交わらぬロマン
ノートマン公爵家は、元々辺境伯として国境の守りをしてきた歴史ある家柄だ。
大陸に位置するアクイテイン地方を治めることもあり、大陸の物流や情報を掌握し、大きく栄えたことで有名だ。
ノートマン家の存在意義が大きくなるにつれ王配を出すようになり、その結果今の王族とも縁が深い。
もちろん、そんなノートマン家の城は豪華絢爛。
不思議そうに辺りを見回すアリエル以外は、皆がその絢爛さに圧倒され緊張している様子だ。
久々の訪問となるジョアンナは、別の意味で緊張していたが。
「粗末な衣服だな。僕が吟遊詩人として諜報活動をしている時ですら、こんな衣服は着ないぞ。お祖父様に会う前に、君も君の従者達も着替えさせるからね」
リシャールは苦々しい顔でそう言って、一行の身なりを整えるよう指示してくれた。
五年ぶりになるだろうか。
ジョアンナは、シンプルながらもきらびやかな重いドレスに袖を通しながら、久しぶりの貴族社会への復帰に緊張していた。
これが、自分からミリアムに剣を向ける最初の一歩となる。
「ジョアンナ様……ああ」
「ジョアンナ様〜。すてきよー!わたしまでこんな服、着れるとは思わなかったわー。」
「あは。二人も綺麗だ!……」
髪をまとめたヘレナが声を上擦らせ涙目で感極まるのを見て、ジョアンナも嬉しさに言葉を詰まらせる。
しかし間髪入れずに、思いっきりアリエルに抱きつかれてしまう。
ヘレナとアリエルも、多少日焼けはしているがすっかり令嬢らしい格好になっている。
皆で正装ができる機会に恵まれたことを噛み締め、改めてジョアンナの胸が熱くなる。
「……!」
ノックをして部屋に通されたリシャールが、アリエルを見て固まっている。
不思議に思ったジョアンナが声をかけようとする前に、アリエルが気がついた。
「うふふー。リシャール様、素敵な服をどうもー」
ジョアンナから体を離すと、満面の笑みで白と若草色のドレスを見せびらかす。
ジョアンナの気難しい従兄は、顔を耳まで真っ赤にして顔を背けてしまった。
ジョアンナですら、こんなリシャールは初めて見る。
対してアリエルは、このような挙動の人間を見るのは初めてなのか、不思議そうに首を傾げている。
「あらー、いきなりどうしたのかしらー?熱にしては急なことねー。」
「あ、アリエル……これは……うん……」
リシャールのおでこに、手を当てようとするアリエル。
ジョアンナはどうしていいのか分からず、生温かい目で見守ろうとする。
しかし、リシャールは調子を取り戻してきたようだ。
「ごほ、ごほん。……フン。お母様のドレスだが、結構様になっているようで何より。『ジョー』、君も野蛮な賊と共に育ったにしては、気品が保たれていて好ましいよ。話し方のほうは、可愛らしさも美しさもなくなってしまったがね」
行こう、とリシャールにエスコートされ、ジョアンナ達は公爵の元に向かう。
「あなたは相変わらずだな、『リリ』。昔話がしたいなら、そう言ってくれたらよかったのに。私も話したいことが山ほどある。視察について行った時に、二人で砦で迷った時のことなんか、ね。あなたはどう思っているか知らないが、あの時『リリ』が……」
「!あー……失敬、ジョアンナ。」
このような遠回しな会話も、久しぶりだ。
海賊の一員になって初めて出会った貴族が従兄のリシャールでよかったと、ジョアンナは改めて思った。
「お祖父様、リシャールです」
「入れ」
会議室には、すでに着替えてすっきりとしたアーサーJr.とポルクスが座っていた。
そして奥には、細身の老人──ノートマン公爵ギヨームが静かに座っていた。
リシャールと同じ空色の瞳は、晴れ渡る空のように澄み切っている。
まるで全てを見通すかのような、濁りのない真っ直ぐな目だ。
「……大きくなられましたな、ジョアンナ様」
その言葉に、ジョアンナは胸がいっぱいになって涙があふれそうになった。
ギヨーム老は優しく笑うと、スッとリュートを取り出してポロポロと爪引きながら、叙事詩を語るかのように低い声で話し出す。
「──かつての赤竜王は、円卓海賊団として旅をして命を落とした。そしてこのアーサー・ドレーク船長……彼はミリアム女王の兄、そして隠された亡きアーサー王子。ジョアンナ様は赤竜王と湖の乙女に導かれ、王として聖剣カリバーンと妖精アリエルを得た──まことに悲しく美しい物語だ、そう思わぬか?リシャール。やはり彼女こそが、我々が『仕えるべき主』でいらっしゃるのだ」
ジョアンナは、数々の悲劇に対して彼が「物語」という言葉を使ったことに内心ムッとする。
しかし感情的になりすぎていると思いとどまり、黙って口をつぐんでいた。
「ジョアンナ様、貴女が王として新しい時代を切り開くのです。そして我々は貴女を支え、見届ける者としてありたいのです。」
このノートマン公爵家は諜報活動を兼ねて、皆が吟遊詩人としての活動をしている。
その影響か、ロマン第一主義とでもいうべき悪癖があり、視点もどこか引いた客観的なところがある。
それは、横で目を見開き言葉を失っているリシャールを除いて、だが。
「な……に……?」
「とりあえず、ウチの『王様』を座らしちゃくれねーか?リシャールさんよ。」
ニヤリと笑ったアーサーJr.に向かって、リシャールはギラリと睨みつける。
リシャールにとって、アーサーJr.は相性がよくないのかもしれない。
冷静を努めようとしている彼だが、ジョアンナの前以上に余裕がない。
アーサーJr.のストレートな表情や物言いが、リシャールには薪のように感情を燃え上がらせてしまうので余裕を失わせてしまっているのかもしれない。
またジョアンナには彼の態度が、アーサーJr.に苛立ったからだけではないと感じた。
皆がいる前で感情を出してしまったことや、ジョアンナ達の事情を知ったことから来る焦りや罪悪感を隠そうと、強い言葉を出してしまったところが大きいのだろう。
かつて砦で迷った時も、リシャール少年は熱を出して不安に泣く幼いジョアンナに「泣いても何にもならない、泣くのはやめるべきだ!」と怒鳴り、穏やかなジョフロワに珍しく怒られていた。
あの当時、彼なりになんとかしようと頑張ってくれていたことは、ジョアンナとメイドのヘレナには分かっているのだが。
なぜならあの後、彼は不器用ながらも言葉を尽くそうとしてくれたのだから。
ちょうど、着飾ったアリエルの前で見せたような動揺をしていたのだけれども。
「……ふ……おや、失敬。しかし、軽率な発言はよろしくないね。『主人』を危険に晒すような言動をする、愚かで軽率な『部下』もいたものだ。どうやら、今の立場を分かっていないらしい」
「……ぐ。こいつ……!」
「くっ……」
やはり、アーサーJr.やポルクスには伝わっていない。
貴族として、諜報に携わる者として、感情を出さないよう叩き込まれていたからだろうか。
ジョアンナが幼い時以上に、リシャールは冷徹な仮面の表情を崩さない。
思わず口を開こうとした時、リュートの穏やかな音が争いを鎮めるように、ジョアンナの胸に穏やかに響く。
「貴女方の事情は分かりました。しかしながら、我々も事情が色々ありましてな。ここ最近は──」
ギヨーム老が話し始めた時、「失礼いたします」と騎士の声が割って入った。
「報告を。」
「ジョフロワ様が、再びベノワック湖に現れました。例の黒い鎧の騎士と一緒です。以前もあの妙な魔法を使うと噂されている騎士が来るたび、ジョフロワ様は寝食も削って書物庫に籠って古文書を読み漁っていて、おかしな様子が目立ちましたが……」
「あの女王の狗と、か……分かった。下がれ」
ジョアンナは、椅子を引いてくれたリシャールが重いため息をつき、恐ろしい形相でツカツカと自分の席へ戻っていくのを見送る。
「フン、誰も彼も『王』だの『仕えるべき主』だの──くだらない。僕は現在の当主であるお祖父様に従うだけ。ノートマン家の方針に従えないなら、たとえ実の息子だろうと……僕の父だろうと、罰するべきでは?」
「ならお前は、儂が死んで次期当主の代になれば、大人しくジョフロワに従うのだな?お前も色々言いつつも、ミリアム陛下のやり方は快く思っていないようだったが?陛下が重用する湖の乙女ビビアンの恐ろしさも、我々がよく知っているだろうが。」
ギヨーム老の問いに、リシャールは押し黙る。
「ノートマン公、もしかして事情と言うのは……」
「お恥ずかしながら、現在ノートマン公爵家は割れておりましてな。ジョアンナ様を王にと推し『妖精と共存する国』を目指す我々と、陛下を支持し『妖精の支配する国』を目指す貴女の叔父・ジョフロワとに……。」
ジョアンナの心臓がギュッと締め付けられる。
かつてこのノートマン公爵家で共に笑った家族が、ジョアンナの戦いによって剣を向け合っている。
幼いジョアンナの手を繋ぎ、リシャールと穏やかに笑っていたジョフロワが裏切るなぞ考えたくもない。
しかし、だからといって引き下がるわけにはいかない。
ジョフロワのことも、まだ説得する希望を捨てなくてもいいはずだ。
今はただ、ミリアムのもとに一歩踏み出す。
「詳しく聞かせてほしい」
ノートマン公爵家は、アーサーJr.とミリアムにとっても縁が深い家なんですよね。
ノルマンディーに名前だけアキテーヌを足して魔改造したのがアクイテイン地方ノートマン公爵領です。現実に即すと広すぎる。
ギヨームとジョフロワとリシャールはフランス読みです。
みんな響きがかっこいいですよね。