第52話 氷の棺
「なに? 棺がないだと! どういうことだ?」
「それが、屋敷から忽然と消えてしまいまして……」
「見張りはなにをしていた?」
「それが、大半が祭りに参加してしまいまして……。残っていた者も、差し入れのお酒と食べ物で……」
「寝ていたというのか?」
「そうなります」
大変なことになった。
祭りが終わって屋敷に戻ると、私が命じて屋敷に保管している氷の棺が、忽然と消え去っていたからだ。
あの氷の棺が持ち出されるなんて……。
アレには、この島を統治するラーフェン子爵家の当主フランツの遺体が入っていたというのに……。
フランツは、風邪を拗らせて呆気なく死んでしまった。
誰もが予想すらしていなかった当主の死に、我らは大いに動揺、混乱した。
まだ十歳でしかないフランツに子供などいるわけがなく、ラーフェン子爵家の次の当主に一番近いのは、フランツの代わりに家宰として統治で実績を出し、フランツの異母兄でもあるザッパークということに……。
確かにザッパークは母親が平民ではあるが、本家の血を引いている。
なにより為政者として有能だ。
彼こそが次の当主に相応しい……しかし彼は母親が平民だし、先代当主の弟の家に養子に出された。
一度本家を出ているのだ。
ならば、ワシの孫が継いでも血筋的にいえばそう変わらないはず。
だからこそワシはフランツの死を隠し、その間にワシの孫との養子縁組を進めようとした。
ザッパークに勘づかれ、なかなか王都に人を送り込めていないが。
ワシらも、ザッパークのラーフェン子爵家当主継承を妨害しており、島は誰も外に出られず、外部から島を訪れる人たちを大幅に制限し、その余波で領民たちはえらく迷惑していた。
完全な千日手になってしまったのだが、ここで王都から巡検使一行がやって来た。
どうにか孫をフランツの養子にしようと思ったのだが、この巡検使はザッパークこそが次の当主に相応しいと考えていた。
そうした方が島も混乱しないであろうと。
また解決の手段を失ってしまった……そんなところに、ザッパークから祭りの誘いがきた。
怪しいとは思ったが、双方が監視し合えば抜け駆けはできない。
実際、ザッパークに与する連中は、全員が祭りで珍しい料理と酒を楽しんでいた。
ここでワシらが抜け駆けしようとすれば、領民たちの支持を失うかもしれない。
それに、ワシらに与している連中も料理と酒を堪能し過ぎて抜け駆けもクソもなくなった。
今日は仕方があるまい……。
そう思って屋敷に戻って来たら、フランツの遺体を封じ込めた氷の棺が忽然と消えていたのだ。
いったい誰が?
島の人間はあり得ない。
なぜなら、双方がお互いの人間を監視し合っていたからだ。
では、巡検使とその付き人たちか?
しかし、付き人たちは全員が屋台の手伝いで忙しそうに働いていた。
巡検使本人……散々飲み食いしたあとにトイレに行き、戻って来たらあとはもうグッスリだった。
ワシの隣で寝ている人間が、ワシの屋敷に侵入して氷の棺を持っていくわけが……。
フランツの遺体と氷の棺は重く、一人で運び出すのも難しいはずだ。
「奇術かなにかか?」
「ボートワン様! ザッパーク様から領主屋敷に来るようにと。重要な用事があるそうで……」
「親父!」
「そういうことか……腹を括れ、トーマス」
「っ!」
ワシらは、ザッパークにしてやられたのだ。
どうやったのかは知らないが、彼が氷の棺を押さえたのであろう。
「親父、人を集めよう。取り戻せばいい!」
「落ち着け。巡検使にバレたんだぞ。そんなことをしたら、ラーフェン子爵領は王国に改易される」
「奴を始末すれば?」
「バカか、お前は! そんなことをしたら、改易のみならず一族が処刑されるぞ!」
どうして伯爵家以上の一族が巡検使に任じられるのか?
それは、お前みたいな地方では王国の威光や権威など関係ない。
自分たちの意に沿わぬ巡検使など殺してしまえ、という輩を防ぐためでもあるのだ。
巡検使を殺してしまうと、王都にいる伯爵以上の大物貴族を敵に回す。
そう思わせるためにだ。
「親父、どうするんだ?」
「もう諦めろ。ワシらの策はならなかった。ザッパークに会いに行くが、軽挙妄動は控えるように。もしおかしなことを考えたら、みんな処刑されるぞ。わかったな?」
「……ああ……」
このくらい脅しておけばいいか。
策が成功しなかった以上、あとは潔く処分を受けるしかあるまい。
さて、ザッパークに会いに行くとするか。
「……惨いことを……葬儀の準備をしなければ……。頼めますか? 神父殿」
「これは死者への冒涜です! ボートワン、トーマス親子は教会から破門されても文句は言えませんぞ!」
死者を氷の棺に入れて葬儀もしない。
神父さんは、ボートワン、トーマス親子に激怒していた。
「ラーフェン子爵領を自由に差配する。それほど魅力的なのか……」
「大変そうですからね。領主のお仕事って」
「多くの人たちの命を預かる仕事だからね」
ザッパーク様の言うとおり、大変な仕事よね。
「ザッパーク様、ボートワン様がいらっしゃいました」
「一人でかな?」
「はい。お一人です」
「観念したようだね」
今、私たちの前に氷の棺があった。
よく見ると、その中には子供が閉じ込められている。
ラーフェン子爵家の当主にして、ザッパークさんの異母弟だったフランツ君の遺体であり、彼の大叔父ボートワンはフランツ君を生きているように見せかける……いや、遺体が腐ると困ると思ったからであろう。
魔法使いたちを懐柔して、氷の棺を維持させていた。
今、氷の棺を溶かしているところだ。
氷が溶けきったら、正式にフランツ君の病死を発表して葬儀をあげるため、教会の人たちがその準備を行っていた。
遺体を氷漬けにして生きていることにした。
神父さんは、ボートワンは今すぐにでも破門にしたいと激怒していた。
亡くなった人への冒涜なのだから、教会関係者からしたら当然であろう。
この世界では、旅先や狩猟を行っていた僻地で人が亡くなってしまった場合、まずは現地で火葬してから家に戻して葬儀を行うため、遺体を氷漬けにする概念がなかった。
教会関係者からしたら、死者への冒涜としか思えないのであろう。
「ザッパーク……」
「事情をお聞きしましょう。それしか用事はないですけどね」
観念したのか、一人で領主屋敷にやって来たボートワンに対し、ザッパークさんはただ一言だけ質問した。
フランツ君とザッパークさんは、生前は兄弟なのでとても仲がよかったそうだ。
フランツ君が当主で、ザッパークさんは家宰になる。
これでなんの問題もなかったはずなのに、こんな結末になってしまったのだから悲しい。
フランツ君は、神父さんの見立てでは病死だそうだ。
毒薬を用いた肌の変色や、首を絞められたあと、刃物などによる傷も確認できなかったからだ。
だが病死した直後、すぐにザッパークさんに報告しなかったため、ザッパークさんと彼を支持する人たちは、ボートワンがフランツ君を毒殺した可能性が高いと疑っていた。
一人で来たボートワンは針の筵状態だと思う。
よく一人で来れたものだ。
その度胸は凄いと思う。
「気の迷いだな……」
「気の迷い?」
「ワシは、先々代の末の異母弟だった。それでもたまたま分家に子供がいない家があって、そこに養子に入れた。運がよかったと思っていたし、今の境遇になんの不満もなかったよ」
ボートワンは、先代からも信用されていた。
むしろ、フランツ君の家督継承を妨害する可能性があると先代が疑っていたザッパークさんよりも信用が厚かったそうだ。
だから先代の死後、フランツ君が成人するまでの養育はボートワンの役割となった。
「そこで少し歯車が狂ったのであろうな。息子のトーマスなどは特にそうだ」
自分たちの方が先代当主に信用されている。
フランツ君を握っておけば、家宰をしているザッパークさんを将来引きずり降ろし、自分たちこそがラーフェン子爵家で大きな力を握れると。
そしてそれに気がつき、そのお零れに預かりたい人たちが周囲に集まり、次第にザッパークさんと対立関係になった。
こういうのって、人間の業よね。
「そんななかで、およそ二ヵ月前、フランツが風邪を引いたのだ。本当に軽い風邪だった。ザッパークが念のためにと、島の外の医師と薬の手配を申し出たが、ワシはそれを断ってしまった」
「私が、フランツを毒殺するとでも思ったのですか?」
外部の医者、魔法薬。
疑おうと思えばいくらでも疑えるわね……。
「ワシはまったく思っていなかった。そんなことをしたら、ザッパークは終わりだからだ。だが……」
「トーマスや支持者たちが騒いだのですね」
「そうだ」
ボートワン自身は、ザッパークさんがそんなことをするわけがないと確信していた。
だけど、出来の悪い息子トーマスやその支持者たちが騒ぎ出し、それに引きずられる形で、おかゆでも出して寝かせておけばすぐに治るから問題あるまい、ということになってしまった。
その集団のトップなのに、下の人たちの圧力に屈してしまったわけね。
「そうしたら、フランツの症状が急速に悪化した。ザッパークの申し出を受け入れておけば……いや、今からでも……だが……」
今さら、ザッパークに頼んで外の医者と魔法薬を手配してもらう。
そんなことができるかと、特にトーマスたちが騒ぎ始める。
結局ボートワンもザッパークに頭を下げるという選択肢を選べず、自力でフランツ君の看病を試みたが、その命を救うことができなかった。
ボートワンたちは医者ではないから当然ね。
「フランツは病死してしまった。それだけは事実だ。ワシは、フランツの死を急ぎ公表しようとしたが……」
「またトーマスたちですか……」
「ああ、成人するまでフランツの養育を任されていたワシの取り返しようのない失態だ。当然、我が家は処罰されるであろう。平民に落とされても文句は言えない。ザッパークもそうせざるを得ないはずだ」
「そうですね……私の立場上、あなたを擁護できません」
もしフランツ君を病死させてしまったボートワンをお咎めなしにしたら、他の一族や家臣、領民たちはこう思うはずだ。
ザッパークさんが、ボートワンに命じてフランツ君を殺させた。
だからザッパークさんは、ボートワンを罰することができないのだと。
そう思われてしまうので、ザッパークさんがフランツ君が死んだ件でボートワンをお咎めなしにすることはあり得ななかった。
ボートワンもそれに気がついていた。
「ザッパークに真実を言えず、だからといって死んだフランツをそのままにはできない。ワシを含め、事情を知っている者たちは大いに焦った。何度怒鳴り合ったことか……」
フランツ君の死を報告しても、ボートワン一族は破滅。
支持者たちも無罪とはいかない。
だが、いつまでも隠し通せるものではないのも事実だ。
「そんななか、誰かが今回の策をあげたのだ。あの時は焦っていたので、誰の策かも思い出せないくらいだ。冷静に考えれば穴だらけでどうしようもない策だが、その時は妙案に思えたのだ。ひと筋の光明に見えた。幸いにして、この島は王国の最南端にある。中央の偉い人たちも、この小さな島の当主が誰になっても大して気にはしないであろうと」
「まあ、それも間違ってはいないですね。私だって、この島での異変に気がついて来たわけではないのです。たまたまあの小さな漁村に辿り着いたところで、島のことを知ったのですから」
イワン様は、ラーフェン子爵家のお家騒動に気がついたからここに来たわけではないのね。
たまたまあの小さな漁村でこの島の噂を聞き、介入することを決めた。
最初から、ラーフェン子爵領の緊急事態に気がついていたわけではなかったみたい。
「気の迷い……そのあとは、ワシがトーマスや他の連中の愚かさに引きずられただけ。その結果が、領民たちに大迷惑をかけた、しょうもないお家騒動になった」
人の上に立つって怖いことなのね。
今回の策。
成功すれば、ボートワンはラーフェン子爵家の当主ではないが、それに近い強大な権力を持つことができたはず。
でも、本人は案外それを望んでおらず、息子のトーマスやそのお零れに預かりたい者たちがボートワンを突き上げたのが真相だった。
だから彼は、フランツ君の遺体がこちらに渡った時点で、抵抗もせず大人しく出頭したのであろう。
「一ついいかな?」
「なんです?」
「誰が氷の棺を持ち出したのだ? 確かに、屋敷の見張りはとても少なかった。勝手に祭りに出かけた者たちも多い」
それでも、見張りがいなかったわけではない。
それに、ボートワンたちもこちらの人員の動きを監視していた。
ザッパークさんたちも、私たちも全員が祭りの会場にいて、だからこそ屋敷の見張りも手抜きになったし、それを咎める空気にならなかった現実があるのだから。
「私ですけど」
「イワン様? しかしあなたはワシの隣で……」
散々飲み食いして、一度だけトイレに立ち、戻って来たらずっと居眠りをしていた。
それはボートワン自身が祭りが終わるまで確認しており……隣の席だからいなくなったことに気がつかないわけがないのだから。
「私は寝ていたのではなく、そういう単純な動きにするしかないのですよ」
そう言うと、イワン様は近くの椅子をそっと指差した。
すると次の瞬間、イワン様が椅子に座って居眠りをしていたのだ。
「幻術?」
「似たようなものだね。さすがにこれは飲み食いできないから、こういった動きになったわけだ」
最初の暴飲暴食と、飲み過ぎが原因のトイレ。
そして席に戻って来たら、満腹で眠くなったので寝てしまった。
まったく不自然じゃないけど、その居眠りをしたイワン様が幻術だったわけだ。
触ればわかるけど、ボートワンも理由もなしに巡検使の体に触らないわよね。
ボートワンの屋敷から、フランツ君の遺体を運び出したのはイワン様だったのね。
「氷の棺は重たいのだが……」
「私はそれを解決する魔法を持っています。詳しくは秘密ですけどね」
念力のような魔法か、もしくは私みたいに収納系の魔法かな?
イワン様は教えてくれなかったけど。
「納得しましたか?」
「はい。それと、正直に言うとこれで安心した。ほっとした。ワシが愚かなせいでフランツは……すまない……ううっ……」
ボートワンはフランツ君の遺体の傍で跪き、頭を下げて祈りながら泣いていた。
自分のせいで十歳の子供を、それも知らぬでもない親戚で血が繋がった子供を死なせてしまったのだ。
内心では、罪悪感で一杯だったのであろう。
「ザッパーク、ワシを処刑すればいい。家族は追放で済ませてくれ」
「……」
ザッパークさんは悩んでいた。
ボートワンの罪状だが、フランツ君の死に関する部分は情状酌量の余地がなくもない。
彼が、フランツ君を積極的に殺したわけではないからだ。
ザッパークさんが勧める外の医者や魔法薬は拒否したが、別にフランツ君を看病しなかったわけでもないのだから。
だが、実質内乱状態を作り出してしまった責任はある。
むしろ、こっちの方が死刑にされてもおかしくはない罪状だ。
「……お嬢さん、どう思います?」
「えっ? 私ですか?」
どうして私?
自慢じゃないけど、先祖代々庶民の私が、貴族家で起こったお家騒動の主犯をどう裁くかなんて、わかるわけないのというのに。
「意見でも、思ったことでもなんでもいいです」
これは、外の人間がこの騒動についてどう思うか。
ザッパークさんは客観的な意見が欲しいわけね。
島の中の人間に意見を聞くと、どうしても感情的になったり、支持している方を擁護してしまうものだから。
「人間は弱く、流される生き物です」
「弱い?」
「ええ。フランツ様が病死した時、すぐにザッパーク様に報告していれば、やり方によってはボートワンさんも厳罰を受けずに済んだのでは?」
たとえば、家臣としての地位を最下級まで落としてしまうなど、領民たちにわかりやすい罰を与える。
それでも、あとでいくらでも挽回できると思うのだ。
ああ……話に聞く限り、息子のトーマスでは無理なのか……。
でも、孫もいるのだから。
「でも、処罰されることは確実だったので言えなかった。外の医者と魔法薬を用いてのその結果なら、それにはザッパーク様の責任もあるので罰はなかったはず。でも、その選択肢を選ぶのはすでに時を失していました。罰を受けるのが嫌だからと、こんな胡乱な手を使ってしまい、さらに罪を重ねてしまう。人間はどんな身分の人でも弱いのだと思います」
「そうだね……」
「そしてもう一つ。もしザッパーク様とボートワンさんの立場が逆だった場合。ザッパーク様はボートワンさんと同じことをしないと、断言できますか?」
「できないね……私がそう思っても、周囲にいる人たちがそれを望まなければ、私もそっちに引きずられた可能性は高い」
「亡くなったフランツ様は病死で、他は今回の件で誰も負傷していないし、死んでもいません。処刑はどうかと思いますが……」
とはいえ、ラーフェン子爵家領にはラーフェン子爵領の法がある。
当主が判断すれば……当主は病死しているので、現時点で最高権力者であるザッパークさんが判断するしかない。
そこに私は口を挟めないのだから。
「ボートワン、フランツの遺体の状態のせいで教会の人間を敵に回してしまった以上、ここに残れば不幸になるだけだ。家族を連れて島を離れてくれ。先々代よりの功績も考慮して一時金などを支給する。残りの同調した者たちは、減給や降格で済ませる」
「ザッパーク様の恩情に感謝します」
ボートワンは、ザッパークさんに対し頭を下げた。
この瞬間、ようやくラーフェン子爵家のちょっと変わったお家騒動が幕を閉じたのであった。




