シリル・エイカーは平和に暮らしたい。
避難が完了し、人っ子一人いなくなったテセウスの賭場。照明が落ち、全てを暗黒が支配している。
その一角に、ダイブチェアに繋がれたまま、グッタリと腰掛けている眠り姫が一人。魂を電脳世界に隔離され、抜け殻となったサイカ・エウリノームである。破壊の魔女テコナ・エウリノームの一人娘にして、元魔王の転生者。今は次期頭首として修業中の魔女見習いだ。
「………………」
魂の入っていない器である為か、サイカはピクリとも動かない。まだ死んではいないが、そう遠くない内に息絶えるだろう。
「………………」
魔法剣を起動させてにじり寄る、“この魔女”によって。
彼女の名はシリル・エイカー。現在偽名を使って英国の地獄へ潜り込んでいるが、本来は日本出身の異世界人である。
そんな彼女だが、今は非常に焦りを感じている。テコナ・エウリノームが好き勝手しやがったからだ。たった一人の人間の為に、大天使まで引っ張り込むとは思っていなかった。
シリルとしては、サイカを囮に使うつもりだった。あの女が親馬鹿なのは知っていたので、上手く印象付けて意識を街から逸らさせ、その間に「蟲毒の陣」を完成させてからサイカを呪い殺し、動揺した隙を突いて一網打尽にする予定だったのである。
だのに、テコナは隙を見せるどころか、ディーテシティを丸ごと生贄にして大天使を呼び寄せた。普通の人間なら怒る前に動揺し狼狽するものだが、狂った奴は怒り狂うだけのようだ。傍迷惑な奴である。
おかげで仕込んでおいた可愛い蟲たちは殆どが死んでしまった。「蟲毒の陣」も全部台無し。絶対に許さないぞ、あの女。
……そうとも、許せる筈がない。
シリル・エイカーと蟲妖怪の最初の出会いは、現世の日本だった。
しがない介護施設の寮母でしかなかった彼女は、常にストレスを抱え、現実にうんざりしていた。何の生産性もない老害を一生懸命世話をしても、それが当たり前だと見做され、少しでも何かあれば虐待だ何だと口撃される。同僚も先輩も自分のストレスでいっぱいいっぱいで支え合う余裕はなく、味方は誰もない。
それに加えて、東京での仕事を辞めてまで帰郷したにも関わらず、自分の都合だけで一方的に別れを告げてきたクソ野郎に、傷心を慰めてやらんとばかりに、いらん親心でこの世の地獄を紹介してきた毒親。必要ないばかりか、邪魔でしかない他人たち。
この世の何もかもに嫌気が差していたシリルの前に、その妖怪は現れた。
ヒンヤリとした触り心地をした、水饅頭のような姿の可愛らしい青虫。子犬程の大きさで、小動物のように懐き、プルンとした感触とフニフニとした仕草で癒しを与えてくれる存在。
シリルはすっかりその子に心を奪われ、“みどり”という名を付けて可愛がった。彼女にとって、家族と呼べるものはみどり以外は存在しなかった。
その後、どこぞの怪しい宗教団体の宣教師に押し入られ、危うく女として大切な何かを失いそうになるという一幕があったのだが、その窮地をみどりが救ってくれた。危険を“捕食”という形で排除してくれたのだ。
さらに、血肉を食らい羽化したみどりは、シリルのストレスの元凶たちを一人残らず平らげてくれたばかりか、自分の生まれ故郷に彼女を導いてくれた。
蟲毒の魔女シリル・エイカー誕生の瞬間である。
そして、シリルとみどりはあの世に馴染みつつ仲間を増やし、それなりに幸せに暮らしてきた。
現世で社会のゴミを掃除したり、あの世で咎人を料理したり、蟲たちの可愛い姿にほっこりしたり。今までの自分ではあり得なかった、幸せな毎日が続いた。本当に平和で平穏な、素敵な日々だった。
そう、世界最後の日が訪れるまでは……。
「フゥ……落ち着け、落ち着くんだ、わたし……こんな時こそ冷静に対処するんだ……」
だが、今は恨み言や文句を言っている場合ではない。早くサイカを始末しなければ。
幸い幻術が効いているおかげで、今は自分とサイカの二人きりだ。現状一番邪魔臭い見張り役のユダには、サイカの偽物を付けてある。いずれはバレるだろうが、時間稼ぎくらいにはなるだろう。
今回の侵略は失敗だが、また次の機会を待てばいい。せめてサイカだけでも葬り、テコナ側の戦力を削いでおかないと。
……何せ、あの“邪悪なる暗黒破壊神”のお気に入りだからな、この小娘は。出る杭はしっかりと打ち付けなくちゃね。
「お休みなさい……永遠にねっ!」
シリルは紫色に輝く光刃を振り被った。
◆◆◆◆◆◆
一方その頃、テセウスの避難区画の出入り口前。
『大丈夫、お姉ちゃん?』
「うん……ごめねんね、ユダ……」
ユダはすっかり弱ってしまったサイカを背負って歩いていた。どっちが姉か分かったものではないが、身長差があるから仕方ない。
それに彼女はついさっき目覚めたばかり。力が入らないのも無理ないだろう。何せ魂を長時間切り離されていた上に、電脳世界でも命懸けの戦いを繰り返していたのだから。
だからこそ、何も出来なかった自分が恨めしい。なればこそ、せめてこれくらいはしないと。
『いいだよ、お姉ちゃん。さ、そこに座って休もう』
ユダは防護扉の向こうに置かれた椅子を見ながら、朗らかに笑い返した。
「ありがとう……」
背負っているモノが、どんな顔をしているかも知らずに。
そう、このサイカはシリル・エイカーの用意した偽物である。人に化け、害を為す虫けら。それも触れただけで相手の姿をコピーしてしまう、上位クラスの存在。シリル・エイカーのお気に入り、つまりは側近だ。
もちろん、ユダに見破る術はない。この妖怪の変化は完璧なのだから。
「あなたも休んで。疲れてるでしょう?」
『そんな事ないよ。ワタシは何もしてないし……』
「そんな事ないわ。……お疲れさん」
サイカの偽物が、本物顔負けのオリジナル笑顔で、ユダをそっと目隠しした。その爪は一瞬にして鋭く変化し、彼女の目を抉り出さんと突き刺さる。ついでに脳髄も貫通するつもりなのだろう。
『そっちこそ、お役目ご苦労さん』
「なっ……!?」
しかし、確かに突き刺さったのだが、致命傷にはならなかった。というか、血の一滴すら流れなかった。まるでスライムに剣を突き立てたように、ズブリとめり込むのみ。
『きゃるーん!』
当然だろう。今のユダは――――――ユダに化けていたドラコは、血も涙もない“金属生命体”なのだから。
ドラコはユダが魔改造した錬金生物。余程のサイズ差がない限り自由自在に変化でき、応用すれば誰かに成り代わる事も出来る。それがこの姿である。
ドラコはユダの指示により偽サイカと合流する前に入れ替わっており、囮の囮を引き受けていた。彼女曰く「こういう手合いは絶対に姑息な手を使ってくる」との事。
「くっ……!」
自分が嵌められていた事を察した偽サイカは即座にドラコから離れ、正体……つまり、妖怪としての姿を現す。
『キュゥゥウウン!』
それは淡い青緑の肌をした、可愛らしい蝶人だった。
皮膚が延長した美しい長髪、蛇に似た細長い一対の触角、瞳のない朱色の複眼、あらゆる「首」に生えたフサフサでモコモコの体毛。胸には羽ばたく鳥を模した宝寿が煌めいている。体格は幼い少女そのものだ。
だが、一番の特徴はその翅だろう。蝶で言えはセセリチョウ、蛾で言えはスズメガやホウジャクガによく似た小鳥のような形をしている。色は表皮と同じで、加えて鱗粉による光の乱反射なのか、ピクセル模様に輝いていた。
本当に美しい、ともすれば妖精にも見える蟲妖怪。
彼女こそシリル・エイカーの側近にして、最初に出会った“愛娘”、「みどり」である。
◆『分類及び種族名称:鬼界蛾超獣=夜雀』
◆『弱点:胸部エナジーコア』
『ギュヴィァアアアアアアッ!』
『チチチ、チュァアアアアン!』
ユダの相棒とシリルの腹心。それぞれが各々の役割を果たさんと、戦闘態勢に入る。全ては自分が慕う、大切な主の為に。
……それはそれとして、肝心のユダは今どこにいるのだろう?
◆◆◆◆◆◆
「死ねぇ!」
『させない!』
サイカの首を撥ね飛ばそうとしたシリルの魔法剣を、割り込んだ暗黒剣が受け止め、すぐさまお互いに刃を弾き合い、距離を取った。
「ユダ……!」
シリルが、暗黒剣の持ち主――――――ユーダス・カスパールを睨み付ける。
「お前、いつから……」
『最初からよ』
いつからそこにいて、ならばどの時点で自分の正体に気付いていたのかという質問に、ユダはたった一言で返した。
ユダには分かっていたのだ。テコナが天使の軍勢を呼び寄せた時点で理解出来た。どうしてサイカに手出しできない自分がこの場に残されたのかを。
シリル・エイカーはやる事こそ残虐非道だが、根は小市民かつ小心者である。その癖プライドだけは一丁前に高く、他人を一切信用してない。蟲毒の呪法を得意とし、蟲妖怪のみを配下にしている事からも、それが分かる。人間を同族として認識出来ていないのだ。所謂サイコパス……それも一番危険なサイコキラーと呼ばれる部類の人種である。
慎重な臆病者だが世界で一番偉いのは自分だと思って憚らず、常に他人を見下しているのに平然とそれを利用する、寄生虫のような人間――――――それがシリル・エイカーの本質だ。だからこそ何年も何年も、何人も何人も人を殺しておきながら、今日この日まで逃げ果せて来れた。
そんな類の人間が、一番大切な“止め”を他人に譲る筈がない。自分の尻は誰かに拭わせるが、本当の脅威は自分でケリを付ける。信用出来ない他人に任せるなど、絶対に無理だ。
だからこそ、こうして釣り上げる事が出来た。
『お姉ちゃんに手出しはさせないわよ、リュシル・イェーガー……いえ、蟲毒の魔女シリル・エイカー!』
「………………」
こうして、ユーダス・カスパールとリュシル・イェーガー――――――否、蟲毒の魔女シリル・エイカーは対峙した。
「……どうして気付いたのかな?」
と、さっきまでの焦り様から一転し、至極落ち着いた態度で、シリルが尋ねる。いつものメタ○ン顔である。
そのどこにでもいそうなモブ顔が、逆に恐ろしかった。
素朴で気の利く、優しい魔女のお姉さん。よく見知ったはずの隣人が、実は国家転覆を図るテロリストで、国際指名手配中の殺人鬼だった。
その事実が、普段通りの彼女が、恐怖を掻き立てる。
サイコパスは珍しい人間ではない。どこにでもいるし、どこにもいない。決定的にズレているのに、それを巧妙に隠して社会に溶け込んでいる。よく見て、話さない限り、絶対に分からないだろう。
だからこそ、恐ろしい。親愛なる隣人が、本当は卑劣なる殺人鬼なのだ。これ程恐ろしい事があるだろうか。
シリル・エイカーは誰にも気付かれず、見向きもされず、されど着実に侵食し、人々の日常を食い荒らす。自分だけが幸福で平穏な生活を送る為に。
そう、この世で最も恐ろしいのは、天使でも悪魔でも、ましてや妖怪や妖精などではない。弱い弱いと卑下ておきながら、自分を神様だと信じてやまない、世界で一番思い上がった動物――――――即ち、人間である。
『……気付いたというよりは、教えられたのよ。お姉ちゃんとテコナさんに。だから、お前はここで負けて死ね。ワタシたちが平和に暮らす為に、お前は不要なんだよ!』
しかし、ユダは恐れないし、畏れない。何故なら彼女はされる側であり、人間ではないのだから。
彼女は戦う。自分の大切な者を守る為に。
「なるほどね。本名もバレて、素顔もバレた。わたしはもう安心して熟睡する事は出来ないって訳だ……」
そんな彼女の聖騎士のような心と暗黒騎士の姿に、シリルはックックと嗤った。
「私の名はシリル・エイカー。
日本国籍名は“後琉 栄華”。
年齢は二十三歳。
転移前の住所は閻魔県要衣市古角町二番地十三小袖荘四〇二号室。転移後の現在住所はディーテ州サンカレア地区六六六番地。
元叫喚地獄火末虫処担当の死神で、今はシェオル大迷宮のギルドで受付嬢を務めている。仕事は必ず定時で上がり、残業は絶対にしない。
煙草は吸わず、お酒はそこそこ。趣味は昆虫採集と飼育及び研究、あとは読書かな。夜更かしはしないし、健康には常に気を使っている。寝る前のホットミルクと虫たちへのお休みの時間が一番の至福よ」
さらに、己の全てを語り明かした。シリル・エイカーという存在の一切合切を、冥途の土産とばかりに。
『いきなり何を……』
「わたしが平和を愛する人間だという事を説明しているのよ。
誰かに追われたり、頭を抱えるようなトラブルは大嫌いなの。
わたしは、わたしの大好きな蟲たちと平穏かつ幸せに生きたいだけなのよ。
蟲は可愛いよ?
わたしを母親と慕い、絶対に裏切る事もない。ご飯を強請って擦り寄ってくる様など垂涎ものだよ、本当に。機会があれば、写真集を見せてあげたいくらいだわ。
つまり、君たちはとっても邪魔なの。何かにつけて自分を押し付け、その癖自分だけが幸福を得ようと躍起になって、お互いに足を引っ張り合っている。そんな連中がすぐ傍で、呑気に寝息を立てて明日を夢見ているなど、虫唾が走る。わたし以外の人間は、大人しくあの子たちの餌になっていれば、それでいいの。
だから、これからキミを始末させてもらう。今夜もあの子たちと安心してグッスリと熟睡する為にねぇ……」
それはまさに死刑宣告だった。覚悟の前振りであり、殺意の表れであった。真っ赤に光る眼と、三日月のように吊り上がった口角が、それを物語っている。食らうべき獲物を前にした、狂気の笑顔だ。
そう、彼女は抗う。幸福で平穏な日常を手にする為に。
「わたしの幸せの為に、消えろクソ虫がぁ!」
『ほざけ、人間の屑が! お前には幸せになる資格も、生きる価値もない!』
そして、二人は激突する。譲れない願いの為に。
◆夜雀(鳴き声:自分の全てを奪ったゼルダガスを無くさんと戦った真の救世鳥)
高知県に伝わる“鳥のような”妖怪。夜道を一人で歩く人間の前に現れ、名前通り雀のような声で鳴くと言われているが、姿形は一定していない。不吉の象徴とも言われ、手を出すと夜盲症になってしまうという。
正体はスズメガの変異体。冬虫夏草に侵されながらも執念で生き延びた化け蛾が、人間に寄生することで誕生する。他の蟲妖怪と同じく人間の肉が大好物(漢方薬の恨みかな?)。特に眼球に対する執着が異常に強く、どんな獲物も食べる時はまず目から噛り付く。




