函館一日目、さあ、最初はどこ行く?
私が目を覚ましたのは、八雲駅を過ぎた辺りだった。
滑らかだが確かに伝わって来る列車の振動と共に、意識がはっきりしてくる。
(咽喉渇いたな……)
もぞもぞと動いていたら、寝ていたと思った綸子に顔を覗き込まれて、私は「ふぁッ?」と間抜けな声を出してしまった。
「……あれ? 起きちゃった?」
なんだか、ニタニタしているのが怖いんですけど。
「え? いつから起きてたの?」
「だから寝てないってば」
この期に及んで綸子は真面目な顔でそう答える。
そんなはずはない。
だって私には、時折目が覚めては、綸子の寝顔を撮ろうとしてまた寝てしまった記憶があるのだ。
(うわ、逆に本気で寝てるところ見られちゃった……)
そんな私の焦りを知ってか知らずか、「ふーこって、寝顔可愛いんだね」などという事をしれっと言いながら、自分のスマホの待ち受けを私に見せてきた。
「?」
そこには緩み切った私の寝顔が大写しになっていた。
「ちょ!? 何撮って……ッ!?」
慌てて奪い取ろうとしたら、「動画も撮ったけど見る?」と追撃される。
「すみませんやめてください! 私が悪うございましたッ!」
「ね? 私、寝てないでしょ?」
寝てたけど----。
「ね、寝てません……」
「よろしい」
満足げな顔で綸子はまたスマホを見せてくる。
今度は駅の写真だ。
「来る前に予習しておいたから、有珠とか、洞爺とか長万部とかの駅が見たくてちゃんと起きてたよ……まぁ、ちょっとは目をつぶってる時もあったけど……はい、証拠写真」
いやそっちを待ち受けにしない? 普通は。
「オンゲーとかやってると、結構細切れで仮眠取ったりするから、あと五分寝ようと思うと自然に五分で目が覚めるんだよね」
それって、微妙にマウントを取られてるような気もするんですけど。
いや悔しくはないけど。
「でもさ……つまりは寝てたんじゃん」
私が不満げにそう言うと、綸子は「ふーこがあんまり気持ち良さそうに寝てたから、なんかこっちまでつられちゃっただけだよ」と反論する。
「でも、手はずっと繋いでいてくれてたから……目が覚めても、あ、夢じゃないんだって思ったらまた安心して寝ちゃった」
へへへとはにかみながらそう言われると、恥ずかしいけど、何だか嬉しい。
「……私も、綸子と一緒だと安心する」
そう言うと、綸子はふっと微笑む。
「今回のプランとかふーこが全部やってくれたからね、疲れてたんでしょ? ありがと」
そんな言葉を聞いてしまったら、もう私の負けだ。
(こういうのが、幸せっていうんだろうな……)
そしてまた二人で窓の外を眺める。
長かった噴火湾のルートもそろそろ終わりだ。
「あ!明治天皇ご上陸碑だ!」
ちゃんと予習して来たと言うのは本当のようだ。
綸子が森駅を過ぎた海の中にポツンと佇む細長い石碑を指差す。
その上にはカモメがとまっている。
開拓時代の北海道と明治天皇の縁は深い。
これから向かう函館にも明治天皇の痕跡が幾つもある。
そのうちの幾つかは街中で出会う事になるのだろう。
特急北斗は駒ヶ岳の威容を見ながら森の中を駆け抜け、大沼公園を通過する。
「大沼公園も行きたかったんだよなぁ」
残念そうに言う綸子。
その視線の先にはキラキラと光る大小の沼が広がっている。
「ホテルもあるしさ、サイクリングもできるんだよ? 大沼団子、食べたかったなー」
ふぅ、とわざとらしく溜息をつかれてしまう。
「でも二泊三日だからね、初めての旅行だからせわしない方がいいかなって思ったの……だから大沼公園は、今度ゆっくり来よう、ね?」
私の言葉に、少女の目が輝く。
「今度、か……いい言葉だよね。私、その言葉大好きだよ」
「そうなの?」
そう聞くと、こくりと頷く。
「昔は大嫌いだったの……今度とか、またいつかとか、体調が良くなったら、とか」
「……そっか」
そうだ。
この子はそういった希望を全て裏切られ、やがて自分で進んで手放すようになっていたのだ。
これまでに消えて行った約束が、彼女の心を縛っていたのだ。
未来へ思いを馳せても傷付くだけだよと、もう一人の自分がそっと囁くのだ----。
私はそれを良く知っている。
「でも、今は大好き」
「……じゃ、約束ね」
私は右手の小指を差し出す。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーますッ!」
私達は頭をくっつけ合いながら、くすくすと笑い合う。
昼が近くなってきたと示す陽の光が、目の前に開けた山の間の街を照らしている。
旧街道の脇に植えられた松の木が、道南に来たんだなぁという感慨を湧き起こさせる。
あと少しで、函館だ。
「最初はどこ行くの?」
「コインロッカー、です」
私は生真面目な顔で答える。
「チェックインまでに何か所か行こうかと思ってるんだけど大丈夫?」
「うん、全然大丈夫! あとお腹空いた!」
はいはい。
まずは腹ごしらえからですよね。
そんな訳で、荷物を預けてから私達は函館駅を出る。
私の横で、綸子は白のキャップを被り、薄い色のサングラスをちゃっと掛ける。
(わぁ……ずいぶん変わったな……)
綸子に気付かれないよう私は溜息をつく。
ボー二森屋がなくなってしまった駅前は、数年前の活気が薄れている。
道路を挟んだその向かいの雑居ビルというかデパートも、昔は地下にレコードショップや古本市があって必ず行ってたものだけど、今は何だかよく分からない多目的ビルみたいな施設になっている。
「えーと、市電に乗るから一日券を買うからね」
「はーい」
心なしか綸子は私に一々指示されるのが楽しそうだ。
「なんかさ、修学旅行みたいでいいよね」
だそうである。
あたしゃ先生か。
函館の市電は五分おきくらいに来る。
どつく前行きと、谷地頭行きの二系統だけど、だいたい駅前から十字街駅まで乗ってしまえば、あとはぶらぶら歩いている間にハリストス正教会や聖ヨハネ教会といった有名どころの建物が集まるエリアに出る。
すぐに来た市電は半分くらい空いていたので私は綸子を座らせて、壁の路線図を確認する。
(よし、まずは予約しておいたお昼前のアフタヌーンティーといきますか!)
よーし! 風子先生、頑張っちゃうぞ!