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「惰眠を貪ってばかりの穀潰し」と言われて婚約破棄されましたが、聖女のお仕事はどうすればいいのでしょう?

作者: 白波ハクア


「父上! どうかご決断を!」


 ……声が聞こえる。

 とても怒っているような、耳障りで騒がしい声。


「ならぬ」

「なぜです! これ以上は我が国の損失だと、なぜ気付かないのですか!」

「ならぬと言っている!」


 本当にうるさい。

 聞こえてくるのは私の隣。すぐ近くで騒がれては、ゆっくり眠ることだってできやしない。

 大切な、とっても大切な昼の休憩をしている身からすれば、いい迷惑だ。


「だれ、ですか? 私の隣で騒いでいるのは……」


 いい加減、我慢の限界がやってきて、私はむくりと起き上がる。

 寝ぼけたまま瞼を擦り、あくびを一つ。長時間寝ていたせいで凝り固まってしまった体を動かし、最後に軽く背中を伸ばして、ようやく目が覚めてきたので目を開く。

 すると、とても豪華な装飾が施された空間が視界に入った。


 たしか、ここは…………。


「謁見の間?」


 ラギア王国のお城の中で最も広く、そして最もお金が使われている空間。

 通称『謁見の間』。

 まず始めに巨人でも問題なく通過できそうな門が謁見に赴いた者を出迎え、普段は固く閉ざされているそれが開いた瞬間、所々に散りばめられた装飾の数々が来訪者を歓迎するように光り輝く。

 人を導くかのように敷かれた赤い絨毯も、この国で採れる最高品質の綿花を使用していて、寝心地は抜群────コホンッ。まるで雲の上を歩いているような感覚にさえ陥る。

 それらの先にあるのは、とても大きな階段。

 階段を登りきったところにはたった一つの豪華な椅子が置かれていて、そこに腰を下ろせる人物は──国王陛下ただ一人。


「おお、聖女シェラローズよ。起きたか」


 陛下は目覚めた私にいち早く気づいて、いつもの優しい表情で微笑んでくれた。

 でも、どうしてだろう。その笑顔は……なんだか少しだけ、疲れているように見えた。


「……陛下。ご機嫌麗しゅう」

「うむ。騒がしかっただろう? 起こしてしまったようですまないな。そして眠っているところを無断で運び出したこと……重ねて申し訳ない」

「……ええ、お気になさらず?」


 いまいち、状況が理解できない。

 どうして私は謁見の間にいるのだろう?


「ああ……すまない。まずは説明からだな。この度は我が愚息から重要な話があると申し出があり、謁見の間を使用することとなった。聖女に関わる話だと言われたため、シェラローズにも来てもらおうと思ったのだが…………いくら呼びかけても起きなかったので城のメイド達で運んだのだ。緊急時とは言え手荒な真似をしたな」

「…………いえ、それは別に構いませんが……」


 私は睡眠が大好きで、一度眠ったら中々目覚めることがない。

 今日のように眠りが浅ければ他人の声で起きることもある。でも、それは非常に珍しくて、普通だったら揺さぶられても耳元で名前を呼ばれても、目覚めることが難しいほど、私の睡眠は深い。


 そのため、陛下には事前に

「緊急時は布団ごと私を運んでください」と伝えてあった。


 しかし、陛下はとても優しいお方。

 この城に移住してから四年。一度も私を強制的に運び出すことはせず、いつも私が自然と起きてくるのを待ってくれた。

 だから布団ごと運び出されるのは今日が初めてで、私は一瞬、この状況を理解できなかった。


「──父上。そんなことよりも早く本題を」


 と、そんな私の思考を遮るように発言したのは──ラグーサ殿下だ。

 怒気を含めた様子で私の隣に立つ彼は、この国の第一王子で、私の婚約者でもある。

 彼はいつも仏頂面で、あまり私に笑顔を見せない人だけど、今日はいつにも増して顔が固い……気がする。


 多分、目覚める直前まで怒鳴っていたのは彼だったのだろう。


 そして私達の様子を見守るように立っているのは、騎士団の皆さま。

 顔馴染みもちらほらと見える。でも、どうして皆、不安と焦りが入り混じったような表情を浮かべているのだろう?


 それより、本題……?

 殿下が謁見を申し出て、私がここに運ばれた理由って、なんだろう?


「それについては何度も言っただろう。全てはお前の勘違いだ。……以前にも話したはずだが、どうやら聞いていなかったようだから後でもう一度詳しく」

「話など不要です!」


 我慢の限界が訪れたのか、殿下は苛立たしげに地面をダンッ! と強く踏んで強制的に陛下の言葉さえも遮る。

 そして、私を一際強く睨んだ後に、彼は耳を疑う発言をした。


「僕は彼女の婚約者として、彼女のことをよく見てきたつもりです! ──しかし! 彼女はいつも眠ってばかりだった。聖女ともあろう者が堕落した生活を繰り返し、民からの国税を食い潰している。あまつさえ政治にすら関わろうとしないその姿勢は、将来王族の一員となる者として不適切だ」


「「「「「………………………………」」」」」


 音が響きやすい謁見の間も、その時だけは静寂に包まれた。

 殿下以外の全員が、言葉を失った様子で殿下を見つめている。それを見て何を勘違いしたのか、殿下は益々態度が大きくなって、怒鳴りつけるように発言を続けた。


「僕は何度も苦言を申してきました! ですが、誰もが『聖女様だから』と僕の言葉を聞き入れなかった。──しかし、もう我慢の限界だ! この国を愛する王族として、一人の国民として。彼女の行いは許せるものではない!」


 殿下はクルッと私に振り向き、私のことを指差す。


「僕は──聖女シェラローズとの婚約を破棄する!」


 これには流石の皆さまも驚きを隠せず、明らかな狼狽を見せた。

 しかし、直後にそれを超えるびっくり発言が殿下の口から飛び出した。


「そして、僕は次期国王として命令を下す。

 民からの国税を意味もなく消費し、惰眠を貪る穀潰しは王城に住む権利などない。よって、聖女シェラローズをこの城から追放する! これ以上、この城に意味もなく居座り続けられると思うな!」


 ……………………はい?


 あ、あれ? 私、まだ寝ぼけているのかな。

 なんだか、とんでもない発言が聞こえてきたような────あ、陛下や騎士団の皆さまも同じものが聞こえたと? ……それは困った。


「あの、殿下……? まずは話を」

「お前の言い訳など聞きたくもない。さっさと荷物を纏め、この城を出て行け」

「ラグーサ、お主……本気で言っているのか?」

「ええ、本気です。父上は彼女のことを本当の娘のように見ているようですが、甘やかしすぎましたね。それだから彼女は堕落した。こうなった原因は父上にもあることをお忘れなく」


 と、何を言っても聞く耳を持たないラグーサ殿下。

 唯一、この場を収められそうな陛下は言葉を失うどころか、口をポカーンと開いて固まってしまった。あの様子だと、こっちに戻ってくるのは時間が掛かりそうだ。


 これは困った。……本当に困った。


 前々から、殿下から好かれていないことには気づいていた。

 何があっても私に笑顔を見せてくれないし、婚約者だからと週に何度かお茶会をする時も返事はぶっきらぼうで、絶対に自分からは話を振ってくれなくて……。


 私たちの婚約は、言ってしまえば政略結婚だ。

 ラギア王国と聖教会が話し合いをした結果、私たちの婚約が決まった。だから、勝手に決められた望まない結婚に、殿下はまだ納得していないのかなと思っていた。


 でも、まさか……これが、こんなものが理由だったなんて……。


「ですが、殿下……この城を離れたら、私の、聖女のお仕事はどうすれば……?」

「ふんっ。どうせ寝てばかりで仕事もロクにしていなかったのだろう? 追い詰められたからと言って、今更、聖女の仕事だなんだと取り繕ったところでもう遅い!」


 ああ、これは……もう何を言っても聞いてくれないやつだ。

 だったら、これ以上の抗議は時間の無駄。私はおとなしく、この場を去りましょう。


「…………わかりました。殿下のお言葉に、従います……」


 深々と頭を下げる。

 殿下は機嫌が悪そうに鼻を鳴らすだけ。

 まるで、別れはいいからさっさと出て行けと言われているように感じられた。


「今までお世話になりました。皆さまも、どうか……お元気で」


 こんな私とも仲良くしてくれた騎士団の皆さまにも頭を下げる。

 何か言いたげに見つめられたけれど、結局は何も言われないまま、私はお布団を持ち上げてその場を去った。


 ひとり、廊下を歩く。

 とても長くて、とても広い。もはや見慣れた風景を、ひとりで……。


「足、冷たいな……」


 ぽつりと、小さく呟く。

 眠ったまま運ばれたから、靴なんて履いていなかった。

 そのせいなのか、いつもはふかふかだと思っていたカーペットが、なんだかとても冷たく感じた。


「シェラローズ!」


 このまま、どこか遠くに消えてしまいたい。

 俯き、カーペットの模様を見ながらとぼとぼと歩く私の背中に声が届いた。


 振り返ると、私の護衛騎士がいた。

 名前はアルバート様。王国騎士団の第二団長を務めており、陛下直々に聖女の護衛役を任された人。

 私をお城からお迎えに来てくれたのも彼で、それから毎日、城内を出歩く時はいつも側に居てくれたのもあって、彼との付き合いはそれなりに長い。

 守り、守られて。という立場だったけれど、彼は大切な……私の数少ないお友達の一人だ。


 でも、それも過去の話。

 お城を追い出されることになった私は、もう彼に守ってもらえる立場ではなくなった。


「シェラローズ! 待ってくれ!」


 それでも、彼は私の名前を呼ぶ。

 全力で走ったのか肩を激しく上下させ、あまり感情を表に出さない彼の顔は苦しそうに歪んでいる。


 ……そんな表情もできたんですね。

 思えば、彼が必死になっている姿を見たのは初めてかもしれない。数年の付き合いなのに変なの、と感傷に浸りたいところだけど……これ以上の長居はやめよう。


「アル様。今までありがとうございました」


 思えば散々な結末だった。

 でも、最後に彼と話せてよかった……。


「さようなら。……お元気で」

「待って……っ、頼む! 頼むから……!」

「来てはダメです!」


 鎧が擦れる音を聞いて、私は制止の声をあげる。


「こっちに来ては……ダメです。そんなことをすれば、アル様まで追い出されることになる」


 ──貴方まで巻き込みたくない。


 そんな思いを込めて見つめれば、彼は手を伸ばした状態で固まった。


 ……そう。それでいいんです。


 最後に微笑み、また歩き出す。

 お城を出て、門の手前まで来て、最後にもう一度だけ……後ろを振り返る。


 アルバート様は、来ていなかった。


 ……これでいい。これでよかったんだ。

 これで、私だけになった。それで問題ないはずなのに、どうしてだろう。


「すごく……胸が、苦しいな……」




          ◆◇◆




 ある日、私は不思議な夢を見た。

 とても眩しい光を放つ女性が空から現れ、その人は私を抱きしめながら、こう言った。


「今日からお前が、私の愛し子だ」


 それをきっかけに、私の周囲は変わっていった。

 始まりは、世界を創造したと言われる女神──リリア様を信仰する聖教会の人達がやってきて、私のことを『聖女』だと祀り上げたことから。

 何があったのか。何を言われているのか。次々にやってくる状況を理解するより早く、当の本人を置き去りに周りだけが忙しそうに動く。

 そして気付いた時には、辺境伯であるお父様の領地から、ラギア王国内で最も活気溢れる王都に移り住むことになっていた。


 ──それから四年。

 聖女としての役割をこなしつつ、時間が許す限り好きなだけ惰眠を貪っていたら──婚約者であるラグーサ殿下からお城を追い出されてしまった。


 思えば、とんだ転落人生だ。


 お城での悠々自適な生活から、婚約破棄された挙句に寝巻き一つでお城を追い出され、深い夜と共に寝静まった城下をトボトボと歩いている。

 誰も、こんな女を聖女だとは思わないだろう。

 殿下の言う通り、私は何一つ政治に関わってこなかったし、民衆の前に顔を出すこともほとんど無かった。

 そのため聖女の顔を覚えている人はいなくて、そのせいで道中は道端に倒れていた酔っ払いに絡まれたり、黒装束を纏った危ない雰囲気の人達に遭遇しかけたりもした。


 そんな思いがけない出来事に遭遇しながら、ようやく私は目的の場所にたどり着く。


「ただいま帰りました……」


 私が向かった先は、王都にあるお父様の別荘。

 何かあった時にいつでも戻って来られるようにと、あらかじめ渡されていた合鍵で門を開き、別荘の扉を控えめに叩く。


「どちら様ですか? こんな遅くに……っ、お嬢様!?」


 待つこと数十秒。怪訝な表情で出てきたのは執事のバートンだった。

 彼はお父様がまだ成人していない頃からの付き合いで、お父様が辺境の領地にいる時の別荘の管理を一任されている人物だ。

 お父様はもちろん、私たち家族も彼に大きな信頼を寄せていて、人付き合いの良さから多くの使用人からも頼りにされている。そんな彼が最初に出てきてくれたことに感謝しつつ、私は夜遅くの来訪を謝罪して頭を下げた。


「遅くにごめんなさい。あの、入っても……いいですか……?」

「ええ、ええ! 勿論です! ……何があったかは聞きません。今はとにかく中へ。すぐに暖炉と温かいスープを用意しましょう」


 と、バートンは慌てた様子で、住み込みで働いている使用人を起こし始める。

 最初のうちだけ皆は眠そうな表情をしていたけれど、寝巻きのみで玄関から入ってきた私を見て、バートンと同じようにテキパキと動いてくれた。


 私はすぐに広間に案内され、暖炉の前の椅子に座らされた。

 渡された毛布に包まりながら温かいスープを飲む。お城から歩いている途中で冷え切った体にとても染み込んで、ホウッと口から吐息が漏れ出た。


「急な訪問だったのに、ありがとうございます……」

「滅相もございません。訪問者がお嬢様ならば、どのような時間だろうと迎え入れるのが我々の役目。お嬢様を拒むくらいなら、この首を旦那様へ差し出しましょう」

「……ふふっ、ありがとうございます。でも、首を差し出すのはやめてくださいね。バートンがいなくなったら、私は……寂しいです」

「では、そのように……。この老いぼれ、お嬢様の晴れ姿を見るまでは、まだまだ休めません」


 バートンはよく冗談を言って、私を楽しませてくれる。

 だから彼と話すのは楽しいし、子供の頃は仕事の合間にお話をしていた。

 どんなに忙しい時も、私が来たら快く迎え入れてくれて、日々の仕事をこなしながら私の相手をしてくれた。それは、今も…………。


「……理由を、聞かないんですか?」

「最初に申し上げたように、私は何も聞きません。それよりもお嬢様が心配です。いついかなる時でもお嬢様が戻ってこられるよう、常に寝具の準備はできています。どうか今はまだ何も言わず、ゆっくりとお休みください」


 王城の寝具には敵いませんが、十分な休息は取れますよ。

 そう付け加えたバートンの微笑みはとても優しくて、私は、潤んだ瞳を手で拭うのだった。




          ◆◇◆




「…………ん、ぅ?」


 暖かな光を感じて目を開くと、見慣れない天井が視界に移る。


「……あれ……ここ、は……?」


 いつもとは違う模様。

 こんな天井、お城にあったかな……? と首を傾げたところで、昨晩の出来事を思い出す。


「そうだ。私、お城を追い出されたんだ……」


 昨日のことはまだ鮮明に思い出せる。

 そして、思い出すたびに私は深い深い溜め息を吐き出して、ひとり、どんよりとした雰囲気を出してしまう。

 気持ちがいい朝の光。それを鬱陶しく感じるほどに……。


 出来ることなら、嫌な記憶は全て、綺麗さっぱり忘れてしまいたかった。

 でも、ようやく慣れてきた日常を壊された不可視の傷は、私自身が思っていた以上に大きな影響を与えていたらしい。


「ああ、もう……疲れた……」


 こんな時は二度寝をするに限ると、再び布団の中に潜る。

 嫌なことがあれば、私はいつも眠るようにしていた。眠っている時間だけは嫌なことを思い出すことなく、夢の中で好きなことができるから。

 そう思って瞼を閉じ、再び夢現つになりかけていた──その時。


「我が娘はどこだ! どこにいる!?」


 屋敷中に怒鳴り声のような声が響き渡る。

 それは徐々に近づいてきて、ついでに騒がしい足音も複数聞こえるようになったと思ったその時、私がいる部屋の扉が外側から勢いよく開かれた。


「シェラローズ! ここにいたのか……!」


 現れたのは、私のお父様。

 走ってきたのか呼吸は荒く、肩で大きく息をしているお父様の後ろには、遅れてやってきたお母様やお兄様、二人のお姉様の姿も見えた。


 ……私の家族、全員がここに揃っている。


 これはとても珍しい状況だ。

 まず私は聖女としてお城に滞在していたし、お父様やお母様は領地でのお仕事で忙しいから王都にはあまり顔を出さないし、お兄様も両親の補佐として各地を渡り歩いているため家を空けていることが多く、お姉様たちは嫁いでいるからそもそも家にいない。


 だから、心底驚いて反応が遅れたのは……仕方のないことだった。


「お父、さま? どうしてここに……?」

「バートンからお前のことを聞いて、急いで駆けつけたのだ。それよりもシェラローズ。王城に滞在していたお前が、なぜ戻ってきた? 城で何があった?」

「そ、れは……」


 言葉に詰まって、一拍おいて深呼吸。

 私は正直に、昨日起こったことを事細かに話した。


「なんと、そのようなことが……」


 お父様は最初の方こそ静かに聞いてくれていたけれど、段々とその表情は険しくなっていって、最後には俯いて全身をプルプルと震わせ始めた。

 耳が真っ赤に染まっていることから、とても怒っている様子だ。

 普段は優しく笑いかけてくれるお母様たちも感情がなくなったような冷たい表情を顔に貼り付けていて、この瞬間だけ世界が凍りついたのかと錯覚してしまうほどの沈黙が部屋を支配する。


「許せん。これは、決して許されることではないぞっ!」

「も、申し訳、ありません! 私のせいで、家族の顔に泥を塗るようなことに────」

「愛しい娘を虐げたなど、王族であろうと絶対に許さん!」


 ………………え?


「私は覚悟を決めたぞ! 我々は領地に籠る。貴族社会にも二度と顔を出さん! かけがえのない我々の家宝──シェラローズを追放したこの国など知ったことか!」

「……ああ、可哀想な私の娘。辛い時、側にいてあげられなくてごめんなさい。でも、もう大丈夫よ。今まで一緒にいてあげられなかった分、これからはずっと一緒だからね」

「今まで聖女としてよく頑張ってきたね。シェラローズは偉い子だ。だから今度は好きなだけ休むといい。後のことは僕達に任せて、ね……?」

「お兄様の言う通りだわ! シェラはずっと頑張ってきたのだから、ちょっとくらい休んだって誰も文句は言わないわよ! ──いいえ! 誰にも文句は言わせないわ!」

「顔だけはいいからって調子に乗って、あんの馬鹿王子……! うちの可愛い妹を悲しませた恨み、絶対に忘れないわ!」


 ……え、…………え?


「あの、怒っていないのですか……?」

「怒っているに決まっている! あの無能には散々呆れていたが、娘の婚約者だからと大目に見ておけばこれだ! 流石の私も我慢の限界だ!」

「あ、いえ……家族の顔に泥を塗った私に、怒っていないのですか?」


「「「「「はぁ?」」」」」


 本心で聞けば、皆は「何を言っているんだ?」と言いたげに顔を顰めた。

 予想していた反応とは違うものが返ってきて、今度こそ意味がわからなくなる。


 私は睡眠が好きだ。

 そのせいで周りに迷惑を掛けたこともあるし、心配もさせた。


 今回のことも、元はと言えば私が寝てばかりだったせいで殿下が勘違いしたのが原因だ。

 私が周りの言葉に甘えることなく、もっとしっかり聖女の役割を果たしていれば、こんなことにはならなかったんじゃ……?


 そう思いながらお城を出て、自分の意思の弱さを後悔していた。


 なのに、それでも私は睡眠を嫌いになれなかった。

 むしろ、眠ることさえできれば他はどうでもいいとさえ思う自分がいて…………こんなに堕落しきった私が聖女だなんて、やっぱり向いてなかったんだと、昨日──謁見の間で改めて現実を突きつけられたような気がした。


 だから、きっと皆からも同じようなことを言われるんだろうなって、勝手にそう決めつけて、諦めていた。…………なのに、


「お前は聖女の役目をしっかりと果たしていた。怒ることがあるか?」

「今代の聖女様の力は素晴らしい。過去の歴史の中で最も、魔物による被害が少なく済んでいるのは聖女様のおかげだって、みんなが言っているわ。あなたは何も悪くないのよ。……何も悪くないの」


 お母様に抱きしめられて、お父様に頭を撫でてもらって。

 ……ああ、ちゃんと理解してくれる人は、私の味方になってくれる人は、こんなに居たんだってことが分かって……嬉しくなった。


「ありがとう、ございます……ありがと、ぅ……」


 お母様の胸元に頭をくっつけて、私は啜り泣いた。

 成人手前なのにみっともない体勢で、少し恥ずかしかったけれど、私を包み込む温もりを感じれば感じるほど、私の目から溢れ出る涙は、いつまでも止まることはなかった。




          ◆◇◆




 …………騒がしい。

 お父様たちに慰められて、その日は泣き疲れてずっと眠ってしまい、太陽が再びこの地に昇った翌日のこと。

 私は、屋敷の外から聞こえてくる音で目を覚ました。


「ふざけるなっ!」


 とても怒っているような声。

 ……お父様のものだ。


「出ていけ。そして二度とその顔を見せるな! 今度会ったら、揃いも揃った貴様らの顔を八つ裂きにしてやるからな!」


 途中からしか聞いてなかったけれど、どうやら私のことで怒ってくれているらしい。

 来訪者は……考えうるとすれば、王族の関係者かな? 二日前のことで謝罪しに来たところを、お父様が立ちはだかったのだろう。


 でも、一体誰が……?

 ラグーサ殿下の様子だと、第一王子派の人達が謝罪するつもりは微塵もないだろうし、それ以外の人も殿下の命令で私と会うことを禁止されているはず。

 命令に背けば職を辞することになり、私と同じように、お城を追い出されてしまう。


 そのような危険があるのに、それを理解しても尚、私に会いに来た人って?


 気になったので彼らの様子を見ようと、お布団を被りながら窓際まで移動する。

 背が小さい私用にと設置された踏み台に乗って、ひょこっと顔を覗かせると、屋敷の門のところに人集りを発見した。


「あれは、騎士団の方々……?」


 見間違えるはずもない。

 お父様の圧に負けじと抵抗している彼らは、王族に仕える騎士だった。

 その先頭に立って、どうにかお父様に許可を頂けないかと説得しているのは────。


「っ、行かなきゃ!」


 布団の代わりに大きめの上着を一枚羽織り、まだ寝ぼけている体を必死に動かして玄関先へ。

 そのまま外に飛び出し、門へと向かう。

 たどり着いた時には、もう我慢ならないと言った様子でお父様が剣を抜いていた。


 昔は相当やんちゃしていたと噂のお父様。

 頭に血が上るのはいつものことだとしても、激怒した時のお父様は暴走に暴走を重ねてしまい、止めるのに苦労する。そんな光景を何度も見てきた。

 だから、また変なことをする前に止めなきゃ、と急いで駆けつけたのに……遅かったみたい。


「おとう、さま……!」

「私の邪魔をする、なっ──シェラローズ!? なぜここに!?」

「シェラローズ様! ご無事で……!」

「ええい! 貴様ごときが娘の名前を気安く呼ぶな! しかも、よりによって『ご無事で』だと!? 娘を守る気すらなかった貴様らが今更、娘を心配するな……!」


 咄嗟に飛び出した騎士──アルバート様の言葉に、お父様は再び激昂した。


「バートンからの報告によれば、娘がこの屋敷に戻ってきた時、近くには誰もいなかったらしいな。そんな奴らがよくも娘の無事を祈れるものだ!

 今まで魔物の脅威から貴様らを守ってくれた貴き聖女を、恥知らずにも追放した貴様らが!? ──ハッ! 何が騎士だ。王族の命令に従うことにしか脳がない傀儡風情が、誇り高き騎士を名乗るなど、聞いて呆れる!」


「それはっ……く、その、通りだ。反論の余地も、ない……」


 一瞬、反論しようと口を開きかけたアルバート様だったけれど、言い返す言葉が見つからなかったのか悔しそうに歯を食いしばり、顔を俯ける。


「思いがどうであれ、我々は彼女を見捨てた……それに、間違いはない。……真に彼女を心配していたなら、あれこれ考えず、すぐに手を差し伸べるべきだった」

「……ふんっ! 後悔しても遅いわ。娘はそのことで酷く傷ついた。貴様らがどのような態度で向かってこようとも、二度と娘を差し出すつもりはない!」


 私を案じてくれるお父様の気持ちは、とても嬉しい。

 でも、


「お父様。彼らとお話をさせていただけますか?」

「──なんだと!? だ、だが、この者達はお前を……」

「ええ、私は一度、城からの追放を言い渡されました。それは事実です」


 私の言葉に、騎士達からは苦悶の声が漏れ出た。


「しかし、彼らは危険を犯してまで私に会いに来てくれました。……その気持ちを無下に扱いたくありません」

「…………シェラローズ」

「心配してくださって、ありがとうございます。ですが、私はもう……大丈夫です」


 でも、と言葉を続ける。


「でも、それでも……やっぱり辛かった時は、また……お父様達の前で泣いてもいいですか?」

「っ、ああ、ああ勿論だ! 私達は『家族』なのだから、遠慮せずいつでも胸に飛び込んできなさい。毎日だって歓迎しよう!」

「毎日は流石に恥ずかしいです。……でも、ありがとうございます」


 お父様の許可も出て、私はようやく、騎士団の皆さまと顔を合わせた。


「二日ぶり、ですね……アル様。……まさか、こんなに早く再会できるなんて思っていませんでした」

「ああ、元気そうで何より、と言える立場ではないが、最悪の事態になっていないようで、心から安心した。本当に……」


 騎士の先頭に立つ彼は、心から安堵したような表情を浮かべた。

 しかし、それはすぐに、見ているこっちまで緊張するほどの誠実な顔に切り替わる。


「シェラローズ様。この度は──」

「立ち話をするのも大変なので、まずは庭園に行きませんか? 久しぶりに私が帰ってきたから、庭師がとても綺麗な園芸をしてくれたみたいなんです。そこでゆっくり……お話ししましょう」

「…………ああ。シェラローズ様の仰せの通りに」




          ◆◇◆




「気持ちがいい場所ですね……」


 しばらく来ていなかった庭園の居心地は、想像以上に心地良かった。

「庭師が頑張ったので一度は遊びに行ってあげてください」と、バートンに言われたから興味を示した程度だったけど、気に入った。

 たまに庭園に来て、ここでお昼寝をするのも面白いかも。


「アル様も、そう思いませんか?」

「…………」


 二人きりで話しがしたいと私が願い、お父様や他の騎士はお留守番。

 今、あちらはとても気まずい雰囲気が流れているはずだけど、彼らのことは気にせず、ひとまずは目の前のことに集中しようと思う。


「暗い顔をしていると、いつまで経っても楽しい気分になれませんよ」


 ここに来てから、アルバート様は一度も笑わない。

 とても重苦しい雰囲気で、ずっと何かを後悔しているような暗い顔を浮かべている。折角の綺麗な顔なのに、これじゃあ勿体無い。


「……怒らないのか?」


 ようやく口を動かしたかと思えば、それでした。

 ……ああ、なんだか。聞いたことのある台詞だなぁ。


「怒ってはいません。……むしろ反省しています」

「反省、だと?」

「今思えば、殿下の勘違いは仕方のないことでした。私がもっと、聖女として皆の前に出ていれば。周りの声に甘やかされることなく、政治にも積極的に関わっていれば……。結果も変わっていたことでしょう」


「それは違う!」


 急に大声を出されて、思わず目が丸くなった。


「あっ! す、すまない……! だが、今回の件でシェラローズには何の非もない。むしろ、お前は聖女に相応しい役割を十分に見せてくれた」

「……そうですか?」

「ああ、そうだ。……むしろ、殿下の勘違いによって貴女が城を去る時。余計なことを考えて動き出さなかった自分こそ、お前に詫びるべきだ」


 シェラローズ。と呼ばれる。

 私の名前を呼んだ彼の目は、目が離せないほどに真剣で──何があっても砕けそうにない、とても固い意志が宿っているように感じられた。


「申し訳なかった。…………謝ったところで許されるわけがないことくらい百も承知だ。しかし、それでも……! 俺は、お前に謝りたかった!」


 アルバート様の心からの叫び。

 小刻みに肩を震わせて、地面を水滴で濡らすその姿は、聖女の護衛役を務めていた騎士様とは思えないほどに小さく、弱々しかった。


 だからって失望はしない。

 むしろ、こんな私に、自分の情けない心の内を打ち明けてくれた彼の気持ちが、とても嬉しかった。


「顔をあげてください、アル様」

「……こんな惨めな姿を見せたのに、まだ俺を愛称で呼んでくれるのか?」


 叱られることに怯えて震える姿は、まるで子供みたい。

 内心そう思い、彼に気づかれないよう小さく笑った。


「アル様はアル様です。私がこの世界で誰よりも信頼している騎士で、私の数少ないお友達です」


 だから私は、いつだって彼を愛称で呼び続ける。


「全てを許します……と笑って言えるほど、私の器は広くありません。それ以上の痛みを、私は味わいました」


 ……辛かった。

 当たり前のように住んでいた場所を、あんな簡単に奪われて、ひとり孤独でお別れを告げて、とても暗い道を歩くのは、本当に苦しかった。


 それを綺麗さっぱり忘れるなんて、無理な話だ。

 でも、それで彼との関係が微妙なものになるのは──もっと嫌だ。


「私は、アル様の笑っている顔が好きです。空気が悪くならないようにと頑張って無理して、ぎこちなく笑う貴方の顔が大好きです」

「なっ──きゅ、急に何を!?」

「だから、いつまでもそんな暗い顔をしていないで、早く私に、いつもの貴方の笑顔を見せてください。そうじゃなきゃ──貴方からの謝罪は受け取れません」


 アルバート様は非常に顔が良いけれど、とても無口で常に冷たい空気を纏っていることから『氷狼の騎士』と言われている。

 でも、その実、彼は人見知りが激しいだけで、本当はとっても面白い人だ。

 今も私の言葉一つひとつで表情をコロコロと変えて、恥ずかしがって顔を少し赤く染め、それを見られたくないからと必死に腕で隠そうとする仕草は、今も昔も変わらない。


「……ねぇ、お願いです。私のために笑ってください」


 いつまでも暗い顔はしていられない。

 だって、嫌な気持ちをずっと引きずっていたら、大好きな睡眠だって気持ちよく眠れなくなるから。


 どうせなら、私は明るい気持ちで眠りたい。

 私の周りには、私のことをちゃんと理解してくれる人が沢山いるのだと、知ることができたから。


「……シェラローズは意地悪だな」

「アル様が本音で語ってくれたので、私も本音を語っただけですよ」


 でも、おかげでアルバート様の笑顔を見ることができた。

 まだ少し、笑顔は固いけど……私は満足。


「そろそろ戻りましょう。お父様も、もう我慢の限界でしょうから……」


 それに、今日は色々動いて疲れた。

 早くベッドに行きたい。……ああ、折角この庭園を知ったのだから、ここにお布団を敷いて二度寝をするのもいいかもしれない。

 そう思いながら数歩、私は違和感に気づいて足を止めた。


「…………アル様?」


 彼は最初の位置から全く動いていなかった。

 いつもは私が動くたびに私の側を歩いてくれていたから、すぐに違和感に気づいたけれど……どうしたんだろう?


「俺は、シェラローズを守れなかった……」


 悔やむように、喉から絞り出した声。

 それはすでに終わった話だ。無駄な会話を嫌う彼が、さっき終わったばかりの話を掘り返すなんて珍しいこともあるものだ。

 と、他人事のように思っている間に、気づけば彼は私の近くまで来ていた。


「お前の制止の声を振り切ってでも、俺はシェラローズに付いていくべきだった。それなのに、一人で城を去っていくお前の背中を、俺はただ眺めることしか出来なかった……そして、気づいたんだ」


 気づいたって、なにを?

 そう問いかけるより先に、彼は言葉を続ける。


「最初は陛下からの命令で仕方なく。……そう思っていた。だが、一緒に過ごしているうちに、もっとお前と一緒に居たいと願うようになっていた」


 急な告白に、思わず困惑して後退りしてしまった。

 そんな私の反応に目を細めて見つめてくる彼の表情は、今まで一度も私に見せたことのない顔をしていた。


「お前が消えてしまうと思えば胸が苦しくなった。そして、俺はようやく……この感情の正体を知ることができた。……大切なものを失ってから気づくなんて、自分の不甲斐なさを悔やむばかりだ」


 ──だが、もう迷わない。

 アルバート様は腰に差した剣を引き抜き、足元に突き刺す。


「俺が守るべき人はシェラローズ。──貴女だ」

「えっ……」


 どう反応したらいいのか分からず、固まる。


 騎士が守るのは心から忠誠を誓った相手のみ。

 それは己が今まで磨いてきた剣の全てを捧げるのと、騎士としての人生を捧げるのと一緒で、だからこそ……その誓いを掲げるのは生涯で一度だけ。


 大抵の騎士は、王族に向けて剣を捧げる。

 でも、アルバート様は……私に騎士の誓いを立てた。


「一度は不甲斐ない姿を見せたが、今度こそ俺の全てをかけて貴女様を守り抜くと騎士アルバート・グラウスが誓う。……受け取ってくれるか?」


 一時の感情や、世迷言で言っている訳ではない。

 疑う余地もないほどの、どこまでも真っ直ぐな彼の目を見れば、そんなことは明らかだった。


「ほんとう、に……?」


 トクンッ、と胸が鼓動する。


 この感情は何だろう……?

 とても温かくて、とても甘くて……でも、ほんの少しだけ苦しい。


 眠ること以外で、こんなにポカポカしたのは初めてだ。

 初めてのことを前にして一歩踏み出すのは……怖い。けれど、それ以上に、彼から貰った言葉が嬉しかった。


 ……ああ、そっか。

 きっと、この感情は──彼が抱いているものと同じなんだ。


 そう思っただけで、また胸が高鳴った。


「もちろんです。ずっと側にいてください」


 未来なんて誰にも分からない。

 誰もが予想できない事件が起こるかもしれないし、そのせいで忙しい日々が続くかもしれない。嫌なことにだって巻き込まれるかもしれない。


 でも、これだけは絶対だと、断言できることが一つだけ。

 それは、彼と一緒にいることが私にとっての幸せでもある、ということ。


「ありがとうございます。アル様」


 私のために悩んでくれて。

 私を守ろうと必死になってくれて。


「お礼を言うのは、俺の方だ」

「では、お互い様ですね」


 お互いに笑う。

 私も彼も、あまり笑う性格ではないからか、その表情は少しぎこちない。

 でも、数え切れないほどに経験した彼との会話の中で、今が最も充実している時間だった。


「行きましょう。お父様が心配しています」

「ああ、そうだな」


 私たちは歩き出す。

 今度こそ、二人で並んで────。


読んでいただき、ありがとうございます!

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