二人の絆? 後編
函館八幡は室町時代に創建され、戦乱などにより函館周辺を転々としながら明治時代にこの地、谷地頭町に移転したという。
それからはずっと八幡様と呼ばれ函館の人々に愛されている。
長い石段を登り切り、白っぽい石畳を進めば、最初のよりも小さめの石造りの鳥居がある。
その向こうに見えるのが、本殿だ。
「ひゃー、疲れたぁ」
などと言いながらも、綸子は休みたいとも言わず、物珍し気に境内を見回している。
初夏の日差しに照らされた境内は、街外れだからだろうか、とても静かだ。
「あれ、御朱印帳ってどうすれば貰えるんだっけ?」
綸子がきょろきょろしている。
「御朱印帳はお参りした証だから、まずは手をお清めしてお参りしないとね」
ここでは鶴若稲荷というお稲荷様も同じ境内でお祀りされている。
そこの御朱印も社務所で一緒にいただけるとネットに書いてあったので、私達は本殿とお稲荷様の二か所に参拝する事にした。
まずは本殿である。
本殿は函館総鎮守というだけあって、流石に重々しい雰囲気を湛えている。
社殿の両側を護る大きな狛犬も、いかにも歴史があるという感じの風化の仕方だ。
だけど、とっつきにくさはあまりない。
どちらかというと、頼りになる長老のような風格と安心感がある。
「……何お願いしたの?」
お賽銭を入れて手を合わせた後、めっちゃお約束な事を聞いて来る綸子。
予想通りである。
「今回の旅が無事に進みますように、って」
「それだけ?」
綸子が唇を尖らせた。
「もっと他にはしなかったの?」
「……この旅で綸子ともっと仲良くなれますように、って」
一々言わせんな。
ばか。
私の赤くなった頬に気付いたのか気付かなかったのか、少女は「なら、よかった」と両手を後ろに組んで嬉しそうに笑った。
「私もだよ」
「そ、そっか……」
恋人同士になったと言っても、やっぱりこういうのってこそばゆい。
嬉しいけど、恥ずかしくて----。
(なんて、こんな気持ちもいつかはなくなっちゃうのかもしれないけど……)
私は綸子を横目で見る。
この子は何を考えてるんだろう?
(……なんて、分からない方がいいかな、私は)
今は、二人でいられる時間を身体中で感じていられるだけで十分なんだから。
さて、次はお稲荷様だ。
ちょうど参拝が終わったらしい二人連れが歩いて来たので、場所はすぐに分かった。
目が覚めるような朱塗りのお社の入口には一対の石灯籠。
引き戸を開けて入る造りになっていて、中に入ると思っていたよりも立派な設えになっている。
(へぇ、今も大事にされてるんだな……)
商売の神様らしく、様々な企業や個人の名の書かれた木札が並んでいる。
掲げられた提灯の『奉納』の文字が鮮やかだ。
早速綸子が手を合わせる。
「お狐様、どうか一生ニートでいられるくらい稼げますように」
「いやそこはもっとオブラートに包んで……」
思わず小声で突っ込むと、うーんと唸り、綸子は改めて手を合わせる。
「ふーこと一生幸せに暮らせるくらいには稼げて、私の会社も安泰であとは大きな猫を5匹くらい飼いたいです!」
お稲荷様って、願いが叶ったらちゃんとお礼しに来なきゃなんだっけ。
その時には、この木札の中に『蓮見綸子』の名前が加わるんだろうなぁ。
それもいいな。
その時私がまだ隣にこうして立っていられますように。
贅沢は言いませんから。
「えーと、今勤めている会社が潰れませんように」
「……わ、ネガティブ!」
今度は綸子が突っ込む番だ。
「いや、庶民の願い事何てこんなものよ……って、蓮見社長、大きな猫って何?」
「サイベリアン」
さ、さいべりあん----?
首を捻りながら、綸子と二人お稲荷様を後にする。
(……後でググろう)
「じゃ、これで御朱印帳がもらえるのね!」
「ですね蓮見社長」
ここ函館八幡宮の御朱印、というか御朱印帳は少し変わっている。
普通の御朱印帳は基本的に表紙が厚紙なのだけども、函館八幡の御朱印帳は木で出来ているのだ。
表と裏に御社殿の正面御扉の装飾をモチーフとした焼き印が押されていて、特に八幡宮に縁の深い鳩のモチーフが愛らしい。
木の表紙と言うのが全国的にも珍しくて、御朱印マニア(という層があるらしい)の中では憧れの的だったりする。
せっかくだから絵馬を書くかと聞いたら「見られたら恥ずかしいからダメ」、おみくじを引くか聞いたら「凶とか出たら凹んじゃうからヤダ」、という訳で、あとは本当にもう御朱印帳だけである。
「すみません! 御朱印帳お願いします!」
綸子が道場破りみたいな声で社務所の奥に呼び掛けると、年配の神職さんが出て来た。
「あ、鶴若稲荷様の分もお願いします」
「お参りは済ませましたか?」
勿論! とばかりに綸子が頷くと、表に並んだ御朱印帳の中から一つずつ選ばされる。
木製なので木目が全部微妙に違うのだ。
それぞれ似たような感じの御朱印帳と初穂料を渡すと、神職さんは「では書いてきますので少しお待ちください」とまた奥へと戻って行った。
「え、手書きなんだ……じゃあ、あの人ベテランそうだから凄い上手かも」
「二人分だからちょっとかかるわね」
書き上げてもらうまでにベンチでしばし待つ。
壁には行事の予定や、地元のイベントのポスターなんかが貼ってある。
少しひんやりした空気が、うっすら汗ばんだ首筋に気持ちいい。
「そういえばさ、なんで鳩なの? ってかここカラスしかいないし」
ふと尋ねられた。
言われてみればさっきカラスは飛んでたっけ。
「えーと、それは確か……全国の八幡宮では鳩が神様のお使いになってるかららしいけど……」
もにょもにょと答えたら、「へー」と一応納得してくれたので、私はスマホを出そうとする手を引っ込めた。
ちなみに後で調べたら、私の好きな鳩サブレ―も鶴岡八幡宮を崇敬していた初代が考案したお菓子らしい。
社務所の中も外も、石段を上がった時と同じ静寂に包まれている。
発した言葉が全て陽の光の粒に吸い込まれていくような奇妙な錯覚に陥る。
それを断ち切るように、私は口を開いた。
「……綸子はどうしてここの御朱印帳が欲しかったの?」
どのタイミングでしようかと思ってた質問だった。
なんとなく、御朱印マニア的な動機ではないことは感じていた。
私は入口の石段を見上げた時の綸子の背中を思い出す。
大切なものをどうしても手に入れたいという固い決意。
それも、母親と同じように自分で石段を上って----。
「お母さんとムギさんの絆だったの」
「……絆?」
こくりと綸子は頷く。
「ここで二人でお参りして、絵馬を書いて……ムギさんは東京の大学へ行くけど、お母さんは札幌に残るから、離れていても今日の日の事を思い出せるようにって、お揃いで御朱印帳を持つ事にしたんだって」
「……そのお母さんの御朱印帳は?」
少し間があった。
「お棺に一緒に入れて欲しいって遺言があったんだって……今はもうないよ」
「……そう」
(綸子のお母さんは、どんな気持ちでその遺言を書いたんだろう……)
鴨島さんは、綸子のお母さんは自分には友情以上の感情は持ってなかったはずだと言っていた。
だけど、本当にそうだったんだろうか?
(いや、友達同士でだってお揃いの物を持ってたりするけど……)
でも。
自分の死を予感した時に、学生時代に友達と二人で書いてもらった御朱印帳を一緒に燃やして欲しいなんて、普通は書くだろうか?
(……うーん……どうなんだろう……私だったら、書く? 書かない……?)
他人の気持ちを考えるのは苦手だ。
正直に言えば、考えない方が楽に生きられる。
だけど、だからこそ、これってすごく大事な問題なんだという予感みたいなものがあって、私は一人で額に脂汗を浮かべていた。
「……ふーこ?」
「あ、いや何でもない……ちょっとぼーっとしちゃっただけ」
綸子に心配されてしまった。
これでは保護者失格だ。
「でも、なんか元気なくない?」
「お待たせしました」
神かというタイミングでさっきの神職さんが戻って来る。
白い薄い紙の袋に入った御朱印帳が二冊。
「ねぇ……これ、ふーこのと交換していいかな?」
お礼を言って社務所を出た後で、ちょっと言いづらそうな顔で綸子が聞いて来た。
唯我独尊なお嬢様にしては珍しい、どこか不安そうな声だった。
「……いいよ、交換しよ?」
そう言ったら途端にホッとしたような顔になる。
「ありがとう」
「……でも、何で?」
聞かなくても良かったんだけど、でも、確認したかった。
「お母さんとムギさんも、それぞれ選んだのを交換したんだって……だから、わたしもふーこと……その……」
「……うん」
推測が確信に変わったのがいい事なのか、悪い事なのか。
綸子はどこまであの二人の事を知っているのか。
私には分からない。
だけど、これは死ぬまでの宝物だ。
綸子の意図がどうであれ。
「……じゃ、駅まで荷物取りに行こうか」
「あー、あの石段また降りるのかぁ」
いつもの私達の、いつもの空気。
今はこれを大事にしたいんだ、私は。
(だから神様、いつか綸子の病気が完治して、ずっとずっと長生きできますように……お願いします)
絵馬に書かなかったお願いって神様に伝わるんだろうか?
また手を握って降り始めた石段の向こうに、青い海が見える。
津軽海峡だ。
「そういえばさ、海、泳ぐの? 一応水着持って来たんだけど」
「泳がないです」
そんなぁ、とぶんむくれる少女の横で私はスマホで予約していたタクシーを呼ぶ。
「その代わり、今から牛に乗ります」
「牛!?」
そう、って言っても単に牛柄のタクシーなんだけど。
「もしかして、あのモーモータクシー!?」
綸子の目が輝いた。
「やった! なんかこのまま走って降りれそうな気がする!」
「それはやめて」
綸子のお母さんと鴨島さんの絆----それは私達二人に確実に受け継がれていくんだと思う。
これからどんな事があっても、私は今日のこの八幡宮の空気を忘れない。
少しだけ視界が滲んで、私はさりげなく目元を拭った。




