第39話:思わぬ寄り道
王の執務室を出たリチャード王とラオウは、廊下で足を止めた。
「さて……」
リチャードが、少し困ったように呟く。
「執務室を貸してしまったからな。どうしたものか」
視線の先には、扉の前で待つルナとヒロ、そしてレイノルド第一王子の側近たちの姿があった。人が溢れ返るその光景に、扉を守る護衛騎士たちも、どこか所在なげに立っている。
「そうだ!」
不意に、リチャードが声を上げた。
「ラオウ殿、よければ騎士団で稽古でもつけてもらえんか? 久しぶりに、其方の剣技を見てみたい」
思いがけない提案に、ラオウは一瞬目を見開いたが、すぐに愉快そうに笑って頷いた。
「構いませんぞ」
そのときだった。
「あ、あの! お話し中、失礼します!」
勢いよく前に出てきた少年がいた。
赤みがかった茶色の髪に、深い茶色の瞳——レイノルド第一王子の側近の一人、セシル・ローゼンベルクである。
「自分と、手合わせをお願いできないでしょうか!」
腰を九十度に折り、必死な様子で頭を下げる。
「ラオウ様のお話は、かねがね伺っておりました。一度でいいので、その剣技をこの目で見てみたいのです!」
「ほう……」
リチャードが、面白そうに口元を緩めた。
「セシル、お前も好きだな」
「はい! こんな機会、滅多にありませんから!」
輝くような瞳に、しかしラオウは少し渋い顔をする。
騎士団の稽古ならともかく、孫と年の変わらぬ若者との手合わせは、万一の怪我が気がかりだった。
「ワシはもう、隠居の身じゃぞ」
建前としてそう言ってみるものの、セシルはまったく引く気配を見せない。
リチャードの面白がる視線も相まって、完全に逃げ道を塞がれている。
「……わかった」
ラオウは観念したように息を吐き、にやりと笑った。
「では、こうしよう。うちの侍従に勝てたら、相手をしてやる」
「本当ですか!」
セシルの顔が、ぱっと輝く。
「ああ。ヒロ、お前が相手じゃ」
視線を向けられたヒロは、静かに一礼し、一歩前に出た。
「オンタリオ家にて、アーサー様の侍従を務めております。ヒロと申します」
セシルも同じように一礼し、「よろしく頼む」と握手を求める。
「では、訓練場へ向かうとしよう」
リチャードの一声で、一行は騎士団の訓練場へと向かった。
ラオウはルナに、ハルカたちへ伝言を頼み、エドウィンもまたリオネルに同様の指示を出す。
そうして二人を残し、王とともに訓練場へ向かった。
◇◇◇
訓練場にたどり着くと、王の突然の来訪に、訓練中だった騎士たちが一斉に動きを止め、その場で膝をついた。
「我らに構わず、訓練を続けよ」
その指示に、騎士たちは慌てて動き出す。だが視線の先は、自然とただ一人——ラオウに集まっていた。
「あの方は、オンタリオ領のラオウ様じゃないか?」
「ドラゴンスレイヤーの……?」
「俺、『ドラゴンと騎士』のファンなんだが……」
ざわめきの中、慌てた様子で騎士団長ロデリック・ローゼンベルクが駆け寄ってくる。
事情を聞いたロデリックは、息子セシルに一瞥を向け、諦めたようにため息を吐いた後、場を整えさせた。
「では、ルールを確認しよう」
ラオウが二人に告げる。
「魔法なし、身体強化はあり。武器は自由。ワシが審判を務め、勝敗を判断させてもらう。いいな?」
二人はそれぞれ頷いた。
その時——。
「ヒロ!」
執務室での話が終わり、急いで追いかけてきたハルカとアーサーが、駆けつけてきた。
二人の声援に、ヒロが、小さく微笑んで応える。
後からゆっくりとやってきたレイノルドもセシルに片手を挙げてエールを送った。
ラオウは、ハルカたちがリチャードたちと合流したことを目の端で確認すると、セシルとヒロに向き直った。
「始め!」
合図と同時に、セシルが飛び出す。
身体強化で加速した剣閃が、一直線にヒロへと迫る。
——だが。
ヒロは最小限の動きでそれを躱し、次の瞬間、剣先はすでにセシルの喉元にあった。
「……え?」
「勝負あり」
一瞬だった。
「何が……起きた……?」
呆然とするセシルに、ラオウが静かに告げる。
「ヒロは、魔の森の討伐にも参加しておる。経験の差じゃな」
セシルの顔から、これまでの自信が音を立てて崩れていった。
ヒロは静かに一礼するとハルカたちの元へと戻った。
そんなヒロを追って、ロデリックがハルカたちのところへやって来る。
「君、ヒロ君と言ったかな?良かったら騎士団に来ないか?その気があるなら、私が推薦状を——」
「ヒロは僕の侍従です!」
アーサーが両手を広げてヒロの前に立った。
一瞬呆気に取られた騎士団長だったが、その視線がアーサーの瞳を捉えると、ハッとしたように片膝を着き、頭を下げた。
「これは、アーサー殿下とお見受けします。私は、ロデリック・ローゼンベルク、騎士団長を拝命しております——あなたの母上、ローズの兄です」
「え?」と驚き、戸惑うアーサー。
リチャードもやってきて、「そういえば、其方たちは叔父と甥の間柄たったな」と補足する。
レイノルドも側に来て「叔父上、突然そのように膝をつかれてはアーサーも困惑します。どうぞ立ち上がって下さい」と間を取り持った。
「せっかくなので、其方たちも少し話してくるといい——そうだな、この場はラオウ殿にお任せできるかな?少し、我が騎士団を鍛えてやってもらいたい」
リチャードのそんな計らいに、ラオウも苦笑しながら頷いた。
そのやりとりに沸き立つ騎士団員たち。ついでとばかりに、落ち込んでいたはずのセシルも手を上げて参加を表明し、騎士団員たちの中へと躍り出ていった。
「まったく、あいつは…。では、お言葉に甘えまして、少しお時間を頂戴できますか。私の執務室でお茶でもご一緒させて下さい」
そう言って、アーサーを始めラオウを除くオンタリオ一行を案内してくれた。
◇◇◇
訓練の様子を見学したいとその場に残ったリチャードとレイノルドたちと別れ、騎士団長の執務室へとお邪魔するハルカたち。ソファを勧められたので並んで腰を下ろすと、ロデリックの従者がお茶を淹れてくれた。
「あの、ご挨拶が遅れました。私、オンタリオ辺境伯タイロンが長女ハルカと申します」
慌てて立ち上がり、ハルカが自己紹介をする。微笑ましげな瞳のロデリックが、「では私も」と自己紹介をしてくれた。
「殿下、それにハルカ嬢、お二人にお詫びと、そしてお礼を言わせて下さい」
そう言って、突然ロデリックが頭を下げる。言われた二人は何のことかわからず、戸惑いの視線を交わした。
「アーサー殿下の王宮でのことです。私は——ローゼンベルク家は、ローズの実家として、お二人の後ろ盾として、殿下方の健やかな成長をお守りする立場にありました」
ロデリックが頭を下げたまま、そう話し始めたところによると、要は最近知ったアーサーの境遇に何もできなかったことを悔やんでの謝罪のようだった。
「顔を上げて下さい、ローデンベルク卿——いえ、叔父上とお呼びしても?」
その言葉にハッと顔を上げ、まっすぐアーサーを見つめるロデリック。
「実は、先ほど兄上にも謝っていただきました」
アーサーは苦笑したように、でもはっきりと告げた。
「謝罪は受け取ります」
何だか今日は謝ってもらってばかりだな、と呟きながら微笑んだアーサーに、ロデリックは驚いた表情をしたあと再び頭を下げた。
「ありがとうございます」
そう言って顔をあげると、眩しそうに目を細めた。
「——知らぬ間に、とても立派に成長されていたのですね」
立派になった殿下の姿を、妹にも見せてやりたかったと呟きを落とすロデリック。
再び顔を上げると真っ直ぐアーサーを見つめて言った。
「覚えておいて下さい。我がローゼンベルク家は、殿下方のお味方です。今後、我々の助けが必要な事がありましたら遠慮なくお声がけ下さい」
その視線をしっかりと受け止め、柔らかく微笑んで礼を述べるアーサー。その後ろで、優しい眼差しを向けるヒロとルナ。
ロデリックの視線が、そんな二人へと向いた。
「先ほどの動きは素晴らしかった。オンタリオ領では、みんなあのような動きができるのでしょうか?」
ヒロに向けて掛けられた問いかけに、一瞬目を見開いたもののハルカに答えてもいいかと確認を取るヒロ。
「あのくらいの動きでしたら、既にアーサー様もお出来になりますよ」
「本当か?凄いな、オンタリオ領は。一体普段どんな訓練を行なっているのか——我が騎士団も見習わなくてはな」
そういえば、ラオウ様の訓練はどうなっているのだろう、様子を見に戻りましょうか、と立ち上がるロデリック。その後に続き訓練場へと戻る一行。
そこで目にしたのは、
倒れ伏す騎士団員たちの中、
ただ一人、何事もなかったかのように立つラオウの姿だった。
補足:身体強化は、オンタリオ流体術に限らず、一般的な魔法の運用方法として広く知られています。
ただしオンタリオ流体術では、その運用をさらに発展させ、独自の技術として昇華させています。
その結果、レオのように外部魔力を持たない者や魔力が低い者でも、魔力持ちに近い力を発揮できる技術体系となっています。




