第19話 肉の熟成
「どうだ? ユキコ女将。俺様、今従業員たちと肉の熟成を研究しているのさ」
「うーーーん、そこはかとなく腐敗臭が……食べるとお腹壊すかも」
「なかなか上手く行かないなぁ……俺様、魔法学校の生徒をアルバイトとして雇って肉を冷蔵しているんだけどなぁ……」
数日後、昼食に合わせてミルコさんが熟成肉の試作品を持ち込んできた。
だが、匂いを嗅ぐとわずかだが、ちょっと怪しい臭いがする。
これよりも酷いお肉を香味野菜やハーブを用いて匂いを消し、それを食してしまうのがこの世界の常識なのだけど、私はこの世界に飛ばされて来た時から、自分で加工、調理した食材しか口にしていなかった。
私はこの世界の人たちほどお腹が丈夫とも思えないから、自分が口に入れる食べ物については、自分で下処理、調理したものが多かったのだ。
さすがに野菜や調味料、パンの類は、信用できるお店を見つけてそこから購入しているけど。
それも全部自分で作るとなると、時間がかかりすぎるからだ。
「ちなみに、ミルコさんが肉を貯蔵する場所は地下?」
「あたりき。俺様、そこは拘って作業場を探したから」
「スターブラッド商会の所有物件ではないか」
「お祖父様、その中から俺様がちゃんといい物件を選んだから」
「甘っちょろいことを……」
利用できるものは利用しないと、というわけね。
お爺さんは、ミルコ青年がそれをできるようになったのが嬉しいようだ。
わざと少し叱って、それを表に出さないようにしているけど。
「放課後のアルバイト代でも、魔法使いは高いんだけどなぁ……どうして駄目なんだ?」
「地上の倉庫じゃないのにね。地下室なら、密閉してちゃんと氷を入れておけば大丈夫なはずだけど……」
地上の倉庫だと、地下室の倉庫よりも余計に温度が上がりやすいからだ。
常に氷を入れておけばいいという考え方もあるけど、地上の倉庫を氷室にすると、地下よりも早く氷が溶けてしまう。
結果的にコストがかかるので、それなら多少賃料が上がっても、なるべく深く掘ってある地下室がついた物件を借りた方が、結局は安くつくことになる。
地下室つきの作業場なり倉庫を借りない人は、元から氷室で食材を保存しようなんて考えないけど。
大量のハーブで誤魔化す人が圧倒的に多かった。
「あっ!」
「ユキコ女将、なにか思いついたか?」
「ねえ、アルバイトの魔法使い、夕方しか来ないのかしら?」
「あいつら、朝から学校があるから」
「じゃあ、駄目よ」
氷室で常に冷蔵状態を保つには、最低でも朝晩二回は氷を入れなければいけない。
なぜなら、氷は常に溶け続けるからだ。
今は春だからまだマシだけど、夏は一日に三回以上は新しい氷を補充しなければ、すぐ温度が上がって、肉などは腐ってしまう。
今でも、朝から気温が十度以上あるのが普通なのだから、朝にも氷を補充しなければ駄目だ。
「朝にも氷を補充しないと。お昼の一番暑い時間帯に氷室の温度が上がっているのよ。アルバイトの人、朝に来れないの? 氷の補充なら、十分で終わるじゃない。朝のアルバイトも募集しないと」
「なるほど。俺様もそれが気にならないわけじゃなくて、夕方に大量の氷を頼んでいたんだ」
「一度に大量の氷を作らせるのではなく、回数を分けた方がいいわよ」
丸一日分だといって一度に大量の氷を入れてしまうと、今度は氷室の余剰スペースが減って熟成できるお肉の量が減ってしまう。
それでいて、お昼に氷がなくなって地下室の温度が上がってしまうのだから、こまめに氷を補充した方がいいという結果になるというわけだ。
「夕方のアルバイトの人数を半分にして朝に回すのがいいわね。登校前のアルバイトってことで。もしくは、ご老人の魔法使いに頼むとか」
魔獣狩りから引退したご年配の魔法使いなら、早朝のアルバイトに応じてくれる人がいるかもしれない。
魔法で氷を作って所定の位置に配置すればいいのだから、時間もそうかからないはずだ。
長時間拘束するよりも人件費を節約できるし、魔法使い側も短い時間で稼げるから、双方にとって都合がいいはず。
「なるほど、いいアイデアだぜ。俺様、早速試すぜ。それにしても、ユキコ女将はいいアイデアを次々と思いつくな」
「たまたまよ」
この世界よりは教育水準や技術力が高い世界にいたのと、お祖父ちゃんの教育の賜物かしらね。
天国のお祖父ちゃん、孫の由紀子は別の世界でもなんとか生活できています。
これもお祖父ちゃんのおかげです。
「そして、そんなアイデアを俺様に教えてくれるということは、つまりユキコ女将は俺に惚れているということ。俺様はいつでもウェルカムだぜ」
「あっ、それはないから」
「早っ! でも、俺様は諦めないんだぜ!」
その心意気やよしなんだけど、ミルコさんに親分さんみたいな人間の重厚さは、はたして身に着くのであろうか?