偵察の使命を受けた、長髪剣士の誤算③
その後いくつかの店や酒場でも勇者の話を聞いて回った。そうしている内にいつの間にか店先には灯りが点り始め、まばらだった鎧姿の冒険者たちが増え始めた。
クエストを達成した祝杯にと騒ぎ立てる集団もあれば、涙を堪えながら酒を飲む者の肩にそっと手を置く者もいる。
しかし、それらの中には噂の勇者らしき姿は見えない。仕方がない。一度宿へ向かうとしよう。
ギルドを出てから何人にも声をかけたにも関わらず、結局あの受付嬢から聞いた話以上の事はわからなかった。夕方からの聞き込みのほとんどが無駄足に終わったことを嘆くべきか、初日の一人目とは思えない密度で情報を得たことを喜ぶべきか。
宿に向かう道すがら受付嬢の話を頭のなかで反芻するのだが、どうにも頭が痛くなる。
宿について支払いを済ませ、伝えられた番号の部屋の扉を開けると、鼻をふわりと香ばしさがくすぐった。それは疲れが緩やかに溶けるような優しい香りだ。
「おや、坊っちゃまも戻られましたか。ちょうど紅茶を淹れたところですので、お掛けになってお待ちください」
どうやら、じいは先に戻っていたようだ。
私は促された席に座り、部屋を見渡した。お世辞にも大きな部屋ではなく建物も古いが、良く手入れされた小綺麗さがある。
部屋が掃除されていただけであれば私が外にいる間にじいが整えた可能性もあるが、ベッドに広げられたシーツの白さを見るに宿の者の仕事ぶりが窺える。
素行が良い者ばかりとも限らない冒険者達が多く行き来する通りに面した宿であるにもかかわらず、これ程綺麗に保つというのは努力の結果だろう。
「いい宿ではないか。さすがはじいが見繕っただけある」
「それはそれは、お褒め頂き光栄です。気に入って頂けたならば何よりですな」
じいは優しく微笑むと、こつり、と紅茶を私の前に差し出した。
やはりじいが淹れた紅茶は香り深い。私は紅茶についてはさっぱり詳しくないが、これが上等な一杯であることは分かる。
それを口に運ぶと、こくりと喉を鳴らす。思わずため息に似た声が漏れる。その仕草に何かを察したのか、じいの声色が一段やさしくなる。
「随分とお疲れのようですね」
「わかるか。なに、噂話を集めるというのは存外難しいものなのだと痛感させられてな」
苦労話を装いながら、私の口元は緩んでいたかもしれない。
「そのご様子ですと、坊ちゃまもいろいろと情報を仕入れられたのですね」
「坊ちゃま『も』ということは、そういう事か」
「私もただ紅茶の準備をしていただけではございませんので」
もう一度紅茶を口に運ぶと、それぞれが集めてきた内容について話した。
情報をすり合わせてみると、勇者が美しい女性である事とスライムを連れていることは確かなようだった。
「それにしても、彼女は人を惹きつけるようだ。冒険者ギルドの受付嬢と話したが、まるで敬虔な信者ではないかと疑うほどだ」
「信者、でございますか。冒険者ギルドでは随分と高い評価を得ているのですね」
「……含みのある言い方だな?」
「ええ。冒険者、特に低ランクの方々からはあまり良い評判は聞きませんでしたので。理由は教えていただけませんでしたが、何やら敬遠しているようでした」
名を轟かす者に対しギルドと冒険者とで評価が違う。それ自体はよくある事だが、強く美しいとされ、正義のために剣を振るう勇者は別だ。
憧れこそすれ嫌われるというのは聞いたことがない。その強さを武器に悪事でも働いているのではないかと勘繰りたくなる。
「正直、人となりが見えてこないな」
「しばらくは直接の接触は避けたほうが良いかもしれませんね」
「では、また明日からギルドの嬢の長話にでも付き合うとするか」
「ほどほどにしてくださいね。茶葉もそう多くは持ってきておりませんので」
「わかった。気を付けよう」
その日はよほど疲れていたのかすぐに眠ってしまい、また翌日から冒険者ギルドへと通いだした。
毎度天使だ女神だと大仰ではあるが、この受付嬢からの情報が量も質も確かな事には違いない。少しでも聞き漏らすまいとしているうちに、譲は気になる事を言い始めた。
「そういえば、先日武器屋さんが新しい武器を持った来られたのですが、なんでも勇者様から引き取った素材を利用して作られたとのことでした。軽く鋭いもので、ギルドで買わないかとの相談をされていたのですが、手を出すのは難しい金額だったので断念しました。ただ、本当に勇者様が持ち込まれた素材が元であるなら個人的に……」
それ以降も語る受付嬢であったが、勇者が持ち込んだ素材で作られた武器という情報より先は頭に残らなかった。
駆け出しばかりとはいえこれほどの数の冒険者、つまり客がいるこの街で、武器屋が冒険者ギルドに武器を買ってもらうよう為にすがりついてくるというのは信じがたい。
「武器屋か、気になるな……」
私は受付嬢に礼を言うと、すぐに件の武器屋へ向かった。街の規模の割にはあまり大きくない店であり、繁盛しているとはいいがたい。窓枠に身が隠れる様に丸い窓から店の中を覗くと、そこには信じられない光景が並んでおり、思わず扉を叩いた。




