表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メンタルつよつよ令嬢ハルカはガリガリ王子をふくふくに育てたい!  作者: ふくまる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/13

第2話:キレイなモノ

アーサー視点のお話です。

 僕が覚えている一番古い記憶は、乳母だったらしい人が部屋を出て行った時のことだ。

 それまで使っていた広くてキレイな部屋から、ただ広いだけの薄暗い部屋に移された。


 そこで、僕は毎日震えていた。

 寒くて寂しくて、いつもお腹を空かせていた。


 その部屋には、古びた椅子とテーブルがあるだけ。壁には何の飾りもなく、窓は閉ざされていて、空気が淀んでいた。まるで、誰も使っていない物置部屋のようだった。


 誰も来ない。誰も僕を見ない。


 たまに侍女が食事を運んでくるけれど、それも冷たいパンと水だけ。固くて、噛むのが辛い。でも、それしかないから食べる。食べないと、もっと体が動かなくなる。


 服は古びていて、体に合わない。ぶかぶかの袖からのぞく腕は、骨と皮だけのように細い。


 鏡を見ると、そこには知らない子供が映っていた。艶のない黒髪、落ちくぼんだ頬、淡い空色の瞳。その瞳は、まるで何かを諦めたような色をしていた。


 これが、僕なんだ。


 アーサー・エヴァーランド。第二王子。


 侍女は無言で食事を置いて去っていく。時々来る養育係は、いつも数冊の本を置いて「読んでおいてください」とだけ言って、部屋を出ていく。


 兄上――第一王子レイノルドは、たまに廊下ですれ違うと、僕を見ていつも顔を背ける。冷たい視線が、僕の存在を否定しているようだった。


 現王妃エリザベス様は、僕のことを「あの子」としか呼ばない。そして、できるだけ関わらないようにしている。


 父上――国王陛下は忙しい。たまに廊下ですれ違っても、気づかれない。いや、気づいていても、声をかけられない。


 僕は、いない方がいいんだ。


 そう思うようになったのは、いつからだろう。


 母上のことは覚えていない。僕を産んで亡くなったと聞いた。だから、兄上は僕を憎んでいる。母上を奪った僕を。


 それは、仕方のないことなんだ。僕が生まれなければ、母上は死ななかったのだから。


 だから、僕は――。


 ある日、高い熱が出た。

 体が重くなって、呼吸するのも苦しくなった。

 侍女を呼ぼうとしたけれど、声が出なかった。


 魔力過多症。定期的に魔力を使わなければ、体を蝕んでいく病気らしい。でも、使っていい場所なんて知らない。使い方もわからない。


 熱い、苦しいーー僕は、このまま、消えてしまうのかもしれない。

 それでもいい、と思った。誰も困らない。むしろ、みんな喜ぶかもしれない。

 それなら、ここにいない方がいいだろう。


 僕は、ふらふらと部屋を出た。足が思うように動かない。廊下を歩いて、階段を降りて、中庭に出た。

 外の空気は冷たかった。でも、部屋の淀んだ空気よりは、少しだけ心地よかった。


 庭園は広く、色とりどりの花が咲いている。赤い薔薇、白い百合、紫の菫。どれも綺麗だけれど、僕にはまぶしすぎた。


 足が、もう動かない。


 庭の奥、生垣の陰に倒れ込んだ。誰も来ない場所。ここなら、邪魔にならない。


 空が見える。青い空。雲が流れている。


 僕もこのまま、あの青い空に溶けて行けたら――。

 そう思った。


 そのまま、目を閉じた。


 もう、いいかな。


 もう、消えてしまってもいいよね――。


◇◇◇


 次の記憶は、小さな女の子の声だった。


「ちょっと、大丈夫!?」


 誰かが、僕の肩を揺すっている。


「起きて! ねえ、起きて!」


 必死な声。温かい手。


 僕は、ゆっくりと目を開けた。


 そこには、小さな女の子がいた。


 赤みのある栗色の髪を三つ編みにして、煉瓦レッドのリボンをつけている。淡いアイボリーのドレスを着た、同じくらいの年の女の子。


 そして――。


 琥珀色の瞳。


 光の加減で金色にも見えるその瞳は、心配と慈愛に満ちていた。温かくて、優しくて、まっすぐに僕を見ている。


 その瞳を見た瞬間、僕は生まれて初めて思った。


 キレイなモノを見つけた、と。


「よかった……意識があるんだね。大丈夫? どこか痛い?」


 女の子は、僕の顔を覗き込んでいる。本当に心配そうな顔で。


 どうして?


 どうして、僕のことを心配してくれるの?


 僕は、何も答えられなかった。声が出ない。ただ、じっとその子を見つめることしかできなかった。


 その時、誰かがこちらに来る気配がした。


「ハルカ様! 何を……あっ」


 彼女の侍女だろうかー僕を見て一瞬息を呑んだ。


「この方は……第二王子、アーサー・エヴァーランド様です」


「アーサー様? 王子様なの、この子?」


 ハルカ、と呼ばれた女の子が、不思議そうに僕を見る。


 そして――。


 立ち上がって、侍女のところに戻った。


 ああ、やっぱり。みんな、離れていく。僕を見て、それから離れていく。


 でも、次の瞬間。


「お父様とお母様のところに連れて行く」


 ハルカの声が聞こえた。


 え?


「このままじゃ、この子死んじゃう!」


 ハルカと侍女が、僕を抱き起こそうとする。


 どうして?


 どうして、僕を助けようとするの?


 僕は、驚きで何も言えなかった。


 そして、気がつくと、侍女に抱えられて宮殿の中に運ばれていた。ハルカは僕の手を握って、一緒に走っている。


 小さな手。温かい手。


 初めて、誰かにこんなふうに触れられた。


◇◇◇


 そこから、すべてが変わった。


 ハルカの父親――タイロン・オンタリオ辺境伯が僕を抱き上げた。大きくて温かい人だった。


 ハルカの母親――ミランダ様が、僕に治癒の魔法をかけてくれた。柔らかな青白い光に包まれて、少しだけ呼吸が楽になった。


 そして、父上が来た。


 父上は、僕を見て顔色を変えた。


「アーサー……!」


 その声には、驚きと、そして何か別の感情が混ざっていた。


 僕は、初めて父上が僕の名前を呼ぶのを聞いた気がした。


 執務室に運ばれて、ソファに横たえられた。


 そして、温かいスープが運ばれてきた。


 ハルカが、僕の隣に座った。


「はい、あーん」


 スプーンにスープをすくって、フーフーと息を吹きかけて冷ましてから、僕の口元に運んでくれる。


 僕は恐る恐る口を開けた。


 スプーンが口の中に入る。山吹色のスープ。ほんのり甘い香り。


 そして――。


 温かい。


 優しい味。トロッとしていて、甘くて、ポカポカする。


 今まで食べたことのない、温かくて優しい味。


「……おいしい」


 思わず、声が出た。


 ハルカが、にっこりと笑った。


「そうでしょ? かぼちゃのポタージュよ。もっと食べられる?」


 僕は小さく頷いた。


 ハルカはもう一口、スープをすくう。フーフーと冷まして、また口に運んでくれる。


 それを何度か繰り返すうち、僕の体が少しずつ温かくなっていくのを感じた。


 冷え切っていた体が、ポカポカする。


 心も、少しずつ温かくなっていく。


 スープが半分ほどになった頃、僕は小さく呟いた。


「……ありがとう」


 ハルカの琥珀色の瞳が、優しく僕を見つめている。


「どういたしまして。もっと食べられる?」


 僕は頷いた。


 ハルカは最後まで、スープを食べさせてくれた。器が空になると、僕は名残惜しそうに器を見ていた。


 もっと食べたい。この温かい味を、もっと。


「また後で食べようね。今は少し休もう」


 ハルカが優しく言う。


 僕は頷いて、そっと目を閉じた。


 でも、ハルカが僕の手を握ってくれていた。


 温かい手。


 この温かさを、僕は忘れない。


◇◇◇


 目を覚ますと、大人たちが話している声が聞こえた。


 父上と、タイロン様と、ミランダ様。


 僕のことを話しているようだった。


 魔力過多症のこと。養育のこと。現王妃のこと。


 そして――。


「こんな小さな子をガリガリのままほっとくなんて信じらんない!」


 ハルカの大きな声が響いた。


 僕は目を開けた。


 ハルカが、小さな体をこれでもかというくらいに反らして、父上の前に立っている。昔、乳母がまだいた頃、僕を叱る時によくこんなポーズをとっていたな。

 

 ふふ、なんだか父上が怒られているみたいだ。


「誰もこの子に構わないというなら、私が貰って帰ります! いっぱいご飯を食べさせて、いっぱい楽しいこと教えて、ふくふくに育ててみせます。その頃になって返せと言われたって、返してあげないんだから!」


 ハルカの声は、力強くて、優しくて、温かかった。


 僕を、欲しいと言ってくれている。


 僕を、育てると言ってくれている。


 そして――。


「私がこの子をふくふくに育てて、大きくなったらお婿にもらいます!」


 その言葉に、僕の心臓が大きく跳ねた。


 お婿?


 僕を?


 父上が、声を上げて笑い始めた。


「そうか。其方が此奴をふくふくに育てて婿にもらってくれるのか! いいだろう。そなたに我が息子を預けよう。頼んだぞ! ハルカ」


 父上が、笑っている。


 初めて見る、父上の笑顔。


 そして、ハルカが僕の方を見た。


 琥珀色の瞳が、まっすぐに僕を見つめている。


「大丈夫だよ、アーサー。これから、いっぱいご飯食べて、いっぱい遊んで、元気になろうね」


 その言葉が、僕の胸に染み込んでいく。


 ハルカの手が、僕の手を握る。


 温かい。


 この人と一緒なら――。


 僕は、小さく頷いた。


「……はい」


 自分でも驚くほど、その声ははっきりしていた。


◇◇◇


 そうして、僕はオンタリオ領に来ることになった。


 父上が、僕に優しく声をかけてくれた。


「アーサー、オンタリオ領で元気になるんだぞ。父は、お前のことをいつも思っている」


 僕は、小さく頷いた。


「……父上」


 父上は、僕の頭を優しく撫でてくれた。


 初めて、父上に触れられた。


 温かかった。


「半年に一度は会いに行く。会いに行けない時は、手紙を書く。だから……元気でいてくれ」


「……はい」


 タイロン様が、僕を抱き上げてくれた。


「さあ、行こう。オンタリオ領には、あなたを待っている人たちがたくさんいる」


 僕は、タイロン様の腕の中で、ハルカを見た。


 ハルカが、にっこりと笑っている。


「ね、アーサー。向こうには、すっごく大きなお祖父様がいるの。熊みたいに大きくて、強くて、優しいの。きっと、アーサーのことも可愛がってくれるよ」


 それでも不安で、僕はじっとハルカを見つめた。


「大丈夫。みんな優しいから。それに、私がずっと一緒にいるから」


 その言葉に、僕の頬が少しだけ緩んだ。


 ミランダ様が転移の術式を組み始める。青白い光が足元に広がる。


「では、一緒に参りましょう」


 ミランダ様の声は、温かかった。


 光が僕たちを包む。視界が歪み、一瞬の浮遊感。


 そして――。


 次の瞬間、僕たちは広い場所に立っていた。


 広大な敷地。石造りの堅牢な屋敷。遠くには深い緑の森が見える。空は広く、風は爽やかだ。夕日が屋敷を赤く染めている。


 王宮とは、まったく違う景色。


 開放的で、温かくて、どこか優しい場所。


「ようこそ、アーサー。ここが、私たちの家だよ」


 ハルカがそう言った。


 家。


 僕の、家?


 僕は、大きな瞳で屋敷を見上げた。


 ハルカが、僕の手をぎゅっと握ってくれている。


 その温かさが、僕に教えてくれる。


 ここが、僕の居場所になるんだ。


 あのキレイな琥珀色の瞳を持つ、ハルカの側。


 そこが、僕の居場所になる。


 気がつくと、胸の奥から何かがどんどんと溢れ出してきて、僕の新しい家は滲んでよく見えなくなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ