第20話 元王様の料理人
「今日はこれまでのお礼に、俺様が昼食を奢るぜ。このレストラン、俺様が肉を卸すようになったんだぜ」
「よさそうなお店ね」
「俺様お勧めの店だぜ。だから肉を卸しているってのあるんだぜ」
肉の熟成についてアドバイスしてくれたお礼ということで、翌日、ミルコさんは私たちを昼食に招待してくれた。
ちょっとお高そうなレストランで、私、ララちゃん、ボンタ君はちょっと場違いかも……。
「ミルコさん、その格好でいいの?」
「問題ないんだぜ。ここは、ドレスコードがある高級レストランの一歩手前って感じの店だから。元は王宮で料理人をしていた奴が独立して、俺様はどうにかこの店に熟成肉を卸せないか努力をしているんだぜ」
「ミルコさん、このお店のオーナーとお知り合いなんですか?」
「幼馴染ってやつだ。俺様とそう年が違わないのに、店を持った凄い奴だぜ」
「でも、ユキコさんはもっと若くしてお店を持ちましたよ」
「ララちゃん、ユキコ女将は例外すぎるぜ」
「それもそうですね」
ミルコさんは、ララちゃんを小娘とは呼ばなくなった。
ララちゃんもミルコさんを口だけ、見た目だけ、家柄だけの軽薄な奴という認識を改め、二人の関係はかなり改善したようだ。
「ミルコさん、この店はどんな料理を出すのですか?」
「経験者はそこが気になるか。うちだと肉の旨味を出す熟成は研究途上だけど、下処理を完璧にした新鮮な肉なら卸せるんだぜ。これに、料理人たるアンソンが王宮料理の修行で得た様々なソースをかけた肉料理、ステーキがメインだぜ」
庶民と上流階級の人々が食べる料理の差とは?
簡単に説明すれば、ソースだと思う。
素材の鮮度の問題もあり、王族や貴族が食べる料理って、とにかくソースに凝っているのだ。
私みたいに魔法で醤油や味噌が出せるわけがないので、魔獣の骨やスジ肉、脂身、香味野菜、ハーブなどで出汁を取り、これにちょうどいい加減の塩味や、油分などのコッテリ感を加え、オリジナルのソースを作る。
様々な食材を発酵させ、魚醤みたいな調味料を自分で作る人もいるみたい。
それらを材料に作るソースのレシピは料理人の命であり、料理人それぞれにオリジナルソースが存在し、ソースの味の評価で料理人の腕前の差が決まるとも言われていた。
王城で働けるような料理人ということは、この店のオーナーシェフの腕前は相当なものなのであろう。
「ユキコ女将といい勝負かな?」
「そんなことはないわよ。私は、厳密な意味でプロの料理人じゃないもの」
お店で修行した経験もないしね。
元は女子高生で、暇があればお祖父ちゃんと山に入って狩猟をしていたから、調理人の修行なんてしたことはない。
私はただ、お祖父ちゃんに罠などで採取した獲物の処理や加工、それで作る料理を習っただけだ。
お祖父ちゃんは私が生まれる前に、私のお祖母ちゃんにあたる奥さんを亡くしており、あの年代の男性にしては料理が上手だった。
酒もほどほどに楽しむ人で、それに合うオツマミの作り方も教えてもらっていて、だから私が酒場を開いたという理由もあったと思う。
修行というよりも、慣れみたいな感じかも。
「私のは家庭料理、素人料理よ。ここのオーナーシェフはプロのはずよ。なにしろ王城で働いていたんだから」
「ふっ、身の程を弁えた店主じゃないか。安酒場の主にしては」
「アンソン、自らご挨拶とはご苦労だな」
「よう、ミルコ。ここは俺の店なのでな」
私たちの前に姿を見せた若い料理人は、この店のオーナーシェフにして、ミルコさんの幼馴染でもあるアンソンさんのようであった。
細身ながらもその体はかなりの筋肉質であり、どちらかというと料理人というよりも凄腕のハンターに見えてしまう。
真っ白でよく洗濯された調理服にコック帽を被っており、挨拶で帽子を取ると、その頭はツルツルに剃られていた。
多分、髪の毛が料理に落ちないようにするためだと思われる。
坊主系イケメン……神官じゃないけどね。
「しかし、ユキコ女将にそういう言い方は、俺様は感心しないな」
「仕方があるまい。俺は、陛下に料理をお出ししたこともある男なのでな。それにしても……」
アンソンという名のオーナーシェフの視線は、なぜかボンタ君へと向いていた。
「嘆かわしい! 君も料理人のはずなのに、その髪型は……」
とはいっても、ボンタ君は別に長髪にしているわけではない。
ちゃんと定期的に髪を切り揃えて短髪にしていた。
「料理人は、髪を剃るのは基本なのに!」
「そうなの?」
「王城に勤めているのは、全員そうだな」
もし陛下や王族の料理に髪が落ちていたら、これほどの不祥事はないというわけか。
だから、髪を限界まで剃ってしまう。
まるで修行僧のようね。
料理の修行はしているから、似たようなものかもしれない。
「そこの店主は、ちゃんと従業員に教育していないのだろう。所詮は、平民向けの店だな」
さっきから、平民、平民とうるさいわね。
そもそも、自分だって平民じゃないの。
王都における料理人事情としては、王城に勤める料理人は、代々料理人か、高級な老舗のレストランを経営している一族の人間が修行で来ていることが多いと聞く。
いくら腕がよくても、得体の知れない料理人の作るものを王様や貴族に食べさせるわけにいかないからだ。
この人が、高級レストラン一歩手前という、微妙な立ち位置のレストランを経営している理由。
それは、彼の生い立ちや血筋だと、高級レストランを経営できないからに尽きた。
上が詰まっているというわけね。
それなのに、私たちの店を平民向けの安酒場だと侮る。
きっと、近親憎悪の一種なのだろうけど。
「料理人が髪を剃るのは王城の流儀なので、他はそうでもないですよ」
「そうなの? ボンタ君」
とここで、ボンタ君が静かに反撃に出た。
料理人で髪を全部剃るのは、あくまでも王城に勤める料理人だけだと、ボンタ君は反論したのだ。
「あまり長くなく、清潔ならいいと思いますよ。あまりに髪が短いと、料理に髪が落ちた時に見つけにくいので。要は、いかに髪が落ちないか対策するのが大切ってことです」
ボンタ君もララちゃんも私も、調理中や接客中は頭にタオル代わりに布を巻いて髪が落ちるのを防いでいるからね。
このレストランのウェイトレスさんも、髪はリボンなどで纏めるようにしているようだ。
髪が落ちるからって、接客要員である女の子たちを坊主頭にするわけにいかないからであろう。
「多少は料理人の常識を知っているようだね……」
アンソンという料理人がどう思おうと勝手なのだけど、いい加減お腹が空いたから早く料理を出してほしい。
えっ?
席を立たないのかって?
だって、ミルコさんの奢りなんだから勿体ないじゃない。
それに、他の料理人の、それも王城勤めだった人の料理は気になるし。
「俺の料理を堪能して、その差を大いに感じるがいいさ。それも勉強だよ」
さすがは、元王城勤めの料理人。
王様に料理を出したことがあるそうで、えらい自信家のようだ。
私たちのような未熟な素人は、俺の料理で勉強しろと言ってきた。
「(ユキコさん、さすがはミルコさんのお友達。自信満々ですね)」
「(悪気はないみたいなのよね……)」
小声で、ララちゃんとアンソンさんについて議論する。
自信家ゆえの偉そうな発言ではあるが、悪気はないのだろうけど、少しイラっとくるのも事実であった。
早く料理を食べてお店の仕込みに入ろうかしら。
「待たせたな!」
相変わらず自信満々のアンソンさんは、友人であるミルコさんがいるからだろうけど、自ら料理を持ってきた。
ステーキとスープとサラダとパンという、定番のメニューであった。
夜の営業では、もっと多彩なコースメニューを出すそうだ。
行く時間がないけど。
「女将さん、ソースがかかってますね」
「これが、料理人の命ってわけね」
フレンチでいうところのフォン・ド・ボーに似たものだ。
魔獣の骨や肉、内臓、各種野菜、ハーブ類を煮込んで作る。
料理人はそれぞれにソースのレシピを持ち、家族にもそれを教えないそうだ。
美味しいソースを作れる料理人には多くの客がつくわけで、実際、アンソンさんのお店も多くのお客さんで賑わっていた。
王族や貴族は来ないけど、裕福な平民や商人が高級店より少し安い値段の料理を楽しめ、味は高級店にそう劣らないというのが売りで、肉もミルコさんが上手に処理、解体した肉を仕入れているから、素材の質も高級店に劣らないはずだ。
人気が出て当然と言えた。
「お肉は新鮮で獣臭くないですね」
「ボンタ、俺様、これでも苦労したんだ」
私から教わった血抜きや解体の方法だが、教わってできるかどうかは別の話だ。
ミルコさんは、この短期間でよく会得したと思う。
なにより、ちゃんと人を雇って黒字経営にしているのが凄かった。
最初の印象は悪かったけど、やはりあのお爺さんの孫なのよね。
「ウォーターカウの骨を使っていると思いますけど、ソースが軽いのに濃厚で美味しいです」
「ボンタ君、詳しいわね」
「昔作っていたので。こんなに美味しくは作れないですけど……」
これ以上は話してくれなかったけど、やっぱりボンタ君は料理人としての修行経験があるようね。
だって、うちに来てすぐに即戦力認定されたくらいだから。
しかも、ボンタ君はまだ十五歳。
これからいい料理人に成長するはずだ。
「ユキコさん、このお肉は新鮮ですけど、熟成肉を使えばもっと美味しいですよね」
「そう一概には言えないかな?」
世の中には、熟成していないフレッシュな味の肉を好む人もいるからね。
うまみ成分の差がダンチなので、大半の人たちは熟成肉の方が美味しいと言うだろうけどね。
そう言っておかないと、あの自信満々なアンソンさんが怒りそうだから。
早く食事を終えて仕込みに戻りたいし。
「俺様も、あの熟成肉に感動して、再現を試みているんだけど難しいよな」
ミルコさんは、温度管理を完璧にすればすぐに会得できると思うけどね。
この店に熟成肉が入れば、この店のソースと合わせてまた人気になるんじゃないかしら?
「あっ、でも。この前、ユキコさんが賄で出してくれたステーキは美味しかったですね」
「僕も、あのソースが美味しくてビックリしました。お肉は普通の肉でしたけど、こっちよりも美味しかったですね」
「ボンタさんもそう思いました? 私もです」
「あっ、二人とも……」
まだここには、私たちからの賞賛の声を聞きたがっているアンソンさんがいるというのに、彼のステーキよりも私の賄の方が美味しいなんて言ったら……。
そう思って二人を止めようとしたのだけど、残念ながらそれは間に合わなかった。
「はあ? 俺よりも、そっちの女店主が作った、それも賄の方が美味しいだと!」
「その人の好みの問題かなぁ……てね」
ここでアンソンさんと喧嘩なんてしても時間の無駄なので、早く昼食を食べて仕込みに戻りたいのだけど……無理そうね。
「ボンタとやら! 本心からそう思っているのか?」
「はい。このソースはとても素晴らしいのですが、すでにある程度技法が完成しているものなので、他店でも似たようなソースばかり出てきてしまいます。だから僕は、わずかな塩味の差や、臭みやエグミなどが出ていないかを確認してしまいます。女将さんのソースは、僕は初めて食べたものだったので、それを確認することも忘れて感動してしまったのです」
「わかります。こういうソースって、結構似た味が多いですよね。だから、まったく味わったことがない美味しいソースが出てしまうと、余計に美味しく感じますよね」
この世界の調味料って、塩、ハーブ類、香味野菜くらい。
魚醤もあるけど、これをソースに使うのは腕のいい料理人ほど下品だと言って嫌がる。
魚は足が早いので、たとえ魚醤でも高貴な身分の人たちに食べさせられないという考えがあるそうだ。
材料が限られているので、似たような味になって当然であろう。
ゆえに奥が深いとも言える。
その細かい味の差がわかる人限定だけど。
私の場合、魔法で出せる味噌と醤油がある。
他にも、私には凄腕の料理人が持つタブーがないので、自由に味をアレンジできるのもよかった。
「おい、女店主! 俺よりも美味しいソースを作れるだと?」
「他薦なので、自分からはなんとも……」
だから、この人と喧嘩している時間が惜しいんだって。
こうなると、ミルコさんにこの店に連れて来てもらわなければよかった。
「(今度は、親分さんお勧めのお店に案内してもらおうかな……)」
「そんなぁ! 俺様、ユキコ女将に新しい料理を食べてもらって、新メニューの参考にでもしてもらおうと思ったのに! こら! アンソン!」
「知るか! こうなれば、その新しいソースとやらを試食させてもらわなければ俺は納得できんぞ! さあ、そのソースを作ってみやがれ!」
こうして私は、なぜかレストランでの食事から、その店のオーナーシェフとのステーキソース対決に強制参加となってしまったのであった。