第23話:襲撃
澄み酒の特産品化を目指し、私たちは米の増産計画に乗り出すことになった。
参加メンバーは、お祖父様、ヒロ、ルナ、アーサー、そして私。
ヒロはかつて執事見習いとして教育を受けており、領地事情にも精通している。そのため、今回のプロジェクトでもサポート役をお願いすることになった。
「将来、婿としてハルカと共に領地を運営する可能性があるなら、いい勉強になるだろう」
そうお祖父様が言ってくれたこともあり、アーサーも正式に参加することになった。
——とても嬉しそうだった。
今回のプロジェクト責任者は、私。
領主教育の一環として任された。
……いや、六歳の子供に任せて大丈夫なの? と最初は思った。
でも、よく考えたらお米を生み出したのも、その新しい活用法としてお酒を開発したのも私だ。
……うん。適任だね。
がんばろう。
◇◇◇
六月のある日、屋敷の応接室には地図が広げられていた。
「まずは現状の把握じゃな」
お祖父様が、地図を指差した。
「今、米を作っておるのは、この南部の湿地帯じゃったな。面積はまだ小さい」
「はい。試験的に作付けを始めて今年で三年目。まだまだ規模も小さく、収穫量も多くありません。今のままではとても特産品として売り出すには足りません」
私が答えた。
「では、増産するには?」
「まず、今ある田んぼの収穫量を最大限に高めること。それから、新しい土地を開墾して、作付け面積を増やすことです」
ヒロが、冷静に説明した。
「今年の秋の収穫で最大限の成果を出し、来年以降に本格的な増産体制を整える。そのためには、今から準備を始める必要があります」
「具体的には?」
お祖父様が尋ねた。
「まず、現状の作付け面積、休耕地、水利の良い未開墾地を把握します。それから、肥料の在庫確認。秋の収穫期に必要な労働力の見積もりも必要です」
ヒロが、紙に書き出していく。
さすが執事見習い。領地事情に詳しいだけあって、説明がとても分かりやすい。
アーサーも、真剣な顔でヒロの説明を聞いている。
時々メモを取っている姿が、頼もしかった。
「七月は、今ある田んぼの除草を徹底し、水管理を強化します。八月には、優秀な稲を選定して、来年の種籾として確保します」
「九月の収穫後は?」
「収穫量を正確に記録し、データを取ります。そして、十月から十一月にかけて、未開墾地の開墾と水路の改良を行います」
「冬は?」
「肥料の仕込みと、農具の修理。それから、春の田植え時の労働者との交渉も済ませておきます」
私は、ヒロの説明を聞きながら、メモを取った。
隣では、アーサーも同じようにメモを取っている。
責任者として、しっかり把握しておかなければ。
「よし、まずは現状分析と計画策定のため、候補地へ視察に行こう」
お祖父様が、力強く言った。
◇◇◇
翌日、私たちは候補地の村へ向かった。
お祖父様、ヒロ、ルナ、アーサー、そして私。
今回はパトラッシュも一緒。逆にレオは仕事があるのでお留守番となった。
村に着くと、村の代表者が出迎えてくれた。
「ラオウ様、ようこそいらっしゃいました」
「うむ。早速じゃが、候補地を見せてもらえるか?」
「はい。ですが、その前に、少し我が家でお話を——」
代表者が、お祖父様とヒロを自分の家へ招いた。
「ハルカとアーサーは、ルナと一緒に候補地を見て回ってくれ。パトラッシュもついていけ」
お祖父様が、そう指示した。
「はい」
私たちは、ルナとパトラッシュを連れて、候補地へ向かった。
◇◇◇
候補地は、村の外れにあった。
広い荒地が広がっている。
少し森に近い場所だった。
「ここが候補地の一つですね」
ルナが、静かに言った。
「水利は良さそう。川も近いし」
私が言うと、アーサーも頷いた。
「うん。でも、開墾するのは大変そうだね」
「そうね。でも、やる価値はあると思う」
私たちは、候補地を歩き回った。
土の状態を確認したり、水路が引けそうな場所を探したり。
パトラッシュも、周りを警戒しながらついてきている。
その時だった。
◇◇◇
「——!」
突然、パトラッシュが唸り声を上げた。
私は、ハッとして周りを見回した。
「どうしたの、パトラッシュ?」
その瞬間——。
森の中から、黒い影が飛び出してきた。
「お嬢様、アーサー様、下がって!」
ルナが、私たちの前に立った。
黒い影——覆面をした男たちが、次々と現れた。
五人、いや、六人。
「パトラッシュ!」
私が叫ぶと、パトラッシュが吠えた。
「グルルルル!」
男たちが、剣を抜いた。
私に向かって——いや、アーサーに向かって突進してくる。
「アーサー!」
私は、咄嗟にアーサーを庇った。
その瞬間、パトラッシュが飛びかかる。
「ガウッ!」
パトラッシュが、男の腕に噛みついた。
「ぐあっ!」
男が悲鳴を上げる。
ルナも、暗器を投げた。
シュッ、シュッと音を立てて、ナイフが男たちの足元に刺さる。
男たちが、一瞬怯んだ。
その隙に、ルナが私たちを抱えて、後ろに下がった。
「お嬢様、アーサー様、大丈夫ですか?」
「う、うん……」
私は、震えていた。
アーサーも、顔が真っ青だった。
◇◇◇
男たちが、再び襲いかかろうとした時——。
「何者だ!」
お祖父様の声が響いた。
男たちが、一瞬動きを止めた。
お祖父様とヒロが、こちらに駆けつけてくる。
「ハルカ、アーサー、無事か!?」
男たちがお祖父様とヒロの姿を認めて後ずさる。
「退却だ!」
リーダーらしき男が叫んだ。
男たちが、一斉に森へ逃げ込んだ。
「待て!」
ヒロが追いかける。
パトラッシュも、吠えながら追いかけた。
◇◇◇
しばらくして、ヒロとパトラッシュが戻ってきた。
「逃げられました」
ヒロが、悔しそうに言った。
「川に飛び込まれましたので、追跡は困難です」
「そうか……念のため、近隣の住民を使って、川下に捜索隊を出しておくか。ヒロ、手配を頼む」
お祖父様が、険しい顔をしながら、ヒロに追加の指示を出す。
ヒロが「承知しました」と頷いて、集落の方へと踵を返した。
ルナが、静かに言った。
「襲撃者たちですが、南西部の訛りがあったように思います」
「……ソルティス家か」
お祖父様が、低い声で呟いた。
「恐らくは。潜伏時に見かけた顔はありませんでしたが、何分顔を覆っておりましたので、定かでは……」
ルナが、冷静に報告した。
私は、その会話を聞いて、ハッとした。
ソルティス家——エリザベス王妃の実家。
なぜ、私たちを襲う?
ていうか、ルナ……潜伏してたの?
突然の情報に処理が追いつかず、私はしばし呆然となった。
◇◇◇
少し離れた場所で、アーサーも同じ会話を聞いていた。
「ソルティス家……エリザベス様の……」
かすかに震える声でつぶやいたその横顔は、見る間に青ざめていく。
「狙われたのは、僕? でも、どうして……?」
呆然と立ち尽くすアーサーを見て、胸の奥がざわついた。
◇◇◇
屋敷に戻ってからも、その違和感は消えなかった。
夕食の席でもアーサーはほとんど口を開かず、話しかけても返事は遅く、どこか上の空だった。
「アーサー、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
返ってきた声は弱々しくて、とても“大丈夫”には聞こえなかった。
それでも私は――
「よっぽど怖かったんだ」と、そう思い込んでしまった。
深く踏み込んではいけない気がして、ただ見守るだけで終わらせてしまった。
まさか、これが始まりだったなんて。
この時の私は、知る由もなかった。
◇◇◇
そしてその日を境に、アーサーは少しずつ、私から距離を取るようになった。
一緒に勉強する時間は減り、遊ぶ約束もなくなり――
気づけば、目を合わせてくれることさえ少なくなっていた。
どうして?
避けられてる……?
理由がわからないまま、不安だけが積もっていった。
◇◇◇
「怖かったんだと思うよ」
レオが、そう言った。
「急に襲われたんだもん。俺だって怖かっただろうな」
「そう、かな……」
私は、アーサーを見た。
アーサーは、一人で本を読んでいた。
私が怖い思いをさせてしまったんだ。
私が、もっと強ければ——。
私は、決意した。
もっと強くなろう。
アーサーを守れるくらい、強くなろう。
◇◇◇
「お母様」
その夜、私はお母様の部屋を訪ねた。
「どうしたの、ハルカ?」
「魔法の訓練、もっと頑張りたいの」
私が言うと、お母様が少し驚いたような顔をした。
「どうして急に?」
「この前の襲撃の時、私、何もできなかった。アーサーにも怖い思いをさせてしまった。だから、私、もっと強くなりたいの。みんなを守れるくらい、強く」
私は、真剣な顔で言った。
お母様は、少し考えてから、優しく微笑んだ。
「わかったわ。一緒に頑張りましょう」
「ありがとう、お母様!私、頑張る」
私は、嬉しくなった。
◇◇◇
それから、私は今まで以上に魔法の訓練に励んだ。
火魔法の訓練。
土魔法の訓練。
お母様が、丁寧に教えてくれた。
少しずつ、できることが増えていった。
でも、アーサーとの距離は、縮まらなかった。
アーサーは、相変わらず私を避けていた。
なぜ?
どうして?
私には、わからなかった。
ただ、強くなれれば何かを変えられる気がして、私は必死に訓練に打ち込むのだった。




