第32話 竜様のお通りだ!
「お客さんが……全然来ない……。まったく、商売あがったりよ!」
「ユキコ女将、今はそれどころじゃないんだけど……と言っておくぜ」
「私たちからすれば、このまま商売ができないことの方が、よっぽど危険よ。竜? そんな見たこともない生き物のせいで、お客さんは全然来ないし。お爺さんもいないし、親分さんも……」
「お祖父様は今は緊急事態だから、スターブラッド商会全体の指揮を執っている。親分さんは自警団のトップだ。竜に対応すべく王国軍が臨戦態勢である以上、王都各地の治安を維持するために駆り出されているんだぜ」
「ミルコさんは?」
「うちも商売あがったりだけど、保存している肉を腐らせないことこそが、明日の利益に繋がると、俺様は思っているのさ。熟成肉の仕込み期間ってわけだぜ。もっとも、竜に対応すべく魔法学院の生徒たちにも待機命令が出ていて、氷を出せる魔法使いの確保が……ファリスがいてくれて助かっているんだぜ」
「アンソンさんは?」
「あいつは、王国軍からの命令で軍人たちの食事を作っている。ユキコ女将のおかげで、あいつは野戦・携帯食のレパートリーが多いから、大人気で忙しいんだぜ」
「そうなんだ」
「ユキコさん、全然お客さんが来ないですね」
「女将さん、これは臨時閉店も致し方なしなのでは?」
「ララちゃん、ボンタ。俺様がいるんだけど……」
「ミルコさん、もっと注文してください」
「俺様が頼む量だけじゃあ限度があるだろう。それにしても、ファリスも言うようになったものだぜ。夕飯がまだだから、なにかお腹に溜まるものが欲しいぜ」
「まいどあり」
「はあ……ユキコ女将、うちの肉いらない?」
「お客さんが来ないとねぇ……」
「だよなぁ……」
いつもどおりお店を開店させたのはいいけど、お客さんはミルコさんだけだった。
私のお店が飽きられたからとかそういう理由ではなく、王都に巨大な竜が迫っているため、みんなお酒や串焼きを楽しんでいる場合ではなかったからだ。
もしもに備えて、避難準備に忙しいわけだ。
あまり露骨にやると偉い人たちから睨まれるかもしれないので、こっそりとやっているのだけど、それでもうちのお店に来る余裕はないみたい。
竜の接近に伴い、食料品を始めとする物価が上昇傾向だから、外食する余裕はないというのもあった。
お爺さんも親分さんも急がしいそうで、お店には来ていない。
ミルコさんは、せっかく解体・処理したお肉を腐らせないよう、必要な氷の確保と、肉を腐らせない冷蔵作業に、熟成肉製造に関するアレコレを終え、ここに顔を出していた。
王都の店の多くは竜騒動のせいで閉まっているか、それに便乗した値段の高い、美味しそうには見えないものしか売っていないのだそうだ。
世界が変わっても、便乗商売というものは存在するらしい。
「もっとも、それで一時的に儲けても、竜のせいで王都が壊滅したら意味がないかもしれないけど……従業員たちの給金どうしようかな?」
経営者であるミルコさんは、王都に迫りつつある竜の動向に頭を悩ませていた。
もし竜が王都を壊滅させた場合、せっかく経営が安定してきた肉屋が駄目になってしまうからだ。
雇っている従業員たちの生活もある。
ミルコさんとしてはクビを切りたくないのであろうが、状況によっては非情の決断を下さなければいけないのが経営者であり、もしそうなったらどうしようといった表情を浮かべていた。
「ええいっ! 悩んでも仕方がない! 食ってやる! これ美味しいぜ!」
悩んでも、食事を食べる手が止まらないところは、さすがはあのお爺さんの孫というべきか。
そういう動じないところは、経営者に向いているのかもしれない。
「ウォーターカウの熟成肉のロースト肉、温泉玉子添えです」
「これは美味い。今日は得したな」
「大銅貨二枚ですけど」
「高っ! くもないか……他の店なら、軽く三倍の値段はするな……その前に、作れない店が大半だろうし……」
「ううっ、賞味期限の迫った食材、仕込んでしまった大量の料理……廃棄ロスが、うちの店を殺しにくるわ。竜には殺されなくても」
この世界には竜が存在し、彼らは圧倒的な強者であり、しかも勝手気ままに移動するそうだ。
その進行ルート上にある村や町、一国の首都とて彼らの前では無力な存在でしかない。
ある種の生物災害という扱いなのだと思う。
数百年に一度来るかもしれない、避け得ない超巨大台風とか、大地震とかそんな類の扱いね。
軍隊を出して防いだとしても、運がよければルートをちょっと外れてくれるかもしれない。
その程度の効果しか期待できないそうだ。
かと言って、なにもせず町や城が竜により壊滅させられるのを指をくわえて見ていたら、軍隊の存在意義を疑われてしまう。
過去に多くの国の軍勢が竜に挑み、そのすべてが返り討ちに遭ってしまったそうだ。
合理的に考えれば、いったん竜から逃れ、壊滅した町で救助活動や復興の手伝いをした方がいいのだろう。
だが、軍が逃げ出したなんてことが民衆に知られたら、それは軍の存在意義を問われる事態となる。
いったいなんのために、我らは普段高い税を払っているのだと。
そんな理由で、今王国軍は竜との決戦に備えての準備に忙しい。
引くに引けない状態というわけだ。
「ファリスは、ここにいていいのか?」
「魔法学院の生徒たちにも待機命令が出ている人もいます。その全員が貴族の子弟ですけど……」
「身分がどうこう言っている場合でもないような……」
「そうなんですけど、ここでもし平民出の魔法使いたちが活躍してしまうと、という懸念もあるそうです」
戦争や有事の際に、軍の先頭立つのは貴族でなければならない。
そんな原理原則のおかげで、平民出の魔法使いであるファリスさん暇らしい。
さすがにこの状況で魔法学院も授業なんてしないだろうし、平民出身の彼女には動員も待機命令もかからなかったそうだ。
「逃げ支度が必要かしら?」
私の場合、『食料保存庫』があるから、別に逃げても問題ないのよね。
お店は、竜が通りすぎてから再建すればいいのだし。
この世界には、他にも多くの国や都市があるので、そこで再起しても全然問題ない。
ララちゃん、ボンタ君、ファリスちゃんの給金も、数年くらいならお店を一日も開けなくても支払えるだけの余裕はある。
その間に、もっと沢山色々な食材を集めておけば、それは将来の売り上げにも繋がるからね。
そう思ったら、急に気分が楽になってきたわ。
「ユキコ女将は、余裕そうだぜ」
「私自身と、従業員たちの暮らしは必ず守るわ」
「ユキコ女将、いますぐ俺と結婚して俺様も守って!」
「嫌です」
「やっぱりだぜ!」
ミルコさん、やっと経営者としての自覚が出てきたのだから、しゃんとしなさい。
アンソンさんや親分さんに負けてしまうわよ。




