二人の絆? 中編
綸子の息が上がらないように気を付けながら、私はその手を引いてゆっくりと石段を上がる。
一人だったら、もしかして引き返していたかもしれない、古びた長い石段。
日差しを浴びた木々の葉の香り。
湿り気を帯びた黒い土の匂い。
夏の初めの空気が、既に私のシャツをしっとりと湿らせている。
(あー、明日筋肉痛になったらどうしよう……)
割と真面目に心配になる。
(私だけならいいけど、綸子まで筋肉痛になったら可哀想だよな……)
だけど、私は歩みを止めなかった。
だって、ここまで来たんだもん。
二人で上り切った時の景色が見たいんだ、私は----。
「……もうちょっとだよ、だから頑張ろうね」
自分に言い聞かせるようにして、そう声をかけると、
「うん……」と、言葉少なに綸子は頷く。
(あと少し……頑張れ……!)
少女の鼓動が少しづつ速くなってきているのを感じる。
華奢な掌が、それと分かるくらいに汗ばんでいて、私は手を握り直した。
(大丈夫、だよね……?)
前を見ていたはずなのに、気が付けば息を切らせながら足元ばかり見ている。
綸子も息を切らせている。
「大丈夫? 一回座る?」
そろそろ心配になりかけた頃、
「あ……!」
綸子が、不意に弾んだ声を上げた。
顔を上げると、石段の終わりが目に飛び込んで来た。
「やった! 着いた……ッ!」
「な、長かった……」
バンザイと両手を挙げる少女と対照的に、私は最後の一段を上り切ったところでガックリと腰を落とす。
運動不足のアラサーが石段をいきなり上るとこうなる、というお手本みたいな構図である。
これは来週から私もウォーキングをした方がいいかもしれない。
「ねぇ、見て見て! すっごいキレイ!」
促されて振り返れば、木漏れ日に照らされた長い石段の向こうに坂道がずっと伸びている。
人影はなくて、微かに吹き上がって来た風が木の枝をそっと揺らしている。
まるで、私達のためだけに用意された道のようだった。
「……!」
とても静かで、時間が止まったかのようなその空間が、不意に動いた。
蝶が石段の横の植え込みからひらひらと跳んで空へと消えて行った。
(今の、黄色い蝶……!?)
あっという間で、まるで幻のようだった。
ひょっとしたら光の加減で白い蝶が黄色く見えただけかもしれない----けど。
数か月前ドライブしていた時の綸子の言葉が甦る。
『ねぇ、その春に見た蝶々の色でその夏がどんな夏か分かるって知ってた?』
運転していたから私は見てなかった。
でも、確かに綸子は見たのだと言う。
『ふふ……この夏は、きっと素敵な夏になるわよ……』
そう呟いた彼女の嬉しそうな横顔を、今でもはっきり覚えてる。
後で調べたら、どうやらムーミンの本に出て来る蝶占い(そんなものがあるのか)の話らしい。
その言葉通り、私は黄色い蝶を見てはいないけれども、綸子とここに立っている。
じゃあ、綸子は----?
彼女にとってこの夏は素敵な夏になってるんだろうか?
横を見ると、綸子は額の汗を腕で拭っていた。
「そうだ、帽子はこういう所だから脱いだ方がいいのかな?」
「そうね」
私の言葉に綸子は神妙な顔でキャップを脱ぐ。
汗でしっとりした前髪からは、微かに甘いシャンプーの香りがした。
一瞬衝動的にキスしそうになったけど、私は大人なので、そんな事はおくびにも出さずに指先で前髪を整えてあげるだけにした。
「……え?」
「は?」
だけど、綸子は違う期待をしていたようだ。
なんだか急に顔を赤らめたので何事かと思ったら、
「……キス、するのかと思った」
そう言ってじっとりとした目で見上げてくる。
「しません」
「……して」
そう言われると、私は弱い。
だけどここは神社という神聖な場所だ。
「……分かりました、お嬢様」
なので私は、つるんとしたおでこにそっと口付けした。
「続きは後でね」
「ホント!?」
あれ、何かマズい事を言ってしまったような気がする----けど、まぁいいか。
そんなやり取りをしているうちに汗が引いた私達は、神妙な面持ちで境内に入ったのだった。




