第57話 アリの町
「うわっ、城壁の際までアリの魔獣でビッシリ……今、ここを出るわけにはいかないですよね?」
「個人の行動に掣肘をかけられないので自由にしてくれて構わないが、ここを出たら最後、アリの大群に捕らえられて、連中の巣にご招待だ。そして、新しく生まれたアリの幼虫たちの栄養分となる。それでよかったら、いつでもどうぞ」
「遠慮させていただきまぁーーーす」
「二~三週間の話だ。我慢してくれ」
いまだ王都のお店を再開できる目処が立たず、私たちは旅を続けていた。
途中、城壁に囲まれた小さな町に寄ったのだけど、宿に泊まった翌日、まさか町がアリの大群に包囲されているなんて……。
これは予想外というか、自分が宿泊していた町がアリの大群に包囲されている可能性について考慮している人はまずいないと思うけど……閉じ込められてしまったのは確かなのだ。
「ああ、これはしくじったぁ……暫く町を出られないじゃないか」
私たちが唖然として城壁の上からアリの大群を見ていると、商人らしき中年男性が『見誤った』といった表情を浮かべていた。
この町に仕事で来て、私たちと同じく町から出られなくなってしまったみたいね。
「お嬢さんたちもかい?」
「私たちは初めてこの町に来ましたし、たまたま夕方になったので宿に宿泊しただけなのですが……」
「そうなのか。ここは、別名『アントシティー』と呼ばれている。このように、魔獣である大きなアリの大群が城壁傍まで定期的に押し寄せてくるところなのさ」
巨大なアリの大群が押し寄せてくる……。
とんでもない町ね、ここは。
「だから城壁があるんですか?」
「鋭いね。お嬢ちゃん」
ララちゃんの推論を聞き、それが正しいと褒める商人のおじさん。
私は『お嬢さん』で、ララちゃんは『お嬢ちゃん』。
ここに、私とララちゃんとの間にある大きな年齢差について……たった二つ違いなのに!
「ここは王国直轄地でもある。昔はとある貴族の領地だったんだが、数十年前から、突然アリの大群が押し寄せるようになってな。零細貴族の財力でこの城壁を整備できるわけがなく。かといって、他の対策を立てたわけでもない。領民たちに多くの犠牲者を出してしまってな……」
その罪で貴族は改易されてしまい、今は王国直轄地になっているそうだ。
王都から派遣された代官がこの町を統治し、巨大なアリへの対処を担当していた。
「今回はかなりペースが早かったなぁ……もう少しあとだと思っていたんだが……しょうがない。まさか無理に外に出てアリの餌にされるわけにいかないから、大人しく待つとするか」
城壁から見下ろすと、アリの数は尋常ではなかった。
どんなに強いハンターでも、外に出るのは危険であろう。
とにかく数が多すぎるのだ。
「女将さん、これからどうしますか?」
「商売でもして待つしかないわね」
「小さな町なので、観光する場所すらないですからね」
じゃあずっと休んでいるのかといえば、それも性に合わない。
ファリスさんとボンタ君も同じようで、私たちはこの町でも串焼きやモツ煮込みの販売を始めるのであった。
まさか水面下で、とんでもない危機が訪れているとも知らず。
「火事だぞぉーーー! 消火を急げ!」
「食料庫じゃないか! 早く消せ!」
「見張りはなにをしていた? 本当に洒落にならんぞ!」
「火事? この小さな町で? しかも城壁に囲まれていて、アリのせいで脱出も困難じゃないか!」
「備蓄食料は無事か?」
「駄目だ! ほとんど焼けてしまった!」
「はあ? アリは昨日来たばかりなんだぞ! どうするんだ?」
「どうするもクソも……王都から応援を呼べば……」
「一ヵ月はかかるぞ! 間に合うものか! 食料庫が全滅したのなら、この町にいる人たちは一週間で飢え始めるぞ」
恒例行事であったはずの巨大アリの大群による来襲であったが、思わぬアクシデントにより大騒ぎとなっていた。
ここは小さな町だが、多くの旅人たちが休憩地としてよく利用しているので、町の規模の割に人口が多かった。
それでいて、城壁の周囲には畑なども見えない。
農業に適した土地が少ないために他から輸入しているそうで、町の食料自給率はかなり低かった。
さらに、緊急時に備えて備蓄用の食料庫があったのだけど、ここが昨晩火事で焼けてしまったのだ。
食料庫は全焼に近く、ほとんどの食料が……それも小麦などがすべて焼けてしまった。
「予想よりも早いアリの来襲だったので、各家庭の食料備蓄量にもあまり期待できない」
いつもは大体同じようなペースで来襲するので、この町の住民たちはそれに合わせて独自に食料を備蓄するのが習わしだった。
ただ、これまでずっと一定の割合でアリたちが来襲していたため、今回のようなイレギュラーに対応できなかった。
これまでずっとそうだったから、という油断があったのだと思う。
「色々とやばいですよね?」
「ああ、食料庫の火災の原因は放火だ。つまり、意図的に誰かがこの町を危機に陥れたとも言える」
「なんの目的でですか?」
「知りたいか?」
「興味あります」
「さすがにそれはわからんが……これからのこの町の状況がどうなっていくのか。それは大体わかる。知りたいか?」
「はい」
アリの大群に閉じ込められてピンチな以上、少しでも情報は欲しいところだ。
私だけじゃなくて、ララちゃん、ボンタ君、ファリスさんもいるのだから。
「串焼きを一本奢ってくれたら話す」
「一本でいいんだ!」
私たちは、昨日知り合った商人のおじさんから、これから町がどうなっていくのかという話を聞くことにした。
随分と事情通のようだけど……商業柄なのかしら?
「代官に頼まれたのさ。食料があったら売ってほしいと。俺の専門は魔法薬とその材料なので、腹の足しにならないし、単価も高い。断るしかなかったのさ」
魔法薬の材料なんて食べても、あまり腹の足しにはならないから当然よね……。
美味しくないし、ものによっては食べ過ぎると毒になるから。
「他の商人たちも聞かれていたな。売っていた奴もいたが、量が少ないから焼け石に水だろう」
ある意味、いい儲けの機会だったかもしれないけど、食料を持っていなければ意味はないか。
「なにより困るのが、そのせいで食糧不足だという情報が住民たちに漏れてしまったことね」
「そう、もうとっくに町中の連中は今回は危ないと気がついている。食料庫の火災がトドメみたいなものさ」
商人のおじさんも、私たちにペラペラ話しているからね。
情報の秘匿は期待できないであろう。
頼りの綱の食料庫が焼けてしまい、商人たちから確保できた食料も少ない。
パニックにならなければいいけど……。
「ユキコさん、食料の徴発とかありますかね?」
「どうかしら?」
商人たちに食料を売ってくれとは言ったが、徴発することはしていない。
まだ余裕があるからかもしれないけど、下手に食料を徴発したことが知られると、住民たちが『これは、いよいよ危ない』と、大パニックになるからかしら?
「アリは食べられませんかね?」
「食べられる、と聞いたことはあるな」
「本当ですか?」
商人のおじさんからアリが食べられると聞き、ファリスさんは驚きの声をあげていた。
まさか、本当に食べられるとは思っていなかったのであろう。
「やめた方がいいけどな」
「不味いからかしら?」
「いや、アリは怖いんだよ。あの城壁でアリを倒すのはやめておけ」
群れで行動しているアリは、仲間が倒されるとその死骸を回収しようとするそうだ。
「アリを狩るのなら単独で行動している個体だけだ。城壁に迫ったアリを殺したら、とても攻撃的になるという特性もあるんだ。仇を討つために、仲間の死骸を積み上げて城壁を昇ろうとすることもあるらしい。とにかくアリには手出し禁止。代官に罰せられるぞ」
仲間が死ぬと死骸を回収し、仲間を殺した者に復讐しようとする。
それでさらに仲間が倒れても。
計算が伴わない仲間思いな魔獣。
これは危険ね。
「ということは、アリたちが大人しく去るまで待つしかないってことですか?」
「そうなるな。巣のアリたちを全滅させるという手もあるが……」
とにかくあの数なので、それは難しいわね。
つまり、アリたちが去るまでここで臨時に串焼きを売るしかないと。
旅の途中でも狩りを続けて、魔獣の肉やモツを『食料倉庫』に沢山入れておいてよかった。
「はあ……この串焼きも、あと何日食べられるか……」
商人のおじさんは、私が奢った串焼きを惜しむようにゆっくりと食べていた。
普通に考えたら、私が持っている食料の量なんてたかが知れているから、あと何日で串焼きが売り切れになるのかと思っているんだと思う。
「串焼き五本! お任せで!」
「こっちもだ!」
臨時店舗というか、屋台みたいなものだけど、初日にしてはお客さんが多かった。
町の有名なお店にお客さんが殺到してしまい、一日で食材不足のため品切れ、次はいつお店を営業できるか目処が立っていない、みたいなところが増えてきたそうだ。
たった一日で……。
旅行者は勿論、町に住んでいる人たちもお店を利用していた。
自宅に多少の備蓄があったとしても、そんな量では数日しか保たない。
まず先にお店で食事をとり、自宅に備蓄した食料は最後の手段とする。
という、生存方針なんだと思う。
これって、町の住民たちと旅行者たちの仲を裂く離間策かも。
放火犯の目論見どおりかもしれないわね。
「お嬢さん、儲かっているだろう?」
「儲かってはいますね。でも……」
この状況でお金ばかりあってもねぇ……。
お金は食べられないし……。
でも、まだ『食料倉庫』の在庫には余裕があるので、今は串焼きを売り続けるしかないのかも。
「女将さん、お客さんが増えましたね。さすがに僕も手も疲れてきました」
「営業しているお店がほとんどなくなったからねぇ……」
「ユキコさん、アリっていつ諦めるのでしょうか?」
「それは、アリに聞くしかないわね」
「個別注文をやめて、メニューをお任せ串焼き五本とミソニコミだけにしても、次から次へと売れていきますね。私が魔法で作った氷入り飲料も好評ですよ」
「お酒も入っていますけどね、うちは元々酒場ですから」
「酒精も甘味もエネルギーになるから、みんな頼むのよ」
アリが来襲してから五日後。
私たちは、とにかく忙しくて堪らなかった。
町の他の飲食店は、もう大半が閉まってしまったからだ。
お客さんはいくらでもいるけど、食材がないので料理を作れないのだから仕方がない。
宿屋は、まだどうにか宿泊客に食事を出していると聞いた。
でもその内容は非常に質素で、それですらいつまで出せるのかはわからないらしいけど。
宿泊しないお客さん向けの食堂や酒場は、もうとっくに閉まっていた。
お酒は残っているらしいけど、料理やツマミが出せないのだ。
すきっ腹にお酒は辛いだろうから、商売にならないのかも。
そんなわけで、私たちの臨時店舗は目が回るほど忙しかった。
串焼き、ミソニコミしか出していないにも関わらず、みんな競うように買って飲み食いしているわ。
「もうこの店しか営業していないんだよなぁ……。デルデンの食堂っていう、町でも評判の不味い店があるんだが、そこもついに閉店になったんだ」
「あの店が食材不足で閉店なんて、世も末だな」
むしろ、そんなお店がどうして潰れないかの方が、私は気になって仕方がないけど……。
なにも知らない旅人が利用してしまうからかしら?
「この店が閉店になったら、あとは代官様の配給に頼るしかないな」
この町の代官は、商人たちから食料を買い集めていたけど、はっきり言って大した量ではない。
配給も何日できるのやら……。
「ユキコさん」
「明日から売る品を変えるしかないわね……」
とはいえ、私はお米の入手のため、かなりの量の穀物、特に麦類を放出してしまった。
パンは出せない……私が自分で焼いてもそんなに美味しくないし……。
というわけで、背に腹は代えられず、あの料理を出すことにしたのであった。
「ありゃ、まだ食べ物を売っていたんだな。で、それは?」
「お米です。ラーフェン子爵領の特産品です」
「聞いたことはあるけど、商ったことはないなぁ……一つくれ」
翌日からお米を炊き、その上に串ナシの焼いたモツや味噌煮込み載せたものを出すことにした。
もうメニューはこれだけだ。
忙し過ぎて、もう他の料理なんて作っている暇がない。
食材不足で自分のお店を閉めざるを得なかった人たちがアルバイトに入り、みんなで『丼』だけを出していく。
もう他に営業しているお店はなく、町の人たちは備蓄食料にも手を出し始めていた。
かなり危うい状況なので、出し惜しみはできない。
お米……沢山手に入れて喜んでいたのに……。
また買い集めないと……島に行かないと無理なのかしら……。
「おじさんは、景気いいのかしら?」
「残念だが、魔法薬の類いはそこまで需要が増えていないよ。向こうも不足していないから仕入れないし、仕入れ自体をナシにしている。現金を残しているのさ」
多分、このお店で食事を取るためだ。
とにかく外からの人の出入りがないので、みんな現金収入が得られない。
わずかな配給以外では有料で食事を確保しなければいけない以上、それを買うのに使う現金を確保しているわけね。
「お嬢さん、値段を変えないんだな」
「便乗値上げはどうかと思いますからね」
これでも十分に儲かっているし、便乗値上げはこの閉鎖空間において危険な選択だと思う。
もし誰かがそれを糾弾して、みんながそれに同調したら……。
食べ物の恨みは恐ろしいというけれど、人間は食べないと死ぬので当たり前というか……。
とにかく、私は便乗値上げはしなかった。
丼は一種類だけで、値段は銅貨五枚五百円くらい。
ワンコイン丼ね。
「ここで食べるとお腹一杯になるから助かるよ。朝昼兼用ができるのもいい」
お客さんの一人が、私に声をかけてきた。
「アリって、いつもだとどのくらいで撤退するんですか?」
「二週間から三週間だが、みんな半月くらいだと思っているな」
最低でもあと一週間かぁ……。
なんとかなるかな?
お米の在庫は死んでしまうけど……お米……また島に戻って買い付けるか?
「柔らかく煮てあるから、年寄りであるワシも美味しくいただけていいのぉ」
あきらかに百歳を超えているであろう、町の古老といったお爺さんも、丼を気に入ってくれたようだ。
「安くしてくれてすまないの」
「ちゃんと利益は出ていますから」
「いや、こういう時こそ儲けるいい機会だと思って便乗値上げをする者は出てしまうのだ。この町は定期的にアリの襲撃を受けるので、町の人間も外の人間も、その時を狙って儲けようとする輩が定期的に現れる。そして見事に失敗するのだ」
町がアリに囲まれるということが定期的に発生し、その間は町が封鎖空間になってしまう。
便乗値上げの誘惑は常にあるけれど、この数十年で彼らの目論見はあまり成功していないみたい。
小さな町だからこそ、その手の行為がすぐに糾弾されてしまうからであろう。
実際、すでに食料不足で閉店したお店はどこも値段を変えていなかった。
それをしたら最終的に店が潰れてしまうのだと、みんな本能レベルで刷り込まれているのだ。
「外の人間で若いのに、店主は商売の心得をよく理解しておる」
「短期の利益ばかり追いかけてもですよね?」
「そういうことだな。それにしても、アリがこの町に来襲し始めてからすでに六十年以上。ワシが死ぬまでに解決するのか……」
「数十年前に、いきなりアリの群れが来たのですか?」
「それまでは、アリのアの字もなかったの。ワシは若い頃はハンターだったんだが、この町の周辺で稀に単体行動をするアリを見かけるくらいだった」
それが今では、半ばストーカーと化したアリたちの集団に狙われている。
およそ六十年前、この町になにがあったのかしら?
「以前領主だった貴族様は、対策をしなかったのですか?」
「城壁を作ろうと重税を課してな。それで城壁が作れていればまだマシだったんだが……」
一向に城壁はできず、そのうちアリによる犠牲者まで出てしまったそうだ。
「集団のアリの中の一匹を倒すと、他のアリたちが激高してなぁ……当時はワシらもハンターとしての生活があって、さらに重税なので倒したアリの素材の回収を目論んだのだ。だが……」
単独のアリは倒しても問題ないけど、群れを作っているアリを攻撃した途端、多くのハンターたちがアリによって巣に攫われてしまった。
「ワシはよく生き残れたと思うよ。ハンターが減ると、今度は町の住民に犠牲者が出てな。それでも、元領主とその一族は城壁の工事に入る気配もない。税はますます上がって……」
もう我慢できないと、ある領民が密かに王国に直訴を行った。
アリを放置した結果、他の土地に害があると困る王国は、領主であった貴族を改易。
直轄地にしてから城壁を作ったのだと、お爺さんは教えてくれた。
「城壁のおかげでアリによる犠牲者は大幅に減ったが、アリはなぜか定期的にここを襲う。理由は皆目見当つかないのだ」
「困りましたね」
「本当にのぉ……」
アリたちがこの町のみに押し寄せる理由がわからなければ、対策を立てようがない。
城壁で防ぐしか手の打ちようがないのだから。
「とにかく一日でも早くアリが退いてくれなければ、ワシらは生活ができぬよ」
アリという悪条件があるにもかかわらず、この小さな町が保持されているのは、王国南部から西部、王都を繋ぐ街道の要所にあるからだ。
この近辺に他に町などはなく、旅人はこの町に宿泊する人が多かった。
旅人相手に稼いでいる人が多いから、アリに囲まれると収入がなくなるのは痛いわね。
とはいえ、私たちに打てる手なんてないけど。
私たちは、同じ値段で丼を出し続けるしかないわね。
と思っていたら、思わぬところから急に呼び出しを受けることになったのであった。




