二人の絆? 前編
公園から出て、谷地頭行きの市電を横目に静かな住宅街を山側へと歩く。
どの家の玄関先にも、マリーゴールドなんかのプランターやアロエの鉢が置かれている。
(やっぱり私、こういう街が好きだなぁ……)
ついさっきまで観光地にいたのに、少し歩いただけでもう普通の家々が並んでいて、庭先の物干し竿で学校指定らしきジャージがはためいていたり。
子供の頃住んでいた街とは全然違うのに、不思議な懐かしさが湧き上がって来る。
それにしても、観光客どころか地元の人もほとんどいない。
手拭いを被ったおばあさん一人と、後は軽トラとすれ違ったくらいだ。
(こうしていると、ホントにフツーの田舎町って感じなんだよなぁ)
ちなみにこの住宅街の下の坂は市電通りで、色んな映画やCMのシーンに使われている。
ので、見たいか一応聞いてみた。
「うーん……基本的に最近の邦画は観ないから」
そうか、この子にとって、今どきの邦画で家族の成長物語や学校のストーリーを出されて、それが世間の『普通』なんだよと言われても、違和感しかないのかもしれない。
「映画よりゲームかな、オープンワールド系のやつとか」
あー、毎晩やってるやつか。
お肌の敵だからほどほどにね。
「でもこないだ飢餓海峡って昭和の映画のDVDは観た。ああいう古いのはたまに観る」
「へぇ?」
聞いた事あるけど、知らないぞ。
水上勉の小説だった気がするけど、どんな話だっけ?
遭難して仲間を食べるやつ?----いや、違うな。
などと首を捻っているうちにも、目の前に濃い緑の杉山がぐんぐん迫って来る。
札幌では絶対に見られない光景だ。
杉山特有の、木の一本一本がはっきり分かる山の形。
なんだか空気も澄んできたような気がする。
「飢餓海峡って、昔さ、病院の談話室にあれしか置いてなくて暇だから仕方なく読んだんだけど、戦後すぐの話だからよく分かんなくて、でも確か青函連絡船の遭難の話だったなと思ったから予習してきたんだ……えらいでしょ?」
お嬢様は胸を張って見せた。
「えらいえらい」
頭を撫でたら、へへと笑う。
彼女にとっては、これは立派な修学旅行なのだ。
「ってか、なんか、その事故でムギさんの親戚が亡くなったっていうのは聞いた事あって、どんな事故だったんだろうって言うのもあったんだけど……」
「え、鴨島さんってこっちの出身だったの!?」
考えてみれば、鴨島さんの実家がどこだとか全然気にしてなかった。
そういうところがダメなんだよなぁ、私。
「うん。ムギさんの実家、この辺にあったらしくて……って、今はもうないけど、一度だけお母さんが卒業旅行って事で札幌からムギさんと来て泊まったって」
「そういえばお母さんの学校、寮があるもんね」
そうか。
それでこの子は函館に拘っていたのか。
私との最後になるはずのドライブも、飛行機で東京に行くだけなら別に函館空港じゃなくてもよかったのに。
綸子にとっては、函館と言う土地はただの遠い観光地などではなくて、今は亡き母親が最初で最後の親友との旅行に来た、特別な街なのだ。
(そうだったんだ……)
何も気の利いた言葉が思い付かないまま黙ってしまった私の横で、ウルフカットの少女はサングラスを外した。
「……おぉ」
綸子の感嘆に、私はその視線の先を見る。
緩やかな坂になっている道路を跨いで、大きな茶色い鳥居が立っていた。
その両脇に石灯籠が並んでいるのが、歴史ある神社らしさを醸し出している。
上手く言えないけど、これから神域とか聖域っていう場所に行くんだ、って感じで自然と背筋が伸びるのが分かった。
「わ、この石段上るのかぁ」
「結構あるわね」
見上げれば、様々な種類の木々が次の鳥居へ参拝者を導くように枝をこちらに伸ばしている。
その下には長い石段。
勾配こそ緩やかだが、先が見えない。
(こりゃ思ってたよりも体力使うな……)
「ちょっと休んでから行く?」
これは鴨島さんの言う激しい運動には当たらないとは思うけれど、でも、私でも多分しんどい。
だけど、何かに呼ばれているかのような不思議な気配が、私を包んでいた。
「……ううん、このまま行く」
綸子も同じなのだろうか。
唇を引き結ぶようにして、石段の先を見上げる。
「お母さんもここを上ったんだ……」
何かに挑むような、憧れるような、そんな表情で呟きながら。
「分かった、行こう」
私が言い終わらないうちに、もう綸子は石段に足をかけていた。
もし止めたとしても、きっと一人ででも上っていくだろう----そんな気迫すら纏いながら。
今の彼女の目には何が見えているんだろう?
写真でしか知らない母親の背中?
二人で並んで石段を上がる少女達の姿?
急に綸子を遠くに感じて、思わず私は彼女に向かって手を伸ばす。
「手、繋ごう。その方が少し楽だよ」
「……ありがと」
木漏れ日の下、私と綸子は手を繋ぐ。
私達は互いに無言のまま、一段ずつ古びた石段を上り始めた。




