ロマンチストになったのは誰のせい?
お店の裏手に回ってそっとドアを開けると、左の壁の向こう、厨房の方から「いらっしゃいませー」と声がした。
「えーと、二名なんですけど、窓側の席空いてますか?」
「はーい、お好きな所にお座りください」
ちょうどお茶を淹れているところだったのだろう。
さっきよりもずっと香ばしいほうじ茶の香りが、こちらまで漂ってきた。
「へぇ、中も古いまんまなんだね」
微かに軋む木の床を踏み締めながら木造の店内へと進む。
明りは窓から差し込む陽の光がメインだ。
良かった。
やっぱり、平日はほとんど席が空いている。
私は迷わず海の見える窓側のカウンター席を選ぶ。
ここに来たからにはカウンター一択だ。
「はぁ、さすがに咽喉渇いちゃった」
「まあ、けっこうぐるぐる歩いたからね」
歩いたというか、猫を見れば追いかけて写真を撮って回る綸子に付き合っていたら、なんだかんだで一時間は外人墓地にいた事になる。
「この喫茶店、そういう名前だけどホントに夕陽が見れるの?」
「そう、すごく綺麗だから見せてあげたくて……でもちょっと遠かったかな、ごめんね」
店員さんがメニューを持ってくる。
「あ、ホントにお茶の専門店なんだ」
メニューを捲って綸子が感心した声を上げる。
「甘いものもあるけど、お茶にはみんなお菓子が付いてるよ」
「うーん、じゃそれとは別に冷やしぜんざいも頼もうかな」
冷やしぜんざい。
くずプリン。
みたらし団子。
デザートも全部お茶が欲しくなるものばかりだ。
しばらくメニューとにらめっこしてから、
綸子は「すみませーん、冷やしぜんざいと冷抹茶お願いします」と声を上げる。
「かしこまりました。こちらの方は?」
「あ、えっとほうじ茶ミルクティーとくずプリンを」
食べないつもりだったのに、つられてデザートを頼んでしまった。
(ま、いっか)
旅行先でダイエットなんて味気ないし、日没まではまだ時間があるし----なによりこの空気の中で過ごすひとときは格別なのだから。
小高くなった店の大きな窓からは、湾の様子が一望できる。
函館と青森を結ぶフェリーや、函館と大間を結ぶフェリー。
昔は青函連絡船もこの窓から見えたんだろう。
他にも小さなヨットやコンテナのような物を積んだ船が、小さな湾を器用に行き来している。
「船ってこんなに通るもんなんだねぇ」
「昔からここは北海道の玄関口だったからね、今でもここから陸に上がった荷物は札幌やもっと遠くの街に運ばれてるよ」
函館の中では、多分ここが津軽海峡に一番近いカフェの一つ。
潮風に吹かれながら眺める船もいいけれど、お茶を飲みながらぼんやりと船の航跡を追うのも、私は好きだ。
少し開けられた網戸からそよそよと風が入って来ている。
確かあと一時間くらいで日没だ。
観光客らしき人達はこれからの予定があるのか一人二人と帰って行く。
青空にぽつんぽつんと白い雲が浮かんでいる。
当たり前だけど、どれ一つとして同じ形の物はない。
空の色に、ほんの少しずつ青からピンクがかったオレンジ色の光が混ざり始めた。
「わーい、いただきます!」
綸子はと言えば、氷の浮いた氷抹茶を美味しそうに飲んでいる。
付いて来たお菓子はつつじのような形のお花の練り切り。
私のはちょっと洋菓子っぽい焼き菓子。
香ばしくて美味しい。
(ここも久し振りだな……)
昔は一人で来ていたけれど、今は二人だ。
そんな些細な事ですら嬉しくなる。
そんな私の胸の内などは知らないだろう少女は、練り切りに苦戦中だ。
「……そのペンダント、リンコの髪色に似合うね」
ふとそう褒めたら、
「うーん、でももう少し暗めにしようか迷ってるトコなんだよね」
と返って来た。
「え、なんで?」
「ほら、今までは部屋から出ないでも良かったんだけど、これからなんか色々外に出たり人に会う用事が増えるっぽいからさ、ちょっとはシャチョ―らしくした方がいいかなって」
少し照れた様子で綸子は毛先を摘んだ。
「ま、そもそもきっかけは反抗期みたいなものだったし」
「反抗期、終わったんだ?」
空が少しずつオレンジ色に移り変わって来る。
「……私との事も、反抗期の一つ?」
つい意地悪く聞いてみたら、綸子はキッと私を睨む。
「そんな訳ないでしょ! こっちは本気の本気よッ!」
小声で叫んで、半分に切った練り切りを口に押し込んで来た。
甘い。
「……ッ、ん、ごめんごめん……ちょっと心配になっただけ」
「今更何心配してんの、バカ!」
店の中はゆっくりと暗くなっていく。
それとは反対に窓の外はオレンジから赤に変化し始めていた。
「……マジックアワーっていうんだっけ、こういうの?」
「そうなの?」
綸子は懐かしそうに目を細めた。
「昔病室の窓から毎日見てた。毎日ベッドに起き上がってね、テレビも見ないで暗くなるまで眺めてた……あと何回この夕焼け見るんだろうなって思いながら」
「昔の事思い出させちゃった?」
綸子は「ううん」と首を振る。
「さっきの、本気だかんね……反抗期だから好きになった訳じゃないよ」
「ごめん、分かってるって」
軽はずみな事を言ってしまったなぁと反省しながら最後の一口を啜ると、
「同じ夕焼けでも、二人で見るとすごく綺麗なんだね」
ため息交じりに倫子が呟く。
「……うん」
本格的な夕焼までいたかったが、今日最期の目的地へ行くにはこの辺で店を出なければならない。
「ごちそうさまでした」
最後の客だった私達が外に出ると、もうすっかりピンクの壁が赤く染まっている。
「でもさ、ふーこって意外とロマンチストだよね」
「へ?」
にひひと綸子が笑う。
「だって夕陽の見える喫茶店とかさ、なんか昔のふーこだったら興味なさそうだったから」
「ロマンチストって言うか……リンコと付き合ってからだよ、夕陽を一緒に見たいとか思うようになったのって」
それは本当だ。
前の男の時はただ連れて歩かされてただけで、何を食べても何処へ行っても、まぁこんなもんなんだろうなという感想しか抱かなかった。
「ロマンチストになったのはリンコのせいだかんね!」
そう言って後ろからぎゅーっと抱き付いてやったら、ふぎゃ!と猫みたいな声を出してミルクティー色の少女は外人墓地の方へ駆けて行った。
とことん分かりやすいヤツである。
赤く染まり始めた外人墓地を私達は手を繋いで通り抜けた。
遠くで霧笛の音がした----。




