噴火湾は続くよどこまでも!
札幌駅を発車した特急北斗は、豊平川を渡り白石駅、平和駅と住宅街の中をスピードを上げながら進んでいく。
綸子はニコニコ顔で駅弁を頬張っている。
新札幌駅からはまた少し乗客が乗り込んで来るが、列車はすぐに発車する。
ここを過ぎるともう、郊外だ。
車窓の外には緑が増えて来る。
「あ、もう札幌出ちゃうんだ」
やなぎ餅もぺろりと食べ終わり、ペットボトル片手にグーグルマップを見ていた綸子が驚いたような声で呟く。
「うわ、やっぱり電車って速いんだね」
「それでも着くまでは四時間近くかかるからね……お腹もいっぱいになった事だし、寝てていいよ?」
そう言うと綸子は頬を膨らませる。
「またすぐそう言う! 寝ないし!」
そう言って、前の座席の後ろから車内案内の冊子を取り出して読み始める。
「私だって、昨日はいつもより十分早く寝たんだからね」
「……それは単なる誤差の範疇じゃ……」
右を見ても左を見ても緑また緑----という区間がしばらく続くと、千歳だ。
やがて右手に新千歳空港が少しずつ見えて来る。
「ふーこ、飛行機!」
身を乗り出した綸子が指差す。
さすがは北海道の空の玄関口だ。
窓の向こうを覗けばひっきりなしに離発着する飛行機が見える。
「でも、私、飛行機はあんまり好きくないなぁ」
「そうなんだ?」
考えてみれば彼女が飛行機に乗る時というのは、観光とかではなく、ほとんどが転院や遠隔地での手術のためだったのだろう。
「あっ、でもね、東京とかから戻って来た時はこの辺の景色が上から見えて、あぁ北海道に帰って来れたんだ、って思って嬉しかったな」
「あー、それ分かる」
いつかはこの子と飛行機にも乗る事があるのだろうか。
その時は今のこの話をまたしながら二人で一緒に窓の外を見よう。
線路は南千歳の駅で空港線と別れる。
飛行機に乗るためには空港線に乗り換えが必要だ。
背広姿のサラリーマン達が慌ただしく降りて行くと、車内はまた、私達を含め数名のみになった。
「じゃあ、今度は飛行機で旅行に行こうか。新幹線とかも乗ってさ」
「あはは、ふーこってば気が早すぎ」
そう言って笑った綸子の顔は、だけど満更でもなさそうだった。
千歳を過ぎれば、線路は国道36号線と並ぶようにして海を目指す。
途中からは高速道路も並走する形となる。
「わ、海だぁ」
苫小牧の市街地を抜ければ、左側はもう海が広がっている。
「前に来たときはまだ工事中だったのにね」
あの北吉原の駅舎はもうなくなっていて、製紙工場の煙突から白い煙が立ち上っているのが見えるだけだった。
「時間って、過ぎるのが早過ぎるよ」
「歳取るともっと早くなるよ」
そう茶々を入れたら「ひえー、アラサーの言う事にはやっぱり重みある」などとほざいてくれた。
「うそうそ、楽しいからあっという間に過ぎちゃうだけだよ」
「そうかな? じゃあいい事なのかな?」
しばらくはおなじみの光景を左に観ながら直線に近い鉄路が続く。
「そろそろ室蘭本線だって」
「じゃ、白鳥大橋見えるね」
巨大な煙突や、背の高いクレーンの群れ。
間近で見る工場群は日中でもすごい迫力だ。
「ふーこ、カメラ貸して!」
「はいはい」
室蘭で白鳥大橋の写真を必死に撮っている綸子を見ながら、私はこっそり欠伸をする。
さすがにちょっと眠い。
だがしかし、ここで先に私が寝てしまう訳にはいかないのだ。
室蘭を過ぎれば、いよいよ噴火湾(内浦湾)のルートに入るのだから。
(確か車だと二時間くらいだったはず……そう、延々続く海の光景にこのお嬢様が絶えられるはずはない……ッ!)
絶対に彼女は寝る。
その寝顔を私が撮ってやるのだ。
「うーん、電車から写真撮るのって難しいね。トンネルも多いし、猫の写真下手くそ選手権みたいになっちゃう」
そう言って私にカメラを返すと、綸子は「ふぁぁ」と小さく欠伸をした。
「寝ないけど、寝たら起こしてね」
「はいはい」
背もたれに頭を預けて、綸子は目を閉じた。
「……寝てないからね?」
「分かってるって」
この辺りまでくると、道南らしい空気になって来る。
陽の光や、線路沿いの木々や、民家の造りもどことなく違うのを眺めていると、旅に出るという緊張感よりも、たまに訪れる遠い親戚の家に向かうような穏やかな気持ちになってくる。
「……電車っていいね」
そっと握ってきた綸子の手を握り返すと、綸子は目を閉じたまま微笑んだ。
「私、ちょっと心配だったんだ」
「どうして?」
私の問いに綸子はしばらく言葉を選ぶ風な様子だったが、ぽつりと言う。
「成田離婚とかいうじゃん?」
昭和かよ。
「あれって、ハネムーンで初めて一緒に旅行して、性格が合わないことが分かって別れちゃうってやつでしょ?」
「そうだね」
綸子は目を閉じたままだ。
「私、本当は我儘なんだ」
「知ってる」
少し沈黙が続いた。
「自分勝手だし……他人の言う事聞かないし、世間知らずだし、思った事すぐ言っちゃうし」
「全部知ってる」
綸子が目を開いてこっちを向く。
「大丈夫なの!?」
「今まで大丈夫だったんだし、そのくらいで嫌いになるんだったら好きにならない」
綸子はぽかんと口を開いたまま私を見詰めている。
コイツ、まさか自分はちゃんと隠しおおせてるとか思ってたんじゃないでしょうね?
「私達の始まりからして脅迫から始まったようなもんだし」
「ちょ、人聞きの悪い……!」
私は綸子の手をギュッと握り返す。
「そういうのも全部含めて好きだって言ってるでしょ」
「ふ、ふーこ……ぉ……」
感極まったのか、綸子が涙声になる。
「良かったぁ……本当は私、心配で眠れなかったんだ……」
「じゃあ寝てなさいよ。駒ヶ岳見えたら起こすから」
私の言葉に綸子は「うん」と頷くと、そのまま寝た。
のび太もびっくりの超速入眠である。
(……可愛いなぁ)
目尻に少しだけ光るものが見えて、私は微笑んだ。
そんな事心配してたんだ。
やっぱり強がって見せていても恋する女の子なんだなぁ。
(さて、寝入ったようだし写真でも撮っちゃおうかな……)
なんて思っているうちに、気が付けば私も寝てしまったらしい。
時折目を覚ましてもまだ海が見える夢うつつの時間、私はそれでもずっと綸子の手を握っていた。