すき焼き、恋バナ……絡み酒!? 前編
函館旅行一日目の夜ご飯は、すき焼きにした。
これには綸子も予想外だったらしい。
「ええっ!? 函館なのにイカ刺しとかいかめしとかなんかそういうのじゃなくて、すき焼き!?」
「あれ、生卵ダメだった?」
もちろん生卵が大丈夫なのは事前に鴨島さんに確認している。
「いや、全然大丈夫なんだけどさ」
ちなみに入院していた頃は、ソフトクリームですら禁止されていたらしい。
『でも皆子供でしょ、だから夜中にお菓子持ち寄って皆で食べるのよ。ちゃんと個包装にしたやつをね、看護師さんの目を盗んでばくりっこしてたんですって』
個包装のお菓子は飴やクッキーなんかが多い。
だからうまい棒なんかのスナック菓子を誰かが持ってくると、皆大喜びだったらしい。
(そうだよね、色んなもの普通の子みたいに自由に食べたかったんだろうなぁ……)
それなら毎週届く箱入のうまい棒も許せる。
段ボール畳むのめんどくさいけど。
だけどこの事は綸子には言ってない。
そもそも今回の旅行について鴨島さんに私から聞きに行って助言してもらったのがバレたら、気を悪くするかもしれないし----。
(綸子のこれまでの生活とか、もっと勉強しなくちゃだなぁ)
契約として同棲を始めた頃は互いの事を一切詮索しないというのが条件で、正直それが心地良かった部分もある。
(でも、もうそうじゃない……私と綸子は契約なんかじゃなくて二人の意思で一緒にいるんだから……)
夕日が始まる頃に外人墓地をまた少し歩いていると潮の匂いがさっきよりも濃くなっていた。
並んだ墓石がほんのりオレンジ色に染まりつつある。
猫はもういない。
それぞれの家に戻って行ったのだろうか。
「やっぱり歩くとお腹空くねぇ。牛でもイカでもなんでもいいから早く食べたい!」
「あのねぇ、言い方」
どつく前に戻り、がら空きの車両で揺られていると、どっと疲れが出てきた。
旅行の疲れだからよく遊んだという満足感のある疲れだけど、疲れたものは疲れたので、私も綸子もなんとなく無口のまま暗くなっていく車窓の外を眺めていた。
スーツ姿の人間はほとんどいない。
荷物を下げていたサラリーマン達はとっくにホテルに向かったか五稜郭方面に飲みに行くか、市外に帰って行ったのだろう。
気の早い店はもうネオンがともり始めている。
(なんか、寂しくなってきたな……)
旅先特有の郷愁に身を任せている私に対し、綸子はまだすき焼きの事を考えていたらしい。
「いや、すき焼き食べた事ないから嬉しいんだけど、牛って海鮮に入るっけ?」
「バナナはおやつに入りますが、牛は海鮮には入りません」
あ、そうかと綸子が閃いた顔をする。
「イカのすき焼きかぁ!」
いや、何故イカから離れないんだよ----。
「だってイカ羊羹だってあるし」
「あれはイカの形の羊羹でしょ」
地元の真面目な人が聞いてたら怒りだしそうなアホな会話をしている間に、十五分ほどで目的地に着く。
「あのお店? なんかちっちゃくない?」
「まぁまぁ、入ってからのお楽しみです」
十字路に面した入り口ではなく、横にあるこじんまりとした明るい入口へと向かう。
風でひらひらしている『すき焼き』とある黒い暖簾が高級感を漂わせている。
木製の引き戸を開けて名前を告げると、すぐに通してくれた。
入口の下駄箱はもう靴で一杯だ。
一階は玄関と厨房、二階から先が客間という作りで、少し急な階段を上って行くと、襖の閉められたあちらこちらの部屋から賑やかな話声が聞こえてくる。
商談だけではなく、同窓会らしき会話も。
「ね、なんか千と千尋っぽくない?」
「うーん、そうかな」
角を曲がったらカオナシがいたりしたらヤダな。
階段も上がったり下がったり曲がったりで部屋が一体幾つあるのか皆目分からない。
所々に飾られている老舗らしい壺やなんかの置物に気を取られていると、迷子になりそうだ。
やがて並んだ部屋のうちの一つに通される。
入口の襖の向こうには二人用の木製の座卓があり、すき焼きの支度ができている。
部屋の隅には昭和からいましたと言う顔の扇風機と掛け軸、あと今ではなかなか見ない感じの凝った作りの床の間。
「おお、ジャパニーズロマンね」
綸子が目を輝かせているが、何故突然英語?
さて、お肉はもちろんA5和牛だ。
絶対に足りないのは分かっているので追加も頼む。
「ね、お酒どうするの?」
「……お酒はダメです」
たこ焼き屋の一件からコイツは酔わせたらまずいという教訓を得ているので私はにべもなく断る。
「ほらオレンジジュースあるよ」
「やだお酒がいい」
断固としてソフトドリンクを拒否する綸子に私は少し困ってしまう。
「お酒っ! お酒っ!」
実はこのお店にはすず音という発泡性の日本酒があって、私はそれが大好きなのだ。
だけどお酒を飲ませない以上私もコーラかオレンジジュースになる訳で。
(うーん、悩ましい)
「じゃあさ、ふーこの好きなお酒知りたいから一口だけちょうだいよ、ならいいでしょ?」
「……絶対一口だけよ」
誘惑に負けてしまった。
綸子お嬢様はパァッと顔を輝かせた。
「やたっ! ふーこ愛してる!」
「はいはい」
しかしまさかこのたった一口のすず音が綸子の暴走ボタンになるとは、この時の私はまだ知らなかったのだった----。




