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sweet sweet sister


国境の海岸を歩く。夏が終わったばかりの海岸は、観光客を失って波と風の音しか聞こえない。

夏が終わったばかりの海を、夏より好きだと思った。いいようのない寂寞感に、ホッとする。


あの河口の先に、生まれた育った国の領地がある。あそこに暮していた頃は、いや、去年までは、ちゃんと夏の海が好きだった。


ブーゲンビリアやハイビスカスが咲き乱れ、女たちのサマードレスは美しく、海岸通の露天商の売物はどれもキラキラして見えた。

貴族はパーティーに、平民はビアガーデンに繰り出し、連日花火の音を聞く。

男の子たちは岩場を探検し、女の子たちは砂場で貝を拾った。

とてつもなくキラキラした、領地の夏。


子爵令嬢の私は、あの場所で一番幸せな子どもだっただろう。お嬢様ともてはやされ、潤沢な資金で好きなように遊べた。高位貴族の令嬢のように、四六時中作法に囚われる必要はない。

私から見てさえ作法に難のある母も、私がお高くとまることを良しとしなかった。


のびのび育った私は、それでも12歳になれば王都でデビュタントを果たし、全寮制の貴族学校に通わなくてはいけないと知っていた。

でも、来るはずだった未来は訪れず、隣国のデルタ共和国に留学することになった。デビュタントは、領地で済ませた。

男爵家や辺境貴族なら普通だけど、富豪子爵の娘としては、あり得なかった。今思うと。


王都には、お父様の実家がある。

お父様は公爵様の末っ子で、婚約者がいるのにお母様と恋に落ち、顰蹙をかい、王都に居られなくなったらしい。

今は許されて、お母様抜きで年に2回くらい呼ばれるようになった。ありがたいと思わなくてはいけないらしい。

でも私は、王都が好きじゃない。

お尻が痛くても馬車から降りられないし、レンガの街並みは綺麗だけど重々しく、冬が寒い。春でも寒い。寒すぎる。

おいしいエビや帆立はとれないし、高級らしいお肉は脂っこくて重たい。お菓子はまあまあ美味しいけど、バターが凄すぎて胸焼けがする。大好物のジェラートやポップコーンはない。

全てが古めかしくて堅苦しいし、仲の良いいとこもいない。

だから、きらびやかな王宮にも、格式の高いお茶会にも、興味がわかなかった。今思えば、お呼びでないから居心地が悪かったのだと思う。


従姉妹たちには、領都でのデビュタントと留学を憐れまれた。憐憫の裏に嘲笑が張りついてるみたいな笑顔で。

でも私は、王都のデビュタントなんてクソ喰らえと思っていたから、悔しくもなんともない。

だって、白いつまらないドレスを着て、王様手ずからティアラを授かって、ダンスをして、あとはお決まりのマウンティングパーティなんて。

むしろ、領都でのデビュタントがめちゃめちゃ楽しすぎたから、王都のそれの何がありがたいのかわからない。

ドレスショップのマダムと相談して、とびきり綺麗なマーメイドドレスを作ってもらったし。町中のみんなが花を投げて祝ってくれたし。

デビュタントにかこつけたお祭り騒ぎは夜通し行われた。

お父様はワインの樽を開けては無料開放し、漁師たちは朝獲れの海産物を焼いて振る舞い、パン屋はお祝いのパネトーネを配り、花火師たちは新作の花火を打ち上げてくれた。憐れまれる要素がナイ。


貴族学院も、全然心が惹かれなかった。ベロアのリボンはまあまあ可愛いけど、紺色のロングスカートが重たそう。それに、毎日コルセットをつけなくちゃなんて! 拷問でしかない。

留学先の制服の方が、断然かわいい。セーラー襟のシャツにパンタロン。もちろん、コルセット着用義務なんて悪法もない。


留学先のデルタ共和国は、名前の通り大河の三角州にある。三角形の、小さな国だ。

私が生まれ育った国境の町と、大河をはさんで隣接している。自国の王都より、デルタの王都の方が近いし、生活様式も似ている。

違いは、貴族制度がないところ。

故郷の東王国では、階級によって通う学校や職業が決まっているけど、この国では民が好きに進路を選んでいる。


私の学校は留学生が多く、現地の生徒は海運業者の子女が多かった。富裕層向けの、のんびりした私立校。学力は中の上で、制服の可愛さは世界一だ。たぶん。


父方の従姉妹たちからすれば、貴族のいない蛮族の国の、コルセットもしない自堕落な学校に入学()()()()()、憐れな娘なのだろう。

東国では、学園を卒業していない子女は、貴族と結婚できないから。

留学とは、父の実家が圧をかけた、程の良い厄介払いだったのだろう。これで、私は祖国の貴族に嫁ぐことはできなくなった。後妻ならありだけど。もしくは外国に嫁ぐか。


だからこそ、外国人との恋が、ジル・コーラルとの婚約が、それが理由でダメになるとは思わなかった。

恋人がジルじゃなかったら、知らないまま生涯を終えたかもしれないけど。ジルじゃない人と恋に落ちるなんて、あり得ない。ジルとの愛を成就させるなんて、もっとあり得ない。


これは、呪いだ。


私は空を見上げた。三角州の海岸は外海に迫り出しているから、海の色が美しい。

空と溶けることのない群青色。

秋の海岸を歩く学生なんて、間違いなくサボりだ。

なんてお日柄の良い始業式日和。でも、私だけはサボって良い日だと思う。

だって、傷心だから。最愛のジルと、絶対に結ばれないことを知ったのだから。


私とジルは、中等部の3年間と高等部の2年間も両片思いで、3年の春先に恋人になった。焦れた友人たちによって、くっつけられたともいう。

夏休みにお互いの親に紹介して、婚約を結ぶつもりでいたことを、みんな知っている。今年はクラスが違うけれど、共通の履修科目は少なくない。気まずいったら、ない。


ジルはデルタ共和国を挟んだ西王国の貴族で、内政を担う家系の4男だ。子沢山家族の末っ子で、とても愛されて育ったという。


愛されて育ったからこそ、私を受け入れてはいけなかった。

男女の愛だけで全てに背けるほど、彼は育った環境に絶望していない。もしくは、ふんぞりかえってもいない。


そういう人だから、憧れて、好きになったのだろうか。


私は、彼ほどの愛を持って家族を語れない。

否、彼らの話を聞いて、嫌悪感しか持てなくなった。特に父に。

育ててもらった恩はある。でも、この怒りと憎しみは、生涯消えないだろう。


貴族にしては仲の良い両親に育てられたけど、それに憧れるとか、誇らしいとかは、全く思わなかった。

もちろん、嫌だったわけでもない。

普通に話すし、誕生日にはプレゼントを贈りあう、普通の親子関係だ。と、思う。

あとは、2歳下に弟がいる。幼児期は体が弱く、溺愛されて育った。跡取りだから留学せず、王都の貴族学院に通っている。


その弟は、3年前、親に相談なく領地経営コースから騎士科に転学して、大騒ぎになった。

本人曰く、勉強が難しすぎて全くついていけなかったそうだ。

身体能力は低くないから、騎士科ならどうにかやっていけそうだと。

病弱だったのは幼年期だけ。『勉強が全てではない』が教育方針のお母様から教本を取り上げられ、のびのび育った子だ。まあそうなるか。


留学してから知ったのだけど、東王国の貴族は教育熱心だ。少なくとも、跡取りには苛烈なほど熱心だ。

出自の低い母にはそれがわからなかったにしても、王弟の息子だった父が、どうして息子の教育に口を出さなかったのだろう?


太陽の下で溌溂と育った弟は、寒くて陰鬱な王都で、聞かされたのだろう。

両親の罪を。

王弟の孫とはいえ、学園では下級貴族の子息にすぎない弟は、今、どんな目にあっているのだろう。


私と弟以外の王孫たちは、王家のお茶会やパーティに頻繁に招かれ、覚えもめでたいらしい。

同じ王孫の私と弟は、王様なんて会ったこともない。

実の祖母である、公爵夫人にも会ってない。

病気でも人嫌いでもない女性が、絶対に会いたがらない孫。それが、王都での私たちの立ち位置だ。今までは、単に母が嫌いなんだろうと思っていた。

身分違いの結婚につきものの確執だと、思っていた。


王都で見聞きしたであろう醜聞を、弟は私に報せなかった。

おそらくは、メリットとデメリットを、天秤にかけた結果だろう。あの人に出会わなければ、愛さなければ、知らずにいて不都合はなかったから。

だけど、こうなった今は、知っていたかった。知るべきだった。もちろん、弟に罪はない。わたしが愚鈍すぎただけ。知っていれば、きっと恋に落ちなかった。心に蓋をすることができた。それだけのこと。


波を止めることが不可能なように、解き放たれた恋心は止まらない。

とにかく、今のわたしにできることは、ジルを手放すことだけ。


潮風が、ピンクブロンドの髪をぐしゃぐしゃに靡かせる。

ジルの大きな手がすくいあげて、口づけを落とした髪。

母親譲りの柔らかな髪。


デルタ共和国は自由恋愛の国だし、西王国も東王国ほど厳格ではない。だけど、彼は東王国の貴族のしきたりを尊重して、結婚するまで純潔を守ると約束してくれた。指先は、両親の承認を得てから。唇は婚約してから。だから、髪にキスをくれた。


いっそ、捧げてしまえばよかった。

彼だけを知って、修道院に行けばよかった。

そうすれば、切る勇気を持てない髪を、バリカンで剃ってもらえるから。


そうしなくてよかった。

責任を感じた彼が、わたしと家族の板挟みにあわなくてすんだから。ジルがこれ以上傷つくのは、嫌。だけど、我が身の純潔は辛い。


心が散り散りだ。考えがまとまらない。


『あの人さえ覚悟を決めれば』と、私の中の悪魔が囁く。

今夜にでも男子寮に忍びこんで、全てを捧げる覚悟で泣いて縋れば? 18年前の母のように?


私たちの本心は、髪へのキスだけじゃ我慢できなくなっていた。唇が、手が、素肌に直接触れてないだけ。衣擦れの激しい抱擁を、何度も交わし合った。その度に、濡れた目で見つめ合った。何度も、何度も、何度も。


正妻ではなく、秘密の愛人なら? 日陰者になるのはイヤじゃない。祖国じゃいまさらだし。

だけど、できない。してはいけない。あの人を堕落させることだけは、決して。


私の見た目は、男性の庇護欲と愛欲をいっぺんに誘うらしい。

母以外の女性たちから、心配されて育った自覚がある。

「あなたは良い子で大好きだけど、なぜかな。ボタンをかけ違えたら、女の敵になりかねない雰囲気があるの。愛する人を見つけたらすぐ婚約して結婚するのが、1番な気がする」と言われる。異口同音に。長く勤めてくれているばあや、パン屋のおかみさん、漁師のお嫁さん、コック長の娘さん、そして思春期以降はほとんど全ての友人たちから。


顔の作りは初恋泥棒の二つ名を持つ父に、髪と目は母に似た私。

似たのは、見た目だけじゃなかった。

こんな浅ましい妄想をするあたり、正しくあのふたりの娘だ。

つまり、ジルにふさわしくない。


右目に眼帯をした女性の叫び。

父の罪。

困惑と諦観に満ちた、彼の横顔。



混じるはずのない海と空が、視界の中でボヤけて混ざった。頬に涙が伝い落ちる。


不実ではない、ジルが好き。

不実の結晶であるわたしを、蔑まない人だから好き。

ジルとだけは、結ばれない。

そんな事実に打ちのめされる。


弟も、両親の醜聞と戦っているのだろうか。昨日、手紙を書いた。領地は近いけど、王都は遠い。きっと、まだ届いていない……。




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