第29話:第一王子レイノルド
本日より第3章スタートです!
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新年の祝宴。
年の初めに王族への挨拶を行った後、三日間にわたって開かれる、エヴァーランド王国最大の宴である。この日から社交シーズンが始まるため、国中から貴族たちが王都に集い、一年で最も華やぐ時を迎えていた。
王宮の大広間は、色とりどりのドレスと燕尾服で彩られ、シャンデリアの光が宝石に反射してきらめいていた。楽団の奏でる優雅な旋律が、天井高く響き渡ると、何組かのカップルが中央で踊り始める。
昨年は双子の出産直後だったため出席を見送っていたオンタリオ辺境伯夫妻も、今年は揃って祝宴に姿を見せていた。
謁見の間での新年の挨拶では、オンタリオ領からの献上品——米から作った『米酒』と『澄み酒』の飲み比べセットが、リチャード王から絶賛されたという。
その後の祝宴では試飲用としても振る舞われ、貴族たちの関心を瞬く間に集めた。
結果、用意していた販売分は即座に完売。
今後売り出される新米仕込みの米酒や、夏に販売予定の澄み酒の予約を求め、貴族たちが列を成す事態となっていた。
その影響で、広間の一角には、話題の酒を何とか確保しようとする貴族たちが集まり、タイロンとミランダの周囲は人だかりができている。
「辺境伯、実に素晴らしい酒ですな」
「実は、娘の発案でして」
「ご令嬢は、まだお小さいのでは?」
「七歳になりました。我が娘ながら、実に優れた才覚を持っております」
「なるほど……将来が楽しみですな」
そんなやり取りが続く中、一組の夫婦がこちらへと歩み寄ってきた。
ロデリック・ローゼンベルク伯爵と、妻のエレノア —— アーサーの母ローズの、実兄夫妻である。
「タイロン殿、ミランダ殿」
ロデリックの声には、どこか緊張が滲んでいた。
「ローゼンベルク騎士団長。お久しぶりです」
ミランダが穏やかに応じる。
軽く近況報告など世間話をした後、ロデリックは一瞬言葉を探すように視線を彷徨わせ、それから意を決したように口を開いた。
「……その、アーサー殿下のこと聞きました」
言葉と共に、彼の表情が曇る。
「本当に、ありがとうございました」
ロデリックとエレノアは、深々と頭を下げた。その声は微かに震えている。
「我々は……何もできなかった。それどころか、気づくことさえ……」
滲むのは、後悔と自責。
慌てたミランダが貴族たちの視線から庇うように、そっと立ち位置を変えた。
「顔を上げてください、ロデリック様」
ミランダが柔らかく言った。
「殿下は今、健やかに育っています。笑顔も増えましたし、魔法の訓練にも前向きに取り組んでいます」
「本当ですか……!」
エレノアの目に、涙が浮かぶ。
「ええ。ローズの息子は、強く、優しい子に育っていますよ」
「……そうですか。よかった……」
ロデリックの肩から、ふっと力が抜けた。
「いつか、甥に会いたい。ローズの息子に、きちんと謝りたい」
「その機会は、きっとすぐ訪れますよ」
タイロンが力強く答えると、夫妻は再び深く頭を下げ、静かにその場を後にした。
その様子を、少し離れた場所から不快そうに見つめる視線があった。
ソルティス侯爵と、その隣に立つエリザベス王妃である。
二人は小声で言葉を交わし、やがて揃って笑みを浮かべたまま、こちらへ歩み寄ってきた。
「オンタリオ辺境伯」
その声には、隠しきれぬ苛立ちが含まれている。
「随分と商売がお上手なようですね」
「おや、ソルティス侯。お褒めに預かり光栄です」
タイロンは涼しい顔で返す。
「てっきり貴殿の得意分野は力技一本かと思っておりましたが——まさか陛下を“だし”に商売をなされるとは。呆れを通り越して感心いたしますな」
周囲の空気が、ピリッと張り詰める。
タイロンの琥珀より濃い金茶の瞳が、鋭く光った。
「我が領の特産品を開発し、王に献上する。それの何が問題でしょうか」
「いえ、問題などとは。ただ、やり方が少々——品性に欠けるかと」
「品性、ですか」
タイロンの声が低くなる。
周囲の貴族たちが、ざわめきながら距離を取り始めた。
会話をしていた者たちも、こちらに視線を向けている。
ソルティス侯爵が、さらに挑発的な笑みを浮かべようとした、その時——
「エリザベス様。陛下があちらでお探しのようですよ」
凛とした、若い声が響いた。
ざわめきが止まり、人々が道を開ける。
そこに立っていたのは、金髪に空色の瞳を持つ、端正な顔立ちの少年だった。
レイノルド・エヴァーランド。第一王子。
本日が社交界デビュー 。
—— 十二歳になった彼が、初めて公式の場に姿を現す、記念すべき日である。
その背後には、三人の少年が控えていた。
公爵家次男エドウィン・アルトリウス。
ローゼンベルク伯爵家嫡男セシル。
宰相の次男で侯爵家のリオネル・ヴァンダイク。
レイノルドの側近たちだ。
「これはこれは、レイノルド殿下」
ソルティス侯が、わざとらしく頭を下げる。
「本日はデビュタント、おめでとうございます」
レイノルドは軽く頷くと、静かに二人を見つめた。
「何やら揉めているように見えましたが……まさか、私のデビュタントを台無しにするようなことではありませんよね」
穏やかな声だが、威厳を感じさせる堂々とした態度だ。
「……これは失礼いたしました、殿下。もちろん、揉め事だなんてとんでもございません」
ソルティス侯が、渋々引き下がる。
エリザベス王妃も、不満そうに視線を逸らした。
「陛下が探していらっしゃるとのことでしたので、私たちはこれで……」
そう言うと、二人は去っていった。
その後ろ姿を見送った後、レイノルドはタイロンたちへと向き直る。
「オンタリオ辺境伯、ミランダ夫人、新年おめでとうございます」
「おめでとうございます、殿下。デビュタントもお祝い申し上げます」
タイロンが笑顔で返す。
「おめでとうございます、殿下——立派に成長されましたね」
続くミランダの温みの籠った挨拶の言葉に、レイノルドは一瞬、複雑な表情を見せた。
それから、小さく息を吸う。
「……少し、お話ししたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
そう言って、バルコニーを指差した。
◇◇◇
夜の風が、頬を刺すように冷たい。
眼下には、星を散りばめたように王都レジナルドの灯りが広がっていた。
オンタリオ領より南に位置するこの地では、雪が積もることはあまりない。
それでも、年が明けたばかりの夜気は容赦なく、体の熱を奪っていく。
タイロンは、無言で景色を眺めるレイノルドを気遣い、近くの松明にそっと火を灯した。
しばらくの沈黙。
やがてレイノルドは、意を決したようにゆっくりと振り返る。
亡きローズ妃と同じ空色の瞳が、自分たちをまっすぐに見据えた。
——ミランダは、懐かしさを覚えながらその瞳を見つめ返す。
やがて、レイノルドがぽつりと言葉をこぼした。
「……アーサーは、どうしていますか?」
ミランダは一瞬驚き、すぐに柔らかく微笑んだ。
「元気ですよ。毎日、笑顔で過ごしています」
「……そうですか」
張り詰めていた表情が、わずかに緩む。
「オンタリオに預けて、正解でした」
その声には、安堵と、僅かな悔恨が混じっていた。
「父上から聞きました」
レイノルドの拳が、ぎゅっと握られる。
「アーサーが、王宮でどんな扱いを受けていたか。誰が、何をしていたのか」
「僕は……何も知らなかった。いや、知ろうとしなかった」
「レイノルド様」
ミランダが優しく声をかける。
「僕は、母上が亡くなったのは、アーサーのせいだと思っていました。だから、あの子が憎らしかったし、疎ましかった」
その声は、震えていた。
「——まともに顔を見ることすらできなかった。すれ違っても、声をかけなかったし、あの子が僕を見ているのに気づいた時は、わざと顔を背けた」
レイノルドの拳が、小刻みに震えている。
「でも、違った。アーサーは、何も悪くなかった。母上が亡くなったのは、誰のせいでもなかった。それなのに、僕は——」
言葉が途切れる。
タイロンが、レイノルドの肩に手を置いた。
「過去は変えられません。しかし、これからのことは変えられます」
「……」
「アーサー様は、殿下の弟です」
タイロンの声が、優しく響く。
「殿下と同じくローズ様を母に持つ、唯一の弟なんです」
レイノルドが、ハッとしたように顔を上げた。 その瞳には、涙が浮かんでいた。
「いつか、心の準備ができたなら、会いにいらしてください」
「……会いに行っても、いいのでしょうか」
「当たり前です。きっと喜んでくれますよ」
夜風に吹かれながら、王都の灯りを見つめる。
あの日、背を向け続けた弟の姿が、今更のように瞼の裏に浮かんだ。
小さくて、怯えていて、それでも——僕を見ていた、淡い空色の瞳。
(……アーサー)
僕の小さな弟。
いつか必ず会いに行く——その時は、まっすぐにその名を呼んでみよう。
ミランダはレイノルドの亡き母ローズの親友でした。
そのため、ローズ存命中、レイノルドとは幼い頃に交流がありました。




