第24話:強さの意味
アーサー視点のお話です。
僕は、どうすればいいのかわからなかった。
襲撃から数日が経っても、あの光景が頭から離れない。
覆面の男たちが剣を抜き、まっすぐ僕に向かってきた。
そして——ハルカが、僕の前に立って庇ってくれた。
僕のせいで、ハルカが危ない目にあった。
そう思うたび、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
◇◇◇
「ソルティス家……エリザベス様の……」
あの時聞いた会話が、何度も頭の中で繰り返される。
狙われたのは、僕だ。
僕がいなければ、ハルカは襲われなかった。
僕がいるせいで、ハルカが危険にさらされる。
——だから、距離を置いたほうがいい。
そんな考えが、いつしか心の中で大きくなっていった。
◇◇◇
それから僕は、少しずつハルカを避けるようになった。
一緒に勉強する時間を減らし、遊びの誘いも断った。
話しかけられても、適当な理由をつけてその場を離れた。
悲しそうに揺れるハルカの瞳が気になって、胸が痛んだ。
それでも——これでいいんだ、と自分に言い聞かせた。
ハルカを守るためなら、僕が離れるべきだと。
◇◇◇
朝の訓練が終わった頃、レオが声をかけてきた。
「なあ、アーサー」
いつもより低い声。
「……何?」
僕は汗を拭きながら答えた。
「なんでお嬢を避けてんだ?」
レオが真っ直ぐに僕を見る。
「お嬢、めちゃくちゃ落ち込んでたぞ。守れなかった、怖い思いさせたって……」
「……」
視線が逸れた。
「"避けられてる"って、お嬢だって気づいてる」
レオの声が少し強くなる。
「レオには関係ない」
ぶっきらぼうに返す。
「ハルカは、僕と一緒にいないほうが安全なんだ」
「は?」
呆れたようにレオが眉をひそめた。
「襲撃で狙われたのは僕だ。僕がいなきゃ、ハルカは巻き込まれなかった!」
拳を握りしめて言うと、レオの表情が険しくなる。
「——ふざけんなよ!」
レオの怒鳴り声が訓練場に響いた。
「いつまで被害者ぶってんだ! お嬢や旦那様たちがどれだけお前を大事にしてても、自分を救えるのは結局自分だけだ!」
一歩踏み出し、レオが僕を睨みつける。
「お嬢はな、今も必死に"お前を守れるように"って頑張ってんだ。なのに当のお前は、問題から目をそらして逃げ続けてるだけだ!」
胸に鋭い痛みが走る。
「"ハルカを守る"なんて言っておきながら、一番お嬢を悲しませてるのは——お前だ!」
「……うるさい!」
気づけば、僕はレオへ殴りかかっていた。
「レオに僕の気持ちなんて分かるわけない! 命を狙われたこともないくせに!」
拳がレオの頬を打つ。
よろめいたレオはすぐに体勢を立て直し——殴り返してきた。
「ぐっ……!」
地面が近づき、視界がぐらつく。
◇◇◇
「やめなさい!」
ヒロの鋭い声が響き、二人の間に飛び込んできた。
「落ち着きなさい、二人とも」
厳しいが冷静な声だった。
僕とレオは息を荒げながら睨み合う。
やがてヒロが、僕をまっすぐに見て言った。
「今回ばかりは、私もレオの意見に賛成です」
「アーサー様。不安や悩みがあるなら、お嬢様にきちんと話してください」
「でも——」
「言いづらければ、私やレオがフォローします。何も言われず避けられたら、お嬢様は傷つきますよ」
ヒロの声が和らぐ。
「お嬢様を傷つけたいわけでは、ないでしょう?」
「……違う」
僕は小さく首を振る。
「僕は……ハルカを守りたいだけで……」
「なら、その気持ちこそ話すべきです」
ヒロはそっと僕の肩に手を置いた。
「まずはミランダ様のところへ行きましょう。怪我の治療も必要です」
◇◇◇
ヒロに連れられ、レオと僕はミランダ様の部屋へ向かった。
「まあ……どうしたの、二人とも」
ミランダ様は僕たちの顔を見ると、困ったように微笑んだ。
ヒロが事情を説明し、治療が始まる。
青白い治癒魔法が頬を包み、痛みがじんわり消えていった。
「どうして喧嘩したの?」
優しい声に、僕は俯いたまま黙り込む。
レオも、僕に説明を任せるつもりらしい。
「大丈夫よ。話してごらんなさい」
その声に押され、少しずつ言葉がこぼれた。
襲撃のこと。
ソルティス家のこと。
僕のせいでハルカが危険にさらされたと思ったこと。
だから距離を置いたこと。
話しているうちに、涙があふれた。
「そう……ソルティス家のことを聞いてしまったのね」
ミランダ様がそっと頷く。
「僕……怖かったんです。誰かが、僕のせいで傷つくんじゃないかと思って」
涙が止まらなかった。
◇◇◇
「そういうことだったらしいわよ、ハルカ」
その声に、僕は思わず顔を上げた。
カーテンの影から、そっとハルカが姿を現す。
「ハ、ハルカ……!?」
泣きそうな顔のまま、ハルカが僕に近づいてくる。
「ごめんね、アーサー。隠れて聞いてて」
「違うんだ! 僕こそごめん。傷つけるつもりはなかったんだ! ただ……ハルカを守りたくて……」
「でも避けられて……すごく悲しかった」
ぽろりと涙が落ちる。
「嫌われたのかなって思った。どうしたら仲直りできるんだろうって、ずっと考えてた」
胸が締めつけられる。
「ごめん。本当にごめん」
僕は深く頭を下げた。
「僕が間違ってた。もう逃げない。ちゃんと話す。だから……仲直りしてくれる?」
ハルカは涙を拭い、ふんわりと笑った。
「もちろんだよ」
◇◇◇
ミランダ様が、満足そうに微笑んだ。
「ヒロ、お茶の用意をお願いできるかしら」
ヒロが出ていき、ミランダ様が僕たちを椅子へ促す。
「さて……誤解のないよう、あなた達にも今回の襲撃について、少し説明しておくわね」
声は穏やかだが真剣だった。
「まだ確定ではないけれど、襲撃者はおそらくソルティス家——エリザベス王妃の実家の者たちでしょう。狙いは、アーサー」
息をのむ。
「クリス殿下を次代の王に据えるため、邪魔になる王子たちを排除しようとしているのだと、私たちは見ているわ」
「……エリザベス様は関わっているのですか?」
「そこはまだわからないわ」
ミランダ様は優しく微笑む。
「アーサー。あなた個人は何も悪くない。狙われたのは、あくまであなたが"王子"だからよ」
「……はい」
その時、ハルカが明るい声で宣言した。
「大丈夫だよ! アーサー、私が強くなって絶対守るから! もうアーサーに怖い思いなんてさせないからね!」
「俺もだ! 二人のこと、俺が守る!!」
レオも勢いよく乗っかってくる。
ミランダ様はふふっと微笑み——そして、まっすぐ僕たちを見た。
「その意気は立派ね。でも、思いだけでは人は守れないわ。だから"力"を学ぶの。……いろいろな"力"をね」
少し間を置き、問いかける。
「ねえ、あなたたち。『強くなる』って、どういうことだと思う?」
「……えっと、お祖父様やお父様みたいな『王国最強』になる、とか?」
「もちろん、それも一つ。でもね——」
ミランダ様は続ける。
「武力だけが力じゃないわ。例えばアーサーのお父上――陛下には、国を治める王としての権力、“王権”という力があるわ。
それに対してソルティス家には、塩という強力な資源を背景にした“経済力”や“影響力”がある。
貴族でなくても、専門的な知識や実績を持つ人には“発言力”が生まれるし、貴族家の当主の中には“政治力”を武器にする人もいるのよ」
「力には、いろいろある……」
ハルカが呟く。
「その通りよ。そして、その力を得る方法もね」
ミランダ様の美しい顔が憂いに曇る。
「今回の襲撃も含め、全ての原因は、ソルティス家が『王権』という力を、不当な方法で手に入れようとしたことにあるわ」
「力を持つということは、それだけ魅力的であり、危険なことよ。過ぎた力は不幸も招く。争いも、ね」
ミランダ様の視線が僕とハルカをゆっくり捉える。
「いずれあなたたちは領主として、王族として、"力"を持つことになる。だからこそ——その力の強さ、重さ、責任を考え続けてほしいの」
そして、そっと微笑む。
「その上で、武力だけじゃない、色々なことを学んでいってほしいわ」
「……武力だけじゃない、色々な力」
「もちろん、困った時はいつでも相談に乗るわ。だって、あなたたちは私たちの"家族"なのだから」
「……家族」
その言葉が、ふわっと胸に染み込んだ。
「そう。だから、アーサー様も一人で抱え込まなくていいのよ? これからは、みんなで一緒に考えていきましょう。みんなで助け合えば、力は何倍にも強くなるものよ」
まっすぐな瞳に、僕は小さく頷いた。
「はい」
ハルカが僕の手を握る。
「一緒に頑張ろうね、アーサー」
「うん」
「お、俺もいるからな!」
レオが慌てて割って入り、その様子に思わず笑ってしまった。
胸の重さが、ゆっくりほどけていくのがわかる。
今の僕には、まだ何の力もない。
ハルカを守れる強さも、怖さに立ち向かう勇気も、きっと足りていない。
それでも——僕には、力を貸してくれる人たちがいる。
僕を叱り、支え、待っていてくれる人たちが。
だからだろうか。
今日、ほんの少しだけ、自分が“強くなれた”ような気がした。




