23-6 飯塚清士郎 「戦いの後はごちそう」
「乗れー!」
叫び声がして車が走ってきた。馬のない馬車、進藤好道だ。
車は真横で急停止した。荷台に這い上がるようにして乗り込む。
「中免小僧!」
ガタガタ! と馬車は震えて走り出した。
広場に戻る。花森が来ていた。
「お注射!」
アバラの痛みが引いた。
「大丈夫か!」
キングとヴァゼル伯爵が駆け寄ってくる。二人も花森が回復させたか。
ゆらり。大通りに足取りのふらつく人影が現れた。ポンティアナック、しぶとい。
火の玉がうしろから襲った。それはポンティアナックの周りに立ちこめる霧にぶつかり、消えた。
黒い霧は、穴の空いた翼から漏れるように出ていた。ヴァゼル伯爵のではない。その霧は糸ミミズのように小さくうねうねと動いている。
こっちにゆっくりと歩いてきた。
その後ろに、ぬっと人影が飛び出た。地面からだ。潜水のスキル、タクか!
「ぐわっ」
タクは一声上げ、ポンティアナックから離れた。地面に四つん這いになり、嘔吐している。
「瘴気のような物を纏っています。ここは私が参りましょう」
ヴァゼル伯爵が言った。
「伯爵……」
キングが言葉に詰まった。
「キング殿、このような時、王はふんぞり帰っておればよいのです。そして言うのです。我が名によって命ずる、あの者を討てと」
伯爵はふざけているのか? そう思ったが真剣だ。
俺の親友は大きく息を吸い、そして言った。
「キングの名によって命ずる。あの薄汚いバケモノを討て」
ヴァゼル伯爵はうなずく。
「それでこそ、王という者」
伯爵は歩きながら腰の両側に差した二本の短剣を抜いた。
流れるような足取りで距離を詰めていく。
黒い霧の中に入った。右手の短剣で喉を突く。それを爪が防いだ。反対の爪が今度は伯爵を襲う。右にかわし左の剣で腹を狙うが、それも爪が防いだ。
爪の生えた二本の手と、二本の短剣の攻防だった。ポンティアナックは弱っていても動きは早い。
何度目かの攻防の後、金属を弾く音がした。伯爵の右手の短剣が弾かれて飛んだ。ポンティアナックがそれを目で追う。いや、これは伯爵の罠だ。左の脇腹。刺さった! そう思ったが刃先が入ったところで止まった。伯爵の手首をポンティアナックが掴んでいる。
ポンティアナックは掴んだ手をぎりぎりと捻り上げた。
「お借りしますぞ!」
伯爵が叫んだ。右の拳を握っている。まさか!
「粉・砕・拳!」
伯爵が放った拳は、ポンティアナックの鳩尾に入った。腹が後ろに破裂する。ポンティアナックは伯爵の左手を掴んだまま、ずるりと倒れた。
伯爵は、掴まれた手の短剣を持ち換えた。くるりと刃を下に向け、額の中央に突き立てる。
ポンティアナックの掴んだ手が、ずるりと外れた。
夜行族で「稀代の悪女」と恐れられたポンティアナック。その彼女は二度と動かなくなった。
戦闘が終わり、山すそからみんなが出てくる。
花森がタクに駆け寄っていった。
ヴァゼル伯爵が、二本の短剣を腰に戻しながら帰ってくる。
「伯爵、今の技……」
「キング殿の技を拝借いたしました」
ヴァゼル伯爵はにっこり笑うが、それはおかしい。
「いや、伯爵それって……」
「腹が減りましたな。喜多殿!」
喜多絵麻も山すそから広場に帰ってきた。
「はい、伯爵」
「いささか体力を使いました。ひとつ力のつく昼食を!」
「では取っておきのごちそうを。温め直すだけなので、すぐ用意しますね」
喜多と調理班が駆けていく。俺たち戦闘班が食事か風呂を頼むと、みんなはできるだけ急いでくれる。面と向かって言われたことはないが、労っているのは痛いほどわかった。
さて、倒したポンティアナックをそのままにして昼食ともいかない。遺体を布で巻き、馬車の荷台に載せておいた。その帰りに、キングがふと思いついたように口を開く。
「もう、今日ぐらいが最後だろう。菩提樹の周りで食おうぜ」
キングが言う最後とは、気温のことだ。ここからぐっと寒くなるだろう。これからはクーラー部屋、いや冬だから暖房部屋か。あそこで食事をすることになる。
クラス28人と異世界人数名で菩提樹の周りに座った。
ほかの村の者は、各々の家に帰っていった。カラササヤさんはこっちにいる。キングの近くがいいのか、喜多の作る食事がいいのか。いや、ウルパ村のゴカパナ村長まで、しれっといるな。
もう一人の部外者、ハビスゲアルは、設備班からゴザをもらって突っ立っていた。
その所作なさげな姿に笑える。地べたに座って食べるのなんて初めてかもしれない。うちの男子に至ってはゴザも敷かず、そのへんに適当に座っている。
ハビスゲアルを誘って、キングの近くに座った。
調理班がドン! と大きなテーブルを中央に置き、その上に二つの大きな鍋をドンドン! と置いた。
「この匂い!」
男子の誰かが叫んだ。
「そう、カレー。リクエスト通り甘口と辛口があるから」
男子連中から「うぇーい」と歓声が上がった。
「今日はね、もう一つ目玉があるの」
テーブルの上にドン! ともう一つ来たのは、大きな釜だった。
匂いが麦ではない。もしや?
「ウルパの村からもらったの。そう、お米よ」
これには男子だけでなく、女子からも歓声が上がる。
「お米は、こっちの部族では『タンタ』って言って、私たちの知ってるとこで言うとインディカ米に近いんだけど、やっぱりカレーには米ね」
ゴカパナじいさんは喝采と拍手をもらい照れていた。なるほど、お礼を兼ねて食事に呼んでいたのか。
テーブルに木の皿とスプーンも置かれた。我先にと、クラスの連中が群がる。
「ハビスゲアルさん、甘口と辛口、どっちがいいです?」
異世界の司教は考え込んだ。
「そのカレーというものが初めてでして。どうしたものか」
「ハビじい、男は辛口だ」
横からキングが言う。
「キング、言葉を返すが俺は甘口を食うぞ」
「くぅー、軟弱」
「ふむ。では物は試しで辛口をいただきとうございます」
「わかりました。取ってきます」
俺は立ち上がった。ハビスゲアルは七二番目の司教と言っていた。一番下だが、この時代の司教だ。自分で配膳することはないだろう。
「いえ、皆様と同じように自身で注ぎますゆえ」
そう言って立ち上がる。無理に合わせなくても、と思ったが違った。ご飯を注いでカレーをかける仕草は慣れている。身の回りのことは自分でするタイプか?
思えば、この老人にあまり嫌悪感がない理由がわかった。服装が地味だ。権力者なら、もっと派手でいい。腕輪や首飾りなどの装飾品もしていなかった。かえってゴカパナ村長のほうが、じゃらじゃらだ。
自分のゴザに戻り、カレーを一口。思わず目を閉じた。インディカ米に近いらしいが、それでも米だ。懐かしい感触だった。
隣のハビスゲアルは、ご飯をまず食べた。そのあとにルーを食べ、飛び上がるように目をむく。
「これは……なかなか刺激のある食べ物ですな」
「よく混ぜたほうがいいです。もう、ぐっちゃぐちゃに」
元の世界ではマナーが悪いとも言われるが、よく混ぜたほうが美味い、と俺は思っている。
ハビスゲアルは、ご飯とルーを混ぜて一口食べた。噛み締めてうなずく。そのあとにもう一口。
「刺激はあるのですが、妙に後を引きますな」
そう言って、また一口食べた。大丈夫のようだ。俺も自分のカレーに取りかかる。
「箸休めいる?」
セレイナが大皿を持って周ってきた。大皿の中にはピクルスを刻んだようなものと、朝に出たイチジクの甘露煮があった。
「ハビスゲアルさん、ちょっとマイルドにしましょうか?」
俺の言った意味はわからないだろうが、ハビスゲアルは自分のカレーを差し出した。ピクルスもイチジクも多めに入れる。
「これで、また混ぜてください」
そう説明して、自分もセレイナからピクルスをもらう。
「ありがと」
「うん? ピクルスをもらったのは俺だ」
「助けてくれて」
「ああ、そっちか。結果として、いい判断だったと思うぞ」
「そう言ってもらうと、気が楽になるわ。ごめんね」
謝ることではない。いい判断だ。あの飛び出しで、みんなが助かった。そう説明しようとしたら、セレイナはもういなかった。
「うぉぉぉぉ! 拙者が寝込んでいる間にヴァンパイヤ・ウーマンを見逃し、あわやカレーまで! 皆の衆、ひどいでござる!」
……なんか、騒がしいやつの声が聞こえる。
俺はたぶん人の悪い笑みを浮かべ、その声の主は放っておいた。
そんなに見たいのなら、あとで死体と対面させてやろう。ゲスオ、お前が思ってるのと違うからな。
さて、自分のカレーに専念することにした。美味い。これにも思わず笑みがこぼれる。調理班のリーダー、喜多絵麻に甘口を作ってくれと言ったのは俺だからだ。
まったく、うちのクラスには芸達者なやつが多い。俺とキングだけで異世界に落ちてたらどうなったか。それを考えると背筋が寒くなり、俺はカレーを味わうことだけを考えた。





