第34話:負けないと誓った夜
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二月に入ってすぐのことだった。
朝の訓練が終わると、お父様の執務室に呼ばれた。
「何の用事だろう?」
アーサーと一緒に部屋へ入ると、お父様、お母様、そしてお祖父様までが席についていた。
「おお、来たか。少し報告を一緒に聞いてもらいたくてな」
お父様が穏やかに微笑む。
「報告?」
「うむ。セバス、頼む」
呼ばれた執事のセバスが、報告書を手に前へ出た。
「良い報告と悪い報告の二つがございます。まずは良い方から——新年雪像まつりの経済効果について、ご報告申し上げます」
セバスが報告書に視線を落とす。
「まず、まつり期間中の宿泊施設ですが……領都アルデンブルクの宿は、ほぼ満室となりました」
「ほう」
お父様が思わず身を乗り出す。
「飲食店の売上も、通常の三倍近くに達しております」
「三倍!?」
思わず声が上ずった。
「はい。他領からの来訪者が多く、滞在期間も平均三日と長めでして」
セバスが淡々と読み上げる。
「さらに、土産物の売上も好調です。特に、お嬢様が開発された蜂蜜のど飴や蜂蜜石鹸は大変な人気で、通常の五倍の売上となりました」
「五倍か……」
お祖父様が満足そうにひげを撫でる。
「加えて、米酒・澄み酒への注目も高まり、予約が殺到しております」
「うむ……」
お父様が深く唸った。
「これほどの効果があるなら、規模を拡大して、毎年開催するのもよいかもしれんな」
「賛成じゃ。冬の収入源として定着すれば、領民も潤う」
お祖父様も嬉しそうに頷いた。
みんな明るい笑顔で案を出し合う。私とアーサーからは、反省点や改善点もいくつかあげた。
「それではこちらの件は、後日改めて詳細を詰めることに致しましょう。次に——悪い報告へ移ります」
セバスの声のトーンが落ちる。
室内の空気が、一気に引き締まった。
「実は、料理長より相談がありまして——」
悪い報告とは、塩の納入が遅れていることだった。
商会に確認しても、『まだ届いていない』と言われるばかりで、非常に困っているとのことだった。
結局直接状況を確認しようということになり、商業ギルド長のベルンハルトが急遽領主館に呼ばれることになった。
◇◇◇
間もなくしてベルンハルトが、息を切らしながら駆け込んできた。
「タイロン様、大変です! 塩の納入が、完全に止まりました!」
「何……?」
「オンタリオ領の商業ギルドに加盟する全商会が、同じ通達を受けました。ソルティス商会から——『今後オンタリオ領への塩の供給は停止する』と」
お父様の拳が、ぎゅっと握られる。
「まずは経緯をご説明いたします」
ベルンハルトが、事の次第を丁寧に語り始めた。
「一週間前、王都のソルティス商会本店から、全国の取引先へ通達がありました。『塩の需要が高まったため、供給先を見直す』と」
「しかし、『塩』は不可欠で代替性のないものであることから、国からの支援と引き換えに、各地に流通させることを義務化していたはずではなかったか!?」
お父様が、強い口調で言う。
「それが、『あくまで努力義務』とのことで——『昨今経済活動が盛んなオンタリオ領なら、自領でなんとかできるでしょう』と」
「なんだと!?」
「それよりも、より困窮している地域を優先させたい、と」
「それで、うちが切られた……というわけか」
ベルンハルトは苦い顔をする。
「二月は、需要が急増する時期ではありません。これは明らかに、不自然です」
お母様が静かに言う。
「つまり、これは……」
「明らかな嫌がらせかと」
ベルンハルトが言い切った。
「理由は色々考えられますが、引き金となったのは——恐らく、オンタリオ領の米酒が王都で評判になったことではないかと。この冬の社交界でも話題を独占しましたし……」
空気が重く沈む。
「……ソルティス侯爵家が動いたのか」
「断言はできませんが、可能性は高いでしょう」
「……影響は、どれほどだ?」
お父様が尋ねる。
「深刻です」
ベルンハルトは別の資料を開く。
「まず、領民の日常生活に影響が出ます。今は冬支度用に塩漬けした保存食があるため、すぐに困ることはないでしょうが……」
「医療にも影響が出ますね。塩は薬でもあります——ただ、薬として出回る分は薬師ギルド経由で入手可能かもしれません。これは後ほど確認しましょう」
お母様が続ける。
「皮革加工も止まる。領の産業が直撃だ」
お父様の声が低く響く。
「それに——」
私は、思い切って口を開いた。
「春の味噌仕込みができなくなります。味噌も醤油も、一年分をこの時期に仕込むから……」
お父様が驚いたように私を見つめる。
「ハルカ、よく知っているな」
「はい。ノルトハイム村の責任者の方々に教えてもらいました」
「そうか……」
お父様が深刻な顔で頷く。
「在庫はどのくらい持つ?」
「生活に必要な分だけでしたら、領全体で二ヶ月ほど。ですが——」
ベルンハルトの顔がさらに暗くなる。
「春の仕込みには到底足りません。このままでは、味噌と醤油の生産を今年は諦めるしかないでしょう」
「他から調達は?」
お父様が尋ねる。
「それが……」
ベルンハルトが首を振った。
「ソルティス家は、王国内の塩流通をほぼ独占しています。他の商会も彼らから仕入れており——」
「つまり、どこから買っても止められる可能性が高い」
「はい。実質的な封鎖です」
商業ギルド長の拳が怒りで震えた。
「商人として、こんな不当なやり方は……悔しい。しかし、一介の商人でしかない私には太刀打ちはできません」
その後、各村からの報告が続々と届いた。
大豆の産地で、味噌と醤油の生産拠点でもあるノルトハイム村からも、春仕込みに対する不安と懸念が届けられた。
他の村からも、家畜への塩分補給用、バター作り用など、多種多様な業種で不安が広がっているようだった。
◇◇◇
夜。
お父様の執務室には、家族全員が集まっていた。
重苦しい空気が漂う。
お父様は、机の上に積まれた報告書の束をぎゅっと握りしめ、低く呟いた。
「……こうしてまとめてみると、いかに『塩』が生活の隅々まで必要なものか、思い知らされるな」
その声音には、怒りも焦りも混じらず、ただ深刻な現実を受け止める重さだけがあった。
「ソルティス侯の狙いは二つね」
お母様が指を立てる。
「一つは、自分たちの経済的優位性を見せつけて、私たちに打撃を与えたいのでしょう——まあ、牽制ね」
「もう一つは?」
「領民の不満を煽り、領主への信頼を損なうことね。『塩一つ確保できない領主』という評判を広めたいのでしょう」
「……姑息な奴らじゃ」
お祖父様の声に怒りがにじむ。
「だが、こちらにも手はある」
お父様は地図を広げた。
「まず王宮を通じて抗議を入れてもらおう。明らかな協約違反だ。陛下も黙っているはずがない」
「並行して、別ルートの調査じゃ」
お祖父様も鋭く目を光らせ地図を睨みつける。
「隣国、海沿いの領地……必ずどこかに道はあるはずじゃ」
「商業ギルドにも協力してもらい、他領、もしくは国外の商会と取引できないか探ってもらいましょう」
「明朝、ベルンハルト殿に連絡しておきます」
セバスが請け負った。
「ハルカ、アーサー」
お父様がこちらを向く。
「はい」
「何か気づいたことがあれば教えてくれ。どんな小さなことでもいい」
「わかりました」
私とアーサーは頷いた。
「そして——」
お父様が表情を和らげる。
「心配しすぎるな。必ず、何とかする」
「……はい」
頷きながらも、胸の奥では不安が静かに渦を巻いていた。
(こんな形で、攻撃されることもあるんだ……)
領民の生活そのものを狙い撃ちにする、卑劣な手口。
そんなことを平然とやってのける者たちが、この国には確かにいる——その現実が、じわりと恐怖となって染み込んでくる。
自分たちが優位に立つためなら、誰かの暮らしを踏みにじることさえ厭わない。
そしていつか、私も領主として、そういう相手と向き合わなければならない。
その事実を理解した途端、指先が小さく震え始めた。
それでも——逃げたくない。
守りたい人たちがいるから。
私は震える指をぎゅっと握りしめる。
(負けない。絶対に)
窓の外では、冷たい雪がしんしんと降り積もっていた。
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