柚菜──待ち合わせ
改札をでたところでもう一度時間をみると、もちろん待ち合わせ時間は過ぎている。たかが五分ではあるけれど、その五分を思うと、相手に悪いと思う反面、待たせているのにちょっとした痛快も覚えてしまう。それに学校でもバイトでもなく、同級生の女子との待ち合わせなのだから、すこしくらい遅れたって、相手も別に苛立ちはしないだろう。などと、妙に余裕ぶって構内をでると、すぐに、ガードレールに身を寄せた彼女が目に入った。
袖付きの白のワンピースに黒のコンバース、髪はいつものように下ろしていて、スマホに視線を落としているために、こちらからは表情まではわからない。庸介は出来ればこのまま眺めていたい気持ちを振り切った。自分のもとへ寄ってくる足元に気づいてか、柚菜は顔をあげた。
「ごめん、待った?」と型通りに訊けば、
「ううん、わたしもいま来たとこ」と相手も型通りに返す。『待ったよ』とふくれた顔を庸介はちょっと期待もしたけれど、それはそれで、型通りなのだから結局どちらでも構わない。
「どっちに行く?」柚菜は人差し指を顔のまえで振りながら彼に問いかけた。
「どっちにしよっか、どっちでもいいよ」
「わたしもどっちでもいい」彼女は彼の目を見つめていう。
そう言われてしまえばこっちが先導するほかはないとばかりに、庸介は「じゃあ、とりあえず信号渡ろう」と優しく返して、信号が青に変わるのを待つ列へと彼女をいざなった。並んでいる隙に横目で盗み見しつつ採点を試みると、今日の様子は100点満点といっていい。白のワンピースに黒のコンバースはまさに、彼女のためのコーディネートだろう。そう思うや否や、でもあの子にも似合いそうだ、と別の女の姿がちらついた。
「ねえ、どこ行くの?」
「まずはあそこに入ろう」と庸介は青に変わった信号を渡りながら、飲食店や雑貨屋のならぶ通りを指し示していうと、
「うん」
行きたいところなんてないけれど、彼女もたぶんそうだろう。ただふたりで歩くのが楽しいのだ。それにしても、と彼は思う。
──今日の格好は自分を可愛いと思ってなきゃできない。
柚菜はもちろん可愛い。個人的な好みを超えて、きっと、大抵の男が認める。この子よりかわいい子はそりゃいるだろうし、事実いるけれど、パッと見て、思わず惹かれてしまう。そんな女子だ。彼は自分の可愛さを意識している女が嫌いではなかった。むしろそっちのほうが好きだった。自分の美貌を自覚して、それを生かしたお洒落をしたり、化粧を施す女は嫌いじゃない。女であることを行使している女にこそ好感を持った。これには彼が女好きであるのも勿論関係しているが、それとともにある種の共感からもきている。
実際、もし自分が女だったら、嫌でも男の目を惹かずにはいられないくらい美しいに決まっているし、それを思う存分行使するだろうこともまた、疑いない。つまり、庸介にとって柚菜は、実現されない自分の姿でもあった。庸介は女になりたいとは思わない。ただ美人が、自らの美貌によって、いろいろな得をしているのが羨ましい。彼が自分自身の容貌を冷静に眺めたとき、これを女に変換すればちょうど柚菜と同等のものになるだろうと思うだけ、あるいは嫉妬に似た思いといえるかもしれない。そう思い至ったとき、可笑しく思うかたわら、あながち馬鹿にはできないと感じたのを今でも覚えている。同レベルの容姿でも男は女ほど得をしない。それはひしひしと感じることだ。
ふたりは信号を渡りきり、並んで通りに足を踏み入れたかと思うと、柚菜は心持ち顔をさげて、相手の顔を覗くように「ひといっぱいだね」
「だね、でもここは仕方ないよ」
「そうだね、そうかも、うん」
──どうして女は男をまえにするとこうも可愛くなるのか。
ふと、いつもの疑問にとらわれた。勝手にそうなるのか。ひょっとして彼のまえだからなのか。わからない。庸介はしかしあらゆる女が自分のまえでは媚態を示すことに気づかないわけにはいかなかった。それは彼女たち自身のため? それとも俺に気に入られようとして? 彼にとって確かなのは、大抵の女性が自分のまえでは女の顔になるということである。と、彼女の肩が彼の腕に触れた。思わず横を向くと、
柚菜はすっと指差して、「ねえ、あそこに行きたい」
「どこ?」
「だから、あっち」と言いながら相変わらず指を差しつつこちらを向き、もうひとつの手で彼の袖を軽く引っ張って「いい?」
よくわからないまま、といって断る理由もなく引っ張られていくうち、彼女は急に足をとめて、「こっち曲がろう」と顔を向けた細くて短い横町のさきには、もう車の往来が見えている。
「ここ出て、ほかのとこ行く?」彼は自分でも可笑しく思いながらそう訊くと、
「うん、ちょっと、ここじゃなかったみたい」柚菜はいじらしく微笑んだ。