日本最古の観覧車、乗る?
函館に来る少し前、私は鴨島さんとまた例のカフェにいた。
旅行の大体のルートとか、何処のホテルに泊まるとかの報告のためだ。
面と向かって二人旅の計画を話しているとかなり気恥ずかしい物があったけど、一応成人しているとはいえ綸子の保護者代わりだし、というか秘書だから仕事の事もある訳だし。
そのとき、私はつい聞いてしまったのだ。
「鴨嶋さんはその、私と綸子さんが旅行に行くのイヤだなとか思ったりはしないんですか?」
「あら、どうしてですか?」
鴨島さんは心底不思議そうな顔をした。
「いや……その、ほら、綸子さんのお母さんは鴨島さんの……」
言ってしまってから、想い人、という時代がかった表現をするべきかどうか一緒戸惑う。
これまで断片的に聞かされた二人の関係から考えると、その表現は重いような、軽いような----。
「ああ、そんな事ですか? 全然気にしてませんでしたわ」
口ごもったままフリーズしてしまった私に、鴨島さんはニコリとほほ笑む。
「わたくしが好きだったのは綾さん。綸子様はそのお嬢様です。まったく別人ですよ」
かるーく、いなされてしまった。
「それに」と続ける。
「わたくしには綾さんしかおりません。今でも、これからも」
物静かに、だがきっぱりと言われて、私は恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。
「す、すみません……」
考えてみれば、ずいぶんと不躾な質問をしてしまったものだ。
「変な事、聞いちゃいましたよね? 忘れてください」
「ふふ、聞かなかった事にするから大丈夫ですよ」
その言葉通り、あとは旅行にあたっての綸子の体調管理の話、アレルギーの有無などという割と事務的な話に戻り、何事もなかったかのような空気に戻った。
(いや、それにしても鴨島さん、大人だな……)
綾さんが20代前半で綸子を産んだとして、今は鴨島さんは40代前半くらいだろうか。
流石に歳を聞いた事はないが、最近は何回会ってもその都度印象が少しずつ変わるようになった。
とても老成した雰囲気を醸していたかと思うと、女学生のような笑顔になったり。
私の知っている鴨島さんは鴨島さん全体のほんの一部なんだろう。
どれが本当の鴨島さんなんだろう?
「……それに、わたくしは貴女を信頼しています」
「どうしてですか?」
これですよ、と鴨島さんはハンドバックの中から自分のスマホを出した。
「あ、これドライブの時の!」
カメラロールには、一回目の時からの二人で撮った写真が全部載ってる。
(あれ? 最初って私達こんなに顔、かたかったっけ?)
この頃の綸子は、眼だけ笑ってる。
だけど、スクロールしていくうちに口角が上がってきているのが、見るからに分かるようになってきた。
「お嬢様がこんな笑顔を見せるのは、数十年振りです……お父上も驚いていました」
「……ちゃんと見てたんですね」
ほとんど娘に会う事がないという父親は、どんな思いで送られてくる写真を見ていたのだろうか。
「こんなに幸せそうなお嬢様を見れば、貴女がどんな人間かも分かるというものですよ」
「は、はぁ……」
函館に行く前、積丹でウニ丼を食べた時なんか、本当に嬉しそうにバンザイして----。
でも目がどこか寂しげだ。
(そうか、もうこの時は色々準備していた頃だったのか……)
そう考えると、この場にいない綸子をぎゅっと抱きしめたくなる。
「あの函館での言葉、本気だったんですね」
本当に、二度と私に会わないという覚悟を決めて、でも、そんな事はおくびにも出さないで綸子は私の隣に乗っていたのだ。
「まぁ、お嬢様には心理学で言う試し行為のような真似はできませんからね」
長い入院生活の中での人間関係。
信じても、約束しても、裏切られる。
あんなに悲しかったのに、今度は自分が裏切ってしまう。
また会おうね。
手紙書くからね。
いつかまた会おうね。
口にした言葉は果たされないまま空しく消えていく。
だから彼女は、いつしか言葉を口にしなくなった。
「……誰かを試すという行為自体が、お嬢様にとっては苦痛でしかないのです」
その言葉の意味は、今は痛いほどわかる。
「だからお嬢様が貴方に言う言葉は全て本心からのもの……それは覚えておいてください……もちろん、私の言葉もですよ」
「あっ、はい……肝に銘じておきます」
しっかし、なんであんなバカな事聞いちゃったのかなぁ----。
次の日、私は自分の馬鹿さ加減にショックを受けすぎたのか、テーブルの脚に二回も小指をぶつけた。
「……ね、何考えてたの?」
綸子が腕に絡み付いて来る。
「こらこら、子供じゃないんだから」
「いーじゃん、別に誰も気にしないよこのくらい」
函館公園を目指して少しずつ緩い勾配を上っている私達。
アイドルとマネージャー、よくて年の離れた姉妹くらいには見えるだろうか。
だけど綸子はそんな事は全く気にしていない様子だ。
全身全霊でこの旅を楽しんでいる、そんな表情が眩しい。
「もう着くよ、ほら」
住宅街を行くと、小学校と中学校に挟まれるような感じでこんもりとした緑の敷地が見えてくる。
お母さんに手を引かれた小さな子がいる。
あとは散歩中のおじいさん。
何本も生えている太い松の木が、道南らしさを醸し出している。
「うーん、ここからだと観覧車見えないや」
「中に入ったら多分見えるんじゃない?」
見事に整備された噴水や木々も見事だけど、今日のお目当ては、日本最古の観覧車なのだ。
綸子はずんずん歩いている。
色とりどりの遊具が見えて来た。
途切れ途切れに音楽も流れて来ている。
私も少しだけウキウキしてきた。
遊園地なんて何年振りだろう。
「……待って、それって私も乗るの?」
「当たり前じゃん、観覧車に乗らないカップルなんていないでしょ」
カップル----いやまぁ、そうなんだけど。
こどものくにで私みたいのが遊んでいいのかという微妙な悩みは、さっさと手渡されたチケットで消されてしまった。
「大人二人お願いしまーす」
もぎりのお姉さんにチケットを渡して、私達は世界最古の観覧車を見上げた。
そこそこ有名なのか、私達の他にも何人か乗る人がいるようだ。
「……小さッ!」
よくテレビで見るような海外の移動遊園地、そこに置かれているようなサイズの観覧車が松の木の間にカラフルなその姿を見せていた。
ゴンドラは8つ。
あの、なんだかスキー場のゴンドラみたいに見えるんですけど----。
「はい、どうぞ!」
お姉さんが微妙に躊躇している私達をゴンドラに座らせてくれる。
身体がふわりと浮いた。
ゴンドラがゆっくりと地面を離れ始める。
私は息を呑んだ。




