弱小ママさんバレーチームというもの 2
陽介が永竹クラブに行くようになる遥か前、永竹クラブはレベルが低い少数の参加チームではあったが、常勝集団で、チームメイトも多く、『永竹クラブA』『永竹クラブB』というように2チームで大会に参加していたそうだ。
しかし、陽介が永竹クラブに行った時は、時は流れ、『常勝』という言葉は死語になって久しく、当時の監督が率いた後も、約9年間『優勝』という結果はでていなかった。それでも家庭婦人大会では2勝(3勝すると優勝)、一般大会では1勝(3勝すると優勝)の結果は出していたようである。しかし話によればこの間も全敗し、レベルの低いA区の大会でありながら、一番弱いチームになった経験があるらしい。時々永竹クラブの人が、「永竹クラブはA区の大会に出場した全チームに、敗けた経験のある唯一のチームだよ!」と、恥ずかしげもなく言っていたのを思い出す。
ただチームの歴史は古く、A区でも1・2を争うご長寿チームだそうで、現在もその創設期のメンバーが元気に練習しているのには、頭が下がる。
永竹クラブの練習日は、隔週の月曜日と毎週木曜日。いずれも19時~21時。A区の公立小学校と中学校の体育館が練習場所だ。21時には必ず体育館を出なければならないので、片付けや着替えの時間を考えると、20時45分には練習を終えなければならない。時間的には1時間45分の練習時間である。
しかし、永竹クラブには仕事を持っているメンバーも多かったため、練習開始時刻の19時にはいつも決まったメンバーしかも4、5人しか集まっていなかった。
陽介は新参者ということもあり、仕事が早く終わってヒョットしたら練習に早く来れる人もいるかもしれないと思い、出来るだけ練習開始時刻より早く体育館に行き、定刻に来ているメンバーと一緒にモップをかけ、ネットを張って他のメンバーが来るのを待っていた。陽介が「なんでみんな早く来ないんですかねぇ?、駅から走って来れば、ウォーミングアップの必要がないのに!」と言うと、明らかにこの件については関わりたくないという表情で寡黙になったので、陽介は前にも集合時間のことで物議を醸しだしたんだろうなぁと思い、これ以上この件は話さないことにした。