表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「たまたま」こそが、日常を揺らす最もリアルな魔法

浮かぶ人影

作者: さんご
掲載日:2025/07/14

ある夏の夜。


蒸し暑く、節約のためか窓を開けて過ごす住人も多いマンション。


22時ごろ、Aさんは自宅のリビングで静かに読書をしていた。


その時、突然


「キャアッ!」


という悲鳴と、怒鳴り声が重なって聞こえてきた。


続いて、ドンッ! ドンッ! と壁を叩くような音。


(……また上の階かな)


このマンションでは時々、夜中に口論や物音がする。


でも、今回は何かが違ってよりリアルになまなましい音がした気がした。


すぐに静かになったが、嫌な静けさが残る。


Aさんは不安になって、窓から外を見た。


マンションの斜め向かいの部屋がちょうど目に入った。


カーテンの隙間から、何かが見える。


天井近くに、人の影が浮かんでいる。


背が高すぎる。脚が床に届いていない。


浮いて見える。


それはゆらりと揺れていた。


(まさか……首吊り……?事件?)


Aさんは息を呑み、すぐスマホを手にしたが、


「でも、他人の家だ……間違いだったら大ごとになる」


度々こういうこともあり、いつも何事もなかったため、そう思い、通報するのを躊躇した。




翌朝。


ボタンを押し、エレベーターが下りてくるのを待つあいだも、胸のあたりがざわついていた。


あの浮かぶ影、あの音……いったい何だったのか。


「……おはようございます」


扉が開き、そこからスッと姿を現したのは――


昨夜の“あの部屋”の住人、Bさんだった。


あまりにタイミングよく現れたその姿に、思わずAさんの口から出たのは――


「うわ~幽霊!!」


Bさん、一瞬きょとんとする。


続いてAさん、慌てて両手を振る。


「い、いえ、ごめんなさい!あの、ちょっと昨日の夜が……」


……元気そうだ。いや、それどころか、いつも通りに機嫌が良さそうで、身なりも整っている。


「あはは!いや〜、すみません、騒がしかったですよね?昨日、夫がVRでホラーゲームしてて、すごい声出してたんです。もう、突然『うわあああ!』とか叫ぶから、こっちも心臓止まるかと思って怒鳴っちゃって」


「えっ、あ……そうだったんですか」


Aさんの顔が一気にゆるむ。


(VRゲーム……それで、あの悲鳴とドンドン音……)


「しかもそのあと、私が怒ってバタバタしてたら、彼、バランス崩して壁にぶつかっちゃって。


家具に足ぶつけて倒れ込んで、ほんと騒動でしたよ」


Bさんは苦笑まじりに肩をすくめる。


「あっ、それとですね、ベランダに吊るしてた洗濯物……人形のコスプレ衣装だったんですよ。


夜だったし、シルエット怖かったですよね?」


Aさんは、そこでようやく昨日の“影”の正体に思い当たり、目を見開いた。


「……あれ、人……じゃなくて、衣装……だったんですか?」


「そうそう、アニメの舞台衣装みたいなやつで。腕とか足とかついてて……


私も最初見たとき、『ギャアッ!』って叫びましたよ。ほんと」


Bさんがケラケラと笑うのを前に、Aさんは自分の緊張が一気に溶けていくのを感じた。


安堵と同時に、なんとも言えない脱力感に包まれる。


昨夜あんなに心配して、スマホまで握っていたのが嘘のようだ。


「……いや、てっきり、何か事件かと思って」


「えっ、事件!? うわ〜、ごめんなさい、そんな風に見えてたんですね。ちょっと夫にも言っときます、静かに遊ぶようにって」


Aさんは思わず苦笑した。


(あの“浮かぶ影”がコスプレ衣装で、あの騒ぎがVRゲーム……人間の想像って、すごいな)


Bさんと別れ、Aさんはエントランスを出ながらふと夜のことを振り返った。


ほんの一晩前、自分の中で作り上げられていた“真実”が、あまりにも滑稽に崩れ去っていたことが、今はなんだか心地よい。


そして、心の中でそっとつぶやく。


「……良かった。人じゃなくて、衣装で」


■勘違いは時に恐怖よりリアル。


音、影、想像力——


人はそれらで簡単に“真実”を作ってしまうもの。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ