第31話:酒と密談
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新年の祝宴、二日目の夜。
リチャード王の私室に、タイロンとミランダが呼び出された。
「失礼いたします、陛下」
ミランダが静かに扉を開ける。
「おお、来たか」
王が笑顔で迎える。
部屋には、すでに三人分のグラスと軽食が用意されていた。
「陛下、これを」
タイロンが、包みを差し出した。
「新米仕込みの初絞り酒と、ハルカお手製のワイルドボアの味噌漬けです」
「おお! それは楽しみだ」
王の目が輝く。
「では、早速いただくとしよう」
勧められてソファに腰を下ろすと、早速タイロンが酒を注いだ。
少し濁りのある白っぽい液体が、グラスに満たされていく。
「では、乾杯」
三人がグラスを合わせた。
カチンと、澄んだ音が響く。
「うむ、これは……」
王が一口含み、目を細める。
「すっきりとした飲み口だな。雑味がなく、米の甘みが際立っている」
「今年の新米で仕込んだ初絞りです。まだ荒削りですが、来年にはもっと良いものができるでしょう」
タイロンが嬉しそうに答える。
「これは期待できるな。貴族たちにも評判が良いだろう」
王が満足そうに頷く。
「ところで、この肉は……」
「ハルカが味噌に漬け込んだものです。焼けば、すぐに食べられますわ」
「それなら——」
タイロンが立ち上がる。
「ちょっと焼いてくる」
そう言って、肉の塊と鉄串を手に、バルコニーへと向かった。
◇◇◇
バルコニーから、タイロンの火魔法を使う気配が伝わってくる。
室内に残された王とミランダは、しばし酒を傾けた。
「そういえば——」
ミランダが、静かに口を開く。
「新年の宴で、レイノルド殿下がアーサー様のことを気にかけておられたようですが」
「ああ」
王が頷く。
「あいつも当事者だからな。少し前に、話しておいた」
「そうでしたか」
ミランダが安心したように微笑む。
「殿下もご存知なのですね」
「ああ。ショックを受けていたが……それでも、己の過ちを悔い、前を向こうとしている」
王の声に、安堵と誇りが混じる。
「あいつは、強い子だ」
「レイノルド殿下はきっと、素晴らしい王になられるでしょう」
ミランダが、穏やかに言う。
「……そうであってほしい」
王が、遠くを見る。
「だが、あいつの前には、まだ多くの試練が待っている」
「陛下……」
「ソルティス家の影響力は、日に日に増している。私も警戒はしていたが……奥向きの管理は元よりエリザベスの管轄だ。どうしても限界がある」
王はゆっくりと息を吐き、続ける。
「その上、やつらは経済力を盾に、宮廷内の主要人事にまで介入し始めている。気づくのがあと一歩遅れていれば——すべて掌握されていたかもしれん。まったく、恐ろしい手腕だ」
声が、重く低く沈む。
「……私もだが、レイノルドはこれから、そうしたものと戦わねばならない」
「ですが、殿下には優秀な側近もおられます」
ミランダが言う。
「エドウィン様、セシル様、リオネル様——三人とも、殿下を支えてくれるでしょう」
「そうだな」
王が小さく笑う。
「特にセシルは、ローズの甥だ。血の繋がりもある」
「ローゼンベルク家も、殿下を支えるはずです」
「……ああ」
王が、グラスを見つめる。
「だが、ローズの死後、ローゼンベルク家だけではレイノルドの後ろ盾として弱くなっている。武官系の伯爵家では、ソルティス家のような経済力も政治力もない」
ミランダが、静かに頷く。
「それを強化するため、少し前に婚約者を決めた」
「婚約者……」
「アルトリウス公爵家の令嬢、ソフィアだ」
王が続ける。
「これからは、アルトリウス公爵家がレイノルドの後ろ盾として動いてくれるだろう。財務を担う、文官系の名門だ。ソルティス家に対抗できる、数少ない家のひとつだ」
「アルトリウス公爵家……なるほど」
ミランダが、納得したようにゆっくり頷く。
「エドウィン様は、ソフィア様のお兄様でしたね」
「ああ。あいつは優秀だ。レイノルドの側近として、そして妹の婚約者として——二重の立場から支えてくれるはずだ」
「さらに、リオネル様は宰相閣下のご子息。つまり、政治と財政を司る両家の協力を得られるということになりますわね」
「その通りだ。レイノルドにしてやれる援護は、このくらいが精一杯だ……あとは本人の努力と才覚次第だな」
王の声には、息子への期待と、重責を案じる思いが滲んでいた。
◇◇◇
「お待たせしました!」
タイロンが、バルコニーから戻ってきた。
鉄串に刺された肉が、美しい焼き色を纏っている。
香ばしい匂いが、部屋に漂う。
途端に、先ほどまでの重苦しい空気が霧散した。
「……これは、たまらん匂いだな」
王が鼻をひくつかせる。
「ごめんなさい陛下、お部屋が香ばしくなってしまいましたわね」
ミランダが、幾分居心地悪そうに言う。
「気にするな! これくらい、全く問題ない」
王が豪快に笑い飛ばす。
「そうだ、そうだ。むしろ、この匂いが食欲をそそる」
タイロンも笑う。
タイロンが手際よく肉を切り分け、皿に盛る。
「さあ、どうぞ」
「では、遠慮なく」
王が一切れ口に運ぶ。
噛んだ瞬間——その表情が、ほころんだ。
「うむ……!」
王が感嘆の声を上げる。
「お前の焼く肉を食べさせてもらうのは久しぶりだな——うん。相変わらず、外はパリッと、中はジューシーな焼き加減だ。この味噌ダレ…と言ったか?初めて食するが、にんにくも効いていてバカにうまいな」
「陛下にそう言っていただけると、ハルカも喜びます。その味噌もハルカが開発したんですよ」
タイロンも声を上げて笑う。
「ほお。ハルカ嬢は多才だな——うん、この酒とも実によく合う!」
三人は、しばらく肉と酒を楽しんだ。
◇◇◇
「さて——」
王が、グラスを置いた。
空気が、少し張り詰める。
「本題に入ろうか」
タイロンとミランダも、姿勢を正す。
「襲撃にあったと聞いたが……」
王の声が、低くなる。
「はい」
ミランダが静かに答える。
「書簡でご報告しました通り、二度ほど領内でアーサー様を狙った襲撃事件がありました」
「アーサーに、怪我は?」
「ありません。ご無事です」
王が、ホッと息を吐く。
「よかった……」
ミランダが続ける。
「二度目の襲撃時、賊は捕らえたのですが、抑留中に自害してしまいました」
「自害……」
「残念ながら、黒幕については吐かせられませんでした」
王の眉が、険しくなる。
「ただ——」
タイロンが口を開く。
「一度目の時、その場にいたうちの護衛が申すには、『南西部の訛りがあった』と」
「南西部……」
王の目が、鋭くなる。
「ソルティス領の者か」
「断定はできませんが、可能性は高いかと」
「私からも、報告がある」
王が、グラスを手に取る。
だが、飲むことはせず、じっと液体を見つめている。
「エリザベスに、アーサー周囲の人事について問いただした」
「……」
「だが——」
王が、苦い顔をする。
「出産の忙しい時期と重なり、配慮が足らなかったと泣いて詫びられた」
沈黙。
「……そう言われると、それ以上咎めることはできなかった」
王の声に、悔しさが滲む。
「陛下……」
ミランダが、同情するように言う。
「いや、私の甘さだ」
王が自嘲気味に笑う。
「だが、エリザベス自身が関与している証拠はない。あくまで、ソルティス家が勝手に動いている可能性もある」
「それでも、警戒は必要ですね」
タイロンが言う。
「ああ」
「それと——もう一つ」
王の表情が、さらに険しくなる。
「密偵から報告があった」
タイロンとミランダが、身を乗り出す。
「ソルティス侯が、動き出したかもしれん」
「……と言いますと?」
「詳細はこれからだが——」
王が、二人をまっすぐに見る。
「オンタリオ領へ何かしらの圧力をかけてくる可能性がある」
「圧力……」
「直接的な襲撃は失敗してるからな。しかも下手人は捕えられたとなると、やり方を変えてくる可能性が高い」
「なるほど、元より我々に武力攻撃を仕掛けるなど愚の骨頂」
タイロンの拳が、ぎゅっと握られる。
「そうですわね。そうなると、経済的な締め付け、噂の流布、貴族への工作——考えられるのはそんなところでしょうか」
ミランダもため息を隠さない。
「苦労をかけてすまないが、十分に注意してくれ」
王の声に、力が込もる。
「アーサーを、必ず守ってやってくれ」
「もちろんです」
ミランダが、静かに答える。
「陛下のご信頼に、必ず応えます」
タイロンも力強く頷いた。
「其方たちには、感謝している。ありがとう」
王が、深く頭を下げた。
「陛下、頭を上げてください」
ミランダが慌てる。
「いや、礼を言わせてくれ」
王が顔を上げる。
その目には、感謝と決意の光が宿っていた。
「お前たちがいてくれて、本当に良かった」
「陛下……」
「これからも、頼む」
「「はい」」
二人が、深く頷いた。
部屋に、再び穏やかな空気が戻る。
「さあ、せっかくの美味い酒だ。ゆっくりと飲み直そう」
王が、グラスを掲げる。
「まだまだ、この酒を楽しみたい」
「では、遠慮なく」
タイロンが笑う。
三人は、再びグラスを合わせた。
窓の外、月が静かに輝いている。
夜はまだ長く、三人の話し声はしばらくの間続いていた。
タイロンと王様は学友です。若い頃一緒に魔物討伐にも出かけたことがあり、野営の度にタイロンが『肉焼き係』をしていました。




