暗黒魔術の浮島
『……貴様、何をした?』
――――――王冠の玉座にて、サンダルフォンがこの日初めて取り乱した。
それはそうだろう。SAN値とは魂の耐久力、心の壁。それを直接破壊して自分と同化させる能力を持つのが、クトゥルフ神話系の邪神たちだ。その力は神でさえ容易には抗えない恐ろしい物であり、人間が浴びれば一溜りもない。例えそれが加護を受けた魔女であっても。
だからこそ、驚いている。それを跳ね除け蘇ったサイカにも、その手伝い|をしたと思しきテコナにも。
……こいつは、本当に人間なのか?
サンダルフォンは本当にそう思ってしまった。こんな人間居る筈がないと。
「さぁね。ワタシはただ、祈っていただけよ。あの子が無事に帰って来ますように、ってね……」
だが、テコナは微笑むばかりで答えない。まるでサンダルフォンの事なんてどうでもいいから、サイカの帰還を見届けてウットリしていたい、と言わんばかりの物だった。アンタレスもまた同様。
まさに、愛娘を見守る夫婦の姿である。
『このっ……!』
その取り付く島もない態度が、サンダルフォンを苛立たせる。愛を知らず、プライドしか無いが故に。
『フッ、そいつに関しては、深く考えない方が良いぞ、サンダルフォンよ。そんな事より、レースに集中したらどうだ?』
さらに、ブランドー伯爵まで煽ってくる始末。端末ボディがエラーでブレる程に頭にきた。
しかし、彼の言う事も尤もだ。計画に支障は無いし、クソ虫が幾ら湧いて出ようが、また叩き潰せばいい。
そして、今はその時ではない。全てはゴールの瞬間、終わりが始まりの合図。
サンダルフォンはそう心に言い聞かせて、レース観戦に戻った。
◆◆◆◆◆◆
「再登場だ、私!」
『嘘でしょ……!?』
目を見開くドゥルガー。無に帰した人間が天元突破して来たら、そりゃあ驚くだろうね。
「嘘じゃなーい! 私はこんな所でくたばる程、軟な人生を歩んでないわ!」
『年齢:しん○すけの癖に!?』
残念ながら、幼児なのは側だけである。中身は中年間近のおじ様なのよ~♪
《ヴォォォォォ……ッ!》
『な、何々、今度は何!?』
異常事態は続く。さっきまで元気にSAN値を削っていたクトゥルフが突然苦しみ出し、溶け崩れてしまったのだ。
さらに、深淵を突き破り、浮上する影。
『は、八式だとぉ!?』
それは、まさかの「八式対魔海多重結界」だった。早々に沈没したと見せ掛けて潜水していたのである。
《何か魔方陣みたいなのが海底にあったから、消しといた》
『マジかー』
そんな事ってあるだろうか。いや、無い。あって良い訳が無い。
だが、これは――――――本当に片手間で片付けてしまったようだ。
クトゥルフの邪神たちは基本的に高次元の生命体なので、呼ぶのも出し続けるのもコストが掛かる為、召喚が完了するまでに様々なステップを踏む必要があったり、時間が掛かる場合もまた多い。
おそらく、完全に顕現する前に魔方陣を消したから、本体との接続が切れて肉体が維持出来なくなったのだろう。初見殺しを得意とするクトゥルフの神性に在りがちな消え方である。
逆に言えば、中途半端な状態でもあれだけ被害を及ぼす、危険な存在という事でもあるのだが。
まぁ、消えた奴の事なんてどうでもいい。今はレースを有終の美で飾る事が優先だ。勝って兜の緒を締める。油断大敵。欲しがりません勝つまでは。
勝ったら、富も栄誉もカインも僕の物だがなぁ!
僕、このレースが終わったら、皆で祝賀会するんだ♪
……邪魔者を皆殺しにした後でなぁ!
『『ゴァアアアアアアッ!』』
クトゥルフの脅威が去ったからか、再び直接攻撃に乗り出してくる脳筋親子。放射能の熱線と微小化した酸素の粒子光線が同時に発射される。
「てぃっ!」
だが、無意味だ。
私が手を翳すと、熱線と光線の情報が書き換えられ、無に帰した。
『何それズルくない!? いつの間にそんな能力を!?』
「知らん、そんな事は僕の管轄外だ」
『いや、知っておこうよ!?』
そんな事を言われてもなぁ。
たぶん、あの悪夢のような空間を彷徨っている間か出る時に“ナニカ”があったんだろうけど、正直夢現過ぎてあんまり覚えて無いし。帰ったら、母さんにでも聞いてみよう。
というか、こんなマッドマザーとバーサーカーとやり合ってる場合じゃないんだよ。
「ユダ、連結解除と同時にスターゲイジー砲を叩き込め! 遅れを取り戻すぞ!」『了解!』
ライオネルとドゥーン・クリスタルを繋げている氷を再び溶かし、スターゲイジー砲をバカスカ撃ちながら距離を取る。如何に再生力の高いハボクックだろうと、再生と攻撃は同時には出来まい。
『逃がすかぁ!』『ギャォオオオオッ!』
しかし、そこは流石に神の玉座。ゴリゴリ船体を削られてもなお致命傷には至らず、逆に砕けたクリスタルで追撃してくる。
こうなったら、ごり押しで逃げ切るしか無いな。
「ユダ、“合図”を出したら、全速力で走って!」『分かったわ、お姉ちゃん!』
さぁ、いい加減この出来レースも終わらせようか。
「天・地・開・闢……」
『くっ!? クリスタルシールド、展開!』
「ズリャォオオオオオオオオオオオッ!」
さっきまで攻撃に使っていたクリスタルを防御に回したおかげでドゥーン・クリスタルは沈まずに済んだが……計画通り!
「今だぁ!」『ライオネル、全速前進だ!』『『ひゃっほーい!』』『プルルーン!』『きゃーん!』
そう、これが僕の合図。【混沌の終焉】を推進力、ドゥーン・クリスタルをカタパルト代わりにした、ソルジェットターボである。
「『『『ぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』』』」『プッチュブレー!』『じゅうたーん!』
面の皮が波打つ程の凄まじい加速度で、ライオネルが海を進む。速過ぎて、最早船体が浮いてホバー移動している。負けないぜ、もう少し、最後まで突き抜けてぇ!
「『ゴーォオオオオオオォル!』」『『ぶらい!』』『スティンガー!』『こぉ-うぇん!』
そして、バロルシティの岸壁付近に用意された天然アーチ目掛けて、僕らは“着弾”した。前には誰もいない。浮上した八式も、追い縋っていたドゥーン・クリスタルも、小競り合いをしていたえんがわとマシン・タイザーも、遥か後方だ。
つまり、僕たちの優勝である。
『いやぁ~ん、ダイナミック♪』『実に素晴らしい!』『……ご褒美に、死をあげるよ』
それは同時に、開戦の狼煙でもあった。
◆◆◆◆◆◆
『フフフ、まさか優勝しちゃうとはねぇ……』
ゴール目掛けて文字通りに飛び込んだサイカたちを見て、サンダルフォンが笑みを浮かべる。それは見た目相応の、可愛らしいウキウキとした笑顔だった。
しかし、すぐに悪い顔になる。お遊びはここまでだ、と言わんばかりに。
『さて、良い物も見れたし、観客はそろそろお暇するよ。後は当事者同士で楽しみたまえ』
さらに、チャンネルを切り替えるように彼女が去ると同時に、四方八方からプラズマ光弾がテコナたちに殺到する。打ち上げの花火だと言わんばかりに。
『フン』
だが、ブランドーが一番前の光弾を指で弾き、次から次へと後続の跳弾させる事で、全てをあらぬ方向へ着弾させた。それがどうしたと言わんばかりに。
『こんな物が貴様らの作戦とやらなのか?』
『まさかまさか♪』『今のはレース打ち上げの御挨拶』『……本番はここからだよ』
すると、モリグナ三姉妹が転移で現れ、三羽揃って指を鳴らす。
その瞬間、急激な地震が巻き起こり――――――、
『『『ようこそ、空中機動要塞「トリスケル」へ!』』』
トリスケル島が、空中へ浮上した。
◆◆◆◆◆◆
「『ええぇ……』」
地平線の彼方でゆっくりと浮上するトリスケル島を目の当たりにして、僕たちは言葉を無くした。
いやね、優勝しても商品を素直に渡す気が無くて、何か吹っ掛けて来るだろうなとは思っていたけど、まさかの島ごと浮上である。そんなの有りか。
その上、よーく目を凝らしてみれば、海面下の部分が何処かで見た事があるディテールをしている。あれ、フォモール族が使う甲殻生物の超特大版だ。
……って事は何か、あれ全部が魔力吸収装置だってのか!?
なるほど、長らく見付からない訳だよ。あの世はどうしても魔力ありきだから、探知出来なかったのか。
しかし、あそこまで手塩に掛けたとなると、思ったよりずっと前から準備していたように思える。サンダルフォンが接触したのは最近だから、本当に偶発的な出会いだったんだな。
「……こっちに来る!」
と、空中機動要塞「トリスケル」が、遠目でも分かるくらいの速さでこちらに向かって来る。手近のハボクックを沈めながら。
クソッ、海上戦で後ろから空爆とか、卑怯にも程があるぞ!
ここは一旦、バロルシティに上陸して――――――、
『コカカカカ……』
「『ですよねー』」
しかし、そうは問屋が卸さない。崖の上を見上げてみれば、居るわ居るわ、光学迷彩を解いたフォモール族共が。刀身忍軍の里を襲った奴らは斥候兼囮だったのか。本隊が集結し、隠れ潜む為の。どうりで数が少な過ぎると思ったよ、チクショウ!
ゴール付近に包囲網を張り、上陸を防ぎつつ後方から空爆して仕留める。実に良く考えられた作戦である。アシカになった気分だな。完全な身内争いだけど。
『ゴォヴァアアアアッ!』
「マズい、乗り移られる! スターゲイジー砲を撃ちつつ後退しろ!」
だが、呑気に氷山の上で寝転んでいる暇は無さそうだ。スターゲイジー砲で牽制しつつ、ゴールから離れる。それでもかなりの数が乗り込んでしまった。ゴール間近まで来たドゥーン・クリスタルや八式も同様。逆にまだ沖合のえんがわやマシン・タイザーは、トリスケルから逃げるので手一杯のようである。
これはマズい。非常にマズい。“空中では無防備”で“どちらかと言うと陸戦向き”という、フォモール族の弱点を見事に克服させてやがる。
『ゴパァッ!』
「おかわりも来たぁ!?」
しかも、海中からも奇襲部隊が出現。そう言えばこいつら、海底から来た巨人だったわ。
こうして、僕たちは一瞬にして敵に取り囲まれてしまったのだった。
◆◆◆◆◆◆
『なるほど、これが貴様らの策か』
ブランドー伯爵が先程とは打って変わって、それなりに感心して見せる。作戦そのものは分かり易いが、そこへ持って行くまでの経緯、更にはトリスケル島そのものが浮上するという度肝を抜く展開。これ以上無いエンターテイメントだ。
『そうよん♪』『ここから始まるのさ!』『……“帝国”の復活が、ね』
そして、最後は自らが赴いて戦う。
各々の武器――――――身の丈を超える巨大な槍、妖しく光り輝く闘剣、元は鳥脚だった物が変形した機械の剛腕を構える姿は、これから始まる命懸けの戦いに武者震いしているようで、実に素晴らしく美しい。退屈を嫌う不死者や魔女にとって、この手のお遊び要素は大歓迎である。
しかし、周りを煩く囀られるのは単純に不愉快だ。特に自分の領地を食い荒らさんとする害鳥は、今すぐにでも始末するとしよう。大躍進する事を願って。
まぁ、こいつらは鴉だけどな!
「良いわ、来なさい」「さっさと消えてもらいましょうか」『焼き鳥になるがいい』
テコナたちも武器を抜いた。“己の拳”という、最もシンプルで原始的な武器を。こいつら素手でやるつもりか。
『舐めやがってぇ!』
まずは短気なヴァハがアンタレスに襲い掛かる。
「……フォモール族と繋がっている貴女方を相手に、魔法剣を使う訳ないでしょうに」
対するアンタレスは構えた拳をそのまま前に突き出すと、袖口に隠していた「BBS」を展開。プラズマの光矢を放った。
『うぉっ!?』
ギリギリで回避したヴァハだったが、僅かに髪の毛を掠めており、ハラリと羽毛が舞い落ちた。冷たい汗が頬を伝う。
『その武器は……!』
「そういう事ですよ。武器の鹵獲は基本でしょう?」
「『その通り!』」
さらに、ブランドー伯爵が指先から鈎爪を、テコナは脊髄を引き抜くように蛇腹剣を取り出した事で、ヴァハだけでなくモリガンやバズヴまでもが冷や汗を掻いた。
そう、こいつらは徒手空拳で戦うつもりなどハナからなく、体内に仕込んでおいた甲殻生物の改造品をぶつける気だったのである。
フォモール族と共生する甲殻生物は魔力を吸収し、プラズマに変換する能力がある。
プラズマとは物質の第四状態で、霊体を構成するエネルギーの事。
より正確に言うなら、幽霊などの実態を持たない存在が物質的に干渉する時に発生する“物理現象”であり、その際に魔力などの内在するエネルギーを消費する。ようするに、死という概念が、生として具体化する為の通貨だ。
逆に言えば、それを意図的に起こそうとすると、肉体はこの世のルールに縛られ、周囲の魔力を喰らうようになる。これがフォモール族の培った、対魔法装備の源流である。
つまり、あの世のルールから恩恵を受けられない代わりに、それを食い物にしているのだ。この世にもあの世にも居場所のない、フォモール族らしいやり方である。
だが、タネが分かれば再現や流用は簡単な事。材料も充分にあった。後は、自分たちが魔法を使わなければ良いだけだ。
さらに、それは魔法など無くとも己が身だけで対抗可能という、テコナたち三人の自信の表れでもあった。モリグナ三姉妹からしてみれば、唯々傲慢なだけなのだが。
『『『このキチ○イ共が!』』』
「いやいや」「この程度で驚かれては」『困るなぁ~?』
そして、六つの敵意がぶつかる時、異常事態は加速度的に進んで行く。
◆ハスター
「黄衣の王」の異名を持つ風の化身。大気と精神病の悪魔「イタクァ」やカマイタチの精霊「ロイガーとツアール」など、風属性の者たちの頂点に立つ存在。その姿は名状しがたい冒涜的な物とされているが、時に知的生命体に憑依し、鱗を持つ触手がねじくれ合った不気味な人型に化身する事もある。元は放牧の神だったらしいが、悠久の時を過ごす内に虚無に囚われ、邪悪な存在となった。
ちなみに、「黄衣の王」とはハスターの事だけではなく、外道な神として有名なニャルラトホテプの一形態との共通名詞でもある。




