第4章 前哨戦
▼第4章 前哨戦
8月15日 13:00 東エルピーダ海 ガータ諸島周辺海域
艦長の二カノルからオケアノス皇国海軍総司令官のマヌエルへ、厳戒態勢時のみ使われる秘匿チャンネルで通信が入った。
「こちら二カノル。アナンケの空母『アレース』より、計30機のAn-20Cが発艦したことをレーダーにて確認致しました。うち5機は先導隊で、残り25機が5機ずつ編隊を組んで直進しております。マヌエル司令官、現場での指揮権の一時的な移譲を要請します。」
「こちらマヌエル。現場での指揮権を、二カノルに移譲する。艦艇への被害を最低限に抑え、迎撃せよ。」
「了解。」
(頼んだぞ、二カノル。)
マヌエルが、ぽつと心の中で呟いた。それは、神に祈るかのように。ゆっくりと、そして固い表情で。
「艦載機各パイロットに次ぐ、事前にマニュアルにおいて決められた順番通り、最初の6機は発進せよ。6対30と厳しい戦いにはなるが、君たちならやってくれると信じている。今までの訓練を信じろ。」
「了解。」
鍛え抜かれた空の精鋭6人の声が重なる。この国を守り抜くという、確固たる決意を持って。
6人の中には、まだその顔に幼ささえ残る、入隊したての18歳のパイロット、アントニスが見受けられた。
アントニスは18歳というその若さでありながら、空軍学校での卓越した操縦テクニックと高い命中率により、OAFの直接指名によって、空母ゼウス艦載機のパイロットに任命された。
アントニスが出撃せんと動き出したときだった。突然、ある1人の中年男性の声が割って入った。
「こちらセオドロス。アントニスの代わりに、私に行かせてください。艦長。」
「こんな緊急時に何を言い出すかと思えば何だね。軍隊とは規律によって動くもの。この切迫した状況でマニュアル以外の行動を取るのは謹んでもらいたい。」
セオドロス────
かつてのハシミール紛争においてアナンケ王国との空中戦を経験し、たった1人で敵機10機を撃墜した伝説のパイロット。そんな彼が、真剣な声色で、二カノルに訴えかけた。
「よく考えてくれ、艦長。彼はまだ18歳なんだぞ?戦争の経験もない子供がいきなり戦場に放り出されて、生きて帰ってこれるとは到底思えない!」
「マニュアルでそう決まっている。君が言いたいことはわからなくもないが、なぜそこまでして戦地に赴きたがるのだ。私には分からない。」
すると突然、セオドロスが目の前のデスクを両手で叩いて憤慨した。
「艦長の職を背負いながら、その程度の事も察せぬのか!戦争も経験したことのないような船乗りの若造には、分からなくて当然だろうな!」
セオドロスは目を閉じて沈黙したのちに、再び口を開いた。
「…息子が産まれたんだよ。まだ4ヶ月の幼子だ。俺の目にはどうしても、我が子とアントニスの表情が重なって見えてしまってね。それに俺とは違い、アントニス、お前にはまだ未来がある。未来ある子供を、こんな戦場で死なせるわけにはいかないだろう。だから頼む、俺に行かせてくれ。艦長!」
アントニスはどう返事していいのかもわからず、終始だんまりを決め込んでいた。
「艦長、時間がないんだ。頼む。」
二カノルは困った顔をして、呆れながらもやっと、その重い腰を上げた。
「確かに。もう時間がない。不本意ではあるが、セオドロス、早急に発進準備をしろ。」
「ご英断に、感謝致します。」
待機室に背を向けて、部屋を去ろうとするセオドロスの肩を、アントニスの左手が掴んで止めた。
「先輩、これではあなたも死んでしまうかもしれません。なぜそこまでして僕を守るのですか。」
セオドロスは少し笑って、しかし急がなければならなかったので、流れるように早口で語った。
「馬鹿、戦う前から死ぬことを考えるアホな戦闘機乗りがどこにいるか。お前の未熟なところは、そういうところだ。どれだけ機銃操作や機体のコントロールが上手くたってな。アントニス、お前にはまだ未来がある。これから鍛錬を積んで、さらに高みを目指してくれ。そしてこの国を、護ってくれたのなら、俺の息子、そして妻も救われることだろう。この国を、頼んだぞ。」
「死ぬことを考えてないって言ってるのに、死ぬ気満々じゃないですか。」
「大丈夫だ、安心しろ。ハシミール紛争のときも俺はこんなだった。今更死にゃあせんよ。」
アントニスは動こうと思ったが、脚が思うように動かなかった。
セオドロスは多くを語ることなく、駆け足でコックピットへと向かう。
重力に耐えられるよう設計された耐Gスーツの胸元から、ある一枚の写真を取り出すと、セオドロスはそれをコックピットに置いてみせた。
そうそれは、彼の妻と息子の笑顔が映える、幸せなひとときを鮮明に記録した家族写真。
彼は写真と目を合わせて、すうっと指で表面をなぞると、目の色を変えて、ぐいとスロットルを押し倒した。
他の5機と共に、三角形の編隊を組んで敵の戦闘機に向かってゆく。発つセオドロスの背中には決意の文字が刻まれていた。
「ニカノルよりセオドロス。識別コード、ブラックバード2-8へ。機体は安定している。そのまま方角を変えずに敵機へと向かえ。」
「了解。」
「ナイトホーク2-4-1と2-4-2はブラックバード2-8の両側を併走し、共に敵編隊にあたれ。こちらは数が少ないため、多対一の戦いをしかけられてはならない。必ずアウトレンジから打撃を与えよ。」
「了解。尽力します。」
「こちらブラックバード2-8。レーダーに反応あり。敵機5機の接近を確認。」
(「ついに来やがったか、アナンケのクソったれども。」)
「敵機を撃墜せよ。空対空ミサイル発射用意。」
「了解。」
セオドロスが誘導装置を起動しようとした、その瞬間だった。
突然、空を覆う厚い雲の向こうから、百を超える無数の光の粒がこちらへと向かってきて、ガタガタガタと戦闘機の装甲を激しく叩いた。気象条件を巧みに利用した完璧な不意打ちであった。
「あの野郎ども!」
「交戦状態に入る!右側へと旋回し敵の攻撃を回避せよ。」
「こちらブラックバード2-8。右側に敵機を確認。」
セオドロスが誘導装置を敵に照射する。
プ・プ・プ────
機械的な和音が3つして、ミサイルが勢いよく放たれた。
その瞬間であった、敵機がフレアを放出する。
セオドロスの機体から放たれた1発のミサイルは、空に漂う赤白い煙幕の方へと吸い込まれていった。
「もう一度だ。次で仕留める。」
プ・プ・プ────
敵機をコックピットのガラス枠内に捕らえながら、空の追いかけっこをしていたときだった。
セオドロスは息をのんだ。
敵の機首が大きく宙の方へ上向いたかと思えば、視界から敵機が消え去っていった。
「一体何が?」
「ッ────!」
急減速された────
「ブラックバード2-8!後方に回り込まれている!回避行動を取れ!」
セオドロスは左に大きく舵を切ろうとしたが、間に合わない。
先程の和音とは異なるテンポの早い警報音が機内に鳴り響いた。
ピピピピピ────
敵機にロックオンされた合図である。
「旋回が間に合わない。フレアを放出せよ。」
後ろを見やって敵ミサイルがフレアに吸い込まれるのを確認したが、息をつくにはまだ早い。
ピピピピピ────
再び。
「フレア放出」
「ブラックバード2-8、態勢を立て直せ。まずは後ろの敵機を倒すことに集中せよ。」
「了解。」
「ナイトホーク2-4-1と2-4-2は引き続き補足中の敵機にあたれ。」
「了解。」
「ブラックバード2-8、敵機に引き続き注意せよ。絶対に見失うな。」
「了解、こちらも減速をかけます。」
セオドロスがゆるやかに減速をかけた時だった、敵機からの機銃掃射をくらってしまった。
機体もろとも薙ぎ払うかのように放たれた弾丸の雨が彼を襲う。
「23mmか、まるで俺が減速することを読んでいたかのように撃ってきやがった。これはなめてはかかれねえな…」
23mm機関砲──── 旧共産諸国で30mm機関砲と共に主力として使われている。貫徹力はそこまで大きくないが、口径が比較的大きいわりに高い連射速度を有しており、警戒が必要である。
装甲に傷をつけたことを代償に、敵の後ろに再び回り込むことができた。セオドロスがもう一度、誘導用のレーザーを照射する。
プ・プ・プ────
敵がフレアを放出。
ミサイルはフレアを追いかけている。
だがフレアの再装填時間を好機とみたセオドロスは、間髪入れずに次のロックオンを開始する。
プ・プ・プ・プ────
ロックオンの警告を受けた敵機は急いで旋回するも、セオドロスから放たれたミサイルは敵機に向かって伸びてゆく。
先程まで元気に空を走り回っていたAn-98が、爆音と共に散ってゆくのが見えた。
「撃破」
そしてナイトホーク2-4-1、2-4-2も立て続けに敵機を撃墜する。
残りの先鋒隊は2機のみ。
セオドロスは一息ついてから、自身の計器に目をやった。
ミサイルの残り弾数は5発。決して多くはないが、フレアとチャフはともに余裕がある状態だ。
「こちらブラックバード2-8からナイトホーク2-4-1、2-4-2へ。援護を行う。」
「了解。感謝する。」
レーダーに敵機が急接近してくるのが見えて来たかと思えば、残党は、再びドックファイトを申し込んできた。
こちらの行く手を塞ぐように放たれる23mmの雨。
しかし、セオドロスは動じなかった。長年の経験から、自身の装甲が、この攻撃を耐えうると確信していたからだ。
無数の銃弾が機体の表面をえぐりとる音を聞こえないふりして、敵にロックオンをかける。
プ・プ・プ────
ミサイルが敵の鼻に命中し、炎を上げながら海へと自由落下していく。
状況は6対1の圧倒的優勢となった。
先程までナイトホーク2-4-2を執拗に追いかけていた敵機は、くるりと態度を変えて空母アレースの方へと戻ってゆく。
「さすがに勝てないと判断して退いたか。」
だが彼らはこの動きを見逃さなかった。
プライドもなく敗走する敵機の後ろ側をめがけて、ナイトホーク2-4-1、2-4-2、そしてセオドロスが、少しずつタイミングをずらしてミサイルの集中砲火を行う。
彼らの練度があってこその連携プレイであった。
「残念、頭隠して尻隠さずだったな。」
ナイトホーク2-4-2の放ったミサイルが左翼に命中。
敵は片翼をもぎ取られた勢いでバランスを失い、ドリルのようにクルクルと回りながらその速度を落とし、海面へと落ちていった。
「艦長。敵先鋒隊を全て撃墜しました。この後の指示を。」
「よくやってくれた。ミサイルの残り弾数が4発と最大装填量の半分しかないが、今から補給に戻ったとしても敵機への対処が間に合わないだろう。そのまま任務を続行し、敵に最大限の打撃を与えよ。」
「尽力します。」
セオドロスと仲間の5機はそういって、再び敵艦隊の方角へと加速していった。その瞳に、不安の色はなかった。
ガータ沖海戦 結果:交戦中
交戦勢力
オケアノス皇国海軍vs アナンケ王国海軍
指導者・指揮官
ニカノル べニート
交戦勢力
航空母艦1 航空母艦1
巡洋艦1 駆逐艦3
駆逐艦2 補給艦2
潜水艦1 艦載機80
補給艦1
艦載機20
損害
なし 艦載機10 撃墜