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すき焼き、恋バナ……絡み酒!? 後編

(お酒なら、確かアレがあったはず……)


 メニューにはワインやビールも豊富にあるが、私はあるお酒を探していた。

 何年も前の記憶が確かなら、ここで初めて飲んだ日本酒があるはずなのだ。


「あ、あった……これ、すず音っていうお酒」

「すずね……?」


 初めて聞いたのだろう。

 綸子が首を傾げる。


「そ、日本酒なんだけど」

「え、うーん、日本酒かぁ……飲めるかなぁ?」


 その様子だけ見ていると、とても一杯のアルコールで豹変する性格とは思えない初々しさだ。

 いかんいかん、これは騙される。


「日本酒だけど、多分リンコも気に入るんじゃないかな」

「ふーこのオススメなら飲んでみようかな……って、どんなお酒なの?」


 えっ、何その可愛いセリフ。


 これはもう飲ませたい。

 一緒に酔うしかないじゃん!

 

「すず音ってね、只の日本酒じゃなくて発酵させているから、グラスに注ぐと発泡酒みたいに泡立つの」


 正式名称は発泡清酒だったかな。

 パッケージも可愛いし、とにかく女性に人気のあるお酒だ。


「へぇそれ美味しそう!」


 すず音は一ノ蔵という酒造メーカーの商品だが、あまり店頭にないため私にとっては何となく特別なお酒である。

 グラスに注ぐ時、泡が弾けるチリチリという小さな小さな音がするのが特徴だ。


(すず音という名前はそこから付けられたんだ、って言ってたなそういえば)


 初めて飲んだのがこのお店で、一緒に呑んだのは----まぁいいや、そこは黙っておくか。


「じゃ、すず音にしてよ」

「分かった」


 という訳で、私達はすず音と一番高い黒毛和牛A5牝サーロインコースを頼んだ。


 勿論ここは私の奢りだ。

 たまには大人の女の余裕というものを見せ付けてやらねばならない。

 まぁ、実際には、石油王の前で成金おじさんがお札に火を着けて靴を探しているくらいの、越えられない財力差があるのだけれども。

 

「じゃ、まずは一日目の夜にかんぱーい!」


 向かい合った私と綸子は、すず音を入れたグラスをコツンと当てる。


「本当に一口だけだからね?」

「分かってるってば、味見だけだもん」


 そう言って、綸子はグラスを傾ける。


「あ、まだしゅわしゅわ言ってる」


 そう言ってちびりと飲む。


「美味しい!」

「でしょー?」


 私も一口飲む。

 なんだかんだでやっぱり一番好きな発泡清酒だ。


「ふーこって函館でも美味しいお店とかいっぱい知ってて凄いよね」

「んー、ま、何回も来たからね」


 さて、お肉と野菜が運ばれてくる。


 ここのすき焼きはちょっとよそとは違う。

 鶏のガラを使った出汁と割り下で煮るのだ。


 これまで食べて来た(とはいえそんなに回数ないけど)すき焼きの中で一番美味しい。


 そして、夜のコースはおかみさんが座敷で直接作ってくれるので、火の加減とかを心配する必要がない。

 白滝(すき焼き用に特別に細めに作ってもらってるらしい)と野菜を先に鍋で炒め、その上にふんわりとお肉を乗せていくのをじーっと見詰めてればいいだけなのである。


 それではごゆっくり、と言いながら座敷の襖が閉められると私達は見るからに柔らかそうな肉に箸を伸ばした。


「すごい! お肉美味しい!」


 一口食べて綸子が満面の笑顔になる。

 小学生並みの語彙やんけと思いつつ私も肉を口に入れる。


「ホントだ! お肉美味しい!」

「白滝もすごい美味しい!」


 少し空いた窓の向こうから楽しそうなさざめきが微風と共に流れ込んで来る。

 昭和にタイムススリップしたかのような扇風機がゆっくり首を振っている。


「これ、すぐなくなっちゃうね……」


 箸を止めて綸子が悲しそうな声で呟いた。


「大事に食べよう……」


 仕方ない。

 肉追加いきますか。


「すみません、お肉追加で」


 店員さんに頼んでる傍から「すず音もあと一本追加で!」と聞こえた気がしたが、ほろ酔い気分の私は特に気にしなかった。


(ま、たまにはいいか)


 で、よくなかった。


「……ねぇ、ふーこさぁ、このすず音、どこで初めて飲んだの?」

「え、ええ……?」


 ほんのり頬を染めたミルクティー色の髪の少女が、卓の上で両肘をついて私を見上げている。

 すず音のボトルはもう空だ。


 〆のうどんもほとんど残ってない。


「友達と飲んだの?」

「あ、うん……そんな感じかな?」


 ちょっと泳いだ私の視線を少女は見逃さなかった。


「元カレ?」

「……えーと」


 私が返事に詰まっていると、綸子は「やっぱりねぇ」とニヤリとした。


「別に私は気にしてないよぉ?」


 してるしてる。

 その言い方、めちゃくちゃ気にしてるじゃん!


「なんだかんだ言っても例の元カレの事、ここに来たらやっぱり懐かしいんじゃない?」

「そ、そんな事はないわよ。確かに思い出しはしたけど、お店自体は好きだし」


 あああああ。

 やっぱり最初からオレンジジュースでも飲ませておけばよかったのに私のバカ!


「昔の男と来た思い出のお店に今の彼女連れて来るなんて、ふーこって実はSな感じだったりする?」

「しないしないしない! 確かに昔ここに連れて来られた事はあったけど、でもそういうつもりで今日来た訳じゃないのよ!」


 すると、綸子がゆっくり立ち上がってこちらに来た。

 ちょっとふらついている。


「危ないって、トイレ行くなら一緒に……」


 そう言った途端、座っている私の上に覆いかぶさって来た。


「ちょ、何やって……」

「ここでこんな事もしたりしたの?」


 すぐ後ろは廊下に面した襖だ。

 時々店員さんやお客の足音がする。


「……してないわよ」

「ホントに?」


 囁く吐息が熱い。

 あとお酒臭い----のは二人分か。


「何回か来たけど一緒だったのは最初の一回だけだったし、あとは朝、一人でコロッケ買うくらいだったわよ……アイツの旅行の目的は釣りだから、そういうラブラブなのはありませんでしたッ!」


 一気にそう言い切ったら、綸子は「そっか」と呟いた。


「なら、これが初めてになるね」

「……ッ!」


 いきなりベロチューされて、時間が止まる。

 すぐ後ろをガヤガヤと団体が通って行くのが遠くに聞こえる。


(……今ここで襖を開けられたらなんか色々終わるな……)


 そう思っているのに、背徳感と高揚感みたいなので頭が熱くなる。


「へへ……これでふーこの恋愛記憶上書き完了っと」


 長いキスの後で少女は満足げに白い歯を見せた。

 頬はまだ桃色だ。


 ずっと見ていたいくらい色っぽくてかわいいのだけど、そういう訳にはいかない。

 ので、積んであった座布団を出して横に座らせ、すっかり氷の解けた水を飲ませる。


「もう、そろそろ出るよ」

「んー、じゃあ帰り手ぇ繋いでよ」


 言われなくても危なくてしょうがない。

 酔い覚ましに少し歩いてから市電に乗る事にしよう。


「ねぇ、ふーこって実はSなの? あっでも、あんなサイテー男に尽くしてたって事はやっぱM?」


 はぁぁ、と私は額に手を当てた。

 もしかしたら、これはホテルまで歩きになるかもしれない。

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