第20話:大人たちの密談
アーサーの部屋を出たリチャードは、廊下で待っていたヒロに声をかけた。
「其方が、アーサーの侍従か?」
「はい。ヒロと申します」
ヒロは深く頭を下げた。
その礼節ある動きに、リチャードは静かに好感を抱く。
「そうか。これからもアーサーを、頼む」
「はい。引き続きアーサー様のお側で、微力ながらお手伝いさせていただきます」
落ち着いた声だが、揺るぎない決意があった。
リチャードは小さく頷く。
――アーサーには、良い侍従がついている。それだけでも、胸が少し軽くなった。
「タイロンは?」
「応接室でお待ちです。ご案内いたします」
ヒロに続き、リチャードは静かな廊下を歩いた。
◇◇◇
応接室の扉が開くと、すでにタイロン、ミランダ、ラオウが揃っていた。
「待たせたな」
リチャードが入室すると、三人が揃って立ち上がる。
代表してタイロンが声を上げた。
「陛下、ようこそお越しくださいました」
「みな、久しぶりだ。ミランダ、双子の出産、おめでとう」
「ありがとうございます」
微笑んではいるが、顔色はまだあまり良くない。
「大丈夫か? まだ産後間もないだろう」
「お気遣い恐縮です。問題ありませんわ」
「そうか……無理はするなよ」
ミランダは、ローズの親友だった。
アーサーのことを、いつも気にかけてくれていた。
その恩に、どうやって報いればいいのか。
リチャードは席に着き、他の三人も続いた。
四人が揃うと、リチャードは静かに息を吐く。
「まずは、礼を言わせてくれ」
真剣な声だった。
「先ほどアーサーに会った。見違えるほど元気になっていた」
その声音には、深い安堵がにじむ。
「あの子は笑っていた。心から楽しそうに……あんな顔は、初めて見た」
わずかに声が震えた。
「どれほど大切に育てられているか、よくわかった。タイロン、ミランダ、ラオウ殿……本当にありがとう」
リチャードは深々と頭を下げた。
タイロンが静かに答える。
「陛下、頭をお上げください。アーサー様は、もう我が家の一員、大切な家族です」
「そうか、そう言ってくれるか……」
リチャードの目に、光るものが浮かんでいた。
「もし、何か必要なものがあれば、何でも言ってくれ。できる限りのことをする」
「ありがたいお言葉ですが、陛下」
タイロンが僅かに眉を寄せた。
「目立った支援は、関係各所を刺激する恐れがあります」
その瞬間、リチャードの表情が曇った。
「……そうだな」
◇◇◇
沈黙を破ったのは、ミランダだった。
「陛下、王宮の情勢はいかがですか?」
「……厳しい」
リチャードが苦い顔をする。
「エリザベスの実家――ソルティス侯爵家が、静かに勢力を伸ばしている。表向きは大人しいが、裏では確実に根を張っている」
「ソルティス家……」
タイロンが低く呟く。
王国南西部の沿岸地域を治め、塩の生産と流通を独占する侯爵家。
その経済力と影響力は国内でも突出している。
オンタリオ領も、塩はソルティス家から購入している。
その依存関係を、タイロンは苦々しく思っていた。
「やはり、そうでしたか」
ミランダが、小さく息を吐いた。
リチャードが重く言葉を続ける。
「それから、アーサーの養育係とメイドたちを……処分した」
「処分……と」
「背後関係を調べ、罪に応じて処罰した。最も軽いもので、王宮より追放だ」
声には冷たい怒気が宿っていた。
「あの子を苦しめた者たちを、許すわけにはいかない」
タイロンが頷く。
「それで、背後関係は洗えたのですか?」
「……いや。残念ながらはっきりしたことは解らなかった」
リチャードが大きくため息を吐いた。
ミランダも口を開いた。
「我々の方でも独自に調査しました」
そして静かに告げた。
「アーサー様の乳母が辞めた件……その裏に、ソルティス家が関わっていた可能性があります」
「……何だと?」
リチャードの顔が上がる。
「確証はありません。ですが状況証拠はいくつもあります」
ミランダの説明は淡々としていた。
「乳母はローズ様の実家に縁ある子爵家の夫人でした。その弟君が、ソルティス家の縁戚に婿入りすることになり……その際に、乳母へ圧力がかかったようです」
「……」
「最初は断っていたようですが――『塩の流通を止める』と暗に示されたのでしょう」
リチャードが息を呑む。
「塩は生命線だ……領民を守るため、乳母は……」
「はい。最終的には従うことにしたようです」
ミランダの声には怒りが潜んでいた。
「他の侍従や護衛も、似たような形で離されていったと見ています」
リチャードは沈黙し、拳を固く握った。
◇◇◇
そして話題は王妃エリザベスへ移る。
「……彼女を責めるのは、難しい」
リチャードは苦しげに言う。
十代で輿入れし、突然大きな子ども二人の母になった少女。
最初は戸惑い、距離を置いただけだった。
だが、自分の息子クリスが生まれ――
その後、歯車が狂い始めた。
「レイノルドは、すでにある程度大きくなっていた。側近も後ろ盾もしっかりしていたし、何より既に王太子の座に就いている。エリザベス側も手を出せなかったのだろう」
リチャードが、顔を歪めた。
「だが、アーサーは違った。まだ幼く、母を亡くしたばかりで、頼れる者もいなかった。その影響を、モロに受けた」
「……」
「ただ、エリザベス自身がどこまで意図的だったのかは、判断がつかない。そもそも、未成年の子どもたちの側近に関する新規任命権は、王妃であるエリザベスにある。アーサーの周囲から人を離した後、後任の任命をほとんど行わなかったのが、意図的なものなのか、それとも単なる失念だったのか……。その点は、実家であるソルティス家の暗躍とは切り分けて考えるべきだ」
リチャードが、拳を握りしめた。
「ソルティス家は、クリスを次期国王にしたいのだろう。そのためには、レイノルドとアーサーが邪魔だ」
「レイノルド殿下は、大丈夫なのですか?」
タイロンが、心配そうに尋ねた。
「レイノルドは、自分で身を守れる。優秀な側近もいるし、何より本人が聡い」
リチャードが、少し安心したように言った。
「だが、アーサーは……私が、もっと早く気づくべきだった」
リチャードが、顔を覆った。
「私が、悪かった。私が、もっとアーサーのことを気にかけていれば……」
「陛下」
タイロンが、静かに言った。
「陛下、過去を悔やんでも仕方がありません。大切なのは、これからです」
リチャードは顔を上げる。
「どうすればいい?」
「今のまま、アーサー様を我々にお預けください」
タイロンは迷いなく言った。
「ここが、アーサー様の居場所です」
ミランダもうなずく。
リチャードは静かに微笑んだ。
「そうだな、それが今考えうる最善のようだな。
だが、私もなるべく会いに来る。手紙も書く。父としてできることをする」
「それで十分です。アーサー様は陛下を慕っておられますから」
「忘れるものか。あれは、ローズとの大切な子だ」
その言葉に、部屋の空気が柔らかくなった。
◇◇◇
その後、しばらく話し合いが続いた。
王宮の現状。
ソルティス家の動向。
アーサーの今後。
静かに、しかし真剣に語り合ううちに、夜は更けていった。
◇◇◇
リチャードが立ち上がる。
「そろそろ戻らねば」
「陛下、お気をつけて」
「また来る。またアーサーに会いたい」
ミランダが微笑む。
「いつでもお待ちしております」
リチャードは深く頭を下げ、静かに部屋を出ていった。
◇◇◇
残された三人は、互いの顔を見合わせる。
「……動き出すかもしれんな」
ラオウが静かに言う。
「陛下はお忍びとはいえ、護衛と魔導士を伴っている。ソルティス家に知られるのも時間の問題だ」
タイロンが険しい声を出す。
「そうなれば――」
ミランダが続ける。
「彼らは、動くでしょう」
「だが恐れることはない」
タイロンが断言した。
「アーサーは我々が守る。何があっても」
「その通りじゃ」
ラオウが力強く頷いた。
三人は静かに目を合わせた。
窓の外では、雪が静かに降り続けていた。
静かな夜――
しかし、その静けさに紛れるように、ひっそりと何かが動き始めていた。




