25-12 有馬和樹 「クー・フーリンVS里の剣士」
おれの言葉に、ジャムさんが驚愕の顔をした。
「キングでも知っておるのか」
「ええ。ケルト神話っていう、昔の話に出てくる英雄です」
ヴァゼル伯爵があきれたように笑った。
「では、あの御仁、いたるところの世界に召喚されているようですな」
師匠たちの言い方から察するに、おれらの昔話では英雄だが、どうやら実物は大きく違うようだ。
クー・フーリンは、まるで散歩でもしているかのように街並みを眺めながら歩いている。
二番目の司教というアンリューラスが、声が届く距離まで来ると自信満々に両手を広げた。自分を名を名乗る。
「我が名はアンリューラス、と申します。おや? そちらの夜行族は……」
若い司教がそこまで言った時、クー・フーリンが前に出た。
「ほほう、なかなか良い逸材。それも四人」
言葉を遮られたアンリューラスが、気分を害したようだ。片手を上げる。
「でしゃばるでない。図に乗れば動けぬようにするぞ」
アンリューラスが呪文を唱えたが、クー・フーリンはまったく相手にしていないようだった。
「少し、鬱陶しいですね」
クー・フーリンは若い司教に近づき、ほんの軽く、手の甲で頬を叩く。すると司教の体はきりもみするように飛び、ねじれた首のまま地面に落ちた。
おもむろに鉄の首輪に指をかけると、まるでウエハースを折るかのように、パキッと簡単に取る。
「面白くなるまで従ってみようかと思いましたが、やめました。充分、面白そうです」
おれたち四人を興味深そうに見た。
こちらの四人が考えていることは同じだろう。この四人で勝てるのか? という疑問。
クー・フーリンは一人ずつ舐めるように眺めたが、プリンスを見て止まった。
「珍しい。剣士ですね。それも生粋の」
気配からなのか、身なりからなのか。クー・フーリンはプリンスの特徴を当てた。
そして重装騎兵が落とした剣を一本、拾う。
「どの程度の腕前か、見て差し上げましょう」
指名されたプリンスは、一瞬のためらいもなく歩み出た。重装騎兵の落とした装備から剣を探す。
『入電! キング?』
心配そうな姫野の声だ。
『逃げる準備だ。おれら四人が抑える』
『そんなに!』
『ああ、そんなに強い。戦の神、クー・フーリン聞いたことないか?』
姫野が一瞬、言葉を失った。
『隙を見てハビスゲアルさんに……』
『いや、おそらく魔法は効かない。だよな、ドク?』
ドクの返事がなかった。
『そうか、これ個別回線か。よく切り替えれるな』
『キングに隠すことでもないから言うけど、入電って言葉が暗号。わたしがそれを言うと、ももちゃんは、わたしとだけしゃべる』
なるほど。おれは師匠二人を見た。おれの位置からは、少し離れている。
『遠藤、今、師匠二人の声を拾えるか?』
個別回線でも通話スキルの本人は必ず聞いているはず。
『キング、それって……』
やっぱり。遠藤が出た。
『ああ、盗聴だ。たぶん、遠藤は自分で禁じ手にしてるだろう。今だけだ。二度と言わない』
ほんの少し間が空いて、二人の声が入ってきた。
『……言ってはならぬことですが、見てみたい戦いです』
『見たいか?』
『ええ。私の剣を受け継ぐ者。それが、あやつに通じるのか』
『俺は見たくない。俺と、お前、それを越えていくべき者だ』
プリンス、めっちゃ期待されてんな。
『危なくなれば……』
『戦士よ。それは当然』
『二人で勝てるとは思えぬが』
『時間は稼げましょう』
『うむ。問題は』
『キング、ですな』
『うむ』
『呪縛し、馬車に投げようかと』
呪縛、ヴァゼル伯爵の黒い霧か。
師匠二人が考えることは、もっともな事だ。悪いけど先手を打つ。自分の耳を触った。
『全員に通信』
おそらく、遠藤ももは慌てて全通信に切り替えただろう。
『全員に通達する。トレーラーを捨て、逃げる用意。合図があれば、散り散りで逃げること』
パレードの車みたいな速度じゃ逃げれない。固まっても標的になるだけ。逃げるなら四方八方じゃないと。
師匠二人が、おれを見た。怒っているかもしれない。でも、おれは里の長だ。里の住民全員を守る義務がある。お二人も住民なんですよ。
「なあ、姫野」
おれは隣りにいた姫野に同意を求めた。
……ん? 姫野?
気づけば、クラスのみんなはトレーラーを下りて後ろに集まり始めていた。
「みんな、自分だけ逃げるのは嫌だって」
そうくる! おれの狙いが……
「……なかなか計算通りに行かないわね」
「んにゃー!」
頭を掻きむしって両手を上げた。予想を超えることが多すぎる。
だが考えると、みんなは一年この世界で生きてきた。戦闘班でなくとも、命の危険はそこら中にある世界だ。
おれが昔の感覚で考えてしまうだけで、みんな、とっくに腹は据わっているのかもしれない。
そんなこちらの騒動はまったく耳に入らない様子で、剣を持った二人は対峙していた。
戦の神クー・フーリンは、だらりと立っているだけ。プリンスは体を半身に開き、剣は中段に構えている。
これは打ち込めないぞ。少し離れた横にカラササヤさんが見えた。冷や汗をかいて槍を握りしめている。
カラササヤさんあたりなら、わかるだろう。どこに打ち込んでも殺られる。
ふいにクー・フーリンが剣を肩で担ぐように構えた。
ドン! と間合いを詰めた速さは人間の速さではなかった。上から一刀両断する勢いで振り下ろす。プリンスは足さばきで半歩ずらし、剣は鼻先の空を切った。
プリンスが下から剣を跳ね上げるより速く、クー・フーリンは剣を横に払った。速さが違いすぎる!
プリンスは、なんとか手首を返しそれを受けた。うしろへ下がると同時に腕を狙った。しかし、また腕に振り下ろされるより速く、クー・フーリンが間を詰める。
三連撃。それをプリンスが剣で受ける。三連撃だと思ったのは剣がぶつかる音が三つ聞こえたからで、おれには二つにしか見えなかった。
「くはっ」
ふいに戦の神が笑った。
「ここまでの剣の腕、久しく、久しく見ておらぬわ!」
金の糸が絡む長い髪が逆立った。
「はははっ!」
ボコッ! と宝石の入った目が陥没した。
「キング……」
思わず姫野が、おれの腕を掴んだ。
「ああ、クー・フーリンが興奮した時に出るという『裏返り』だ」
筋肉が膨張し、皮膚が裂けたかと思うとめくれて戻っていく。クー・フーリンは笑いながら身をよじり、しばらくすると元の姿に戻った。
「剣技のみで戦いましょう。誓って魔力は使いませぬ」
クー・フーリンが構えた。それはフェンシングに近い。体を横に開き、剣を前に出す。
プリンスは腰に下げた短剣を抜いた。長い剣と短い剣の二刀流。ジャムさんとヴァゼル伯爵のハイブリットか!
クー・フーリンが攻撃を繰り出す。息つく暇もない連撃をプリンスは二本の剣で払い続けた。
「ほう、素晴らしい。では……」
クー・フーリンは一歩下がったかと思いきや、それはフェイントでくるりと体を反転させて凄まじい横一線を放つ。
プリンスは斬撃の強さを感じたか二本の剣で受けた。長い剣のほうが折れて飛ぶ。
「次の剣を取られよ、若き剣士」
クー・フーリンは自身の前で八の字に剣を振り回し遊んでいる。
プリンスは短剣のほうを腰に戻し、あたりを見回す。落ちていた剣を拾った。鞘ごとだ。
「それは、どういう意図があるのです?」
クー・フーリンは首を傾げた。
プリンスは鞘ごと腰のベルトに差し、剣は抜かず体を沈め、柄に軽く手を置いた。これは居合だ。
プリンスは動かなくなった。さきほどまでの殺気が消える。やがて、その場にいるのに見失いそうになるほど気配までが消えた。
クー・フーリンはそれを見て、右に左に動いて眺める。まるで獅子が攻撃をためらっているかのようだ。
ドン! と間合いと詰めるクー・フーリン。その動き出す前からプリンスは左に足を捌いていた。
戦の神は振り下ろす剣が止まらぬと思ったのか、うしろへのけ反った。
プリンスが踏み込んだと同時に剣は抜かれていた。クー・フーリンには届いていない。いや! クー・フーリンの右側の髪が一房、落ちていた。
よく見ると、プリンスが持つ剣は、さきほどの剣より若干長い。剣を最後まで抜かないことで、剣の間合いをごまかしたか!
クー・フーリンが自分の髪に手をやる。プリンスは剣を鞘に戻し、距離を取った。
「なんぞ、その技は!」
クーフーリンが怒りに任せて剣を振った。剣が光り、何かが飛んだ。それはプリンスの顔を捉え、プリンスが後ろに吹き飛んだ。
「……おい、てめえ」
思わずつぶやいた。
「魔力は使わないんじゃ、なかったのかよ」
おれは足を開き、拳を引いた。
「ほう、剣に対し拳で来るか。興味深い」
「……キング」
倒れたプリンスが体を起こした。左の頬がぱっくり割れている。
「予の斬撃をかわしたか。面白い……」
そこまで言ったクー・フーリンが止まった。自身の右手を見ている。その右手には、火がついていた。
クー・フーリンは腕を振った。ついた火はなぜか消えない。
うしろのクラスメートの雰囲気が変だ。おれはクー・フーリンに注意しながら振り返る。
みんなが見ているのは喜多絵麻だった。喜多がプルプル震えている。
「プリンスが……プリンスが……」
あの火……チャッカマンか!
クー・フーリンも、誰が火をつけたのかわかったらしい。喜多に向かって口を開いた。
「娘よ、この火を消せ。さもなくば、その首、予の一撃で吹き飛ばすが?」
喜多がわなわなと震えている。
「はっ! これはイヤボーン! 皆、下がるでござる!」
ゲスオが叫んだ。
「イヤボーンって、何だよ!」
「むぅ! 拙者が貸したラノベを読んでおらぬのか! 少女がイヤー! と言って能力がボーン! でござるよ」
それはヤバイ。
「喜多、落ち着け」
「お……お……」
「お?」
喜多絵麻が顔を上げた。
「おどれ! 誰の顔に傷つけとんじゃ!」
……はい?
「チャッカマン!」
喜多絵麻が人差し指を天に向けた。クー・フーリンの全身が炎に包まれる。
「娘、これしきの魔術で……馬鹿な、消えぬ!」
クー・フーリンが焦りだした。
「魔術ではないのか、娘よ、この炎を……」
その言葉を最後に、クー・フーリンは炎の中に崩れ落ちる。魔力の塊だったのか、身体から光が溢れ、やがて蒸発した。
あわれ戦の神クー・フーリン! おれは不謹慎ではあるが、心の中で爽快感を覚えていた。クー・フーリン、尊大な態度の男だった。そういうやつには、お似合いの最後だ。





