北斗でGO!
函館へは特急北斗で行く事になった。
もちろんお嬢様をお乗せするので、当然グリーン車である。
「電車かぁ、じゃあ中でお弁当食べられるね!」
最初は車の方がいいと言っていた綸子は、駅弁という存在に気が付いた途端に満面の笑顔になった。
ホントにチョロいお嬢様である。
「でも函館でもソフトクリーム食べるんだからねッ!」
お嬢様が高速を使う楽しみの一つが、サービスエリアで食べるソフトクリームなのだ。
ドライブとソフトクリームは、彼女の中では既にワンセットになりつつある。
「うーん、ソフトクリームもいいけど、でもアフタヌーンティーもパフェもジェラートも食べるんでしょ? お腹壊さないでね?」
「大丈夫大丈夫、旅行に備えてここしばらく日中はうちの周りウォーキングしてたし」
少女は得意げに親指を立てる。
「おかげであそこのたこ焼き全メニュー制覇した」
「それ途中で目的変わってない?」
宿泊先は湯の川地区と最後まで迷ったが、綸子の希望を最大限実行するために、今回は駅の近くのホテルにした。
無論、ちゃんとご希望通りの温泉付きである。
「あとソーセージも忘れてないでしょうね?」
「はいはい、ちゃんとコースに入れてます」
若いって凄い。
私は眠い。
しかし、今回の旅は私がツアーコンダクター役を務めるのだ。
切符の手配から何までやって、美味しい物を食べさせて、綺麗な景色を見せて----。
今回の旅で、私はこの少女に大人の魅力というものを感じさせなければならない。
とにかく本当はデキる年上なんだと思って欲しい----ってか思え。
今回の旅でたっぷりと教え込んでやるからな。
覚悟してろよ、お嬢様。
(ふふふ、私に向けられる尊敬の眼差しが今から楽しみだわ……)
などと胸の内で呟きつつ、札幌駅に向かうタクシーの中、私はテンションMAXのお嬢様を宥めながら頭の中の『駅に着いたらやる事リスト』を再確認する。
今は朝の6時半。
北斗の出発は6時52分だ。
函館着は10時38分。
二人共もちろん朝ご飯はまだ食べていない。
「着いたらまず先にお弁当とお茶を買わないとね」
「お茶も? 電車の中で売ってないの?」
そうなのだ。
今の北斗で車内販売はない。
っていうか、そもそも以前は北斗の他にスーパー北斗という車両があり、そっちの方が若干乗車時間が短くて人気だったのだ。
だが今は老朽化で廃止され、特急は北斗のみになり、本数も減ってしまった。
日高線の時もそうなのだが、とにかく今のJR北海道にはお金がない。
多くの赤字路線を抱えているため、新型車両どころか最低限の乗務員で運行させているのが現状なのだ。
「昔はお弁当もお茶もお酒もアイスも買えたんだけどね……予約しておけば長万部駅ではかに飯とか、大沼公園駅では大沼団子とか……」
「えぇ……食べたかったよぉ」
本気で残念がる綸子を見ていると、私までまた食べたくなってしまう。
「ま、かに飯はたまに東〇ストアとかでも販売してるし、大沼団子は……えーと、きっといつか食べる機会があると思うよ」
「もう、ふーこは分かってないなぁ……その土地の物はその土地で食べるのが一番美味しいんじゃん!」
いや、ド正論ではあるんですけど。
「まぁまぁ、その分函館で美味しい物一杯食べようよ……絶対満足できると思うから」
「そこまで言うなら期待してるからね!?」
結局食べ物の話しかしてないうちに、私達は札幌駅に到着する。
平日とはいえまだ朝早い駅前は、広いだけに鳩がまばらに佇んでいるのがやたらと目立つ。
「はい、これが綸子の分……って、重ッ!」
渡した新品のキャリーケースがやたらとデカい。
人でも入れるのかってくらいの黒光りするキャリーケースは、若干犯罪臭すら感じてしまう存在感だ。
「え、だってお土産入れるんだから大きい方がいいじゃん」
何を聞いて来るんだという顔で綸子が小首を傾げる。
その向こうで鳩も首を傾げている。
「あと、あまり可愛いと盗られやすいってネットで読んだ」
「なるほど」
私達は駅に向かって歩き出す。
「あ、パスポートは持って来てる?」
「持って来てる訳ないでしょ! ふーこったら人の事何だと思ってんのよ!」
良かった。
ちゃんと国内旅行者用のアドバイスを読んだようだ。
にしてはデカいなホント。
イカでも詰めて帰る気なのだろうか。
私はTシャツにジーンズにスニーカー。
綸子は猫のイラストがプリントされたTシャツに、淡いグリーンのロングスカートとスニーカー。
美容室に行ったばかりだというミルクティー色のウルフヘアが、朝の光に軽やかに揺れている。
どんなゴツいキャリーケースを引っ張って歩いていても、それが綸子だとやっぱり何かのCMみたいに綺麗だ。
(ホントに、私、こんな綺麗な子と恋人になったんだ……)
ガラガラガラと、キャリーケースの音が響いている。
私のと、綸子のとで、二人分。
今から二人で旅行に行くんだと改めて実感する。
私の人生も捨てたもんじゃないなと思う。
「さて、まずは駅弁を買いましょう」
どんなに朝早くても、人気の駅弁はすぐに売り切れてしまうので、駅に着いたらすぐに買うのが確実だ。
改札を通り、駅特有の静かなざわめきの中を歩く。
たくさんあるホームには全てエレベーターが設置されており、その乗り口にはこれから発車する列車の名前と時刻が電光板に表示されている。
「いっぱい電車があるね」
何もかもが珍しいといった風にきょろきょろしながら、それでも綸子は私にぴったりとくっ付いて来る。
キオスクやパン屋も気になるようだが、綸子の目的はやはり駅弁なのだ。
「あ、あれかな!?」
指差した先に、小さな駅弁売り場があった。
やはり北海道なので海鮮系がメインだ。
「うーん、どれも美味しそう」
さっそく悩み始めるお嬢様。
「わ、お餅もあるよ?」
「柳もちだね……あ、なんか包装変わってる」
ついそう言ってしまうと、綸子がじっとりとした目で私を見る。
「食べた事あるんだ?」
「あ、あるよ……?」
きっと私の元彼(という表現もしたくないんだけど)と旅行した時にでも食べたと思ったんだろう。
はい、その通りです。
「え、えっとね、このお餅は明治時代から駅で売られててもう100年くらい経つんだよ……お餅をこしあんで包んでて美味しいの」
「ふーん」
綸子は、じゃ、これも買っちゃおうと呟きながら、またショーケースを覗き込む。
「決めた! 石狩鮭めしとやなぎ餅にする!」
「私も鮭めしにするかな」
これでまず朝ご飯は確保できた。
次は飲み物とお菓子だ。
私はキオスクに向かう。
綸子はポッキーを持って来た。
「すみません、これと、あとうらら四本下さい」
うららというのは、ペットボトル入りの日本茶だ。
北海道の水を使っていて、北海道のキオスクにしかないオリジナルの商品だ。
「美味しいの?」
「まぁ、特別美味しいって訳じゃないけど、これを飲むと、ああこれから旅行に行くんだなって気分になるの」
まだ列車は来ないので、私と綸子はテレビの前に並んだベンチに腰掛けていた。
さすがに早かったからか、列車を待ってる間、綸子はスマホを見ながら二回小さな欠伸をした。
「函館は晴れだって」
「良かった、夜景見れるね」
いい旅になりますようにと心の中で祈りながら、私は時間を確認する。
表示は出ているけど、まだちょっぴり早い。
だけど私は立ち上がった。
「よし、ホーム行きますか」
大した理由はないけど、私は北斗がホームに入って来る瞬間を綸子と見たかったのだ。
ホームに着くと、既にまばらに人が並んでいる。
だいたいは出張のサラリーマンとか、一人旅の若者みたいな感じだが、私達の乗るグリーン車の乗り口には初老の男性が一人文庫本を読んでいるだけだ。
「わ、線路がいっぱい」
早朝のため入線している列車が少なくて、向こうの方まで見渡せる。
蛍光灯の灯りは点いているが、ホームを覆う屋根のせいで独特の薄暗さがあるのは変わらない。
古いコンクリートと、鉄の匂い。
ずっと昔は煙草の匂いもしたっけ。
もう列車に乗る事はほとんどなくても、こうしてホームに立つだけで懐かしさが込み上げて来る。
「ふーこって電車通学とかしてたの?」
「うん、電車と地下鉄だから毎日この駅使ってたよ」
駅の地下にも毎日のように寄り道していた。
今の地下街になる前は、ステーションデパートという商店街で、結構大きな本屋さんがあってそこで毎月雑誌を買ったり、立ち読みをしたり、巡回中の先生の姿を見付けてこっそり逃げ出したり。
「へー、なんか青春って感じでいいな」
「ほとんど一人か友達と二人だったから、そんなキラキラした思い出でもないんだけどね」
でも青春だよ、と綸子は呟いた。
「先生に見付からないように友達と逃げたりとか、全然青春じゃん」
「……そっか、そうかもね」
学生時代のほとんどを病院のベッドの上にいた少女にとっては、たとえ私には地味な思い出でも、過ごす事の出来なかった青春というものの一ページに思えるのだろう。
「なんか、ゴメン」
「別に、ふーこの話聞くの好きだし」
そう言った綸子を思わずギュッとしそうになった瞬間、私は線路の彼方の小さな点に気付く。
「来るよ、北斗」
「え、どれ!?」
背伸びして近付いて来る列車を見詰める少女の顔が、みるみる笑顔になる。
良かった。
「あれ? あの青いの?」
「そう、私達あれに乗るの」
北斗の車体はブルーだ。
その名称は北極星を指し示す北斗七星から取られている。
『北斗』と札幌の別名『北都』が同じ響きである事から、当時まだ運航していた青函連絡船の乗客を札幌まで運ぶ列車の名前として付けられたとされている。
元々北斗という名前自体は、上野駅と青森駅で運行された夜行急行列車に付けられていた。
「国鉄時代は夜行列車の名前は天体の名前から取ってたんだって……なんかさ……」
「うん、銀河鉄道っぽいよね」
ホームに滑り込んで来た北斗の前で、私達は顔を見合わせて微笑み合った。
「これに乗ったらどこまでも行けそう」
「っても、函館が終点だけどね」
そう突っ込むと、綸子は唇を尖らせる。
「ふーこにはロマンが足りないと思う」
「じゃ、函館でたっぷりロマンを補充させてもらっちゃおうかな」
私は列車にくるりと背を向けて、綸子の額にキスをした。
「なッ!?」
綸子は瞬時に真っ赤になる。
とても分かりやすい----そういう所も大好きだ。
「私も知らなかったけど、青春っていつだって始められるし……いつまでも続けられるのよ?」
私はニカッと笑って見せた。
「だから、さぁ……一緒に旅立ちましょう、鉄郎」
「そっちじゃないっつーの!」
という風にして、私と綸子の二泊三日の函館旅行は始まったのだった。