふうに、積極的に戦闘に参加させるなんて……」
その言葉も、無理からぬことだ。
この世界では、数少ない女性冒険者であっても、前線で剣や魔法を振るう者はほとんどいない。多くは後方からの支援や回復を担う役割に就く。お婆様は「ゴーレムクイーン」の異名を持っていたらしいけれど、ご自身は後方からゴーレムを操っていたと聞いた。
ましてや、この『紅蓮』は、近接戦闘の最中でこそ真価を発揮する技だ。使う以上、私も前衛に立たねばならない——エレノア様の懸念は、もっともなものだった。
けれど、それでも。
私は三人を見渡し、はっきりと告げた。
「教えてください!」
「ハルカ嬢……?」
エレノア様が、驚いたように目を見開く。
「私は、将来オンタリオ辺境伯領を継ぐ嫡子です。魔物の脅威から領民を守るのは、領主の務め。
体力や筋力で劣る女だからこそ——私は、魔法の技を磨くべきだと思うんです」
「俺も、教えてください!」
アーサーも、声を上げた。
「俺も、戦える手段は多ければ多いほどいい。いつまでも無力なままではいたくない。やれることは全部やっておきたいんです」
私たちの熱意に、お祖父様たちは嬉しそうに頷いた。
「……あなたたちがそこまで言うなら」
エレノア様も、ため息をつきながら引き下がってくれた。
◇◇◇
そこから、訓練が始まった。
お祖父様は私に、アルヴィン様はアーサーに、まずはそれぞれの属性にあった魔法の効率的な展開方法を指導してくれた。
「ハルカ、もっと魔力を絞れ。無駄が多い」
「はい!」
「アーサー、風の流れをイメージするんだ」
「わかりました!」
次に、アーサーに剣を持たせ、その技量を確認する二人。
「思ったより基礎が身についているな」
感心したように呟くアルヴィン様の声に、アーサーの表情がぱっと明るくなる。
オンタリオ領で積み重ねてきた稽古の成果を認められたことが、嬉しくてたまらないのだろう。
胸を張るように誇らしげに微笑むアーサーの姿が、なんとも微笑ましかった。
そこから今度は指導役を交代し、お祖父様がアーサーに剣に魔法を纏わせる極意を、アルヴィン様が私に、発動した魔法を相手の魔法に合わせるコツを伝授してくれた。
◇◇◇
翌日も、その翌日も、私たちは朝から訓練に励んだ。
訓練場は倒壊してしまったため、場所を浜辺へ移しての稽古となったが、そこへ時折、アルヴィン様とお祖父様が様子を見にやってくる。
そして——オンタリオへ戻る前日。
「よし。では、そろそろ二人の魔法を合わせる練習をしよう」
ついに、『紅蓮』を実際に試す時が来た。
「威力は小さくて構わない。大事なのは、二人の魔法をきちんと噛み合わせることだ」
アルヴィン様は、落ち着いた声でそう告げる。
「まずは、それぞれ手元で魔法を発動してみろ」
私は手のひらに、小さな炎を灯す。
アーサーは風を纏わせ、空気を震わせた。
「アーサー、それを剣に纏わせろ」
「はい」
アーサーの剣が、風をまとって淡く揺らめく。
「ハルカ。教えた通りだ。手元の炎を、アーサーの剣へ送り出せ」
「……はい」
私は炎を送り出そうとした——けれど。
怖い。
アーサーに向けて、炎を放つなんて。
その躊躇いが伝わったのだろう。
炎は剣に届く前に、ふっと霧散してしまった。
アーサーが、心配そうに私の顔を覗き込む。
「大丈夫だよ、ハルカ。僕は燃えないし、ハルカの魔法で傷つかない」
そう言われても——。
頭では理解している。
けれど、脳裏に浮かぶのは、あの日見た『紅蓮』の光景だった。
一瞬で崩れ落ちた訓練場。
あちこちに燻る炎。
——もし、あれがアーサーに当たったら……。
「ハルカ」
お祖父様が、私の目線まで身を落とし、まっすぐに視線を合わせる。
「アーサーと、自分をもっと信用しろ。
大丈夫だ。オンタリオの炎が、味方を焼くことはない」
その言葉と、真剣な眼差しに背中を押され、私は深く息を吸った。
もう一度、魔力を練り直す。
「……行きます」
そう言って、アーサーの剣へ向けて炎を送り出した。
「「紅蓮」」
風を纏った剣に、炎が灯る。
次の瞬間、それは一気に膨れ上がり、爆炎へと姿を変えた。
ほんの数秒。
やがて炎は、嘘のようにすっと消える。
「……できた?」
呆然と呟く私たちに、
「ああ、出来とったぞ!」
お祖父様の弾むような声が響いた。
「それが『紅蓮』だ」
アルヴィン様も、満足そうに頷く。
まだ小さく、ほんの一瞬で消えてしまう風と炎の剣。
それでも——確かに、私たちは『紅蓮』を生み出せたのだ。
「あとは訓練を重ねて、威力と発動速度を上げるだけだ」
アルヴィン様はそう言って、私たちの頭をワシワシと撫でてくれた。
◇◇◇
最後に、アルヴィン様がこんな話をしてくれた。
「なぜ、パーティ名を《紅蓮の盾》としたのか」
確かに『紅蓮』は、目を見張るほど威力のある攻撃の技だ。
それに、あえて『盾』と付けた理由が、前から気になっていた。
「簡単に言えばな」
アルヴィン様が、穏やかな声で続ける。
「どんなに強い攻撃も、大切なものを守るために使ってこそ、本当の威力を発揮できる、という意味だ」
つまり——
彼らが求めたのは、敵を倒すことそのものではなかった。
仲間を守り、民を守り、背後にある日常を守るための力。
そのために放たれる炎こそが『紅蓮』であり、
それを受け止め、支える覚悟こそが『盾』だったのだ。
「強さを誇るための炎なら、いずれ暴走する。
だが、守る覚悟がある限り、その炎は決して道を誤らん」
アルヴィン様は、そう言って静かに微笑んだ。
今回の旅で、私たちは多くのことを学んだ。
この言葉も、ただパーティ名の由来を語っただけではない。
彼が歩んできた道、その中で掴み取った答えを、言葉にして私たちへ渡してくれたのだ。
そして、私は気づいた。
今回の稽古だけでなく、ここで見たこと、聞いたこと、触れたもの──
そのすべてが一本の線で繋がり、「強くなる」という意味を形作っていく。
強さとは、破壊ではなく“守る覚悟”を手に入れること。
それこそが、アルヴィン様の信念であり、私たちに本当に伝えたかった答えなのだろう。




