第21話 伝統と挑戦
「アンソン、久しいな」
「爺さん、生きてたか」
「元気すぎて、なかなかあの世からお迎えが来なくてな。お主、お店は?」
「女店主の新しいソースを拝むため、今日の夕方の部は多少遅れても仕方がないと思っている」
「難儀な性格だな。ミルコとまるで逆だ」
「お祖父様、それはないと、俺様思うな」
昼食後、私が作るソースを試食するのだと言って、アンソンさんは私たちの仕込みが終わった時刻に『ニホン』に顔を出した。
私が作る、ステーキソースの味を確認するためだ。
「とは言っても、そんなに難しいものではありませんよ」
この世界のプロの料理人みたいに、何日もかけてソースを作るわけではない。
細かく刻んだタマネギとキノコ、トマトなどで作る『なんちゃってシャリアピンソース』であった。
他にも、醤油と味噌を使ったソースなら簡単に作れるので、それをステーキに流用しただけなのだから。
私もフォン・ド・ボーに似たソースを作ったことがあるけど、作るのに何日もかけていられないので、時短で手抜きをして、醤油を入れて誤魔化すとかもしていた。
そういえば、昔のフランスでは国王ルイ十四世が九州から輸入した醤油をこよなく愛したとか。
それと同じように、この世界の人たちも醤油の美味しさに気がついたというわけだ。
あと、味噌もか。
両方とも、私が一日に決まった量を魔法で出すしか入手方法がないけどね。
「どうぞ」
私はアンソンさんに、『熟成肉のステーキ、なんちゃってシャリアピンソースかけ』と、味噌ダレソースがけを出した。
「見たことがない調味料だな……小さく刻んだ野菜を使ったソースか……うっ、美味い! 本当に美味い! 肉も! ミルコぉーーー!」
「今、肉の熟成で試行錯誤してんだ! ちょっと待ってくれと、俺様は言うぞ!」
「ちくしょう! 肉もソースも負けた!」
アンソンさんは料理人としての実力に自信があったからこそ、自分のソースの方が美味しいとは料理人のプライドに賭けて言えなかったようだ。
敗北を素直に認める度量はあるのであろう。
「ほほう、誇り高き料理人であるアンソンをして素直に負けを認めるか。確かにこのソースは美味いな!」
「これではアンソンの負けだな。同じ肉を使ったとしても、この野菜を沢山使ったソースは美味しい」
お爺さんと親分さんは、ちゃっかりとアンソンさんが残したステーキを試食し、その味を絶賛してくれた。
初めて食べたからってのが余計に大きいと思うけど。
「とはいえ、私の料理の技術は、アンソンさんよりも下ですけどね」
やっぱり、醤油と味噌という調味料の美味しさが圧倒的なのだと思う。
あとは、料理人に一番不要な固定概念の問題もあるかな。
アンソンさんは、元々王城で王様が口にする料理を作っていたので、腕は私よりも圧倒的に上のはず。
だけど、王城内で料理人として出世していこうとすると、自分のフォン・ド・ボー風のソースを完成させ、それを必ず料理に使う。
醤油はなくても魚醤はあるのに、それを下品で、お腹を壊す可能性があるからと意地でも使わない。
それを食べさせた結果、王様や王族になにかあると困るので、王城ではそれでも仕方がないのだろうけど、アンソンさんは王城の料理人を辞めて独立しても、王城でのルールを崩さなかった。
「肉のカットの仕方、筋の裁断もとても上手で、アンソンさんのレストランの肉はとても柔らかかった。焼き方も、私もボンタ君も徐々に腕を上げていたけど、やっぱり本職には劣ってしまう。でも、私は王城に勤めている、勤めていたプロの料理人が必ず仕込むソース以外のものを作って、意外性で勝利したわけ」
もし同じ料理を作って対決しろと言われたら、私は絶対にアンソンさんには勝てないはずだ。
「料理は時を経るごとに進化するもの。新しい料理と味の探求を怠っては駄目よ。アンソンさんの料理に使っているソースだって、最初に発明した人がいるはずよ」
「確かに、女将の店の串焼き、新鮮な魔獣の肉や内臓を使った料理はそうだな」
「ミソニコミとかだな。あれは、他の店にはないものだ」
まあ、私の料理も日本の店では普通に出されていたもののパクリなので、あまり人のことは言えないのだけど。
でも、私は美味しければそれでいいので、アンソンさんほど頑なではないと思う。
「アンソンさんは王城の料理人を辞めて独立したのだから、お店に来るお客さんが喜びそうな料理を出せばいいと思う。私と比べる意味ってあるのかしら?」
現状、アンソンさんの料理は人気であった。
高級店よりも安く、王様や貴族が食べる料理に近いものが食べられるからだ。
だから、私の料理と比べる意味はないのよね。
ちゃんとレストランとしての売りがあるのだから。
「俺様もそれはおかしいと思っていた。いちいちユキコ女将やボンタに食ってかかって。自分の方が完全に格上の料理人だという態度なのに、どうして格下だと思っているユキコ女将たちに絡むんだ? 本当に自分の方が上だと思うのなら、普通は気にしないはずだ」
確かに、今アンソンさんのお店はお客さんで一杯なんだから、私たちに対抗する、食ってかかる意味はない。
どうしてあんなことをしたのかしら?
「俺は、王様にも料理を出していた料理人。ところが、せっかく独立してもお店のランクはこれが限界だった……」
アンソンさんによると、王城の料理人とは、実家の力と、つき合いのある貴族の力が左右する場所なのだそうだ。
怪しい人に王様や貴族が食べる料理を作らせるわけにいかず、大半は代々実家が高級レストランを経営している人たちになってしまう。
平民出のアンソンさんだが、料理人としての才能はあったし、定期的に王様が食べるメイン料理を担当していたが、それは他の家柄がいい料理人たちの嫉妬を産んだ。
色々と嫌がらせもされたそうだ。
「それが嫌になって、俺は王城の料理人を辞めて店を立ち上げた。だが、俺は高級レストランを経営できないのさ」
やはりそこでも、家柄とコネが左右してしまう。
いわゆる高級レストランと呼ばれるお店の数は決まっていて、いくら才能があっても実家が高級レストランではない、平民出のアンソンさんが経営できるのは、あのランクのお店が限界だそうだ。
うーーーん。
ややこしい話ね。
日本なら、まずあり得ない話だわ。
「それでも俺は、努力して店を繁盛店にした。だが、それでも実家が高級レストランの奴らが……」
突然店に来て、アンソンさんに嫌味を言い放ったらしい。
『貧乏舌どもを誤魔化して稼げるから、楽でいいな』とか、『客層が低いから、店が臭いとか』とか。
わざわざそんなことを言いに来てプレッシャーを与えようとしているいる時点で、彼らはアンソンさんのお店に脅威を感じているのだと思うけど、気が動転した彼はそう思えなかったようだ。
そして、続けざまにこうも言われたそうだ。
『そういえば、低レベルなお前の店よりも、下町の裏通りにある『ニホン』とか言う変な酒場の方が客が多いと聞くけどな』
『同じ低レベルなものを出す店同士とはいえ、王城でもっとも優れた若手料理人だと言われていたアンソンさんが負けるとは……やれやれ、とても残念ですよ』
というトドメの発言を受け、アンソンさんは私たちに隔意を抱くようになってしまったらしい。
「高級レストランの経営者一族のボンボンたちは、暇でいいわね」
そんな時間があったら、修行か仕込みでもしていなさいよ。
「店の格だけで太客が勝手に来るのでな。中には、首を傾げる味の店もあるぞ」
「そうなんですか。高いお金を取っているのに」
高額で不味いとか、老舗で、なにもしなくても金払いのいいお客さんが沢山来るから、それに胡坐をかいているわけね。
「ワシもたまに嫌々つき合うがな。女将の店の串焼きを食べてしまうと、大量のハーブで肉の臭さを誤魔化した料理など食べたくないぞ」
そういえば、私と同じ方法で肉の下処理と解体をやっているのは、ミルコさんだけなのよね。
「俺様、新興の肉屋だから、高級レストランからは相手にされないんだぜ。俺様の方からお断りだけど」
確実に、お肉はミルコさんの肉屋の方が獣臭くないし、質もいいはず。
でも、勝手にお客さんが来てくれる高級レストランは、自分たちが作る料理を改良したり、ましてや新しい料理なんて作らないはずだ。
伝統的な料理を、伝統に拘る貴族たちが食べるから、新しい料理を出すのは……という理由もあるのだけど、獣臭い肉はハーブで誤魔化すという古くからの伝統をなくせないというのもあるのかもしれない。
人は、なかなか新しいことに挑戦できないからだ。
「ああいう店は、古くからつき合いのある肉屋があるのでな。その肉屋が肉の処理を変えないのであれば、肉が獣臭いままなのは仕方がないことだな」
うーーーん。
となると、いつか行ってみたいと思っていた高級レストランだけど、そんなに美味しくないのかしら?
「俺も前に何回か連れて行ってもらったが、もの凄く美味しいということはないな。メニューも似たり寄ったりだしな」
「親分さんも、高級レストランに行ったことがあるんですね」
「まあつき合いでな。こういう仕事をしていると、たまにあるのさ」
さすがは、この地区を取り仕切る自警団の親分さんね。
「俺が自分で金を出して食べるのであれば、やはり女将の店を選ぶかな」
「ありがとうございます、親分さん」
親分さんに褒められると、やっぱり嬉しいものね。
「値段ばかり高価な店で食べる、ハーブの味しかしないステーキよりも、女将が肉を熟成させたステーキの方がいい」
「親分の言うとおりだな。腐りやすい肉を熟成させるとは、女将にしか思いつかないであろうよ」
すいません、お爺さん。
それも、日本というか、地球では普通に流行していた肉の加工方法です。
お爺ちゃんが狩猟で得た肉を熟成させるのが好きで、私もよく手伝っていたから。
「お前さんの店の料理は、老舗であることに胡坐をかいた連中よりはマシだが、そんな連中のことを気にしてばかりで味がとっ散らかっている。お前さんは、独立して自分の店を持ったんだろう? どうして女将みたいに自分の味を模索しない? 王城で働いていた頃と同じことをして、それでもバカどもから批判されたら女将たちを下に見て、自分の自尊心を満足させる。くだらない男だな」
「なにを!」
「違うというのか?」
親分さんがただ一言そう問い質すと、アンソンさんはまるで萎れた菜っ葉のようになってしまった。
怒鳴らなくても、抜群の威圧感よね。
「お前さんの友人であるミルコも、前はご隠居の力を利用して楽に商売を成功させようとするクズだった。だが今は、自分で魔獣を解体し、獣臭くない肉を売り捌き、独自にお得意さんを増やしている。お前さんにも、友人としてのツテでいい肉を卸しているじゃないか。なぜ、友人の変わりぶりを見て自分も変われないのだ? お前さんが自分の店を将来どんな風にしたいのかは知らないが、どうするにしても自分で考えなければいけない。わざわざ嫌味を言いに来る連中に引きずられてしまうお前さんに、果たしてそれが出来るのか?」
「それは……」
腕はいいけど、古くからの手法に拘り続けてしまい、新しい料理を研究できない。
実家が老舗の高級レストランではないという理由だけで、腕はいいのになかなか出世できなかったアンソンさんが、独立しても高級レストランのやり方に拘ってしまうなんて、皮肉な話よね。
王城勤めの頃のしきたりに反発しつつも、それから抜け出せていないのだから。
「女将はどう思う?」
「料理なんて、どんな伝統料理でも最初に開発した人がいて、その人も古い料理に拘る人たちから批判されたのかなって。でも、本当にいい料理なら、多くの支持者が出て伝統料理になるんですよね。私は料理は美味しければオーケーで、美味しければお客さんも沢山来てくれて、お店も黒字になる。将来結果的にその料理が歴史に残るだけの話で、だから試行錯誤は続けていますよ」
「独立したのだからそうするのがいいはずだが、お前は暇つぶしで自分の店をからかいに来た、かつての同僚たちの言うことを気にし、王城で作っていたものと大差ない料理を作り、女将を下に見て自分を誤魔化している。暫くは王城で出されている料理に興味がある連中で店は繁盛するだろうが、そのあとが怖いな」
確かに、アンソンさんが作る料理は恐ろしいまでに、王城で作られるメニューそのものだった。
今来ているお客さんたちがそれに飽きてしまったあと、お客さんが来てくれる新しい料理を出せるだろうか?
そこからが、アンソンさんの料理人としての勝負どころだと私も思っていた。
「少なくとも、俺は行かないな。料理が美味しいではなく、王様も同じような料理を食べているなんて、曖昧な売りで客を呼んでいるような店にはな」
「俺は、料理人としての腕を懸命に磨いてきたんだ!」
「なら、それを女将のように新しい料理の創作に向ければいいだろう。美味しければ客は来る。お前は王城での料理人生活に嫌気がさして独立したくせに、貴族や大金持ちだけ客になってほしいのか? お前をからかいに来れるほど料理もしていない、老舗高級レストランのボンボンたちの言うことを気にするのか。おかしな奴だ」
「……親分さん、私が言いたいことを全部言ってしまうから」
別にもの凄く言いたかったわけでもないけど。
現状、アンソンさんの店は成功しているから、私たちに無用なちょっかいをかけてこなければいいわけで、将来彼のお店からお客さんが消えても、それは彼自身の責任なのだし。
冷たいと思われるかもしれないけど、それが独立するということなのだから。
「俺は、権威的な王城の料理人を辞めて独立したのに、まだ彼らの流儀に拘っていたのか……。本当は、俺が考えてもいなかった料理で評判がいい『ニホン』に嫉妬していただけなのに、場所や客層が下品だとバカにして……俺は、ろくに料理もしないくせに、老舗高級レストランの跡取りだからと胡坐をかいている連中と同じレベルだったのか……」
「客観的に見るとそうだな」
お爺さん、そこでトドメを刺さないでも……。
でも、言ってあげなければわからないこともあるか。
「失敗はしてもいい。それを指摘された時、気がつき修正できる奴は愚かではない。それができる者は必ず成功するのだから」
「爺さんの言うとおりだ。失礼した」
そう言い残すと、アンソンさんは私の店をあとにした。
彼がこれからどうするのかは知らない。
でもそれは、あのレストランのオーナーである彼が考えること。
このまま今のメニューを続けても、客は減らないかもしれないので、下手にメニューを変えない方がいいという考え方もあるのだから。
「どっちの選択肢を取っても、成功すればよかったで、失敗すれば悪く言われる。私は、このお店を保つので精一杯よ」
「それができない奴の方が多いのさ」
「親分さんのところも、ショバ代の契約更新で大変ですね」
潰れたお店からはショバ代を取れず、新しいお店ができたら交渉しに行かなければならないのだから。
なにより、ショバ代を払う意味がないと思われたら、支払ってくれないのだから大変だ。
「それがこの稼業の大変なところさ。女将、あのステーキのお替りはないのか?」
「ありますよ」
「俺様ももっと欲しい」
「ワシもだな」
今は営業時間中じゃないんだけどね。
みんな常連さんなので、今回は特別に出してあげましょう。
メニューとしては高額なので、そこそこ儲かるんだけどね。