第13話:黄金色の約束
アーサー視点のお話です。
オンタリオ領に来て、まもなく三ヶ月。
僕の体は、随分と変わった。体重は順調に増えて、背も少しだけ伸びた。
みんなと同じメニューを食べられるようになってきたし、少しずつ体を動かす機会も増えた。
最近では、パトラッシュとも仲良くなり、ハルカと一緒に散歩をしたり、庭で遊ばせたりすることも増えた。
僕の世界も確実に変わった。
目が合えば当たり前のように挨拶を交わし、同じ食卓で楽しく食事をする。一日の終わりに今日あったことを報告し合い、「おやすみなさい。いい夢を」と言い合ってベッドに入る。
部屋はいつでも清潔で、服は体に合った着心地のいいものが用意される。年齢に見合った教育の時間があって、自由に過ごせる時間もある。
好きなものを好きと言えるし、話したいと言えば耳を傾けてくれる人たちがいる。
「ありがとう」と「ごめんなさい」を誰もが躊躇いなく口にするし、「美味しい」「嬉しい」「楽しい」が一日に何度も口から溢れた。
僕はもう、外に出るのが怖くない。それどころか、楽しいと思えるようになっていた。
そして、今日——。
「アーサー、準備はいい?」
ハルカが嬉しそうに声をかけてくれた。
「うん」
僕は頷いた。
今日は、楽しみにしていたハルカの田んぼに行く日。今年最後の収穫作業を見学させてもらえるという。
馬車に乗り込み、ラオウ様とパトラッシュを護衛に、ワクワクした気持ちを抑えつつ僕たちは出発した。
◇◇◇
馬車がゆっくりと進む。
窓の外を眺めると、秋の景色が広がっていた。
色づいた木々。
収穫を終えた畑。
そして、人々の笑顔。
「わあ……」
僕は思わず声を漏らした。
こんなに綺麗な景色を見たのは、生まれて初めてかもしれない。
「綺麗でしょ? 秋のオンタリオ領は、私も大好きなの」
ハルカが嬉しそうに言う。
「うん……本当に」
馬車が進むにつれて、やがて黄金色の稲穂が見えてきた。
風に揺れる稲穂。
太陽の光を浴びて、キラキラと輝いている。
「あれが、ハルカの田んぼ?」
「うん。まだ試験開発中だからそんなに大きくないんだけど、豊作だったんだよ」
ハルカが誇らしげに笑った。
僕は、じっと稲穂を見つめた。
こんなに美しいものがあるなんて。
こんなに温かい景色があるなんて。
胸が、いっぱいになった。
田んぼに着くと、たくさんの人が働いていた。
作業はあちこちで進み、時折楽しげな笑い声が響いている。
「お嬢様、この品種も豊作ですよ!」
農夫の一人が嬉しそうに報告する。
「よかった。これもみんなのお世話のお陰ね、ありがとう」
ハルカが笑顔で答える。
僕たちは、木陰に案内された。
「アーサー、ここでパトラッシュと見学しててね」
「うん」
僕は、パトラッシュと一緒に木陰に座り、収穫作業を眺めた。
人々が、鎌で稲を刈っていく。
束ねて、運んでいく。
みんな汗を流しながら、でも笑顔で働いている。
そして、ハルカも一緒に働いている。
稲を刈って、束ねて、運んで。
その姿は、とても楽しそうで、輝いていた。
僕は、食い入るように見つめた。
ハルカの笑顔。
働く人々の笑顔。
みんなで協力して、収穫を終えていく。
こんな風景を、僕は見たことがなかった。
こんなに温かい光景を、知らなかった。
胸に何かが込み上げてくる。
ポタリと雫が頬を伝い、膝に黒いシミを作った。
「……僕、泣いてるの?」
パトラッシュが、心配そうに僕の方を見た。
「大丈夫だよ、パトラッシュ。悲しいわけじゃないんだ」
僕がそっと涙を拭うと、パトラッシュは小さく鳴いて黒い鼻を寄せた。
休憩時間になると、ハルカが大きな籠を持ってやってきた。中には、たくさんのおにぎりと卵焼きが入っている。
「これ、おにぎりっていうの。お米を握ったものよ」
「おにぎり……」
僕は、初めて見るおにぎりを手に取った。三角形で、海苔が巻いてある。
「食べてみて」
ハルカが笑顔で勧めてくれる。
僕は、恐る恐るかじった。
「……おいしい」
お米の甘み。
海苔の香り。
ほんのり塩味がついている。
「でしょ? おにぎりは、外で食べると特においしいの」
ハルカが嬉しそうに言う。
「こっちは卵焼き。食べてみて」
僕は、卵焼きも一口食べた。
ふわふわで、少し甘くて。
これも、とてもおいしかった。
「おいしい……」
僕は、もう一口、また一口。
止まらなかった。
外で食べるご飯。
みんなで食べるご飯。
働いた後に食べるご飯。
こんなにおいしいなんて。
ふいに、また涙が出そうになった。
どうやら今日は涙腺がゆるいらしい。でも、必死に我慢した。
だって、こんな青い空の下、美味しいご飯と幸せな時間に、涙なんて似合わない。
僕は全力で口角を上げた。やっぱり、こんな日には笑顔がいい。
◇◇◇
お昼を食べ終わった後、僕は再び収穫作業を眺めていた。
ハルカも、また作業に戻っている。
みんなと一緒に、笑いながら。
僕も、あんな風に働きたい。
みんなと一緒に。
ハルカと一緒に。
笑いながら、汗を流しながら。
そして、一緒にご飯を食べたい。
来年こそは。
来年こそは、僕も一緒に働けるようになりたい。
そのためには、もっと強くならなきゃ。
もっと体力をつけなきゃ。
握りしめた拳に、力を込めた。
ふと気がつくと、ラオウ様が僕の隣に立っていた。いつの間に来たんだろう? 気配が全然しなかった。
「アーサー」
「はい」
「お前は、ハルカが好きか?」
突然の質問に、僕は驚いた。
でも、答えはすぐに口を衝いて出た。
「はい」
「そうか」
ラオウ様が頷く。
「じゃあ、お前は、ハルカのために何ができる? ハルカと共に、どう生きる?」
唐突な問いかけに対し、僕は、質問の意味を少しだけ考えた。
それから、立ち上がってラオウ様を見上げた。
「強くなります。ハルカを守れるように。そして、ハルカの助けになれるように。そのために、できることは何でもやります!」
「強く、か」
ラオウ様が、少し厳しい顔をする。
「ハルカは、お前なんかより今でも十分強いぞ」
「……」
「ワシの孫娘は、お前だけではない、多くの子どもや動物を助け、寄り添い、生かしている。間もなく五十になるワシにもできないことを、あの歳で、笑顔でやってのける」
ラオウ様の声は、優しいけれど、厳しかった。
「それに、武力としてならワシもいる。タイロンもパトラッシュもいる。お前のその細腕では、何十年経っても超えられまい」
その通りだった。
僕は、弱い。
とても、とても弱い。
でも——。
「わかっています」
僕は、目に力を込め、まっすぐにラオウ様の瞳を見つめた。
「僕は弱くて、ハルカに助けられて、今こうして生きている。武力だって、ラオウ様はもちろん、パトラッシュの足元にも及ばない」
パトラッシュが、心配そうに鼻先を寄せる。大丈夫だよと心の中で伝えた。
「でも、僕は、ハルカにしてもらったように、疲れたら肩を貸して、涙を流す時には一緒に泣いて、その後、涙を拭いてあげられます」
ラオウ様が僕をじっと見つめている。
「もし、ハルカに不得意なことがあれば、僕がその分勉強します。外国語だって、土木事業だって。何だってやってみせる。僕は、ただハルカに守られるだけでも、ハルカを守るだけでもない、補い合って、一緒に歩いていける、そんなふうにハルカと生きていきたい」
僕の声は、震えていた。
でも、止まらなかった。
「だから、ハルカを僕にください」
僕は、深く頭を下げた。
「いつか、大きくなって、ハルカの望むような『ふくふく』になれたなら、僕をハルカの婿にしてください!」
静寂。
時間にすればほんの数秒だったのかもしれない。けれど、僕には何も聞こえなかった。
何時間にも思えた沈黙。僕は頭を下げたまま、じっと待った。
「ハハハ!」
ラオウ様が、大きな声をあげて豪快に笑った。
「そうか、ハルカの望むような『ふくふく』になって、婿になるのか」
ラオウ様が、晴々とした笑顔で僕の頭をワシワシと撫でる。
「よし、いいだろう。その覚悟があるなら、ワシも一肌脱ぐとしよう」
「本当ですか!?」
僕は、顔を上げた。
「ああ。お前を鍛えて、ハルカの立派な婿に育ててやる」
ラオウ様が、力強く頷く。
「ありがとうございます!」
僕は、またしても涙が出そうになった。
でも、ぐっと唇を噛み締めて我慢した。
僕は、まだ弱い。
でも、いつか強くなる。
ハルカの隣に立てるくらい、強くなる。
ラオウ様も手伝ってくれる。
今は、泣いている場合じゃない。
できることを増やしていこう。
体を鍛え、知識を学び、戦える武器を増やして、たくさんの味方を得よう。
ハルカのために。
ハルカと共にあるために。
ふと、ハルカが振り返ってこちらを見た。
慌てて僕は手を振る。
すると、まるで大輪の花が咲いたように、ぱあっとハルカの顔が輝いた。
その笑顔を、僕はとてもキレイだと思った。
ずっと側で見ていたい。強くそう思った。
(第一章 完)
お読みいただき、ありがとうございます!第一章はここまでです。
少しお休みをいただいてから第二章を描きたいと思っていますので、引き続き応援お願いします!
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