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「たまたま」こそが、日常を揺らす最もリアルな魔法

浮かぶ人影

作者: さんご

ある夏の夜。


蒸し暑く、節約のためか窓を開けて過ごす住人も多いマンション。


22時ごろ、Aさんは自宅のリビングで静かに読書をしていた。


その時、突然


「キャアッ!」


という悲鳴と、怒鳴り声が重なって聞こえてきた。


続いて、ドンッ! ドンッ! と壁を叩くような音。


(……また上の階かな)


このマンションでは時々、夜中に口論や物音がする。


でも、今回は何かが違ってよりリアルになまなましい音がした気がした。


すぐに静かになったが、嫌な静けさが残る。


Aさんは不安になって、窓から外を見た。


マンションの斜め向かいの部屋がちょうど目に入った。


カーテンの隙間から、何かが見える。


天井近くに、人の影が浮かんでいる。


背が高すぎる。脚が床に届いていない。


浮いて見える。


それはゆらりと揺れていた。


(まさか……首吊り……?事件?)


Aさんは息を呑み、すぐスマホを手にしたが、


「でも、他人の家だ……間違いだったら大ごとになる」


度々こういうこともあり、いつも何事もなかったため、そう思い、通報するのを躊躇した。




翌朝。


ボタンを押し、エレベーターが下りてくるのを待つあいだも、胸のあたりがざわついていた。


あの浮かぶ影、あの音……いったい何だったのか。


「……おはようございます」


扉が開き、そこからスッと姿を現したのは――


昨夜の“あの部屋”の住人、Bさんだった。


あまりにタイミングよく現れたその姿に、思わずAさんの口から出たのは――


「うわ~幽霊!!」


Bさん、一瞬きょとんとする。


続いてAさん、慌てて両手を振る。


「い、いえ、ごめんなさい!あの、ちょっと昨日の夜が……」


……元気そうだ。いや、それどころか、いつも通りに機嫌が良さそうで、身なりも整っている。


「あはは!いや〜、すみません、騒がしかったですよね?昨日、夫がVRでホラーゲームしてて、すごい声出してたんです。もう、突然『うわあああ!』とか叫ぶから、こっちも心臓止まるかと思って怒鳴っちゃって」


「えっ、あ……そうだったんですか」


Aさんの顔が一気にゆるむ。


(VRゲーム……それで、あの悲鳴とドンドン音……)


「しかもそのあと、私が怒ってバタバタしてたら、彼、バランス崩して壁にぶつかっちゃって。


家具に足ぶつけて倒れ込んで、ほんと騒動でしたよ」


Bさんは苦笑まじりに肩をすくめる。


「あっ、それとですね、ベランダに吊るしてた洗濯物……人形のコスプレ衣装だったんですよ。


夜だったし、シルエット怖かったですよね?」


Aさんは、そこでようやく昨日の“影”の正体に思い当たり、目を見開いた。


「……あれ、人……じゃなくて、衣装……だったんですか?」


「そうそう、アニメの舞台衣装みたいなやつで。腕とか足とかついてて……


私も最初見たとき、『ギャアッ!』って叫びましたよ。ほんと」


Bさんがケラケラと笑うのを前に、Aさんは自分の緊張が一気に溶けていくのを感じた。


安堵と同時に、なんとも言えない脱力感に包まれる。


昨夜あんなに心配して、スマホまで握っていたのが嘘のようだ。


「……いや、てっきり、何か事件かと思って」


「えっ、事件!? うわ〜、ごめんなさい、そんな風に見えてたんですね。ちょっと夫にも言っときます、静かに遊ぶようにって」


Aさんは思わず苦笑した。


(あの“浮かぶ影”がコスプレ衣装で、あの騒ぎがVRゲーム……人間の想像って、すごいな)


Bさんと別れ、Aさんはエントランスを出ながらふと夜のことを振り返った。


ほんの一晩前、自分の中で作り上げられていた“真実”が、あまりにも滑稽に崩れ去っていたことが、今はなんだか心地よい。


そして、心の中でそっとつぶやく。


「……良かった。人じゃなくて、衣装で」


■勘違いは時に恐怖よりリアル。


音、影、想像力——


人はそれらで簡単に“真実”を作ってしまうもの。

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