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「ユーフィリア・レイズ! 貴様との婚約を破棄する! そして私はこのアンナマリー・アクアと婚約し、真実の愛をつらぬくことを、ここに誓う!」
この言葉を思い出すと、心が奮い立つ。
どんな困難も乗り越えられると誓える、魔法の言葉。
夫と喧嘩した夜も、義父母の使いから離縁しろと手紙を得た昼下がりも、この言葉に救われてきた。
夫は王弟を父に持つ公爵家の未子で、国王を伯父に持つ公子さまだ。
15歳の秋に、中原の侯爵レイズ家への婿入りを定められた。
婚約者だったユーフィリア・レイズは、侯爵家の次女だ。
年の離れた長女が西王国の貴族に嫁ぐことになり、慌てて拵えたという噂の総領娘。
婿入り先を探していた夫とユーフィリアの間に、愛はない。
だから、遠慮なく愛し合うことができた。
私は国境の西海岸に領地を持つ子爵の娘で、夫の婿入り先としては少々身分が追いつかない。
だけど、愛があれば大丈夫って夫は笑った。
実際、私たちの結婚生活は、順風満帆だ。
夫があの言葉を告げたのは、学園のアーリーサマーガーデンだ。
古めかしい言葉で「卒業式」ともいう。
ユーフィリアは、真っ青な顔で「何故?」とうめいた。
「貴様は、アンナマリーを虐げ、私物を壊し、虐げ、女子生徒たちと交流させなかった」
「婚約者のいる男性に粉をかけた女が受ける、当然の報いです」
「殺人未遂と強姦未遂がなければ、な」
夫と恋仲になって、私は女の子の友達を失った。
わたしと仲良くしていると、持ち物を壊され、服を汚され、クロークや寮の私室を荒らされるからだ。
私自身も、盛りだくさんだった。お茶に毒。クローゼットに蠍。道を歩けば馬車がつっこんできたし、お手洗いに入ると同時に誘拐されかけた。
ひとりになったら殺されるからと、夫は私を片時も離さなくなった。
「そんな悪辣な女と、結婚などできるか! こんな婚約は、破棄だ! その瞳、なんと忌々しい! 二度と私にかかわるな!!」
ユーフィリアは空色の瞳が美しい美人だ。
だけど夫は、常々その目を忌々しいと言っていた。
夫から「内緒だけど、あれは悪魔の目だ』と教えられた。
彼女は、左目が空色で右目が金色のオッドアイらしい。目立つ右目を、特殊なレンズで隠しているんだとか。
郷里の西海岸地方を除く東王国全土で、オッドアイは「悪魔の目」と忌み嫌われている。
オッドアイがさほど珍しくない西海岸育ちには、理解できない偏見だ。
西海岸地方は外国人や観光客が多いから、オッドアイは「ちょっとめずらしいかな」ってくらいだ。大勢はいないけど、忌み嫌われる理由になるほど少なくはない。
逆に王都のあるハイランド地方には、1000人にひとりもいないらしい。ハイランド教会ではあからさまに「悪魔の目」と忌避されている。
西海岸の僧侶はそんなこと言わないけど。それを言っては、お布施が集まらなくなるからだろう。
とにかく、この騒ぎがもとで、夫とユーフィリアは破局した。
ユーフィリアの両親が怒るのは、しょうがないけど当たり前だ。でも、それ以上に義父母が激怒した。
ほとんど勘当に近かったし、陛下からは「アクア領で婚姻を結び、むこう10年は王都への出入りを禁止する」と、ゆるく追放されてしまった。私の両親は、蝋人形みたいに真っ白になった。
夫は、私と結婚してからしばらく情緒不安定になった。
「悪魔の目が、こんなにあるなんて」と。
いつしか「左が薄青、右が金目のオッドアイだけが、悪魔の目」と言い出すようになって、心の安定を取り戻した。
夫を連れて領地に戻った私は、あれ以来王都を訪れていない。
あんな冷たい街は大嫌いだし、未だにわたしを目の敵にする義父母も相容れない。
ユーフィリアの侯爵家に婿入りさせれば、お金がたくさん入ったから? そこに夫の幸せはあるの?
私にとっての幸せは、夫が私を愛してくれたこと。名誉と富の象徴だったユーフィリアを捨てて、私との愛に生きる人生を選んでくれたこと。
侯爵家に婿入り予定だったあの人は、子爵家をびっくりするくらい富ませてくれた。
いまや、経済成長率は王都の3倍。税金が安くて住みやすいって、移住者も多い。
息子は男の子だから、王都に進学するしかない。でも、のびのび育った娘がいじめられたら嫌だから、領地でデビュタントを祝い、デルタ王国への留学を決めた。
本人も、それでよかったみたい。
夏休み直前に手紙がきて、会って欲しい人がいると報せてきた。
外国人の恋人を、見つけたらしい。
だけど、娘の恋人は来なかった。
理由を聞いたら、「別れた」と。
そんなの納得できない。食い下がったら、酷い目で睨まれた。
「お父様とお母様の所為だわ」と。
娘はそのまま寮に戻り、残りの夏休みを寮ですごした。
娘の恋人は、ジル・コーラル。
西王国の内務官を輩出してきた伯爵家の四男だ。
母親の伯爵夫人が東王国出身らしいけど、30年も昔に嫁いだ女性に面識はない。
だけど、なぜだろう。嫌な予感がする。
夫に相談したら、「エレオノーラを袖にした男なんか、こっちから願い下げだ。それを、親に向かって八つ当たりするなど」と、怒りを露わにした。
私も、そう思う。
だけど、2週間後に届いた手紙には、恐ろしい因果が記されていた。私の幸せが、砂上の楼閣だったことを知った。
お父様
お母様
突然のお手紙を失礼します。
私、エレオノーラは18歳の誕生日を持って学園を退学し、デルタ女子修道院に入所しましたことを御知らせします。
あなた方の罪が、許される日は訪れるのでしょうか。
私が、あなた方を許せる日は?
苦しいです。
嫌いになれたら、よかったのに。
許せない。でも、愛しています。
なぜ、と、お母様は思われるでしょうね。
でも、お父様はわかっているのでは?
私が、お義母様とお呼びしたかった女性の名は、ジョー・コーラル。東王国の貴族は、西王国に嫁ぐ際に短い名前に改名します。
嫁ぐ前の名は、ジョゼフィーヌ・レイズ。
お父様の婚約者だった女性の、お姉様にあたります。
ジョー様は、公衆の面前で婚約破棄された妹を、西王国に呼びました。その方は、酷い有様で保護されたそうです。
移動中の馬車を破落戸に襲われ、右目を潰されたと。
こんな酷い所業を、思いつく者こそが悪魔です。
しかも、彼女は婚約者だった男の子供を妊娠していました。
生まれた子はジルと名づけられ、コーラル伯爵家の4男として育ちました。
わたしが初恋の男性と結婚できなかった理由は、これでお分かりいただけたと思います。
さすがに異母兄妹では、ね。
わたしはコルセットを厭う革新派ですが、近親婚を願う革新派では、ありませんのよ?
ジルのお母様を不幸の底に陥れて、幸せでしたか?
幸せでしたよね。
でも、お父様。
あの方に、いかほどの罪があったのでしょうか?
恋愛感情があってもなくても、婚約者が浮気をすれば苛立ちます。笑って許せとでも? 結婚して3年間子どもが授からなかったわけでもないのに?
確かに、お母様は無傷ではなかったでしょう。辛い思いをされたでしょう。
だけど、婚約者のいる男性と身分違いの恋を貫くとは、そういうことでは?
そもそも、お母様を愛しながら、どうして婚約者だった方の純潔を奪ったのでしょうか。
どうして、お母様だけを愛さなかったのでしょうか。
不潔です。
婚約者だった方を欲望の吐口にして、都合が悪くなったから捨てたのでしょうか。単に、お母様の方が具合がよろしかっただけ?
以上は、被害者側の証言です。
お父様が、かの方を害した証拠はありません。
先進国で承認された親子鑑定が東王国で認められるまでには、何十年もかかるでしょうね。厳格な宗教国家にありがちなしがらみです。
知らないと、言いがかりだと、言い張れば通るでしょう。
お父様は、ハッタリが得意ですから。
被害者側も、加害者を訴えようとは思っておりません。二度と関わりたくないが、本音でしょう。
ただ、罪から生まれた罪なき子が、異母兄妹と結ばれる罪を避けたかっただけ。
真実の愛とは、かの方の家族にあります。
私たちの家には、虚像の愛しかありません。
ご存知ですか? 悪魔はオッドアイに宿りません。
悪魔は、血に宿るのです。
私が愛した方と、そのお母様を不幸にした男を、殺してしまいたい。不能にして、両目を潰したい。
悪魔の娘は、悪魔にしか育たないのですね。
学園を退学し、修道院を終の住処に選んだのはこんな理由でございます。
どうか、連れ戻そうなんて思わないでくださいね。
エレオノーラ・アクア