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楽しみにしてるからね?

「とりあえず、私の行きたい所とか食べたい物はここに載ってるから」


 夕食後、奥の部屋からリビングに出て来た綸子が抱えているのは、函館のガイドブックと函館のガイドブックとタウン情報誌と函館のガイドブック----って、私に何冊読ませる気だ!?


 てか、これめっちゃ楽しみにしてるよね!?


「こ、これ、全部買ったんだ……?」

「別に全部読めとは言ってないよ? ポストイット貼ったトコだけだよ?」


 バカデカテーブルの上にどさっと置かれたガイドブックは、まるで山だ。


 ほぼ全てのページで色とりどりの付箋がヒラヒラしているように見えるのは、疲れ目のせいかな?

 今日残業キツかったからね、うん。


「読むのはいいけど……泊まる場所とか、回るルートとかはだいたい考えてあるんでしょ?」


 そう聞くと、綸子はチッチッと人差し指を振る。

 CMのワンシーンとかみたいだ。


 悔しいけど、こういう仕草がしっくりくる女の子はなかなかいない。


「今回はふーこに任せようかと思って……お金は私が出すけど、一応ふーこの休暇を使う訳だからさ」


 あれ、なんか殊勝だ。

 逆にそれが怖いんですけど。


「私は温泉と、まぁ、何か美味しい物が食べられれば別にいいんだし」


 そう言いながら、ちらっと私を見る。


「でも、ふーこの休暇だから、まずはふーこの好きなプランを立てて欲しいな、って」

「そ、それは嬉しいけど……」


 ちらっ、ちらっ、と私を見ながら、綸子は自分の毛先を指でくるくるしている。


「ふーこはさ、旅行とか何度も行ってるんでしょ?」

「そりゃ行ったけど……」


 あ。

 そうか。


 この子は、入院してからこのかた、せいぜい2X1mの広さしかないベッドの上しか知らずに生きて来たのだ。


 『普通の子供』ならほとんどが経験している家族旅行も、修学旅行も、卒業旅行だって----フィクションの中でしか知らないのだ。


 泊まりの旅行は、綸子にとっては日帰りのドライブの延長線では決してない。

 この少女にとっては、全く違う次元の、人生での『はじめて』なんだ。


 悲しい事に、アラサーの私はそんな気持ちはもうほとんど覚えてはいないけど。


 想像でしか知らない『はじめて』を目の前にした時って、どんな気持ちだったっけ?


 はち切れんばかりの期待と好奇心。

 それから、不安。

 

 それらの色んなぐるぐるする想いを、私に全部委ねると彼女は言っているんだと、ようやく私は気付く。


(うッ……めんどくさ)


 と、いう心の声とは裏腹に、それはすごく嬉しい事だった。


「分かった、じゃあ私に任せて」


 そう胸を張った次の日、昼休みの会社から少し離れた自販機の横で私は鴨嶋さんに電話をしていた。


『……そうですね、食品や金属のアレルギーはありません。温泉自体も問題ないでしょう』


 スマホ越しの鴨島さんの声は相変わらずだ。

 なんかもう、実家に帰ったような安心感的なものまで覚えてしまう。


『確かに治療中は免疫力の問題で生ものは禁止されていましたが、現在は全て許可されています……ですので、例えば他人とキスをしても大丈夫です』

「キ……キス……!?」


 完全に声が上擦った私に、鴨島さんは『例えばの話ですよ?』と追撃をかましてきた。


「あッ、そうですね……ははは……」


 この人、凄腕だ。

 完全に読まれてる----。


『ただ、長距離の移動は気を付けて下さい。体力があまりないうえに本人にその自覚が薄いので適度に休憩を挟んでいただけると……』


 確かに。

 今の綸子は、おもちゃを見付けたら全力で遊んで、そのままその場で倒れて寝てしまう子猫のような感じだ。


(元気に見えるけど、通院はしてるんだもんな……そこは頭に入れて置かないと)


 それでも綸子と旅行するのにあたり、特に禁止事項などはないのが分かっただけでも電話してみた甲斐があったというモノだ。


『……でも貴女からこんな風にお電話をいただくなんて初めてですね』

「え? いや、まぁ……黙って行って何かあったら大変ですから」


 そう言うと、鴨島さんは、ふふふと笑った。


『お嬢様が羨ましいです』

「羨ましい?」


 今の鴨島さんは、多分一瞬だけあの日の喫茶店で見せた切なそうな目をしている。

 なんとなくそんな気がした。


 思ったより長くなった通話を終えて、私は自販機の前に立つ。


「な、なんか、咽喉渇いた……」


 これまでのドライブとは違って、朝から晩まで----っていうか次の日の朝まで一緒に行動するんだと考えると、急に緊張してしまう。


(旅行って相手の色んな面が見えるからなぁ)


 修学旅行もそうだし、アイツとの旅行もそうだし----。


 そこまで考えて、不意に気付く。


(もしかして綸子、私とアイツが函館に何回か行ってるって知ってて旅行に行きたいって言い出した……!?)


「うん、知ってる」


 豚肉の紫蘇チーズ揚げをむしゃむしゃ食べながら、事もなげに綸子は頷いた。


「ふーこの部屋に置いてた釣り道具が全部燃えたからってキレた元彼でしょ?」

「そうです」


 今夜のメニューはこの他にレタスサラダとなめこのお味噌汁だ。

 なめこは綸子は長ネギを入れない派なので、私の方にだけ長ネギか入っている。


「まあ、一緒に行ったとはいっても……彼の方は釣りをしに船に乗ったりツアーに参加したりで、夜だけホテルに戻って来てたから……ほとんど私の単独行動みたいな感じだったんだけども……」


 釣り具には金を惜しまない人間だったが、場所がないとの事で私のマンションのクローゼットに道具一式を置いていた。

 そしてあの火事が起きたのだ。


「あ、でもね火事が起きなくても別れてた気はするのよ?」

「私もそう思う……ってか、ふーこって結構男を見る目がない系?」


 呆れたように肩を竦めて、お嬢様は溜息をつく。


「二人で行くから旅行って楽しいのに、彼女を置いて一人だけ釣り三昧とか、サイテーじゃん」

「ですよね」


 絵に描いたような都合のいい女だった自分を思い出して、まさにトホホという気分になる。

 私はサラダのレタスをつまんで必要以上に咀嚼した。


「でもさ、そういう意味では経験豊富な訳だし、やっぱりふーこは大人だよ?」


 慰めか?


「そんな経験豊富はいやなんですけど……」

「でも将来的には何かの役に立つかもよ……立たないかもしれないけど……」


 半端な慰めかよ!


「だからさ、やっぱりふーこと一緒に、ふーこの選んだ場所に行きたいんだ」


 箸を置いたお嬢様はにっこりと笑った。


「楽しみにしてるね?」

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