着ぐるみバイト
チリリリ。
風鈴の心地良い音。夏と言ったらやっぱりこれ。
チリリリリリリ。チリリリ。
でも、心なしか風鈴と言うにはうるさすぎるような……。
チリリリリリリリリリリリ。
チリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ。
チリリリリリリッリリリリリリリリリリリリリリッ!
ガバッ。
あまりのうるささに私は思わず、飛び起きる。風鈴の音だと思い込んでいたそれは、携帯のアラームだった。アラームを止めて、スマートフォンに目をやると、液晶には八時十五分の文字が。しまった。このままだと遅刻だ。
慌てて準備をして、部屋を飛び出す。身だしなみなんて気にしてはいられない。バイトに遅刻するほうがまずい。
すってんころりんと転げ落ちそうな勢いで階段を下り、アパートの駐輪場に置いてある自転車にまたがると、そのまま猛然とした勢いで自転車をこいだ。
自転車でひたすら滑走すること十五分。見えてきたのは人気がなさそうな寂れた遊園地。ここが今の私のバイト先だ。大学二年にもなってまともにバイトをしていないことに痺れを切らした親から、どこでもいいから働けと発破を掛けられ、仕方なしに応募し内定。仕送りと奨学金で何とかなっているから、別にバイトなんてやる気はなかったのだけど、親には逆らえない。それに私自身ちょっとアルバイトをしてみたい欲はあったのだ。だから、夏季休暇の少し前から、働かせてもらっている。
さて、そんな私が遊園地でどんな仕事をしているかと言うと……。
「わー、クマ太郎だ!」
「本当だ! クマ太郎! 俺と勝負しようぜ!」
「クマ太郎! 握手して! 握手!」
遊園地には元気いっぱいなクソガ――失礼。お子様達が、着ぐるみの周りに群がっていた。中には力強くタックルしてきたり、着ぐるみを力強く叩いてきたりする子もいる始末。私が本当にクマだったら、お前達を食っているぞ。
冗談はさておき、今の私の仕事。それは着ぐるみバイトだ。寂れた遊園地のくせに、一丁前にマスコットキャラクターがいる。クマのクマ太郎、うさぎのうさぴょん、犬のワンキチ、猫のニャー美。何だこの統一感のなさ。税金を無駄に使った挙句、PRに失敗している自治体のゆるキャラか? そんなとりあえず動物から適当にピックアップしてきたと思われるキャラクター達を今の私は担当している。
この仕事をして初めて、着ぐるみとはどういうものなのかをちゃんと知った。
まず何といっても、暑さと臭さである。
職場によってはちゃんと暑さや臭い対策がされているみたいだけど、こんなチンケな遊園地じゃまともな対策が取られているはずもなく。
着ぐるみだし中が暑いのなんて当然だよねと考えていたけれど、想像以上だった。
あととても臭い。新手の拷問かと思うくらい臭い。
この遊園地には私を含めて何人か着ぐるみアクターがいる。数人で使い回している影響からか、中はもう悪臭まみれ。正直、暑さよりもこっちのほうが堪える。
そして、子供からのちょっかい。これが中々しんどい。
無邪気で何も考えていないからなのか、着ぐるみに対しては何をやってもいいと思っているのか、子供の中にはパンチやキック、果てには思いっきりグーパンチを叩きこんでくるやつがいる。中の人なんていないが着ぐるみの鉄則なので、声を出す訳にもいかず、叩かれてもひたすら耐えるしかない。
たまに叩かれたところがあざになったりするし、もう最悪。
でも苦しいことばかりじゃない。中には着ぐるみをとても喜んでくれる人達もいる。喜んでいる人達の目当ては着ぐるみのほうであって、中の人である私ではないけれど、それでも自分のことのように嬉しくなる。
根性のない自分が二週間程度バイトを続けられているのは、楽しんでくれるお客様のおかげだ。
それにしても、今日は何だか、いつにも増して子供の数が多いような。
それもそのはず。何て言ったって夏休み。辺鄙な場所にポツンとあるよく分からない遊園地にも子供達が沢山遊びに来るのである。腐っても遊園地。人を引き付けるのだ。
そのせいで、私はいつも以上に子供から容赦ないちょっかいをかけられている。
「なんだよ、このダセーやつ!」
ダセーと言うな、確かに私もださいし、微妙と思っているけど。
「おい、中に女の人が入ってるぜ!」
「マジ? どうやって分かったん?」
やめろ。中の人なんていない。クマ太郎は、クマ太郎なんだ。
「頭の被り物取っちゃおうぜ!」
「いいね、取ろう、取ろう」
倫理もへったくれもない理由で、一部のほぼ暴徒と化した子供達が大挙する。
着ぐるみの頭を取ろうとするなんて、何と惨いことを。監督するべき親は、現在繰り広げられている小競り合いを見て見ぬふり。この国の行く末が心配です。
そんなことよりも、この状況をどうにかしないといけない。押し寄せる子供を何とか押しとどめているけれど、それにも限界がある。
ランチェスターの第一法則、攻撃力は兵力数×武器性能で決まる。昔、どこかのサイトで見た言葉。つまり、性能が同じであれば、単純に数が多いほうが勝つと言うこと。
その法則が導く答え。それは私(着ぐるみ)の敗北である。
子供達に押しやられて、徐々に劣勢になっていく私。
頭を取られないように耐える体力ももはや限界に近い。
そんな時、急に子供三人が三位一体となって、私に猛タックル。これが決め手となり、バランスを崩した私はそのまま地面へバタン。その衝撃で、クマ太郎の頭が勢いよく後方へと飛んでいく。
「わー! やべー! やっちゃった!」
「おい、マジでやばいって!」
見事クマを打ち取った子供達が、好き勝手に勝鬨を上げる。周りには、泣いている小さい子供もちらほら。そりゃあ、いきなりマスコットキャラクターの首が飛んだら、私だってビビる。
「お、お、お前ら……」
悔しいやら、恥ずかしいやらでない交ぜになる感情。そして上がるボルテージ。今の私は冷静さを欠いていた。
「お前ら全員しばきたおす! 覚悟せえ!」
「わー! キレた!」
「やべー! 逃げるぞ!」
散り散りになって逃げ惑う子供達を追いかけ回す。今の私は熊のよう。
――そして、暴れまわること数十分。
「あのね、申し訳ないけど君、首ね」
「え、あ、はい」
私は遊園地のオーナーに怒られていた。冷房が効く涼しい室内でこっぴどく。
「着ぐるみの首が取れちゃったのは仕方ないとは思うけど、その後がねぇ。気持ちは分かるけど、そこは我慢しなきゃ」
「おっしゃる通りです……」
「所詮、子供がやったことなんだからさぁ……」
ぐうの音も出ない。けれども、あそこでガツンと言わないのは私のプライドに反していた。着ぐるみアクターとしては完全に負けだが、人としては勝ったと思いたい。いや、これは負けたと言うべきなのか。
何はともあれ、私の初めてのバイト経験は、首を取られて、首になるという残念な結果に終わった。アルバイターという着ぐるみを脱ぎ捨てて、クズ大学生へと逆戻り。
それでも、
「まあ、何とかなるでしょ」
楽観主義な私は今日あった出来事など忘れてしまったかのように、のほほんと岐路についた。
次はどんなアルバイトをしよう。また、トラブルを起こしてやめてしまうのか。それとも案外問題なく続けることができてしまうのか。
私のアルバイト伝説は始まったばかり。