嘘
姫は、円卓海賊団の一員としての生活を始めることになった。
この海賊団には、一つのルールがあった。
船の指揮を取る船長以外は、皆が平等。
姫もまた、「姫サン」という愛称で呼ばれているが、ヘレナと共に最低限力の無い少女でもできる仕事はすることになっている。
護衛騎士のポルクスは、姫のそばに駆けつけられる仕事を任せられることになった。
姫の主な仕事は、コックの補助だった。
彼女は樽の中から乾パン・りんご・干し肉といった食料を取り出したり、水やビールを用意する。
その管理も任せられている。
驚くことに、姫一行とアーサーJr.以外は食べ物をあまり摂らず、酒ばかり飲んでいた。
姫は心配になってコックに尋ねてみたところ、「海賊はマズい保存食より、つまらない海の上でも楽しめる酒を好むんだ。心配することじゃあない。姫サンもメシより酒の割合が増えたら、完全に一人前の海賊だな」と笑われた。
幸運なことに、コックの言葉は今のところ姫には当てはまっていない。
姫は食事の前後には食料の管理をし、ヘレナとコックの調理した食べ物を皆に配る。
夜にアーサーJr.と船長室に呼ばれると、船長直々に現在の航路についての説明や、次の目的地についての歴史や情勢についての教えを受ける。
姫とアーサーJr.が疲れ、勉強に身が入らぬ様子を見せた時には、甲板で星見の授業や剣術、ダンスの授業をしてくれた。
粗野に見える船長だが、本当に何でも知っていて底が知れない人だ。
姫は見張りの船員達や船長の右腕の男に野次を飛ばされながらも、うっかり人恋しくなり、船長にリードされて踊っていたい気持ちになってきてしまった。
王宮では優しい母がいて父王からは昔溺愛されたが、それきりで今はパタリと訪れがない。
メイドの噂話から聞いた話では、他に新しい愛人ができたとのこと。
そんな中、前を見て政務をこなす母を助けたくて、姫は幼いながらも努力を重ねてきた。
ダンスも得意ではないが、それなりにはできるようになった。
「姫サンは本当に努力の人のようだな。モーガンも相当褒めていたが、この歳で、ここまで全てにおいて努力を重ねるのは、とても難しい。」
「わ……!」
気難しい船長に褒められ、母親にも認められていたことを知り、姫は喜びに目を輝かせた。
そんな姫の頭をわしわしと撫で、船長はアーサーJr.に手招きする。
「ふ。おい、『アーサー』!お前も爪の垢を煎じて飲ませてもらえ」
「えっえっ、俺が姫サンと踊るのか?!」
船長のエスコートに打って変わって、背中を押されたアーサーJr.がぎこちなく姫の手を取る。
頑強な船長の手と違い、姫と同じ子供の小さな頼りない手だ。
しかし真っ直ぐで力強く握られて、彼の小さいながらもあふれるパワーとまぶしさにドキリとしてしまう。
「へへ……一緒の船で過ごしたり勉強するだけでもありえねぇってのに、姫サンと手を握って踊るって思ってなかったな!さすがに緊張しちまう。あんたも予想外だろ?」
黄金の瞳を煌めかせ、アーサーJr.は照れくさそうに言う。
畏れ多いという様子は一切なく、ただただありえない出会いの二人が手を取って踊るこの状況にワクワクしているようだ。
同じ黄金の瞳を持つ腹違いの姉とは、対照的な表情だ。
彼女はいつも、父親を独占していた自分に恨みを込めた視線を向けていた。
姫が姉から父親を奪ったのだ。
「そうですね。……ジョーの周りにも、Jr.さんのような人はいませんでした。楽しい、です」
彼の純粋な喜びに触れて、姫は自分に課した使命や目標を忘れ、ただの子供のように踊った。
そのうち姫に悪戯心が芽生え、わざとステップを早く刻んでみる。
「おい、お前な……」
「ふ。せっかくだから、今から踊り終わるまでジョーについてこれるか、勝負です!」
「はぁ?!おい、足踏んでもしらねーからな!くそっ……」
こうして、急に始まったジョアンナ姫の航海は、予想外に楽しいものになった。
しかし、1ヶ月後のこと。
補給のために訪れた港町で、円卓海賊団は衝撃的な事実を知る。
突然国王が不摂生で倒れ、帰らぬ人となってしまったのだ。
そして空いてしまった玉座は、2人の彼の娘によって争われることになるだろうと。
1人は姉であり、国民に惜しまれつつも亡くなった前王妃ジェニファーの娘・ミリアム。
もう1人は妹であり、「野心に溢れ享楽的」とされる「かつての愛人」モーガンの娘・ジョアンナ。
父国王にないがしろにされたものの王位継承権を復活させた姉ミリアムと、後ろ盾を無くした妹ジョアンナでは、姉の方が優位だった。
実際、ジョアンナ側の貴族は教会過激派と結託して多数処刑され、ミリアムが女王になっていた。
モーガンも、処刑された者の一人だった。
現在、行方不明になったジョアンナを処刑しようとミリアム女王とその配下達が動いているらしい。
「あ……あ……」
ジョアンナは、言葉を失った。
「申し訳ありません、姫様……。王妃様は、私達に貴女様を守り抜けと仰せでした」
「黙っていて申し訳ございません」
「……ちょっと、一人にしてください」
ヘレナとポルクスも家族を失い、弔うことすらできずに愕然としていたが、ジョアンナの手前心を奮い立たせて海賊として働き続けていた。
三人の悄然とした様子と空元気が痛々しかったが、アーサー船長をはじめとした円卓海賊団のクルーは、三人を正式に家族として受け入れた。
ジョアンナは「姫」からただの「ジョー」となり、船員としての雑用をこなし、航海知識の勉強を重ねていく。
しかしアーサー船長だけは、頑なにジョアンナに「姫」としての教養を教え続けた。
たとえ本人に拒絶されることがあっても。
そして、さらに三年後。
悲しみを乗り越えたジョアンナは、男勝りで勇敢な少女へと成長した。
アーサー船長から手解きを受けたジョアンナは、船長候補のアーサーJr.と船長の右腕であるイザールと共に、地図と星の記録を広げていた。
それはアーサー船長から課された、船長昇格へのミッション──幻のアヴァロン島への到達のためだ。
「おい、ジョー。そろそろ保護者が寝るよう呼びにくるから、程々にしてくれよな」
「放っておけばいい。ヘレナとポルクスは、私が海賊として生きることに反対しすぎなんだ。もう私は姫じゃないとあれほど言ったのに、船を去ろうともしない」
「ガハハ!そりゃ無理な話だろよ!!!」
ガラガラの声で爆笑するイザールに、ジョアンナはムッとしてぺちりとチョップをかます。
アーサーJr.もヒヒッと釣られて笑った。
ジョアンナも分かってはいる。
優しい二人は、ジョアンナを見捨てられないのだ。
しかしジョアンナも、最早海賊として生きるしか希望のない身の上。
二人には付き合わせたくはなかった。
それに今は母親の言っていた通り、この国の様々な顔を見てみたいのだ。
例え無意味でも──王になれないとしても、母親が大切にしてきたこの国の姿を見たいのだ。
「ジョーのことが心配なんだろ。ま、俺はジョーが船員になるのは嬉しいけどな。むしろ船長になってくれても……ッ!」
カラカラ笑って萎びたりんごをかじるアーサーJr.に、ジョアンナは思いっきりデコピンをする。
「いってーな!なにすんだよ!」
「お前に譲られるのは癪だ、と何度も言ったはずだが。私は、お前がこんなところで燻るには惜しい教養を身につけているのをもう知っている。ヘラヘラして本気で取り組まないなら、絶交だ」
ジョアンナの言葉にアーサーJr.はニヤニヤ笑い、ジョアンナの背中をバシバシ叩く。
「はは、相変わらずの頑固者〜。妹分に本気で船長やらすわきゃねーだろ?」
「誰が妹だっ!拾い子で何歳かも分からないんだから、お前より私が年上かもしれないとは思わないのか?」
「船での先輩は俺だから、妹分なことには変わりないだろうが!」
部屋にノックの音がする。
ジョアンナは渋々、扉を開ける。
立っていたのはポルクスだ。
しめた、とジョアンナはほくそ笑む。
「ポルクス、今いいところなんだ!もうちょっとだけだめ……か?本当にちょっとだけだ!」
「ジョー様、それは……」
ポルクスは、ジョアンナのおねだりにたじろぐ。
はじめは護衛騎士として立場を弁えていたが、新女王即位後からは甘い長兄とお転婆な末妹のような関係性になっていた。
そして、ヘレナはしっかり者の姉だ。
「ポルクス……!貴方は少しジョー様に甘すぎではなくて?ジョー様も、ポルクスの心配する気持ちが分かるなら、少しはお体を大切にしてくださいまし!」
「ぶはは!ジョー怒られてやんの!じゃーおやすみジョー様〜」
「……ッ!おやすみ……」
ふいっと行こうとするジョアンナに続き、イザールもどっこいしょと腰を上げる。
「どっこいせ。オレは年寄りだから、嬢ちゃん達と一緒に部屋に戻るかな。Jr.も適当に寝ろよ」
「おうよ」
◆
ジョアンナが保護者に連れられていくと、アーサーJr.は引き続き星の記録と向き合う。
ジョアンナの予想では、幻のアヴァロン島の位置を割り出すためには赤く輝く星を見つける必要があった。
その星の位置を記録から割り出せないため、二人は困り果てていたのだった。
アーサーJr.はため息をついて部屋を出ると、空を見上げた。
彼がアヴァロン島を突き止めるのに積極的ではないのは、アーサー船長の狙いが分からないからだった。
ジョアンナ達を預かったことも、拾い子である自分に教育を施したことも、船長候補として課題を出してきたことも、全て隠れた目的がないと不可解な行動ばかりだ。
亡くなったモーガン王妃との繋がりも、分からない。
アヴァロン島に行けば、何かが大きく変わってしまう。
そんな気がしてしまうのだ。
「……あ」
白く輝く巨星の側に、赤く輝く星が重なって見えた。
アーサーJr.はゴクリと唾を呑み込むと、乾いた笑いを漏らす。
心臓が早鐘を打つ。見つけてしまった。
その白い巨星と赤い星は、まるで建国神話に出てくる敵国を表す「白い竜」と、この王国を表す「赤い竜」を思い起こさせる。
それはアーサーJr.達を待ち構える、強大な運命を示しているようで。
「さっさと島に行けってか……はは」
アーサーJr.は、急いでジョアンナの部屋に向かった。