打破
ジョアンナはリシャールに客間に通されると、アーサーJr.に付き添われてカウチソファに座らされた。
黄昏時、燃えるように赤い夕陽が部屋の中を照らしていた。
何だか急に体が酷く重たくなり、体温までも下がって体の芯から凍えるようだった。
「おいお前、顔色が急に悪くなりすぎだ!……俺がここにいてもいいか?」
急な異変にアーサーJr.は血相を変えるも、ジョアンナは首を横に振る。
いや、勝手に動いていた。
しかし今は、皆に情けない姿を見られたくないのも事実。
「……そーかよ。なら、ヘレナやポルクスは?アリエルは?」
「無理……」
また言葉が勝手に出ている。
それもジョアンナには、水の中で出すようなくぐもった声に聞こえる。
ジョアンナはおかしいと思いつつも、それをなぜか口に出す気にはならなかった。
「アイアイ。ならまたすぐに出直すから、今だけでも素直だった小さな姫サンに戻っちまえよ。な?……俺はお前を置いて行かねー。それは、王になってもならなくても関係ねーよ。」
ジョアンナの返事を聞いたアーサーJr.の手が、うつむき膝を抱えるジョアンナの頭にポンと優しく触れた。
「お前を守るって決めたからな」
遠ざかる気配と扉の閉まる音を聞き届け、ジョアンナはスンと小さく洟をすする。
アーサーJr.の手が触れたところの温かさがジョアンナの心まで沁みて、涙を止めさせてくれない。
ジョアンナの脳裏に、円卓海賊団の下っ端として過ごした、アーサーJr.との冒険がよみがえる。
初めて訪れる街も島も、いつも彼が笑って手を引いて導いてくれた。
実の兄と知る前から、アーサーJr.はジョアンナの大切な家族だった。
だのに、アーサーJr.に気遣わせてしまった。
泣きたいのは、真実を知ってやるせない彼の方だろうに。
「う……うう……」
でも、この胸が引き裂かれたようにジクジクと痛んで苦しいと叫ぶのだ。
母親の、赤竜王の、そしてヘレナとポルクスの家族も含めた民らの犠牲の上に成り立つのがこの命だというのに。
孤独な王宮で母を目指した王女時代よりも、謗られながらも皆と笑い合える今が続いてほしいと望んでしまっている。
王になると希望を口にしていながらも、王にならない今が続けばよいと思っていることに気がついてしまった。
こんな自分が、皆の元に戻れるわけがない。
だからといって、この整えられた部屋に引きこもり続けるのはもっとダメだ。
「……ダメ、なのに……っ」
悲しみに浸りたいという気持ちから、立ち直れない。
──本当に?
ジョアンナは、自分の心から上がった声に驚き顔を上げた。
耳から拾った声でないことは分かっていても、思わず辺りをそわそわとうかがってみる。
そこで初めて、やけに空気が重たく湿っぽいことに気がついた。
──窓を見て、ジョー。
日が落ちて、外は闇に呑まれつつある。
ジョアンナは不思議な声に促されて窓辺に立つと、ジョアンナの顔をした「誰か」がそこにいた。
「?!」
ジョアンナと「誰か」と怪しく光る目が合った瞬間、ジョアンナは突然気が遠くなり、その場で「溺れた」。
ちょうどそれはアヴァロン島で、ニビアンの悲しみの奔流に圧倒された時のようでいて、それ以上の苦しさだった。
「あ……、ぐ、が……っ!」
──ヒヒ!かつての赤竜の王に仕えた賢者のように、訳もわからないままお前を殺してやる!わたくし達とミリアム様の治世はすぐそこだ!!アーッハッハ!
窓に映るのは、ジョアンナの体に取り憑く水の妖精──ベノワック湖の乙女の一人、ニビアンだった。
──モーガンの影に囚われ、無念のうちに死ぬ哀れな姫!ミリアム女王のような強靱な意志もなく、結局「愛するお母様」のお人形としてしか生きられなかった!優秀なわたくしのお母様に及ばない、可哀想な可哀想な道化の母娘!!!
パニックになり暴れもがくも、気が遠くなっていく。
こんな死に方があるだろうか。
ここでどうせ死ぬ運命ならば、情けなくてもみっともなくても本心を伝えていればよかった。
もっと旅をしたかったと。
皆が大好きで、ずっと一緒にいたかったと。
いや、まだ終わっていない。
「……私と、お母様が道化?そんな馬鹿な。」
ジョアンナは目を開き、苦しみの中何とか聖剣・カリバーンに手を触れる。
体が熱くなり、頭が戦闘態勢へと覚醒する。
「支配することしか考えていない貴様達に、私が……お母様が劣るものか!!!」
聖剣の力は、ジョアンナに眠る湖の乙女の力をも呼び覚まし、身体を乗っ取るニビアンの気配をとらえる。
要領は、エレインとの実戦で分かっている。
(ニビアンの水の主導権を、こちらが握ってやる!)
「うぐうっ……!」
ジョアンナは全身全霊で、体にまとわりつく水の力を塗り替えていく。
予想外の力の覚醒に驚いたのか、人間の姿の形を取ったニビアンは、ジョアンナから離れて膝をついた。
その衝撃で、ベランダの窓が開く。
「ジョアンナ様!!」
ベランダから風が吹き込み、アリエルの姿に変わる。
咳き込みむせるジョアンナをかばって、アリエルはニビアンに立ち向かう。
「サイコラクス湖の飼い犬の、風の妖精……!」
「あらー?ビビアンの言いなりのあなたにだけは、絶対ぜーったい言われたくないわねー。退屈かもしれないけど、エレイン様はわたしが選んだご主人様だものー。あなたたちみたいなつまんない妖精に束縛されるのはごめんだから、何としてもジョアンナ様に勝ってもらわないと……ね。こんなところで楽しい旅が終わっちゃうなんて、認めないわー。」
ジョアンナを振り返ったアリエルは、毒気のあるイタズラな笑みを浮かべていた。
ジョアンナも力強く頷いて立ち上がると、再び聖剣・カリバーンを構える。
たとえ王じゃなくても、ジョアンナについてきてくれる人がいる。
だからこそ、ジョアンナは王として皆を守りたい。
──敵から目を離すな、ジョー。俺のように道を切り拓きたいなら!
そう、彼のような──偉大な赤竜王アーサーのように。
「ジョアンナ!!!」
アーサーJr.とリシャール、そしてポルクスを含めた騎士も集まった。
ジョアンナは兄と慕う者達に笑いかけると、光る聖剣を手にニビアンに突撃した。
「やああーーっ!!!」
ジョアンナは一気に距離を詰め、ニビアンを右に切り払う。
ニビアンはとっさに水の壁を作って防御しようとするが、ジョアンナの瞳が光ると水に干渉し、壁は無効化した。
「何っ……?!」
ニビアンの水色の髪が舞い落ちたかと思えば、水飛沫となり弾け飛ぶ。
水のつぶてがジョアンナの頬を濡らす。
焦ったニビアンは超速で水を連射してジョアンナを切り刻むも、王としての使命を得た彼女は止まらない。
血が滲もうと、湖の乙女の力が瞬時に怪我を癒してくれる。
ニビアンは歯を食いしばって水の刃を手に向かってくるが、ジョアンナは怯まない。
敵を見すえ、聖剣を振りかぶる。
「?!……く……っ、モルゴース様さえ、味方になって……いれば……!お母様をも……しのぐ、力を……」
ニビアンの胸を、ジョアンナの細剣が貫いた。
ジョアンナはさらに踏み出し、ニビアンにさらに深く聖剣を突き刺した。
「……誰が敵だろうと、私は次の王となるべく負けられない。お母様の意志など関係なく、な」
何とかニビアンから聖剣を引き抜くと、彼女は力無く崩れ落ちた。
ジョアンナは、安堵からため息をついて皆に向き直った。
「みんな!迷惑をかけてごめん。」
「はっ、それっぽっちのこと気にすんな!俺はお前の盾だからな。」
アーサーJr.がニッと笑って拳を突き出してくる。
ジョアンナもそれに応え、拳を突き合わせた。
その様子を見ていたリシャールは、小声でブツブツと何かをつぶやいている。
「リシャール?」
「……完敗だよ。君の織りなす物語は、空虚な僕の求めていたロマンだったようだ」
「つまり、どういうことだよ?」
アーサーJr.の言葉に、リシャールは眉間をひくつかせる。
しかしジョアンナは真っ赤なリシャールに肩を掴まれ、真正面からこう告げられた。
「僕もジョアンナを王にして、旅をして、唄を残したいってことだ!……これ以上野暮なことは言うな!!!」
きゃーっと歓声を上げたアリエルが二人に抱きつき、ニヤニヤしたアーサーJr.がリシャールとジョアンナの頭をわしわしとなでる。
ジョアンナは声をあげて笑いながら、再び泣いた。
「あはは……!……なあアーサー、どうしたんだ?」
「ん?ああ……」
ふとアーサーJr.が窓の外を見ていることに気がついたジョアンナは、彼の視線の先をたどる。
「わり。こちらを見ている黒い影が見えた気がしてな。……アリエルも反応してないし、気のせいだ!」
ジョアンナは首を傾げてもう一度目を凝らすが、やはり何も見えないだけだった。
ニビアンとの戦いの後、すぐにジョアンナ一行はベノワック湖に向かう準備を始めた。
あの後、ビビアンとジョフロワが魔法の歌で戦いを望まない妖精達や人間をも操り、戦の準備をしていることが分かったからだ。
そして、公爵家の守りを固めるのはギヨーム老に任せ、ジョアンナ達は北東へ向かう。
モーガンと並ぶほどの力を持つ湖の乙女・ビビアンの拠点であるこの湖は、深い霧に包まれシンと静まり返っている。
それは、ビビアンとジョフロワによりこの湖周辺の生き物全てが、己の意思を失ったからだろうか。
存在されるとする敵の軍も、深い霧と沈黙に隠されてしまっている。
そこに鮮やかな赤髪の少女が現れた。
ミリアム女王とジョアンナの、歴史に残る一戦が今、始まる。
当初はこんなにベノワック湖の戦いまでの話を長引かせる予定はなかったのですが、長引かせてしまった甲斐があってジョアンナが成長してくれてて嬉しいです。
次回ボス戦です!




