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その3 悪役令嬢はお好き?

 数人のグループがぞろぞろと出て行って誰もいなくなったバルコニーに立つと、右下に旧イギリス領事館を始めとする古い建物が、前方には市電通りの向こうに港が見えた。


 港の向こうには、横津連山と呼ばれる山々が緩やかな曲線を描き、海の青と対照的に霞がかかったような緑が道南らしさを感じさせる。


 「あー、函館だぁ……」


 思わず口からそんな言葉が出る。


 函館山からの夜景ばかりが印象的だったけれど、このくらいの高さから見渡す朝の光の下の函館の街には、また違った魅力がある。


 今まで来なかったのが本当にもったいない。


 それにしても、抜けるような青空と、バルコニーの手すりの鮮やかな黄色の対比が目に眩しい。

 坂道を上るようにして吹いてくる穏やかな風が私達の髪を、ドレスを揺らす。


 100年前もこんな風に函館の街を眺めていた人々がいたのだと思うと、不思議な気持ちになる。


「ね、誰もいないからちょっと遊ぼうよ」

「遊ぶ?」


 ドレス姿の綸子はいたずらっ子のような顔になる。


「ここでふーこと悪役令嬢ごっこがしたい」

「マジですか?」


 確かに悪役令嬢っぽい感じのコーディネートだけど、悪役令嬢ごっこって何だよ、と思う間もなく----。

 

「ああ、私、こんな素敵なお屋敷であの方と暮らすのね、夢のようだわ……そう思わない?」


 いきなり隣でミルクティー色の髪をした令嬢がくるりと一回転する。


 え。

 なに? もう始まってるんですかこれ?


「今夜の婚約披露パーティー、緊張するけど、ふーこがいてくれるから心強いわ」

「……そう? 貴女はいつもそう言うけれど、本当にそうかしら?」


 私は意味ありげに微笑んで見せた。

 タイミングよくパチン! と扇子を鳴らして。


 あの、これでも演劇部にいた事があるのよね、中学生の時だけど。


「本当にそう思っているなら、隣にいるのがあの方じゃなくても別にいいって事よね?」

「え、急に何を言い出すの?」


 よく分からない即興芝居だが、他の来館者がいないのをいい事に、私も綸子もなりきっている。

 綸子の当惑したような表情で私を見る様子は、本当に女優だ。


「何も知らない子猫ちゃん、よくお聞きなさいな、あの男の心はもうとっくにわたくしのものなのよ」


 ふふふふ、と含み笑いをしながら扇子を広げ、綸子の耳元で囁く。


「残念だけど今夜のパーティーで貴女は彼から婚約破棄を告げられるの。あぁ、想像したら今からもう胸が痛いわ……」

 

 白い蝶がひらひらと目の前を飛んでいく。


「まぁ、わたくしと貴女は長い付き合いですもの、最後に涙を拭くハンカチくらいは貸してあげてよ」

「そんな……ふ―こ、貴女……本当は私が彼の事なんか好きじゃないって知ってるのよね?」


 綸子が不意に私の扇子をスッと取り上げる。


「私は信じてる……! 貴女はずっと私の側にいてくれるって……貴女だってあのお方の事なんてこれっぽっちも好きじゃないけど、私の純潔を守るためにわざと愛のない結婚をするって知ってるんだから!」


 あっ、そういう設定だったのね。


「ありがとう。私は誰とも結婚なんかしないわ……愛してるのはふーこだけだもの……この悪役令嬢さん」


 そう言いながら綸子は扇子を二人の顔の前にかざす。

 チュッと素早く私にキスして、済まし顔に戻った。


「……みたいな?」


 気が済んだのか、綸子は小さく舌を出して見せた。

 この小悪魔め。


「……なんか、今の科白、自分で言っててちょっと感動した」

「まあドレスの下はスリッパだけどね」


 そう突っ込んだら、「もうッ!」と畳んだ扇子で叩かれた。


「わ! 暴力反対!」


 酷い。

 これが令嬢のやる事だろうか。


 などという謎の小芝居を終えて、今度は下に見える建物の名前当てクイズとかをやっていたら、


「すごい! ドレス着てる!」

「モデルさんみたいじゃない? ちょー美人、写真撮りたーい!」


 学生らしい女の子達の賑やかな一団が入って来た。

 それを見て綸子が目をキラーンと光らせる。


「すみませーん! 写真撮ってもらえますか?」


 スマホを掲げて満面の笑みでそう頼むと、女の子達はあっという間に私達を取り囲む。


「ティアラ綺麗ですね! 下のとこで借りたんですか?」

「これって雑誌の撮影とか?」


 綸子はニコニコとしているだけだ。

 女の子達は争うようにして私達を撮り、綸子と一緒に撮り、私とも撮り(割と好評だった。何故だ)、オマケ程度に外の景色を撮り、最後に倫子のスマホで私達二人の並んだ姿を撮ってくれる。


「!?」


 いきなり綸子が私に抱き付いてへへへと笑った。

 それも撮ってくれた。


「うん、いい感じ!」


 スマホの画面を確認しながら綸子は満足そうだ。


「やっぱり映えが分かってる世代が撮ると違うね」

「お、アラサー世代に宣戦布告かな?」


 それにしても綸子の笑顔はすごい武器だ。

 この子に何か頼まれて嫌と言えるのは、鬼か悪魔か猫位だろう。


「それじゃ、みんなありがとね!」


 さも本物の女優かモデルのような堂々とした笑みで少女は私を促し、バルコニーを後にする。


 人たらし、ってこういう事を言うんだろうなぁ。

 羨ましいけど、私には絶対無理だ。


「えーと、もうちょっと時間あるから撮り合いっこでもする? スマホでもポールタウンの写真屋さんで好きなサイズに現像できるから」


 大広間の壁側の椅子に腰掛けてそう聞くと、綸子が嬉しそうに頷く。


「そだね、それじゃ自撮りしようよ。さっき自撮り棒持ってるコ見たからそれ借りる」

「お、おう……」


 世渡り上手過ぎだろ。


 でも、それも多分また彼女なりに身に着けた処世術なのだと思い直す。


(強いんじゃない、強くならないと生きていけなかったんだ……)


 幼い頃から見知らぬ大人達に囲まれ、たくさんの痛みに耐え、歳上の患者達と顔を突き合わせる生活に、一度は押し潰されて、綸子は私の知っている綸子になった。


 でももう、ここは病院なんかじゃないし、人の目を避けて暮らす家でもない。


 綸子は、私とこうしてここにいる。


(それでもこの子はまだ強くなろうとしてるんだろうな……)


 できる事なら、一人で生きるためではなく。

 二人で生きるために。


(……私も強くならなきゃ)


 本当は、事前に頼んでおくとカメラマンが写真を撮ってくれるプランがあったんだけど、今回それはあえて言わなかった。


 そういう写真は、二人で白いドレスを着て初めて撮りたかったから。


 なんて事は、まだ言う勇気がなくて。


「よし、まずはふ―こから」


 そう言われて私は立ち上がり、広げた扇子の陰で小さな隠し事を一つ、ひっそりと呑み込んだのだった。

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